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奈良・桜井の歴史と社会

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酒船石と亀形石

史跡  酒船石  昭和2年4月8日史跡指定
この石造物は、現状では長さ5.5メートル、幅2.3メートル、厚約1メートルで花崗岩で出来ている。北側及び南側の一部は欠損しており、近世にどこかへ運び出されたものと考えられ、石割の工具跡が残っている。石の上面に、円や楕円の浅いくぼみを造って、これを細い溝で結んでいる。酒をしぼる槽ともあるいは油や薬を作るための道具とも言われている。しかし、この東40メートルのやや高いところで、ここへ水を引くための土管や石樋が見つかっていることから、庭園の施設だという説もある。    明日香村

奈良県をガイドするならば、奈良市と明日香村は避けて通れない。そこで、とりあえず明日香村のことを考えてみた。

それぞれの場所があり、その場所・場所に登場してくる歴史的人物がいて、場所と人とが編み重なった歴史が飛鳥にはある。日本書紀に、それが具体的に記されていて、その意味では、三輪や磐余、倭といわれた桜井の歴史とは少し異なるのである。
明日香はきちんと学んで、それをかみ砕くと、格段におもしろいお話ができるわけで、これがガイド冥利ともいえるのである。

秋のツアーで亀石と亀形石を考えたが、酒船石が基本かと思い直して、ちょっとさこら辺りを考えてみた。

本居宣長、松本清張とさらには歴史学者・考古学者のさまざまな論があるが、この紹介はまたの機会にして、僕もちょっと推論してみた。

酒船石、今は竹藪の中であるが、すぐ下には亀形石造物がある、飛鳥の工房もあり、飛鳥の都や飛鳥寺も直近であり、当時の風景は大分違うと見ても良いだろう。

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40メートル東に水を流す施設があるのだから、東が上流、西側が流末であることは確実である。


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石の上に乗るのは、はばかれるので脚立持参

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これが亀形石。南から北に流れていて、亀の口から水が流れ込み、尻尾から流れ出る

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門脇禎二さんは、北宋の「大極図」に注目している。坂船石とこの図のくぼみが一致していること、「日本書紀冒頭の神代巻の天地判別の説明にもよく似ているという」とされ、この大極図が確認されるのは北宋以降(西暦の1000年以降)であるが、同種のものは南朝斉(西暦450年ころ)の時代に出ていることを指摘している。  

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 「飛鳥と亀形石」(学生社 門脇禎二著)の47ページ


これらの石造物の確かな使用方法は不明だが、この図は人体図・・とすると、遊びの庭園の施設と言うのは飛躍があるかなとも思えるのである。

発掘は行われたが、酒船石から亀形石への流路は見つからなかった。
これらを連続した構造物ではなく、時期が違う、同じ目的の構造物とみたらどうだろうか。
始めに作られたのは酒船石で、そのあと、改良版の亀形石が作られたと見るのである。

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もう一度写真を並べてみよう。


この石造物を作られた方は、斉明天皇とみたい。

斉明天皇は、656年に両槻宮、吉野宮を造り、さらに長渠を掘り石を運んだ。「興事(おこしつくること)を好む女帝」といわれ、石材を運ぶために築かせた溝は「狂心の渠」(たぶれごころのみぞ)と呼ばれた。

難波から大和に還り(653年)、重祚(655年)があり、最新の唐の情報(653年第二回遣唐使、654年第四回遣唐使)を取り入れて、これらの石造物や両槻宮の工事が行われた。

斉明天皇、とくに重祚後は仏教との距離を少し置いたと見る見方もあるのである。
こんな論もあると・・いうことで、楽しんでいただければと・・・書いてみました。
by koza5555 | 2015-07-29 23:52 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

新日本三大夜景 若草山

「若草山の夜景を見てみたい」、観光案内所で案内業務をするあっちゃんのリクエストである。
これも一つのツアーかなと高畑辺りを案内して、夕方から若草山に登ってみた。

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若草山、6時には登ったのである。県庁もなじんでみえた

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まずは鶯塚古墳である。
鶯塚古墳は、磐之媛命の平城坂上陵とか、元明天皇の平城山陵などと伝えられたが、いまでは、この古墳は陵墓としては宮内庁の管理を外れている。
「みささぎはうぐひすのみささぎ かしはぎのみささぎ あめのみささぎ」と枕草紙の17段に「うぐいすの陵」と清少納言が書いたのはこちらだろうか。
後円部の頂には江戸時代に建てられた「鶯塚」の石碑があるとのことである

