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奈良・桜井の歴史と社会

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図解 技術の考古学

瓦を題材にしたパワーポイントと作る必要があった。

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そこで、こんな絵を作り上げた

これにはタネ本がある。「図解 技術の考古学」(塩見浩)、有斐閣選書から出ている。旧版の古本だったら300円、新版の古本は、人気が高くて4000円もするけど。

広島大学の塩見先生が、考古学実習を学生に履修させてきた経験、これをまとめた本である。

「本書のあつかう分野は、技術史のなかの原始・古代にあたるが、一般化もしくは抽象化されたものではない。わが国の考古学調査によってあきらかにされた遺跡・遺物を通じての技法を中心とする」(あとがき)

「文章だけでは解説が十分ではなく、学術的な挿図は初心者には理解できないものが多い」ということで、イラストが特別に書き下されている。
このイラスト、挿図がすばらしい。写真ではなくスケッチによって、ほとんどの図面が示される。

論点は石器、焼物(土器・瓦など)、骨角器、木器、金属器、織物、漆などが網羅されていて、最後に「考古学の年代決定」で、理化学的方法での年代決定方法も解説されている。

いずれも興味深いが、とりあえず、問題意識があった瓦が勉強になった。
この本に基づき(p50)、パワーポイントの画も作ってみた。自画自賛だが、とてもわかりやすい。

水銀の採取、鍍金の工程の解説がとてもよく理解できた。
「水銀は摂氏350度で気化するので、辰砂を密閉した容器に入れて加熱し、気化した水銀を別の容器に導き冷却する」とある。この画は中国の「天工開物」であるが、こんな画も紹介されている。

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これは「天工開物」からとのことである

鍍金の方法の解説もわかりやすくて、しっかり理解できる。


古代のさまざまな技術を、よく知っているような顔でいつも話しているが、こうやって読み直してみると、ビックリはあちこちにある。
こんな知識もしっかり増やしていってこそ、ガイドの総合力の向上がある。
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技術の考古学
by koza5555 | 2015-11-30 23:52 | 読書 | Comments(0)

奈良おいしい歴史散歩

今日は「おいしい歴史散歩」で室生寺に。
毎月、第4金曜日はNHKカルチャーの「奈良おいしい歴史散歩」、今日が6回目だった。
それなりにあちこち回ったが、室生寺は温存しておいた。
「錦秋の室生寺」である。

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「今年の紅葉は」とあちこちで聞くが、鎧坂はそれなりだった

三本松の子安延命地蔵を拝観して、橋本屋の食事、室生寺の拝観というコースである。
このツアーは電車と路線バス、タクシー、歩きが移動手段で、コースづくりに工夫がある。

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近鉄の三本松駅集合である。急行でも桜井、榛原とくると、それからは各駅停車(快速急行は停まらない)、三本松にも停まり(快速急行は三本松は停まらない)、大阪からでもとても利用しやすい。

三本松の安産寺に祀られている子安延命地蔵は重要文化財(国指定)、榧の一木造りで平安初期の作品である。
もともとは室生寺の金堂に祀られていたものだが、江戸時代の中期に流出した。
三本松の中村自治会が、安産にご利益がある仏様として大切に祀ってきている。毎月9日の午前に開扉しており、1月24日初地蔵、8月の第4日曜日がご縁日法要である。

こちらは、直近で拝観できるのがすばらしい。
「市の教育委員会から拝観者にマスクをかけさせよと指導があった」とマスクも用意されていた。

全員がマスクをして、「研究者みたいや」


室生寺の門前の橋本屋で昼食をいただいた。
おいしいと大好評で、僕としてもうれしい。
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お部屋からの太鼓橋


室生寺では堂塔、ご仏像を丹念に解説、とくに金堂は特別拝観中で安産寺の地蔵菩薩を思いおこしながらみんなで熱心に拝観する。
12神将は、引き続きお揃いである。

室生寺の堂塔は杮葺(こけらふき)と檜皮葺(ひわだふき)である。
杮葺(こけらふき)。薄く(2~3ミリ)割った木板(杮板)を重ねて葺いていく(板が厚くなるとトクサ葺、トチ葺、クレ葺と名が変わる)。

