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奈良・桜井の歴史と社会

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奈良まほろばソムリエ検定体験学習プログラム

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 安倍文殊院浮見堂。ちょっと違う角度からみると

奈良まほろばソムリエ検定の二級合格者を対象にした「体験学習プログラム」という制度がある。
一級の受験にはこのプログラムの終了書が必要で、奈良検定を究めるためには、まあ…義務みたいのものである。

このプログラムの「奈良まほろばソムリエと歩く~安倍文殊院と磐余の道をゆく」という講座の講師を僕が受けている。実施日は5月31日、直前となって、今日は最後の下見である。

年明けに、このプログラムのコース案の募集が行われた。
僕は、一昨年は「大宇陀」で当選、昨年は2本出したがいずれも落選、今年も2本用意して、この「磐余の道」が選ばれたのである。

「古代を見て、中世を辿り、抹茶も楽しむ」というコース案と僕の解説力が期待されたと「思い込んで」、楽しく準備してきた。
先日聞いたところ、プログラムの参加者予定者は30名、まずは手頃な参加者数である。

午後1時、桜井駅南口集合・出発。
「プログラム中に交通機関を使わないこと、出発駅と解散駅は同じにすること」の条件があり、今回はすべて徒歩である。


一気に吉備春日神社まで歩き(30分)、吉備池廃寺(百済大寺)をまず考える。
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 吉備池。この池の周囲や池底に寺跡が発見された


舒明天皇記(639年)によれば、百済川の辺りに大宮と大寺とを造営したとあり、吉備池廃寺の発掘により、この地に百済大寺が建てられていたことが証明された。

吉備池の堤防で、伽藍の配置を説明して、百済大寺が巨大寺院であったこと、若草伽藍(斑鳩寺)と同笵瓦(どうはんがわら。瓦に文様を付けるハンコが同じ)が発掘されたことなどを解説する。

さらに、この地の南方に磐余(いわれ)池が存在したとの論を紹介し、

大津皇子の「磐余の池の堤にして流涕(かなし)みて作りませる御歌一首」
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(巻4-416)
を朗詠して盛り上げようという計画である・・・

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 大津皇子、歌碑。夏草に埋まっていたので、少し刈ってみたけど・・・


池ノ内の磐余稚櫻神社で磐余池のことを考えてみる。昭和の初めに発見されたくりぬき樋とか、境内・宮垣内の雷(かみなり)押さえ石(白鳳時代)も紹介してみたい。

安倍寺跡を経て、安倍文殊院(華厳宗別格本山)である。渡海文殊騎獅像がご本尊で、鎌倉時代を代表する仏師、快慶の1203年の作である。
巨大な獅子にまたがる総高約7mもある文殊菩薩像を4体の脇侍像が取り囲む文殊五尊像で、これを渡海という。


谷首古墳。阿倍山丘陵一帯では最大の横穴石室を持つ古墳である。

最後は艸墓(くさはか)古墳。国指定遺跡で石室に入ることができて、石棺の周りを一周できる。盗掘孔も明確に残っていて、見ごたえがある。
羨道に比べて石棺は大きく、石棺を収めてから天井石などを置いたとみられる。
ここは、みんなで入室、石棺に触れてみよう。
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長期予報、31日は雨。熱中症の心配が少し減る・・雨のウォークだが、明るく、元気に講座を成功させよう。
by koza5555 | 2015-05-27 21:12 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

重源と大仏様、「南無阿弥陀仏作善集」

「日本の古建築」「美・技術・思想」という本がある。
中川武さん、早稲田大学工学部教授を経て、明治村館長とのことである。

桜井市図書館の新刊コーナーで見かけて読んでみた。

重源の著作で「南無阿弥陀仏作善(さぜん)集」というのがある。
大仏様(だいぶつよう)で作られた南大門、浄土堂(播磨)が紹介されている。

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中川先生は、この「南無阿弥陀仏作善集」をつらつら眺めていると、「重源にとって建築をつくることが思想だったのでないかと思われる」(P125)と言われるのである。
こう聞くと、重源さんは宗教者?布教者?という僕の疑問が一気に溶けた思いで、仲川論、大いに我が意を得たりである。

