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奈良・桜井の歴史と社会

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吉野山の桜と後醍醐天皇

こんな吉野山の桜を見に行きたい。

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吉野の「桜山」形成の起源は、南朝の武士粟田久盛が後醍醐天皇の御陵守護の名目で成した立願の植樹行為であった。
南北朝統一以降、南朝の遺臣が地下人(じげにん)として吉野に留まり、桜植樹を地下衆の経済的手段とする中で、寄進という宗教的名目が付加し、参詣者の植樹が風習として発展した。
「桜の吉野山 その景観を育んだ人と風土」(木村満代著)

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もともと「吉野山の桜には二説ありとされ、一は天武天皇の勅裁とし、一は役小角の植樹となす」(中岡清一氏の吉野名所誌による)ではあるが、「桜と蔵王権現の関係が資料的に確認できるのは室町時代以降のこと」とされている。

後醍醐天皇の御陵は、吉野・如意輪寺の東側に北(京都)向きに作られている。如意輪寺は、金峰山の修験の道から外れておかれ、後醍醐天皇の勅願寺である。
御陵や如意輪寺周辺に植樹したのが粟田久盛、1350年の頃とされる。

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 如意輪寺で桜を植える

その後、吉野山の町民(地下人など・・殿上人と対比する言葉だが、町・村では上位層)が桜を象徴的にしようとしたこと、
入山者による(資金的な)植樹が風習化されていったこと
などにより、吉野に桜が定着し、広がっていくことになるのである。

では1100年代の西行の歌をどう考えるかである。西行は吉野に二回は訪れており、吉野山の桜が詠われた歌は57首もあるのである。

これは自生の桜を歌ったもので、今見るような桜山が形成されたとみることはできないとされる。
吉野山に植樹がすすめられる中で、西行の歌が大きな役割を果たしたことは間違いないのであるが。
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 西行庵

吉野の桜、原点は後醍醐天皇陵と如意輪寺の桜であり、普及のインパクトは西行、奥の桜というべきであろうか。

さて、4月21日(土)に西行庵、奥千本の桜を見るツアーを計画している。
奥千本、金峰神社まで貸切のマイクロバスで上がるという方法はあったが、これだと朝の8時までには吉野神宮駅に集合する必要があった。

「朝10時に現地集合」という、今のツアーでは無理なじかんで、あきらめざるを得なかった。
10時に吉野駅で集合、そこから天王橋(竹林院)まで、ひたすら歩き、並んでバスに乗る。お腹を空かせて並ぶのはつらいので、昼食を済ませてバスに乗るという案である。
土曜日である、お天気次第だろうが、これで一時間待ち位か。
大阪のお客様、耐えてくれるだろうか(苦しい笑)。

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 奥千本、こんな桜を見にいこう

by koza5555 | 2015-02-25 23:17 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

仏像―心とかたち

「仏像―心とかたち」

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著者は美術学者の望月信成さん。1990年に亡くなられている。
それから美術史家で宗教学の佐和隆研さん、1983年に亡くなられている。
さらに梅原猛先生の三名となっている。

NHKブックス20である。僕が読んだのは平成元年の本で95刷である。
一刷は昭和40年(1965年)とあるので、僕が高校の頃の本である。
ロングセラーである。

望月さん、佐和さんが美術史、宗教論の分析をして、それを梅原先生がまとめる形になっていた。

全体は6章にまとめられており、
釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来で4章、重々しそうである。それから、「変化の仏」として観音菩薩像、「路傍の仏」として地蔵菩薩像である。

「5年前なら読むの、やめてたわ」とも思いながら、難解なところを読み続けた。各如来像には根拠となる経典があり、その解説がされて初心者に勉強になった。

経典の新訳が現れると仏像の姿が変わっていく、さらに仏教の布教の中でその姿が変わっていったりで、この解説は新鮮な驚きだ。

4如来のあとは、観音菩薩と地蔵菩薩である。
「観音菩薩像のこころを探る」で、変化する仏・・観音菩薩像の解明が的を得て、わかりやすい。
 観音菩薩が数多の変化をしてきたことはよく知らているが、、経典に合わせて十一面観世音菩薩、如意輪観音として発展していったことが触れられている。
観音はあらゆる災難に際して人間を守護するという誓願を立てていることから、多くの顔、多くの手で救い出すという役割を果たすことになった・・とされており、多面、多臂(ひ)の観音は強大な力があるとして広がっていったとのことである。