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時間があり、三重目から二重目に・・ついついさらに下へ

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一重目の鹿・・「こんなとこまで何よ」と見つめられた

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いよいよ日没

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こんな感じである

若草山、標高342m。なだらかな草地が広がり、菅笠の形をした三つの峯が重なってみえることから、三笠山と呼ばれることもある。このため阿部仲麻呂の歌の「御蓋山」と混同されることもあった。

中世に東大寺と興福寺の境界を明瞭にするために、樹木を切り払ったとの伝承があり、毎年1月の成人の日の前日に行われる「山焼き」の起源をここにもとめる説もある。


若草山は新日本三大夜景の一つで、山頂から奈良の夜景を楽しむ夏限定のバスツアーなどもあり、26日(日)も、けっこうな混み具合だった。

奈良交通が「夜の奈良公園・平城宮跡めぐり」ツアーを運行している。
夏限定で8月は連日運行、JR奈良駅を6時30分、近鉄奈良駅を6時35分に出発して、あれこれを車窓見学、若草山に登るコースで、1500円とのことである。

奈良市観光協会の夜景バスは、午後7時半にJR奈良駅前発、近鉄奈良駅が7時35分で、こちらは路線バスを使用して立ち席もありで、料金が500円とリーズナブルである。

奈良県民も十分楽しめる。「子供の頃に行った」と言わずにもう一度、ぜひ。乗用車の通行料は520円である。


ちなみに新日本三大夜景は若草山と北九州の皿倉山、甲府の笛吹川フルーツ公園と若草山で、日本三大夜景は神戸、長崎、函館…納得できましたか?そして行かれたことありますか?
by koza5555 | 2015-07-28 13:23 | 奈良 | Comments(0)

箸中の野口たんと杉本区長

7月26日(日)、桜井市箸中の野口たんが行われた

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まずはツノの飯。「型が残っていて助かる」とおばあちゃんの言葉。四隅をツノのように立てる

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祭の主人公、17歳の少年が絵をかく。絵は黒牛と唐鋤(からすき)と決まっている。牛を描いたのは北島君(16歳)、唐鋤を描いたのは中森君(15歳)である

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小麦ワラで蛇体を作る。龍ともムカデとも言われていた。綯っていくのだが左右に突起が出るように編んでいく。麦ワラは稲ワラのようにはいかなくて、要所・要所を麻ひもで縛っていく。お年寄りも作り方を忘れており、北島君のお母さんが手際が良い。お聞きすると「DVDを見て何度も練習した」とのことである

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ツノの飯とさし魚(サバの開き)の特殊神饌である

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祭の進行はほら貝によるため、ほら貝の練習も必須である。「ほら貝の吹口が壊れていて修理しました」と区長夫人のことば


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祭祀後の記念写真、北島家と中森家、区長夫妻など

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ほら貝を吹きながら井寺池にむかう

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耳成山、畝傍山、その先は金剛・葛城山

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井寺池に青竹を立てる

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神上のアオキ(栴檀)に勧請綱を架ける。牛と唐鋤の絵も供えられる

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「この樹は守りたい。この地も守りたい。ここは大字箸中 字神上と言い、土地の名前に神様の文字が使われている貴重な土地で、この地を守りたい」と杉本区長が思いを語って、これが祭の〆だった。直会があるが、一般はこれでおしまいである。

祭の主体は数えで17歳の少年(高校一年生)のお祭りで、今でも少年と家族でその祭を行うのである。
17歳の少年と家族だけのお祭りというところがすごい。
村のお祭りは宮座であったり、それが成り立たなくなり、今では村(区)の行事になったりしているのであるが、箸中は「該当の少年がいない年は野口たんはやらない」と徹底している。

7月に入って、箸中の杉本さんから電話が入った。箸中の杉本区長の奥さんである。
「今年の野口たんはやります」ということである。楽しみに待って、そして始終を拝見してきた。

箸中の野口たん、「これは村の男が大人になるための祭で、祭が終われば町に遊びに出かけても許された」(箸中のご老人)というような、大人への村の通過儀式だった。



参考文献は
奈良県祭 行事報告書  2009年
和州祭礼記 辻本好孝
桜井市埋蔵文化財センター 「ちょっと寄道 箸中の野口さん」

by koza5555 | 2015-07-27 22:34 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