「作善集」、道路を造り、橋を造り、仏像を作り、建築を行ったことが示される。
東大寺、大仏殿の仏像があり、建築なら大仏殿、南大門、戒壇院、鎮守八幡拝殿、御影堂、食堂、大湯屋が載っており、東大寺別所の浄土堂(播磨)があり、醍醐寺が紹介されている。

日本の古建築は、法隆寺から始まっている。
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五重塔の強い逓減率は遠くから見て、その安定さ、美しさが増すとされる。

建築学的な説明と合わせて、仏教の基本にも触れられている。
回廊から先は仏の世界で、特別の儀式の際には入れるが、普通は僧侶以外には入れない。回廊の中の白砂は永遠性や神の聖なる世界を表すもので、庶民は回廊を通して仰ぎ見るのが五重塔であり金堂だった。したがって回廊の格子は中からは見えるが、外からは見えないという仕組みである。

「仏教が導入されて以来、国家の経営のために仏教は活用されてきた。ところが鎌倉新仏教になって初めて、大衆の救済こそが信仰という宗教の第一目的になった。親鸞にしても、道元にしても、日蓮にしても大衆の救済を目的にしていた」(p144)

同時代だった重源の役割を、こうした親鸞・日蓮の役割と比して明確にしている。
重源は「南無阿弥陀仏作善集」を残している。
「何を作ったか書き連ねてあるだけ」だが大事なポイントがある。
重源は親鸞や日蓮とは異なり、建築をもって大衆と仏教をつないでいったと中川先生は言うのである。

「重源にとって建築をつくることが思想だったのでないかと思われる。」(P125)
仏教が回廊に囲まれていた時代から、大衆を救済する仏教に変わる、重源はそれを建築によって成し遂げたのではないかというのが、中川武先生の結論である。

さて、重源と共に生まれ、重源と共に去った大仏様(だいぶつよう)、南大門は特別なものである。なかなかわからない大仏様(だいぶつよう)が、もう一歩、分った。

①貫通する貫の多用。軸組の結ぶ。細い柱で。太い柱を立て、頭貫(かしらぬき)を嵌めおとす。

②梁は挿肘木で支えて、柱と柱をつないでいく。和様は柱の上に大斗を乗せて梁で柱をつなぐ。耐震性は大仏様が上である。南大門は挿肘木を六手まで出して立体的な構造となっている。
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③和様では水平に流れる空間が基本だが、大仏様は内部空間を見せて、それを意匠にした。(p137)
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見上げると広大な空間が広がり、自然に阿吽の仁王像に目が行く仕掛けである。

補足としては、東大寺のような建物は中国にはなく、日本独自の発展とのことである。

僕は南無阿弥陀仏作善集、抄録しか見ていないが、全文も一度は見てみたいものである。文書そのものも重文に指定されている。
by koza5555 | 2015-05-25 22:12 | 読書 | Comments(0)

法華寺町

「法華寺町」というまちづくりマップがある。平成22年度版である。ここらあたりを歩いてきた。

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 国道24号沿いからみた宇和奈辺古墳

「法華寺に行きたい。宇和奈辺古墳を見てみたい」と、近鉄奈良駅総合観光案内所で働きはじめたあっちゃんが言うのである。
何度誘っても「古墳と言ってもお墓でしょう」と、見向きもしなかったのに・・・えらい違いである。

「東大寺・興福寺に拝観した」という、次の奈良観光、「法華寺は?古墳を見たいけど」・・・こんな質問も結構あるとのことである。
「西大寺行のバスがあります。13番乗り場です」と案内しているが、「行ってない所の説明はつらい」・・・です。


まずは不退寺に。業平寺、正式には不退転法輪寺という。阿保親王の「萱(かや)の御所」が在原業平に伝えられたことに始まるとされる。
ご本尊の聖観音は重文指定、この聖観音と共に戒壇上には五大明王が祀られているのが不退寺の特長である。
境内に付近の平塚古墳から出た、くり抜き式古墳の棺身が置かれている。

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      不退寺多宝塔


佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の東端に位置する。
全長200mを超える大型前方後円墳を7基含む、日本最大級の古墳群のひとつである。南の垂仁陵をふくめこれらの古墳は遺物や埴輪などから4~5世紀を中心に築造されたとみられ、大和古墳群の後に続く古墳群とされる。