この杮(こけら)と柿(かき)の漢字の差がなかなかの難物。
今回は特別にパネルも作って解説、ご承知の方もおり盛り上がったし、良いことを覚えたと喜んでもいただいた。

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檜皮葺(ひわだふき)は檜の皮を重ねて葺いていく。
立木から採ったり(原皮師 もとかわし)、製材前の檜から採った材料も併用されている。

とても寒い日だった。
下山してから、橋本屋で葛湯、甘酒をいただいて、バスで室生寺大野に出て、解散である。
11月、紅葉のシーズンは、毎時1本のバスが2本となり、時間が変わっているので、注意が必要である。
by koza5555 | 2015-11-27 22:37 | 宇陀 | Comments(0)

傾聴ボランティアのすすめ

今年から桜井市の民生委員は全員が相談活動に参加している。
民生委員として、「福祉の心配ごと相談」とか「地域福祉相談員事業」などが、当番で回ってくる。

当番日が近づくと、「どんな相談がくるかな」とみなさんが心配されている。役所の担当者は「聞いていただければよいですよ。心配いりません」などと言うのだが、この「聞く」というのが、なかなかの難物である。

僕などは四人兄弟の三男、聞いてばかりでは誰も構ってくれないから、自己主張ばかりが異常に発達(笑)してしまって、聞くことは大の苦手なのである。

「傾聴ボランティアのすすめ」などと言う本もあるので読んでみた。
読んでみると、聞くのが苦手と言うのは僕だけではなく、どうも人類共通のようである。

人は話すことは得意だし、話す訓練はたくさん受けるのに、聞くことの訓練、心を傾けて聴くということ(傾聴)の訓練が不十分で・・とある。
沈黙は金とか、黙って聞けとか・・
そういえば、いろいろ聞くよね。

なるほど勉強になった。

「沈黙を恐れない」というのがあった・会話の途中で相手が黙り込んでしまうと、「ああどうしょう。なにか言わなくては」・・これに陥るな、ということだ。
僕なら「どうした、どうした?なんだよ?」って。これではあかんのである。


「リフレーミング」、これも思い当たるフシがある。
「あの人は優柔不断なんです」と思わずに、「あの人は慎重なんだ」と思え。
「あの人は頑固だ」とぼやかずに、「あの人は信念を持っている人だ」と考えよ。
相手の主張や考えを、自分を一歩引いて考えよとのことである。


傾聴の勉強は話す方、働きかける立場の勉強にもなる。
アメリカの心理学者メラビアン博士の研究によれば、「言語コミュニケーションはコミニュケーション全体の7%」にしかなく、伝える力は声の大きさとか表情、身振りなどの視覚から受けるイメージだ、とのことである。

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言語以外のコミュニケーションの重要性

傾聴という勉強でも、伝える立場で考えてもなかなかおもしろい指摘である。
たしかに、メールで伝えると感情抜きの、確かに情報を純粋に伝えることが出来るのである。
これも一つのコミュニケーションだが、実際の講演、ツアー、人付き合いはもう一つ違うのである。


「傾聴ボランティアのすすめ」。三省堂
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by koza5555 | 2015-11-19 22:52 | 読書 | Comments(0)

「古代豪族」洋泉社

「古代豪族」論である。

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古代の豪族を20人の研究者が分担して執筆されている。
古代豪族をそれぞれの専門分野を生かして20ページほどで解明するという書物で、古代の豪族の鳥瞰図となっている。僕には、目新しい。


ヤマト王権に直接関わる豪族としては葛城氏、物部氏、蘇我氏、平群氏、息長氏、秦氏、大伴氏に触れている。

遠山美都男氏は「蘇我氏の出自は渡来人なのか」と出題するが、
通常いわれる韓子や高麗などがつらなる系図は、蘇我氏の河内の分家筋の蘇我倉の系図と断定する。蘇我倉は朝鮮半島からの朝貢に関わっていたことに関わる名前だとして、大和の本家は「蘇我は滅亡したとされる葛城氏から分立された」との論だった。