「雄略」(Yurahaku)ポストカード、朝倉郵便局(桜井市)

産経新聞に「雄略天皇で町おこし」、「キラキラ★★ポストカード作成」、こんなふうに桜井市の朝倉郵便局が作成したポストカードが紹介されていた。

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雄略天皇ポストカード

 雄略天皇の宮殿「泊(はつ)瀬(せ)朝倉宮」の推定地に近い奈良県桜井市の朝倉郵便局が、雄略天皇をイメージしたイラストなどが入ったポストカードを作成、「ふみの日」の23日から同局で配布する。

 企画したのは、同郵便局の山下貴司局長(42)。ポストカードは縦14センチ、横23センチで、「雄略 古代国家統一の礎を築いた恋多き帝」などのロゴとともに、雄略天皇を現代イケメン風にイメージしたイラストが描かれ、万葉集巻1の冒頭に登場する雄略天皇の歌などを掲載。裏面では、その歌碑がある白山神社を紹介している。
ポストカードでは、雄略天皇を「超肉食系帝」と紹介。「データ」として、「好き=猪肉、女性」「趣味・特技=狩り(色んな意味で)」などとしている。
イラストを担当したのは桜井市内の広告制作会社のイラストレーター、米田友美さん。ポストカードは120円切手を貼ればそのままはがき(定形外)として使用できるほか、切手を貼って「消印台紙」としても使えるようになっている。
 朝倉郵便局の北東約600メートルの脇本遺跡では昭和50年代の発掘調査で、古墳時代の大型建物跡が見つかり、雄略天皇の泊瀬朝倉宮の宮殿跡の可能性があるとされている。同局では雄略天皇をイメージしたオリジナルのご当地消印も作製、今月1日から郵便物に押印している。

地元の黒崎地区出身の山下局長は、「雄略天皇は地元のヒーロー。古代の歴史を秘めたこの地域に多くの人に足を運んでもらいたいという思いを込めました。地元の人たちにも情報発信のツールとして利用していただきたい」と話した。

ポストカードの作製枚数は千枚。問い合わせは朝倉郵便局((電)0744・43・2407)。
(産経新聞7月23日付奈良版)


朝倉郵便局の窓口でお聞きすると、「ポストカードとして差し出すと120円(定形外)だが、『消印台紙』として持ち帰ると(52円切手を貼り消印を押す)と52円。台紙だけでは販売できないとのことである。

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朝倉郵便局消印

誰かに送れば120円、自分で持ち帰りたいと思えば52円、「朝倉郵便局に行かなければ手に入らない」というところがミソで、これが、これも一つの町おこしとのことである。

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旧伊勢街道、佐野の渡し・佐野の追分を東にすすむと朝倉郵便局である
by koza5555 | 2015-07-24 13:21 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

般若寺 平和の塔

7月18日(土)にツアーで般若寺を訪れた。

平城京の鬼門抑えのために大般若経を納めて塔を建てたのが般若寺の始まりという。
般若寺・奈良阪あたりは兵火により焼失するが、この塔は鎌倉時代に南宋の石工・伊行末(いぎょうまつ、いのゆきすえ)により建立されたものである。

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花崗岩製、総高 14.2メートルで、初重軸石の4方に「阿弥陀如来(西方)」「釈迦如来(南方)」「薬師如来(東方)」「弥勒菩薩(北方)」が線刻されている


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この十三重塔を「平和の塔」のガラスに映してみた。

「『平和の塔』は、1989年1月、奈良の非核平和の象徴として建立。爆心地広島で燃えていた原爆の火と長崎の原爆瓦からおこした火を『平和の火』として燃やし続けています」(境内掲示ポスター)とあり、「原爆被爆者犠牲者追悼・核兵器廃絶の般若寺 平和の塔のつどい」が8月1日(土)午後4時から開催されると掲示されていた。

戦火に崩れ去った般若寺、戦塵の中から再興する般若寺、その般若寺に 「平和の灯」・「平和の塔」はマッチする。
「平和の塔」は本堂の西側。コスモスの植え付けで、いまは境内はちょっと雑然としていたが、僕はこちらでは、戦争のことを考えて歩いた。


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by koza5555 | 2015-07-19 10:13 | 奈良 | Comments(0)