ウワナベ古墳は墳丘長260m、相当大きい。
英国から来日した大阪造幣局の技師ウィリアム・ゴーランドが明治初年に実測した。周辺には6基の陪塚(ばいちょう)があった。戦後の発掘により鉄器などとあわせて、「鉄てい」590枚も発掘されている。

磐之媛命陵も見学してきた。
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睡蓮がすごい、美しい。葉がでかくて花も大きい。
墳丘長は219mで、現在は前方部にのみ二重周濠が存在しているが、この周壕は後円部まで回っていた。ヒシアゲ古墳といい、仁徳天皇の皇后、磐之媛命陵に治定されている。
日本書紀によれば、葛城地方の大豪族の娘で仁徳天皇の皇后であったが、天皇が八田若郎女を寵愛したために、磐之媛は難波宮に帰らず、奈良盆地に葬られたとされている。


さて、目当ての海龍王寺である。
いま奈良の各所で配布されている「祈りの回廊」(2015年春夏版)で、みうらじゅんと海龍王寺の石川重元住職が対談している。
仏像と仏教、そして人の本質に迫る、すごい対談である。
「動物界で、自分が死ぬことをわかっている生き物って、人間くらいじゃないですか。そういう意味では、命についてすでに悟っている。死ぬことが分かって生きていることって、めちゃくちゃ辛くて、なにかにすがりつきたくなる。そこに宗教がある」というみうらじゅんの発言も奥深いが、その言葉を引き出した石川住職、これもすごい。
その石川住職、受付におられて、あいさつできた。

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      海龍王寺、五重塔


最後は法華寺である。
「十一面観音像はレプリカ」というと、「それなら見ない」というのを、引っ張って拝観してきた。
「ガイド」がこんなことを見る前から言ってと、僕も反省。

「法華滅罪之寺」。中宮寺、円照寺と合わせて大和三門跡尼寺である。藤原不比等の旧宅を改築し、光明子が皇后宮とし、749年(天平感宝元年)諸国の国分尼寺を統括する総国分尼寺となった。

南都焼き討ちは重源が再建。中世以降は衰退するが、淀君が片桐且元に建てさせた本堂、南門、鐘楼が現存する。

木造十一観音が国宝、「白檀で作れ」と儀軌にあり、その通りに作られた稀有の木像である。

御所の庭を移した「仙洞うつし」の庭園は江戸初期の名園として知られる。6月10日までは拝観できる(本堂拝観料と合わせて800円である)が、今回は疲れてしまいパスである。
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 法華寺町
by koza5555 | 2015-05-24 18:51 | 奈良 | Comments(0)

味酒三輪の里を歩く

「万葉ゆかりの地 味酒三輪の里を歩く」、こんなウォークが桜井市で毎週おこなわれる。

毎週、日曜日の午前9時45分、JR三輪駅前集合で、桜井市観光ボランティアガイドの会 のメンバーが案内する。正午頃まで大神神社、三輪の町を案内していただいて、無料である。

大神神社は三ツ鳥居も拝観できるという参拝があり、神社と三輪の町を案内してくれるという、「お宝ウォーク」である。

このコース、ずっと気になっていたが、5月17日(日)に参加してきた。

9時半頃に三輪駅にいくと、ガイドは中村尚代さん。「何人来られるかは分りません。多い日もあれば少ない日も。無いという日はほぼありません」という具合で、人気コースである。
行程と街づくりマップのコピーを頂いた。順次集まってこられて結局12名に。県外の方も何人かいらっしゃる。桜井市民は僕だけかも・・である。

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駅前の観光案内板の前でコースの説明

大神神社の手水のところで最初の解説。
三輪山をご神体として本殿をもたないこと、祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)とし、大己貴神(おおなむちのかみ)と少彦名神(すくなひこなのかみ)を合わせて祀ると解説された。

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大神神社拝殿。山と接するところに三ツ鳥居がありこちらを拝観する。神事の都合で見れないこともあるようである。三ツ鳥居、重要文化財である。お正月の繞道祭の時だけ三ッ鳥居が開扉され、ご神火が燧(きり)だされる。
繞道祭はなんども書いた。たとえば  大神神社繞道祭


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歌碑の森の万葉歌の説明は時間をかける。

うまさけ 三輪のはふりが やまてらす あきのもみじの ちらまくをしも(巻8-1517)長屋王

やまとはくにのまほろば たたなづくあおがき やまごもれる やまとうるわし(倭建命)