美術品として人間の形をした仏像は、今は好まれているが(和辻哲郎をはじめ)、何百年も信仰の対象となった観音は、十一面千臂の千手観音で、人間の姿とはかけ離れている。
西国巡礼の寺を例にとると、千手観音16体、十一面観音と如意輪観音が6体で、人の姿に近いという聖観音が2体などとなっていて、その好みの差は歴然と表れている。

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千手観音像 南河内の葛井寺


端的にいって、インドを起源に持つ多面・多臂像が日本で流行した背景には、「人の複雑性・怪奇性への共感や祈りの心があったのでは」という解明だった。
多くの顔、多くの手で救いきるという観音像に、苦しみ悩んだ庶民は惹かれてということだろうか。
by koza5555 | 2015-02-24 23:03 | 読書 | Comments(2)

「奈良のおいしい歴史散歩」と「大和路を行く」

4月からはNHKカルチャー(梅田教室)、講座を2本持つことになった。
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一つは3期目となる「大和路を行く」で、もう一つは「奈良のおいしい歴史散歩」、新企画である。
「おいしい歴史散歩」、この「おいしい」は、味が良いことと、おトクなガイドツアーという両方の意味をかけている。奈良まほろばソムリエの会の鉄田専務理事の提案である。

鉄田さんはこういう言葉の使い方、発想が独特である。自らのブログを「どっぷり!奈良漬」と命名しているほどで、遊びながら本質を突くという感じで面白い。

講座はNHKカルチャーからの提案だが、「見て・食べて・買って」のツアーを「理想」とするまほろばソムリエには、願ったりかなったりのコンセプトである。

「奈良に隠れ名所あり!奈良にうまいものあり!」
「選りすぐりの名所を奈良通のガイドと訪ね、美味しい郷土料理をいただきます。丸ごと奈良を堪能してください」である。

日程は、毎月 第四の金曜日で、

4月は阿騎野、今阪屋旅館で薬草料理
5月は長谷寺門前、井谷屋旅館で和食ランチ
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6月は三輪茶屋でそうめんの手延べ体験とそうめんを味わう
9月は飛鳥、祝戸荘で里山料理という計画である。

こんなお店を訪ねるのだ。予約も必要だったりするので、なかなか味わいにくいお店だが、そこへ案内する。手ごろなお値段でまとまった料理をいただく算段である。

さて、「大和路を行く」は3期目、今回も意欲的な計画を立てた。
こちらは毎月第三の土曜日で、
4月は「奥千本まで吉野の桜をもとめて」
5月は「一目百万本、葛城山のつつじに会おう」
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6月は「マッサンから卑弥呼まで」、田原本町を散策
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7月は「奈良北町から東大寺へ」
9月は「磐余(いわれ)の地に大和朝廷のふるさとをさがす」とした。

とくに4月や5月は大丈夫かという企画だが、昨年も同じ時期に下見を繰り返している。
あの感動を味わっていただきたいのである。


良く学び、そして健康に留意して、春のこれからの講座、楽しみたい。
by koza5555 | 2015-02-23 20:55 | 奈良 | Comments(0)

生駒・高山 茶筌の里

2月21日(第三土曜日)の「大和路を行く」は「高山 茶筌の里を訪ねる」だった。

竹の寒干。生駒下ろしの寒風の時期、高山の村の田圃などで見ることができる。良質の淡竹(はちく)を油抜きして天日にさらす。固く身がしまったつやのある白い竹に変わってくのである。
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こんな寒干を大阪の人に見ていただきたいと考えた。
コースは竹の寒干、鷹山城址、高山竹林園、高山八幡宮が普通だろう。
そこで、まほろばソムリエの会の役員で生駒市民の小野さんと、昨年の8月4日に下見で回ったのである。

竹林園には、茶筌作りの実演の舞台があった。聞いてみても、日程が合わないのである。そこで粘ると、「お店で茶筌作りの実演をされる方がいる」と聞いた。

あれこれ試行錯誤はあったが、結局、僕らは組合長宅を訪問したのである。
「組合長はもう引いた」とのことだったが、伝統工芸士 茶筌師の久保左文さんとお話ができたのである。

久保さんを訪問したのは偶然で、さらに僥倖があり、吉野の旅行社がツアーの打ち合わせで訪ねてきており、一緒に久保さんの語りとその技を拝見することができた。

ここから、今回のツアー、「久保左文師のお話と実演」ということになって行ったのである。
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久保左門師

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参加者一同、久保さんの語りに共感し、食い入るようにその妙技に見入った。