中世芸能講義

講談社学術文庫の「中世芸能講義」がおもしろかった。
中世芸能を研究されている、東京大学総合文化研究所の松岡心平教授の本である。

「勧進」「天皇」「連歌」「禅」と副題がある。
何を読んでもけっこうなびっくり屋であるが、この本もことさら、びっくりである。

連歌と染田天神が記されていた。
笠間川沿いは、虫送りなどでなんども訪れたので、染田天神社の連歌堂の写真も撮っていた。
一度、きちんと考えたかったが、ここを分りやすく紹介している。

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染田天神、連歌堂(昭和50年代に茅葺から銅版葺きに変えられたとのことである)

「一揆と連歌会がストレートに結びつく例が、すでに南北朝から見られることである。安田次郎氏が報告する、東山内(ひがしさんちゅう)と呼ばれた大和国東方地域の地侍集団により、南北朝から戦国末期まで続いた染田天神連歌講である。」(p158)

「毎年千句の連歌会を張行(ちょうぎょう)するのであるが、その費用は料田を取得して当てたとあり、当年預(とうねんよ)が、自分の館や近隣の寺院に本尊(菅原道真御影)を持ち込んで、会席を作った。・・・本尊御影は染田天神者に常置された。・・・この年預の分布を調べると、南朝方の勢力圏東山内に一致するとのことである。」(p159)

「連歌堂というのはじつに面白い建築物です。ここに天神を祀っていたわけですが、神殿がにょきっと連歌堂の中に突き出ています。連歌堂自体は正方形十八畳の空間で、その空間の奥に神殿がにょきっと突き出ていて、しかもこれがミニチュアです。神殿は庭ごと連歌堂のなかにうつし込まれていて、連歌堂の中に座ることは神殿の庭に座っていることと同じになるのです。」(p162)

染田天神連歌堂、ぜひとも拝見したいものである


花の下連歌(はなのもとれんが)、これは初めての勉強だった。
「13世紀の中頃。1240年」、「一般大衆が参加する言語ゲームの場が、法勝寺や毘沙門堂といったお寺の枝垂れ桜の下に開かれた」(p129)

花は桜、桜でも枝垂れ桜でないといけないのである。「言語の熱狂で花鎮め」ということらしい。お寺の枝垂れ桜って、そんな意味と利用方法があるんだと納得する。

「連歌の一巡目は連歌衆たちがまわして、その後はみんなが対等の立場でフリーに出句する。とくに花の下連歌は視聴者参加の番組というか、一般大衆にまでオープンになっている。」(p134)

「花の下連歌では『花鎮め』ということを考えなくていけません。『令義解(りょうのぎげ)』などをみると、季春、春の末の頃に鎮花祭が行われます。大物主命を祀る大神神社とその荒魂を祀る狭井神社です。」 (p142)

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狭井神社

「桜の花が散ってしまうのを御霊の吹き荒れと感じ、花が散るのと同時に疫神がまき散らされているような感覚があって、それを抑えるために鎮花祭を催す。」 (p144)

「芸能として、歌や笛や太鼓や摺鉦(すりがね)などでどんちゃん騒ぎをして悪霊を追放する祭をするわけですが、花の下連歌の場合は言語の熱狂によって、そのパワーで悪霊を追放し、あるいは流行病をもたらすような疫神を鎮圧する。」  (p147)

連歌、知ったかぶりで話してきていたが、一揆と連歌、花の下連歌、連歌の雰囲気が少しわかった気分である。

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中世芸能講義。桜井市図書館で借りた

by koza5555 | 2015-07-17 18:40 | 読書 | Comments(0)

ホテルフジタ 大和の昼膳

ホテルでランチ、「大和の昼膳」、これをホテルフジタでいただきました。

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ホテルフジタのレストランに入ってみると、北側が開化天皇陵

「奈良の7ホテル共同企画」として、「県産食材を使ったランチを提供する『大和の昼膳』が7月1日から始まる。9月30日までの三カ月間、各ホテルで奈良の食材を使ったオリジナルランチが楽しめる」(産経新聞6月24日付奈良版)と報道されていた。

「参加ホテルは▽ホテルアジール・奈良▽春日ホテル▽奈良ホテル▽奈良パークホテル▽ホテルフジタ奈良▽奈良ロイヤルホテル▽ホテル日航奈良」である。

この企画、平城遷都祭を控えた2009年の9月に始まり、毎年夏と冬、二回を行ってきており、それぞれの料理長が工夫を凝らしたランチが用意され、いままでのトータルが4万9634食という人気コースだった。