この神酒はわが神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒  幾久 幾久(日本書紀 活日)


大美和の杜展望台を経て久延彦神社、若宮を至る。若宮では「大物主を祀った大直禰子を祭神としていたことから廃仏毀釈を逃れた」と端的に解説して、あとは修理のあと、古い部材の活用に力が入る。

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 大神神社にも禰宜町があると初めて聞いた。それが三輪馬場本である


大神教本院である。大神神社の旧社などが檀家という。
本院は多武峰妙楽寺の八井内の寺院を移したもの(明治16年)で、さらに玄関いかかる大型の「大神教」という表札、この板は天理の大塚古墳(中山大塚のこと?)の木棺の蓋だという。
こちらは「柳本大塚古墳の」との指摘をいただきましたので、修正しておきます。

ここから町にでて、町家のはじめは三輪茶屋の跡である。
「冥途の飛脚」は人形浄瑠璃の人気作品、フィクションではあるが、「近松門左衛門がイメージした三輪の茶屋ならここだろう」ということで、ここに石碑が立てられている。民家の庭にある。
「けいせい恋飛脚」であり、「ふういんきり」であり、「新ノ口、梅川忠兵衛(うめがわちゅうべえ)」という解説だった。
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町家ゲストハウス三輪の前を。こちらに僕は関心がある。近鉄奈良の観光案所で働くあっちゃんから、「ゲストハウス三輪の取材をして」と頼まれていたので、僕だけ寄り道で取材する。
「ドミトリーではなく、朝ご飯付きで4630円~という。午後10時の門限もあり」である。おかみさんからお聞きして、ポーズもとっていただいた。
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町家では池田邸が気に入った。なにがであるが、座敷玄関・表玄関があって、これは大宇陀の町家と同じで、旧家の形はおなじ、なるほどで少し感動である。
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「味酒三輪の里を歩く」、コースも良かったが、ガイドもすばらしかった。
中村さん、すっきりしたガイドでわかりやすい。参加者もみなさん、喜ばれていた。

中村さん、ありがとうございました。
by koza5555 | 2015-05-21 17:09 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

民生委員の活動  松藤和生さん

桜井市、民生委員、年度初めの定期総会を開催した。
総会のあとは学習会、今年は「介護保険法の改正と今後の(民生)委員活動について」というテーマで松藤和生さん(千葉市の福祉研究所代表、福祉や民生委員の活動についての研究プロ)のお話である。

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松藤さんは福祉の現場、それとの市民の関わり方など研究されている方で、とくに民生委員活動では異色の研究者とのことである。

「民生委員をテーマに研究する人は少ない」と言われる。「福祉の分野で民生委員の役割は大きいが、だからと言って、これだという民生委員の基準がない」と言い、民生委員の活動は多岐にわたるがそれぞれが違うと紹介された。

担当軒数でも、国中、見渡せば1260軒を担当する民生委員もいれば、6軒という方もという具合である。ちなみに桜井市の最高は、阿部区の植田さんで800軒である。

担当が6軒、これが楽かと言えば、そうでもなくて、これがものすごい山村で、町まで下りるのに四輪駆動で一時間、6軒を回るのにまた車で一時間という具合で、日常生活の支援も必要という具合である。

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社会福祉の流れの中で、民生委員の仕事の内容が大いに変わったということである。

もともとは民生委員は困った人を役所につなぐという役割を果たしていたが、関係の福祉の法律が変わり(民間の活用、参入など)、いまでは対応策を民生委員も考えることが求められるし、なかには代わりをやっている人さえいるという状況がある。
一言で言って、「高齢者医療費の無料化」の時代から「高齢者の医療費の削減」という時代への変更である。高齢社会の進行、それから国の経済力も関係しているのである。

介護保険制度の改定の概要についての解説はきわめて簡明である。
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①特養新規入所者を要介護(原則)3以上になる。
②それから、低所得者施設利用者の「補足給付」要件に資産などが追加されたということで、無条件では給付が受けられないということ。
③高額所得利用者の自己負担比率が一割から二割になるということ。そして、この高額所得という基準がフロー状態で、利用者の分布状況をみて毎年決めていくとのことである。「あなたは二割負担してください」、どうも毎年6月くらいにこんな通知がくるようで、これはまだ誰も見ていない新しい通知である。