久保さんのお話には心が打たれた。
茶道の隆盛を心から願われているということがひしひしと感じらえる。
パリに行き、ニューヨークに飛び、茶筌作りを実演し、お茶をふるまう、「それは茶道を外国にも広げたいが、パリやニューヨークで話題になれば、日本の茶道が活性化する」と言わた。
「まいた種が一粒でも実れば」の思いだという言葉には感銘を受けた。

講座、参加者には「茶筌作りもすごいが、お話も心にしみた」とか、「今度は良かった」と感想をいただいた。

お抹茶もいただいた
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高山城址には九頭神社と十三重石塔(上部が45度回転している)が残されている。
室町期の鷹山氏の居城とされている。戦国時代に鷹山氏は敗れて流浪したが、その子孫には、東大寺大仏殿の再建に力を尽くした公慶上人がいる。
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高山竹林園には孟宗竹、真竹、淡竹など51種類の竹やササが植えられている。
茶筌に使われるのは淡竹(はちく)が一般的で、維管束が最も小さく、その数も多く、表面が緻密のためとのことである。

竹林園で竹を見比べてみた。孟宗竹と真竹の差は分りやすいが、真竹と淡竹は区別が難しい。
筍(たけのこ)がおいしいのは、孟宗竹と淡竹である。真竹の筍は苦みがあり、好まれない。

茶筌は茶道において抹茶を点てるのに使用する茶道具の一つで、茶碗の中でかき回して均一に溶け合わせる大切な道具である。
○茶筌は一本の一節の竹で作られる。
○竹の一端を細く裂き、薄く削った先端を内側に柔らかくカーブさせる。
普通は3寸7分(12cm弱)ほどの大きさだが、西大寺の大茶盛のような1尺2寸(約36cm)という巨大なものもある。
穂の数は流派により異なるが64本が標準である。それもこれが外穂の数で、内穂を合わせれば倍の128本、これを一本の竹から見事に切り分け、裂き、曲げて(穂をつくる)作製するのである。
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by koza5555 | 2015-02-21 22:54 | 奈良 | Comments(0)

戒長寺から西方寺まで

3月の「大和路を行く」は「宇陀の隠れ仏を求めて」である。

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戒長寺の鐘楼門とオハツキ銀杏

宇陀市戒場の戒長寺、ご本尊は薬師如来である。

薬師如来の眷属である十二神将像が鐘身に鋳だされている梵鐘が有名である。正応4年(1291年)の銘がある

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この十二神将を考えてみた。

奈良時代においては、薬師如来像の脇侍は日光・月光両菩薩とされており、薬師寺の金銅像がその例とされている。眷属(周囲に配置される守護神)はよく知られているように、十二神将である。

平安時代になって新訳の薬師経典(新訳の儀軌)により、薬壺をもち、眷属は本尊の蓮華台の下に置かれるとされ・・・十二神将は極端に小さくなったのである。

天平の十二神将は等身大(新薬師寺)で、平安時代の十二神将は1メートル以下(室生寺など)の理由はここにある。

戒長寺、鐘に鋳だされた十二神将は、小さいなものだが、高いところにある。
ここらあたりの不思議さが、戒長寺の魅力である。


戒長寺、薬師如来像のお顔の穏やかさは形容しようがない。
写真は、「大和のかくれ仏(p227)」などに掲載されている。

いかにも貧乏と病気で苦しめられている憐れな民衆の声に耳を傾け続けた山間の薬師如来さまと言いたい優しさが感じられるのである。

境内のオハツキイチョウは県指定の天然記念物である。
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オハツキイチョウ

ツアーは戒長寺から山をくだり、山部(山辺)赤人墓、西方寺を拝観し、天満台東3丁目から福地までバスに乗り、椋下(むくもと)神社、あぶらやを見学するのである。

榛原の町と戒場山の山間の戒長寺をセットで回ろうというよくばりツアーで、案内する僕も楽しみにしている。

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あぶらや

薬師如来、十二神将については、「仏像 心とかたち」(NHKブックスを参照にした)
by koza5555 | 2015-02-18 22:40 | 宇陀 | Comments(4)

奈良まほろば館で「大和長谷寺と初瀬谷」の講演

「大和長谷寺と初瀬谷」をテーマに、日本橋の奈良まほろば館でお話します。
 3月25日(水)の14時00分~15時30分です。
 奈良まほろば館は、昨年5月の「室生」のお話しに続いての2回目ですが、今回もたっぷり奈良の魅力を語りたいと思います。