しかも、この論は「葛城氏はどこまでわかってきたのか」の小野里了一氏(桐生市図書館)も共通である。

さらに、橿考研博物館の坂靖総括学芸員が、「奈良盆地の遺跡が語る有力豪族の実像」のテーマで考古学から見た豪族論のなかで、同論を語っている。

坂さんは、葛城における祭祀・居住・生産拠点などを遺跡・遺物から解説しつつ、渡来系の先進技術が駆使されていたこと、そして、それを支配したのは蘇我氏との論が展開されている。

「仏教に帰依して神の道を逃れた」、私朝臣家継(きさきのあそんやかつぐ)の話などは、いかにも、仏教になびいて行った当時(829年、類聚国史)の世相が紹介されていて興味深い(現在の若狭国遠敷郡若狭比古神社)。

「蝦夷はヤマト王権によって作られた」との松本建速東海大学教授の蝦夷論は、僕には極めて新鮮な解明だった。
東北に「蝦夷はいなかった」という論である。


なにしろ一人が20ページづつで、「もう少し読みたいな」という所で次々と論者がいれ変わるテンポの良い本である。
今年の9月の新刊で、「古代史 研究の最前線」の一環である。
研究最前線は、「邪馬台国」、「古事記」がすでに出ている。それにしても、「邪馬台国」、「古事記」と出て、そのあとが「古代豪族」、これは普通の歴史シリーズとはちょっと組み立てが違うようで、この後に期待が持てる。

桜井図書館で借りて読みました。このシリーズ、ひきつづき入れていただきたいものである。
by koza5555 | 2015-11-18 18:55 | 読書 | Comments(0)

王寺町の歴史

9月23日(平成27年)に王寺町が、「王寺町の歴史」(173ページ)を発行した。
あれこれあるんだよ、ということだが、「王寺には(歴史遺産は)何もない?」と言うところから、この本は始まる。

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明神山(西山 三等三角点)に登ってみると。藤井寺・堺の巨大古墳群が目の当たりだ

王寺は自称も他称も交通の町である。駅前あたりの活気は桜井などとは比べようもない。

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町章は王という字を丸が囲む。この丸は平和ということと車輪を示すという。

鉄道がとおってからの王寺の町の急激な膨張を(ほぼ)10年ごとに絵地図で残した方がいる。九度という純農村が鉄道が通り、王寺という駅ができて駅前商店街に急速に変わっていく姿が示されている。
保井芳太郎と言う方である。

王寺の古代寺院の発掘の中で、この保井さんがもう一度出てくる。
大和川近くに西安寺と言う寺があった。大阪からの大和の入り口、ここにできた渡来系の寺院である。現在は舟戸神社があり、こちらで飛鳥時代から鎌倉時代に至る軒丸瓦、軒平瓦が発掘されている。
はじめに塔跡が発見されている。この発見者が、これがまた王寺の駅前の地図を残した保井芳太郎さんとのことであり、研究家でもあり、コレクターと言うことである。



和州 送迎(ひるめ)大神宮という言葉、聞いたことあるだろうか。
送迎と書いて、ひるめと読む。その理由がある。

伊勢参りにあたり、大阪から大和に入るとき明神山(王寺の畠田の)の峠を経たという。
この山は亀の瀬の南側に当たり、この山の中腹を経ると、奈良盆地南部への最短の道となっていた。この山が送迎と呼ばれた。

文政13年(1830年)に大規模なおかげ参りが発生している。四国の阿波から始まったとのことである。
この年に、この明神山に白狐のお告げと言うことで天照大神(大日霊女尊(おおひるめのみこと))を「かって」に祀ったということである。
伊勢への大阪からのもともとの順路である。それはそれは賑わったとのことである。
なにしろ毎日毎日、さい銭としてカマス四~五杯の銭が集まったという。
長い旅に疲れて、ここで参拝して帰ったという人もいたらしい。

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山頂のいまの神社はこのひるめ神社とは関係がない。

郡山藩がこれを不正と問題にした。「これはニセの神宮」として、一年も経たないうちに打ち壊してしまったとのことである。

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神社跡(山頂)からは大阪も奈良盆地も見事に眺望できる。
こちらで米相場の旗振りが行われたということもよく分った。