最後に、具体的なケースを2件ほど触れながら、介護を受けていく、あるいは対応についての説明があった。
老いとか病気、介護する人の関わり方という微妙で触れにくい問題を、「我が家の例」、「近所の話」という自虐ネタとして判りやすく解説されていく。

介護保険の制度が利用できる段取りは以下の通りである。

「半年の寝たきりだと。介護に疲れた。どうしたらよいか」と相談があった。
まずは介護認定がいる。これは、自分で行かねばと助言する。
「介護認定4が取れた」と。
これだとヘルパーだと週4日、入浴介護が必要とのことだから、ディーサービスで2日。
短期入所という手もあると助言する。
その後「特養に入ろう、待機に名前を乗せよう」となった。
申し込んだ施設は400人も待っているとのことだが、待機にはいくつの施設にも名前を載せられる。膨大な待機者がいるというが、実数がどれだけかは誰も知らない。特養は次々(理由はいえないが)と部屋が空くので、順番は必ず回ってくる。

これからの民生委員の活動では、自立生活の相談・支援と福祉サービスの情報提供が大切と強調された。
身近な話として紹介しつつ、ヘルパーについてもどんなヘルパーがいいのか、どんな会社がいいのかである。
効率的よく働くヘルパーもいれば、利用者にペースを合わてゆったりと働くヘルーパーもいると極端な例を出しながら、事業者の特徴もあるから、民生委員はそういいうことを情報共有したらどうかという提案である。

こんなことはケアマネが動いたりしている(勧めちゃいけないということだけど)、これはこれで、考えさせられる提案ではある。


おもしろい勉強ができた。
長々、ありがとうございました。参加された方もおつかれさま
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by koza5555 | 2015-05-20 10:53 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(2)

おもしろ古典教室 上野誠

「おもしろ歴史教室」という本を、桜井図書館の新刊コーナーで見かけた。
奈良大学の上野誠教授の本である。ちくまプリマ―新書である。
10年も前の本であるが、新着コーナーにあり、どなたかの寄贈本?とか思いながら読んでみた。

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上野さんのお話は何回も聞いたことがある。

上野さん、いつも言われます。「勉強できましたと言われたら、その話は失敗」、「おもしろかった。楽しかった。笑っていただけたら」と。

「歴史とは現在と過去との対話である」というエドワード・ハレット・カーの思想の影響を受けたとあとがきで触れている。
現代人の目で古典を読む、歴史を考えるということだろう。
自分の立ち位置を明確にして、歴史を解説するわけだから、「わかってもらおう」だし、「楽しんでもらおう」、という上野先生の思いに共感できる。

僕らのガイドや講演でも同じことで、歴史を年表を伝えるように語ったり、お堂や仏像を順番にパンフレットにあるような解説して回るだけの話なら、お互いに時間の無駄で、あるいは観光の邪魔しているだけということになりかねない。


タイのメナム川の夕刻の描写から始まる洗濯の人類史がおもしろかった。
古事記の引田部赤猪子(ひきたべのあかいのこ)の話、これは雄略天皇が洗濯をする赤猪子を見初める話で、

常陸国風土記(那賀郡)と万葉集の紹介される水戸市付近の泉、曝井(さらしい)での選択に集う娘の話を紹介し、

今昔物語、洗濯女のふくらはぎに目がくらんで墜落した久米仙人のこと、

万葉集で「多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき」(万葉集 巻10-3373)につないでいくのである。

洗濯の歴史の話もおもしろいが、洗濯は女性の仕事で、愛と恋につながる古典で紡いでいくのがあざやか(あざとい 笑)である。
上野先生、「これは勉強になりました。そしておもしろかった」ですが、この感想は先生の期待とは誓いますか?。

この本のおもしろさ、これは読んでみなければわからない。僕はおすすめである。けっこう軽く読めるし。
ただし、本屋にならんでいたら、買わなかったかもしれない。
桜井図書館で借りて、読みました。


本筋ではないが、僕の人生、図書館にはどれだけ助けられたことか。
「一筋、まっしぐら」という生活のころは「本は買うもの」だったが、転居を繰り返したり、現在のように二度目の人生を生きているような形になると・・・若いころの本は何の頼りにもならなくなってしまった。