順々に各ホテルを食べ歩くと、数に応じての食事券などの特典もあるとのことで、いろいろな工夫もある。

僕としては、ホテルフジタが気になった。
20年も前の町歩きツアー(池田末則先生が案内の)で、「ホテルフジタで食事」という資料を見たこともあり、「ちょっと、フジタのランチで何かできないか」とも思っていたのである。

さっそく、「ホテルフジタの昼膳に行こう」と決めて・・奈良に行く日程に合わせて、あっちゃんと「大和の昼膳」、味わってきた。


レストランは開化天皇陵(春日 率川 坂上陵 かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)が目前である。

月曜日の11時半に予約したが、個人客や8名ほどのグループもいたりして、けっこうな混みようだった。

食事は・・・

まず、海の幸が茶箱弁当ふうに出てきた。鰆の焼き物、身欠きにしんの煮付け、モズク
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次が魚そうめん
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えだまめ豆腐にスーパーフルーツのクコの実。健康志向と言っても、これは一粒です
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タラの空揚げ、あんかけ
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土瓶蒸し
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チラシ寿司
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抹茶小倉ケーキと葛きり
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以上で2160円。食事は美味しかった。レストランのロケーションもすばらしい。


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産経新聞、6月24日付、奈良版

「奈良にはうまいものあり、おいしいものがある」 である。
by koza5555 | 2015-07-16 06:01 | | Comments(0)

奈良阪を歩く

7月の「大和路を行く」は奈良阪とした。
近鉄奈良駅集合、奈良阪までは路線バス。

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奈良阪あたりから東大寺をみると・・


まず、奈良豆比古神社を拝観、その後、般若寺に入山する。
十三重石塔と文殊菩薩騎獅像が楽しみ。
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こちらの文殊菩薩はしばらくぶりだ。楽しみである。

ここで、昼食である。今回は、これを工夫した。
このツアーは「お弁当は持参」を基本としているが、猛暑の7月である。
「昼食を植村牧場のランチ」というのが工夫である。
レディスランチ、税込みで1000円というメニューをお願いした。
食事付は、参加人数に気を使うが、晴れにせよ、雨にせよ、猛暑のはじまりの7月である。植村牧場のランチは良い選択だと自讃である。

午後の一番は、奈良少年院の前を通り、
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北山十八間戸などを経て、五劫院の五劫思惟阿弥陀如来像を拝観する。
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五劫思惟阿弥陀像の拝観が今度のツアーの目玉である。
阿弥陀仏が法蔵菩薩と名乗っていた時に、一切衆生を救おうと発願を立て五劫という長い間、思惟をこらし修行されたのに基づいて、その修行の姿をあらわすために造像されたもので、思惟するためだけの生活のため、頭髪を伸びるにまかせたところ縮じみ上がったという。
 天女が3年に一度、舞い降りてきて、40里立方の大盤石を羽衣で一なでし、盤石が無くなるまでの年月を「劫」と言い、「五劫」とはそれが五回という年月を指すのである。


最後は転害門である。切妻造の屋根をもつ高さ11mの「三間一戸ハ脚門」といい、奈良時代に創建された。
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創建当時、東大寺には6ケの門があったが、転害門は最も北にあり、平家の焼き討ちにも焼失しなかった。

転害門の大注連縄が面白そうである。
これは秋分の日に掛け替えられるとのことである。ただし、これは4年に一度の掛け替えで、前回は2013年、今度は2017年である。

注連縄は川上雑司町が当番となる4年に一度、農家組合の組合員によって綯われ、掛けられるとのことである。

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注連縄を作る場所は五劫院の前の道を東へ、突き当りまで行った、川上・雑司の会所綱が作られる。
作業は午前中で、8時には始まり、10時過ぎには完成するとのことである。綯われた注連縄は、転害門まで歩いて持ち込まれ、掛ける替えられる。

「二年先の2017年、秋分の日はカメラを持って転害門で」という感じかな。
by koza5555 | 2015-07-15 06:18 | 奈良 | Comments(0)

やまとごころ  村山慶輔 氏

7月13日、南都銀行の「観光力創造塾」(第4回)に参加してきた。「外国人目線のインバウンド・マーケティング」というテーマだった。

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これは二部の柳井尚美さんと鉄田憲男さんのトーク

「外国人目線のインバウンド・マーケティング~集客のポイントを解き明かす」というテーマで、「やまとごころ」の村山慶輔氏の講演である。
第二部としては「旅館松前の流儀」という、松前の女将 柳井尚美さんのトークとなっていた。