達磨寺には1~3号墳という古墳が残されているが、今日は畠田古墳を訪れてみた。
明神山の尾根の南斜面を利用して作られている。
発掘された須恵器の特徴から、7世紀のはじめ、古墳時代の後期のものとされる。

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こんな古墳

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中から見たら、こんな風景である。今は木が茂っているが大和盆地は一望という立地である。

達磨寺とか亀の瀬とか、王寺にはまだまだ面白いテーマが残されている。

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「王寺町の歴史」。町役場まで行くと、一冊500円である。
送ってもらうのは手続きが複雑、訪れるべし、である。
by koza5555 | 2015-11-16 20:49 | 読書 | Comments(0)

大神神社 志るしの杉玉

大神神社、醸造安全祈願祭(酒まつり)は11月14日午前10時30分~。
振る舞い酒がある。

11月13日、祭りの前日には「志るしの杉玉」の吊るし替え(大杉玉掛け替え)が行われる。
掛け替えは拝殿が午前9時。祈祷殿が午前11時ということで、日にちは毎年変わらずとなっているが、時間は行事の都合で若干の前後がる。
今年(平成27年)は、拝殿は時間通りだったが、祈祷殿は「結婚式が行われるので」と、40分ほどの繰り上げである。

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祈祷殿に向かう大杉玉。「今年は230㎏くらい」が、製作した神社職員のお話し。ちなみに大杉玉の調整、掛け替えは氏子や講の奉仕ではなく、「神社の職員がやります」とのことである。

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拝殿の大杉玉は拝殿の背後(中庭のような)、運ぶ姿は拝殿内だけで、撮りにくい。

ちなみにこれが一年の活躍の後、降ろされた杉玉
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祈祷殿の大杉玉は「稲荷神社付近の作業小屋」とのことで、運び込みの距離が長い。
天皇社前、二の鳥居の階段下を通過して、休憩所前を経るコースだから、あちこちで撮れる。

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運び込まれた後は、ウインチで引き揚げて固定、「志るしの杉玉」を巫女が取り付けて、「ニッコリ」、これで完了である。

この神酒は わが神酒ならず  倭なす 大物主の 醸みし神酒  幾久  幾久
日本書紀歌謡(高橋活日命)
崇神天皇8年冬12月、今頃だろうか、崇神天皇が三輪の大神を太田田根子に祭らしめた日に、高橋活日が神酒を捧げて詠んだ。
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こちらが活日神社


酒屋の軒先に掛かる杉玉、酒ばやしとも呼ばれ酒屋のシンボルである。大物主大神は酒の神でもあり、酒屋自身が大神神社の神木とされる霊験ある杉を軒に下げたことが起こりとされる。江戸時代初期の祭礼図屏風などに酒ばやしが描かれたものがある。大神神社の大杉玉は径1,5メートル、重さ250キロにもなる大きなもので、醸造安全祈願祭の前日、一年に一度掛け替えられる。拝殿の前飾り樽が並べられ、杉枝が樽を飾り祭りを待つこととなる。(大神神社発行「大神神社四季の祭り」より)


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全国の醸造元から届けられた数々の酒


11月14日は、大神神社で神酒を・・・・・(笑)
by koza5555 | 2015-11-13 20:14 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

奈良検定(奈良まほろばソムリエ検定)

一月の第2日曜日は奈良検定(奈良まほろば検定)試験である。
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今年が第10回目、10年続けば奈良検定もおよそ定着してきたということだろう。

そこで、この奈良検定、あっちゃんも今年から受けるという。
たびたびすすめてきたが、関心を示すことが無かったのだが、今年は違った。
観光案内所のアルバイトに行くようになってから、あっちゃんは奈良がちょっと好きになったようである。

さっそく、公式テキストをプレゼント。
奈良まほろばソムリエの会のHPのリンク集で配布されている、「ズバリ!奈良検定2級の要点整理」(ソムリエの会鉄田専務理事作成)もプリントアウトして進呈である。
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あっちゃんの質問も鋭くなってきて、「森鴎外の門、知ってるか?」とか「雪消の沢は、どう読むのか」などで、たじたじである。

奈良検定の合格への道は
「要点整理」を読み、「テキスト」はきちんと読んでおく。
多くの史跡・社寺を拝見して、それを書きとめておく(ブログなど)。
あっちゃんはそれを始めている。