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まほろば館の募集要項は以下の通りです。

 NPO法人奈良まほろばソムリエの会より講師にお出でいただき、奈良の魅力を色々な切り口で楽しく語っていただきます。

 長谷寺式といわれる十一面観世音菩薩の魅力と歴史を考えてみます。たび重なる罹災・焼失にも関わらず不屈に再建を重ねた大和長谷寺の魅力を存分に語り、さらに初瀬の町の祭、伝統的な風習を紹介しながら、長谷寺と初瀬の町の暖かいふれあいを紹介いたします。

1.日時・演題
  平成27年3月25日(水)  14時00分~(1時間半程度)
「大和長谷寺と初瀬谷」
2.講師 雑賀 耕三郎 氏
     NPO法人奈良まほろばソムリエの会会員
     NHK文化センター梅田教室「大和路を行く」講師
     談山神社氏子総代
2.会  場 奈良まほろば館2階
3.資料代等 500円(※当日受付にて申し受けます)
4.定  員 70名(先着順)
5.申込方法 : 
 ・ハガキまたはFAX
 必要事項(講演名・講演日・住所・氏名(ふりがな)・電話番号・年齢)を明記いただき、奈良まほろば館までお送りください。
お問い合わせ先
 奈良まほろば館 【開館時間】10:30~19:00
 〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-6-2 奈良まほろば館2F
 電話03-3516-3931 / FAX03-3516-3932


申し込み、要項はホームページで紹介されており、「申込フォーム」もつけられています。
楽しんでいただけます。東京、日本橋、奈良まほろば館でお会いしましょう。


奈良まほろば館、この講座の紹介(申込フォームも)

by koza5555 | 2015-02-15 06:12 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

三輪の初えびす

念願の三輪の初えびす、「御湯(みゆ)の神事」を拝見した。

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 三輪恵比須神社の初えびす、2月7日の御湯(みゆ)の神事である


今年のポスター
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三輪恵比須神社、祭神は八重事代主命(やえことぬしのみこと)他二柱で、大神神社末社の大行事社から勧請されたとされる。大行事社は現在の平等寺の境内の東北に祀られている。
万葉集にいわれる海石榴市は、チョイさておいて、もともとの三輪市は平等寺の門前市として始まった。室町末期の三輪曼荼羅によれば、平等寺の門前、大行事鳥居の左側に円備須(えびす)と書かれている。
この門前町が広がり、大きくなって西に向かい、八重事代主命も現在地に西遷したとみられる。(この項は桜井市史、三輪郷の発展参照)

この三輪恵比須神社が、現在は日本最初の市場、海石榴市(つばいち)の伝統を伝えるものとして注目を集めるのである。

三輪の初えびす。旧暦の正月6日におこなわれてきたが、現在は2月6日で、5日に宵えびす、「三輪素麺初市相場奉告祭」が行われる。かっては「穀類の旧正月の初市の平均値段」が掲示され、商取引の標準値とされたという。

6日は初えびす。

今日7日が後宴で「景気太鼓」などが演奏される。
その前が目当ての「御湯の神事」である。

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 拝殿前に釜が置かれている


煮立った八つの釜に塩、米、神酒をいれ、その御湯を神前に捧げる。御湯の神事である。
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この後は恵比須神社のブログを紹介する。

拝殿前に合計8つの釜が並べられます。
古くより、三輪惠比須神社には言葉を授け、人生の荒波を乗り越えるためのキッカケやインスピレーションを与える言霊の神様が鎮まるといわれ、ここでの託宣をうけて、初市での素麺の価格が決められた、といわれております。
時代をこえてひきつがれております古事由来の神事でございます。

また、巫女を神がかりの状態にさせ、託宣をうかがう神事として知られています。
時代をこえてひきつがれております古事由来の神事でございます。


これは昨年の初恵比須の紹介です。御湯の神事、迫力あります。
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by koza5555 | 2015-02-07 20:59 | 桜井・山の辺 | Comments(2)

江包・大西のお綱はん

2月11日は「江包・大西のお綱はん」である。

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2年ほど前の大西の雌綱。泥相撲を終え、長谷川の堤防に登るところである

忙しい中ではあるが、この「お綱はん」を取材することになった。
祭の2月11日ではなく、取材は今日、2月3日である。
昨年まで氏子総代だったMさんにお話を聞いた。

僕の持って行った原稿を読んで、「お綱は、江包の素戔嗚神社、大西の市杵島神社のお祭りというが、それは違う」と言い切られた。
「素戔嗚神社の前で入船の儀を行うが、江包の春日神社で雄綱を作り、雌綱は市杵島神社の境内で作り、この御綱神社の前で祭祀をします」と教えていただいた。