この企画は、奈良まほろばソムリエの会の鉄田専務理事が直接、本職の南都銀行の業務として関わっていた。
「外国人が、何を思って奈良に来てるか。それが分りそうだから行ってみる?」とあっちゃんを誘うと、「行きたい」とのこと。あれこれの下見も兼ねて、「それでは」と奈良まで勉強に行ってきた。

あっちゃんは、月に100時間くらい、近鉄奈良駅付近の観光案内所で観光案内の仕事をしている。海外からの旅行者の応対が数限りなしで、それも、そのすべてが、個人の旅行者である。

そんな具合で、あっちゃんの感想も交えながら、講演の様子を紹介すると。

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この絵がオープニング

旅行者がどんな情報に参考にして、日本や奈良に来ているか、それが良く理解できた。
「トリップアドバイザー」という、旅行「口コミサイト」のすごさが指摘された。ここに書くなんてことは、あまり無かろうだが、海外でどんなふうに紹介されているか、その情報収集というか、それが大切である。
客観的にみてどう評価され、報道されているのか、何が期待されているのか、それを知らなくてはならないということである。

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訪日旅行者は、日本に何を求めているのだろうか。あるいは奈良に何を求めているのだろうか。

中国の旅行者の「バク買い」とかが話題になる。今回の受講者は、いわば業界であったり、行政であったりするわけで、「奈良にもこんなバク買いの日が」という期待も当然だろう。

ここで、村山さんの言葉も紹介しながら、僕もあれこれ勝手に考えてみた。

観光を産業として成り立たせるためには、継続した戦略を持った取り組みと、足元を見たマーケティングが大切と言われたのではなかろうか。

「ありのままの自然や人を見せるツアーが人気を呼ぶケースもある」とか
「新規客だけを追い求めるな。新規客だけで成り立つビジネスは無い。一に依存するな。売れるもの、売りたいものなどの現状を把握せよ」と村山さんは強調するのである。
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「奈良の観光にはヨドバシカメラもドンキホーテも要らないというか、無い。あるものは、ゆたかな自然と人の生活、深い歴史を示す事物と遺跡である。これを生かして継続した努力が大切」、僕は勝手に、こんな感じでお話を聞いていたのである。


観光産業は何ができるか、何が必要か、あるいは僕に何かできるろうかということもしっかり考えた。

いくつかの事例の紹介をしながら、課題が整理されていた。

一つは、新しい分野、この対応でチャンスがあるということである。
LGBT(性的マイノリティ)とか富裕層に特化とか、あるいはムスリム対応でチャンスをつかもうなどです。
訪日客が何を期待するか、何に不安を感じるかなどを紹介しながら、具体策の伝授がある。

さらに、それからブランディングの大切さは勉強になった。
同業他社との違いを示す、「いまだけ、ここだけ、あなただけ」とか、
「自分が何者かを知り、何を伝え、何をつたえないか」は、ガイドしても実に、その通りである。

「こちらは一日見てもらえれば十分です」という方がいたと講師が紹介していた。
観光資源が無いわけではなく、研究が足らないだけだと思うが、そういう意味では奈良はすごい。
「奈良は一日で十分」という国内旅行者はいないだろう。


そんなことで、僕の思いを少し書きたい。
「前の話が良かった、もう一度聞きたくて」と聞いたときの感動は、例えようがない。
リピーター期待とは、その日、その日のツアーを大切にすることでしょう?
「再び現れる」というのは、「奈良が良かった、もっと見たい」ということなんである。

もともと「奈良は何度か来たらわかった」、奈良の奥深さはそんな言葉では表せないのである。

JTBのツアーとかでは、当日に楽しんで頂くことは当然だが、それだけではなく、また来ていただこう、そこに力を入れている。
同時にNHKにしても、大人の学校にしても、半期・半期、毎月・毎月が勝負というように考え、「あそこに行ったら面白い」、「あそこで元気になれた」と思っていただけるように、毎回、気持ちを傾注している。講座という形だが、やはりこれは究極のリピーター作りである。

「外国人の目から見た奈良」を考えれば、「国内旅行者から見た奈良」、共通項は多いのである。
僕自身としても、勉強を重ね、心配りをしたツアーや講演を今後とも成功させていきたい。