そして、「認定支援セミナー」(2級は12月13日)も受講すると。申し込みも済ませた。このセミナーは勉強になるし、受験の刺激にもなり、受験・合格の支えになる。
そんなことで、これからもあっちゃんの奈良検定、続報を紹介していきます。

「奈良をより深く理解」し、「奈良を訪れる皆さんに、そのすばらしさを伝えることができる人材の育成を目指します」(奈良商工会議所)とあるが、愛知県からきた僕が、奈良を語ることとなった入り口は、この奈良検定だった。
by koza5555 | 2015-11-08 09:11 | 奈良 | Comments(2)

神道とは 神仏習合とは

「神とは何にまれ、世の常ならず、すぐれたる徳のありて、畏きもの」(本居宣長)

英語などでガイドをする方を対象とした講座を持つことになった。
天理から宇陀、明日香まで・・実に幅広く3時間ほどの時間を頂いた。

大神神社を語らねばならない。ここを語るとなると、日本の神をどう語るか。仏教と神社の関係をどう語るか、これを避けて通れない。まずは「神とは何か」、「神道とは?」というテーマだが、これを箇条書き(笑)で語ろうという野望である。

あれこれテキストを決めて勉強した。日本仏教史(新潮文庫)は「仏教から見た神」を完璧に整理している。
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そして、「神道そのもの」であるが、神社本庁のHPにおもしろいものがあった。それも日本語ではなく、英語版が面白そうである。
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僕にはとても歯が立たないので、これはあっちゃんに頭を下げに下げて、和訳を作ってもらった。

そんなふうにあれこれ勉強してみると、日本神々、神道とは・・。こんなふうである。
いずれも 本居宣長の著述が大事という。
「神とは何にまれ、世の常ならず、すぐれたる徳のありて、畏きもの」(本居宣長)

日本の神々は
海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象をつかさどる神々
衣食住や生業を司る神々
国土開拓の神々など幾多の神が考えられ、それは八百万(やおろず)の神々といわれる。

これらの神の形は、「アミニズム的な」と言い換えることができる。万物が生命体で、そして霊魂を持つという考えで、「良きこと」、「悪しきこと」すべてに影響がある。

神は通常、山の中や海のかなたに住み、非物質的で、姿かたちを持たない。
神は定期に、そして不定期に人里を訪れる。

一時的に宿る場所が必要でこれを依り代といい、樹木、岩、鏡、刀やときには人を依代にする。

やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生するのである。
ご本殿に常駐するわけではない、来たりて去る。
神社とは「祈りをささげるところ」であり、「お祭りが行われるところ」である。

仏教との関わりが極めて大きく、その摺合せの中で日本の神はさらに鮮明となる。
日本の神道は仏教との関わり合いの中で初めて顕在化したとある。もともとヤマトの人はさまざまな自然を神として、「神道」という言葉にあらわされるような客観的には神を見てない、考えてもいなかった。

当時のヤマトの人から見ると、渡来した仏教、その仏は蕃神、それに対して日本の神は「国神」とされた。仏と神は同じレベルで考えたはずである。

ところが仏教はもともと根本的に違うものだった。仏・法・僧の三宝、すなわち崇拝の仏、思想・教理としての法、教団としての僧を含む巨大な宗教体系(当時の世界のトップレベルのインドと中国の文明がとりこまれていた)を持っていたのである。
 
古代、蘇我物部の戦いなど、崇仏派が勝利したとされるが、その後ヤマト王権は仏教の帰依を深め、仏教は律令政治体制の展開と結びついて、布教をすすめ影響力を広げていくのである。この中で、古来の日本の神祀りは、神道という言葉を得る。
さらに、日本の古来の神々は強力な宗教体系をもつ仏と結びつく(本地垂迹・習合)ことによって自己の存在を守らねばならない、そんな苦境に陥るのである。