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 御綱神社。市杵島神社の境内末社とのことである


2月10日、大西区は、市杵島神社の境内で朝から雌綱を作る。

江包は2月9日、氏神さまの春日神社で雄綱を作る。

祭は2月11日、朝9時にはそれぞれの綱が動き出す。


原稿に書くと、こんな具合になる。

江包・大西の御綱(おつな)祭りは、初瀬川をはさんだ江包と大西地区の「お綱はんの結婚式」です。毎年二月十一日に江包地区の春日神社で男綱を、大西地区の市杵島(いちきしま)神社の境内で女綱を作り、江包の素戔嗚(すさのお)神社で男女の綱を結び合わせる神事(入船の儀式)が行われます。江包地区の男綱、大西地区の女綱は双方とも重さが六百㎏以上もあり、この巨大さは全国的にみても稀なるものです。

祭の当日は綱を担って村内の祝い事のあった家々を練り歩き、さらに相撲場(泥田)で泥相撲を行い、素戔嗚神社に向かいます。

長い歴史を持つ勇壮な農耕神事で、祭りとその準備を通して農村の伝統的技術も継承されています。たくさんの村人の協力によって成り立つ「お綱はん」は地域のきずなを強める大切な行事にもなっています。
この御綱祭りは「(国の)重要無形民俗文化財」に指定されています。

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 大西の泥相撲

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 大西の雌綱、三輪山を背景にもう一枚。取材したMさんも写っている

by koza5555 | 2015-02-03 23:51 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

高山 茶筌の里に

2月の「大和路を行く」(NHK文化センター梅田教室)は「生駒 茶筌の里を訪れる」である。

テーマは竹林と茶筌(ちゃせん)作りである。今回は高山城址、高山八幡宮なども見ながら、あくまでもテーマは茶筌、竹林である。

コースは学研北生駒駅からバスで高山に入る。高山城址、高山竹林園と歩き、昼食は悪天候に備えて竹林園の会議室を押さえた。

午後、竹茗堂で茶筌作りを見学、お茶をいただいて、高山八幡宮というコースである。
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NHK文化センターはコース案内を直前にも参加者に送る。僕はこれに併せてコース予習としての「スミ(墨)一色のチラシ」を一枚、送っている。工夫して、「スミでもきれいに見える」ようにと、こんな写真を送るのである


今回は高山の「竹茗堂」で茶筌(ちゃっせん)作りを見学させていただく。

茶筌、茶道において抹茶を点てるのに使用する茶道具の一つで、茶碗の中でかき回して均一に溶け合わせる大切な道具である。

茶筌は一本の一節の竹で作られる。

竹の一端を細く裂き、薄く削った先端を内側に柔らかくカーブさせる。
普通は3寸7分(12cm弱)ほどの大きさだが、西大寺の大茶盛のような1尺2寸(約36cm)という巨大なものもある。
穂の数はあれこれ異なるが64本が標準とされる。これが外穂の数で、内穂を合わせれば倍の128本、一本の竹を見事に切り分け、裂き、曲げる(穂をつくる)ところが拝見できる。


竹干しは別として、今回は竹林をたくさん歩く。

日本の竹は孟宗竹が2割、真竹が7割、後は淡竹(はちく)などとされる。

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孟宗竹林

茶筌に使われるのは淡竹(はちく)である。
淡竹が一番細く割れるからとのことである。維管束が小さく、数が多く、表面が緻密のため、茶筌やヒゴに使われる。

孟宗竹と淡竹は筍がおいしい。
真竹の竹の子は苦みがあり、筍としては利用価値が低いとのことである。

孟宗竹と真竹の差はある程度分るが、真竹と淡竹の差が分らない。
節が二輪、節間も30センチ~50センチで素人には判りにくい。
カメラを持って竹藪を見て回るが、桜井の辺りでは淡竹がそもそもないのかも・・とも思える。

筍は明らかに違うが、いまはその時期ではない。
植木のNさんに聞きに行くと、「そうやなあ。明日香の戒下の辺りの竹は、ハチクと言って食べているので、あそこはどうやろうか」って。
でも、この竹林は笹藪の中にあり、ちょっと近づけないのである。

新しいツアー、常に新しい課題ありである。

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生駒、高山城址で見たこの竹林は、節の感じなどから淡竹(はちく)に見えないだろうか?
by koza5555 | 2015-02-01 21:44 | 奈良 | Comments(0)