いまでこそ必要に応じて本は増えに増え続けているが、歴史や奈良県の勉強を始めた時に持っていたのは、奈良県の地図と万葉集だけだった。
本は全部、桜井図書館のお世話になった。
奈良に来てから利用したのは、順番に桜井市図書館、橿原市図書館、宇陀市図書館、県の図書館、御所市図書館である。

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桜井市図書館
あれこれ一長一短はあるが、奈良で歴史ガイドをやろうとしたら、桜井市だけではなく県下全域の郷土資料の充実ぶりから、桜井図書館はお薦めである。
by koza5555 | 2015-05-14 19:31 | 読書 | Comments(0)

「十一面観音巡礼」と白洲正子

先日、聖林寺の十一面観音菩薩像のことを、まほろば文化センター(桜井市)の歴史講座でお話しした。

十一面観音菩薩像のことを、聖林寺に至る経過や道、十一面観音菩薩像、そのものについての話である。

この話の中で、白洲正子の「十一面観音巡礼」のことも触れさせていただいた。
大御輪寺の縁の下に捨て置かれた十一面観音菩薩像をフェノロサが発見して、聖林寺に移したと書かれているが、「白洲正子はこんな話を誰に聞いたんだろう」というような紹介である。

話しながら、白洲正子が気になった。それで、「十一面観音巡礼」を改めて考えてみた。読み直してみた。

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再発見、満載だった。

ご承知の通り、白洲は「十一面観音巡礼」を、聖林寺から始めた。
まずは、見開きの写真が聖林寺の十一面観音、ピシッとした横顔である。
そして巻頭は「聖林寺から観音寺へ」である。
「いまこの世に生れ出たという感じに、ゆらめきながら現れた」、「世の中にこんな美しいものがあるかと、私はただ茫然とみとれていた」と初見の思いを語った。

その後に大御輪寺から移された経緯を語るのであるが、白洲正子が語りたかったのは、あくまでも「世の中にこんな美しいものがあるか・・・」である。

大きな十一面観音が、
「十一面観音には、時々このような大作が見られるが、・・それは疫病などがはやった際に町の中を車に乗せて練り歩いたからで、遠くからも拝めるように、なるべく大きく造る必要があった」というくだりがあり」、これを遊行仏というらしい。
「空也上人絵伝」には、観音様が山車の上で市中を練り歩く絵があるとのことである。
これはお練りにつながる、遊行僧という像の姿を取り入れた長谷寺の十一面観音につながるはなしで、この遊行仏は参考になる。(P159)

十一面観音が地蔵菩薩とともに祀られていることの紹介も各所にあったが、これは天照大神と習合した十一面観音は天をあらわし、地をあらわす地蔵菩薩と対になったとみられるとの論が紹介されている。儀軌に寄らない日本の風俗と見るべきだろうか。とすると、各所にみられるこんな祀り方は、中世からのものとみるべきだろうか。

「見ることによって受ける感動が、仏を感得する喜びと、そんなに違う筈はない。いや違ってはならないのだ、と信じるに至った」として、白洲正子は見仏の感動も述べている(P267)。


「十一面観音巡礼」の最後も聖林寺である。
「明日は聖林寺にお参りし、ほんとうにひと廻りして巡礼を終ることにしよう。そう心に決めたら安心して、ぐっすり眠ることが出来た」として、白洲正子は十一面観音巡礼、聖林寺から初めて聖林寺で終えている。


奈良で美仏を考えるツアーを組むなら、聖林寺の十一面観音を軸に組み立てるべきことと考えさせられた、それが「十一面観音巡礼」の読後感である。

「美仏に出会う旅なら まず聖林寺」、フェノロサも和辻哲郎も白洲正子も・・これらの人々はそう考えたのである。
by koza5555 | 2015-05-13 10:36 | 読書 | Comments(0)

おもしろ歴史講座

桜井駅前のエルトで開かれている「まほろばセンター文化クラブ」で、今年一年、「おもしろ歴史講座」というテーマの講座を持たせていただくことになった。
奇数月の第一金曜日(お正月などを除いて、第一ができない月は第二金曜日である)の午後7時から8時30分までである。

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桜井市エルト(まほろば文化センターは二階です)