旅館松前の柳井さんと鉄田さんのトークも良かった。全体のまとめとなるような形で、松前という旅館を通した奈良の魅力が出ている。

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柳井尚美さん

こちらが鉄田憲男さん
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鉄田さんのブログに、講演の全容が紹介されている。詳しくは、こちらを参考してください。
 どっぷり奈良漬け

では、今日も良い日に。長いブログ、最後まで、ありがとうございました。
by koza5555 | 2015-07-14 09:14 | 奈良 | Comments(0)

戒長寺、西方寺、椋下神社とあぶらや

「宇陀の隠れ仏を求めて」をテーマに、宇陀市の戒長寺と西方寺を拝観するツアーを行った。

行程に工夫がある。榛原に集合し、タクシーで戒長寺へ。
拝観・お弁当を済ませて、徒歩にて山部赤人墓(伝)を経て、西方寺まで下る(4㎞ほど)。
西方寺からは、天満台東三丁目まで歩いて(300m)、奈良交通バスに乗り、福地で下車、椋下神社、あぶらやを経て榛原駅に至る。

「隠れ仏を求めて」としたが、戒長寺の松本住職は「別に隠れているわけではない」とちょっとおかんむりである。すみませんということで、2回目からは「秘仏を求めて」に変えたのである(汗)。

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戒長寺はこの戒場山の中腹(山頂に近い)に

「宇陀の秘仏を求めて」をテーマに戒長寺(かいちょうじ)、西方寺を訪ねる。午後は榛原の町並みを歩き、近世の榛原の町と山懐の秘仏を訪れようという「よくばりツアー」である。

最初に訪れるのは戒長寺。大和富士と呼ばれる額井岳(816m)の東、薬師山(戒場山・737m)の中腹に位置する古刹で宗派は言宗御室派、ご本尊は薬師如来である。戒場の村は俗界と遠く離れた山村で、さらに戒長寺はその村からさらに131段の石段を登らねばならない。

本堂には半丈六の本尊薬師如来を中央に、千手観音像、地蔵菩薩像などの藤原時代の古像が残されている。

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薬師如来の奥には、別の薬師三像が安置されており(写真は「大和のかくれ仏ほから」)、端正で優しいお顔、体部の肉づけも良く、衲衣の表現は藤原時代後期の特色があるとされている。

また、薬師如来の眷属である十二神将像が鐘身に鋳だされている梵鐘も有名で、正応4年(1291年)の銘がある。

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山部赤人墓(伝)を経て西方寺(さいほうじ)に至る。

西方寺。ご本尊の薬師如来像は、平成26年6月に重要文化財に指定された。
薬師如来立像は胎内文書によれば、弘安元年(1278年)の造立と考えられる(鎌倉時代)。奈良西大寺釈迦如来と相似の彫像で美術的に優れている。

素朴で平明な作風から像の制作は、像内の結縁交名(けちえんこうみょう)に記された「弘安元年」(1278年)と考えられ、鎌倉時代の基準作例として注目されるものである。

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西方寺は古くから融通念仏宗で、この薬師如来は戒長寺の近くから下されてきたと言われている

福地でバスを降り、椋下(むくもと)神社を参拝する。高倉下命(たかくらじのみこと)がご祭神で、神武東征の折、神武天皇にフツツの御魂の剣を献上した高倉下命である。福地の氏神様であるが、平安時代からの由緒ある延喜式内社である。

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これは11月3日の榛原の祭り、椋下神社の秋祭りである

榛原のあぶらや。旧旅籠として2階に至るまで全面的に開放されており、ゆっくり見学できる。
明和9年(1772年)本居宣長が宿泊している。
「けふはかならず長谷迄物すべかりけるを。雨ふり道あしくなどして。足もいたくつかれにたれば。さもえゆかで。はいばらといふ所にとまりぬ」とある。
「うつしてもゆかまし物を咲花の をりたがへたる萩はらの里」と歌がある。

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あぶらやの二階。展示室。説明も充実しており、楽しい。

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戒長寺の松本ご住職である。

このツアー、往きはタクシーだが、下山が長い道のりの徒歩で、それなりの脚力が必要である。見どころは満載で、ここは機会を作って、何度でも案内したい。
by koza5555 | 2015-07-09 23:32 | 宇陀 | Comments(0)