その具体的な形は本地垂迹、これは仏が神の姿で現れる。

神仏習合という具体的な形も生まれる。
神仏習合にも三種類があるという。
①まず神仏同体。たとえば天照大神=大日如来=廬舎那仏で、これなら日本の神の居所がある。
②鎮守、神は仏を守る仕事。たとえば宇佐八幡が大仏建立のお手伝いをする。
③日本の神様は衆生で仏の教えを学ぶ。これを田舎のお坊さんが押し広げた。これは神々の立場はなかった。

神道と仏教の歴史を考えると、明治の廃仏毀釈も通らなければならなかった道かとも感じるのである。
by koza5555 | 2015-11-05 23:57 | 読書 | Comments(0)

万葉集で親しむ大和ごころ  

上野誠の「万葉集で親しむ大和ごころ」 角川ソフィア文庫 平成27年9月新刊である。

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「むずかしゅう言うのんはアホでもできる。やさしく言えるお人こそ、ようわかったおひとだっせ」という東大寺の元管長の新藤晋海さんの口癖どおりの本である。
上野誠さんは、あれこれの講演でこんなことはお話しされますから、これは上野誠さんの信念だろう。
「万葉集で親しむ大和ごころ」は、そんな本である。

やさしく、おもしろいけど、あちこちでキラリと刃がひかるという感じである。僕は楽しかった。みなさんにもお薦めである。

宴会芸のお話がおもしろい。
「神とはどのような存在であったか」を考えた折口信夫が着目したのは、祭りのことである。
神は「来たりて去る」のが祭の構造である。神を迎え、接待し、神を送ってから「宴」、宴会を開く。「こういう祭りと宴会が毎年繰り返されることにより、酒・料理・歌・舞などが洗練されてゆく。そして、一つの形式というものができあがってゆくのである。茶道・華道・香道のような日本の芸道のほとんどすべてが、神仏をもてなし、客をもてなすさまざまな工夫から発達した理由もここにある。だから、祭と宴は、日本の歌や芸能の母胎」(p182)。

宴の歌として
「ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉(はちすば)に 溜まれる水の 玉に似たるを見ゆ」(巻16-3837)から解説が始まる。
 雨よ降れ、蓮の葉っぱにたまった水滴が宝石のようにみえる。宴席で即興で歌われた、雨が降ってなかった、宴席には蓮の葉が皿ととして使われていた・・・

それに続いて、長忌寸意吉麿の歌八首(巻16)の紹介である。
宴会の場を歌で盛り上げた男、意吉麿の姿が描き出される。

蓮葉(はちすは)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が家なるものは芋(うも)の葉にあらし(16-3826)

蓮と芋の葉は似ている。「うも」に「いも」を掛け、我が家の妻を肴にして戯れた歌・・

双六の頭(さえ)を詠める歌
一二(いちに)の目のみにあらず 五六三四(ごろくさむし)さへありけり双六(すぐろく)のさえ(16-3827)

八首の歌の始まりは
さしなべに 湯沸(ゆわ)かせ子ども 櫟津(いちひつ)の 檜橋(ひばし)より来(こ)む  狐に浴(あ)むさむ 

右の一首、宴席にて真夜中に狐の声が聞こえる。雑器、狐の声、川、橋等などに架けて歌を作れと勧められて作れる歌とあり、宴席の歌である。

ちなみにだが、この歌の歌碑が天理の和邇下神社の鳥居の北側に置かれている。
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歌の趣旨から見れば、この場所で歌われたとは思えないのであるが、櫟本を読んだ歌とも言える。
櫟本には河があり、港(津)があり、奈良盆地を東西に貫く水路があったことなども分る。

万葉集というものがどんなものか、また、これらの歌から当時の風俗なども活き活きと感じ取れて楽しい。

さて、上野先生の本からは外れるが、長忌寸意吉麿には三輪と狭野の渡しを歌った歌もある。
「苦しくも降り来る雨か 神の崎 狭野の渡りに家もあらなくに」(巻3-265)
和歌山県下の歌かとの論もあるが、この歌を本歌取りした藤原定家の「駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ」(新古今和歌集)とあり、南国の歌ではなく、
これは大和・桜井の歌との認識は平安時代に確立している。

桜井自慢もして、今日はおしまいであるが、上野誠の本はいずれもおもしろい。
by koza5555 | 2015-11-03 14:09 | 万葉の旅 | Comments(0)