こんな呼びかけである。
「国のはじまりは桜井。その始まりの場所が桜井にあり、それに関わるエピソードが桜井に残されています。記されたこの歴史を縦糸にして、いまの生活と風景を横糸にして、縦横合わせて布のように考えてみます。しっかりした美しいじゅうたんが織り上がりますように」
一年間で6回の講座を持つが、とりあえず今年は桜井のことだけを話そうと考えた。

お話しの日時、テーマは決まった。
5月8日(金)7時~聖林寺と十一面観音菩薩
7月3日(金)7時~安部と磐余
9月4日(金)7時~初瀬の町と長谷寺
11月6日(金)7時~談山神社と紅葉
1月8日(金)7時~桜井の勧請綱
3月4日(金)7時~三輪山と大和朝廷


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第一回目は8日、「聖林寺と十一面観音」から始める


文化クラブの年間1000円の会費を払えば、受講料がないというお値打ち講座である。
先日の申込みが28名、ありがたいことである。毎回、一時間半、タップリ楽しんでいただこうと考えている。
そこで、せっかくだからもう少し宣伝したい。桜井市外の方の参加もできて、会場は桜井駅からは至近である。

追加受付もできるようなのでお誘いしたい。今年は桜井を語るが、さまざまな史跡・遺跡に関わる人の営み、人の思いのようなお話を楽しくするつもりである。

申し込みは まほろば文化クラブ0744-42-1973 か、 メール  kozaburo@cg8.so-net.ne.jp
でお願いします。
by koza5555 | 2015-05-06 21:35 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

葛城山のつつじ

「大和路を行く」の5月の予定は「葛城山のつつじ」である。
NHKカルチャーは4月の吉野山に続いて、今期の出足はチャレンジの大型企画である。
「歩行距離は?」、「きつい?」などの問い合わせも多いが、一度は見てほしい、吉野の山桜、そして葛城山の「一目百万本」である。

5月5日は葛城山天神社の「春の大祭」である。ロープウェイの山上駅のすぐそばの、あの神社である。
春の大祭では、吉祥草寺の山伏(修験者)による護摩供もあるとのことであるので、ツツジの様子も見ながら葛城山、登ってみた。

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今年のツツジは早そうで、今日の5日が五分咲、10日の日曜日ころには満開だろう。10日はロープウェイも3時間待ちというような爆発的な混雑になりそうである。
しかし、このツツジの開花状況、僕の期待より、3日くらい早い。しばらく涼しい日を望むだけである。

葛城山、なにを話そうかである。
なんといっても役行者だろうと考えると、頂上の葛城天神社は5月5日が春の大祭である。

葛城天神社、水波能売神(みずはのめのかみ)を祀る竜王社が祀られている。
櫛羅(くじら)の里人が天神講を作り祭礼をしていて、春の大祭は5月5日の午前10時からであることが分った。しかも、吉祥草寺の山伏による護摩供が行われるとのことである。


祭礼は神仏習合そのもので、天神社で神職による祭祀が行われ、続いて吉祥草寺のご住職が唱導で不動明王、役行者への心経が唱和された。
この神社には役行者が祀られており、大日如来の権現とされる不動明王が祀られていのである。
さらに、ご住職が採燈師(さいとうし)(吉祥草寺は聖護院で本山派と聞きました)となられ、護摩供を進行されます。

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護摩壇に点火、燃えさかる護摩壇

野外の護摩法要、初めて拝見した。

聖(ひじり)の住所(すみか)は何処何処(どこどこ)ぞ、大峰葛城、石の槌、箕面よ勝尾よ、播磨の書写の山、南は熊野の那智新宮(梁塵秘抄)(りょうじんひしょう 平安時代の歌謡集)と詠われた葛城である。

葛城入峯(にゅうぶ)、こちらには28品(本)の経塚があり古くから巡拝されていた。葛城の峰と修験の道によれば、和歌山市の加太に迎え坊があり、友が島の序品窟(じょほんくつ)が始まりで、和泉山脈を縫い、葛城の山と裾を縫って亀が瀬に至り、これは葛城山だけではなく、和泉山脈と葛城山脈を合わせて一体であった。

ただし、この場合は葛城山とは金剛山と一体を指し、現在の葛城山は28品(本)が置かれていなかったが、葛城天神社のような祭祀もあるのであるから、まあ、一体の葛城山と考えよう。


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つつじの先は金剛山。葛城登山も楽しそうである
by koza5555 | 2015-05-05 18:55 | 奈良 | Comments(0)