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奈良・桜井の歴史と社会

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ムジークフェストなら 大神神社

6月20日(月)は大神神社の大礼記念館で、石琴(サヌカイト)の音色が奏でられる。
臼杵美智代さんの演奏である。 木琴(マリンバ)の土屋さん、声楽の庵前さんという地元桜井で活動する音楽家との共演も見られるようで、とても楽しみである。

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大神神社の拝殿と祈祷殿の「しるしの杉玉」は毎年11月13日に掛け替え

このコンサートの前に、コンサートのお客様に大神神社を案内することになった。
桜井駅から大神神社に専用のバスが運行される。このバスで来られる参加者を案内するのだ。
演奏を聞きに来ても、神社を拝観しないまま、見学もされないまま帰られるのはいかにも惜しい・・・
そんなことから始まったが、・・・コンサートに来たお客さんを坐らせて「大神神社とは・・三輪山とは・・そもそも神とは・・」と話して、これで聞いていただけるだろうか・・である。

神とは山の中や海のかなたに住み、姿かたちを持たず、定期、あるいは不定期に人里を訪れる、
これが日本の神の姿で、あるいは祭りの姿ともいえる。樹木、岩、鏡、刀、人などを神は依代とするのである。
その後、祭りの場には建物が建てられ、これが神社、本殿とされていくのである。

「建物が建てられ神社・本殿が誕生」・・大神神社はここが違うのである。
「古来宝倉なく、唯三箇鳥居あるのみ」、これが大神神社。

大神神社は三輪山山中の磐座(奥津・中津・辺津の磐座)を神の依代として、神の山を拝む古来の信仰形態を今日も継承している。三ツ鳥居を通して神と対面するのである。

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三ツ鳥居。こちらは檜原神社だけど、

それで、この三ツ鳥居を拝見していただくというのはどうだろうか。
神のお姿、神社のあり方を解説しながら、「三ツ鳥居の拝見が大神神社が丸わかり、早わかり」である。

これならコンサートを聞きに来た方の心と共鳴できると考えた。
解説が簡単に組み立てられる。「神の在り方から三ツ鳥居に至る話」、韓明に話せそうだが、これは大神神社の本質にかかわる話となる。

ムジークフェストを担当する大神神社の神職にお願いした。
「三ツ鳥居は大神神社のポイント、この企画、拝観の便宜を図りたい」と大いに乗り気である。

記紀に記されたヒメタタライスズヒメに関わるササユリの話、
この地でお酒を造った高橋活日(いくひ)のお話しなどもしつつ、「三ツ鳥居」でガツンと勝負をかけてみる。

こんな組立で、ツアーとかのガイドを引き受けて良いかとも思うが、基本は神社と僕が用意するパンフに示されているから問題はない。
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大神神社の〆柱と拝殿


ところでムジークフェスト大神神社、まだ席が残っている。
申し込みは       こちらの ムジークフェスト大神神社
 
桜井駅発の臨時バスもあります。三ツ鳥居拝観ガイドつきのコンサート、ぜひお越しください。
by koza5555 | 2016-05-27 23:42 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

ムジークフェストなら 2016 談山神社

談山神社、実は音楽と芸能の歴史の宝庫である。
重要文化財に指定されている神廟拝所(妙楽寺の講堂)、この上部欄間には素晴らしい天女奏楽図の壁画が描かれている。

笙(しょう)、鼓・鉦鼓(つづみ・しょうこ)、太鼓などを演奏する天女が描かれている。平等院の雲中供養菩薩を連想していただきたい
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天女奏楽図が残されている神廟拝所。堂内の撮影はできる


さて、6月12日(日)談山神社の権殿(祈祷所とも、妙楽寺でいえば常行三昧堂)にて、ムジークフェストならのコンサートが開催される。

今年の談山神社はチェンバロの演奏である。モーツアルトが小型ピアノみたいな楽器と共に演奏会場に馬車で駆けつけるという画面、映画の「アマデウス」に、確か、ありました。
あの「小型ピアノ」、このチェンバロを中野振一郎が演奏するのである。豊かな表現力で、、日本を代表する名手である。
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チェンバロ


この権殿は江戸時代までの妙楽寺当時は常行三昧堂、こちらが大和の芸能のメッカである。
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維摩八講会は平安時代から続く、多武峰の重要な法会であった。その中日二日間に神事として行われていた八講猿楽は、大和四座(金春・金剛・観世・宝生)が一堂に参勤する盛大なものだった。毎年、新作を一番は入れることなっていて、ここでの初演で好評だったものが、奈良や京都で演じられた。(道成寺など)今日まで伝わっている能もある。
絶世の美少年だった世阿弥は、多武峰の保護を受け京都に出て、将軍義満にひいきにされ、大和四座とは違った精神性の高い能を確立した。
多武峰は今日の能楽の揺籃の地だったと言える。

「多武峰様猿楽」とよばれる猿楽は、実際に馬や甲冑を使うという野趣あふれるもので、都の貴族や武士を驚かすに十分なものであった。この演出は延年の影響を受けたものとされている。延年とは正月修正会の後に、お坊さんが行う余興のことで、・・・多武峰の延年は山内の僧兵らが自作自演したもので、全国最大規模とされ、1515年からの70年間の演目台本が現存している。 「雅楽の奈良を歩く」(実業印刷(株) 笠置侃一監修)から

ムジークフェスト・・多武峰、お客様の多くは貸切のバスで談山神社に到着する。
到着時間は演奏会場の開場の40分くらい前で、到着した後は、僕が談山神社の縁起、境内の案内をさせていただく。


ムジークフェストのお客さまだから、・・西洋の古典的な楽器の演奏だから・・日本の多武峰の音楽と芸能の歴史を今回はとくに力を入れて紹介したい。
by koza5555 | 2016-05-25 18:33 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

穴師坐兵主神社 相撲神社

今日は大相撲夏場所の千秋楽。ちょっと相撲の話題です。


穴師のカタヤケシ、相撲神社のことである。
穴師の相撲神社には、野見宿禰を描いたとする碑が建てられている。
当麻蹶速(タイマノケハヤ)と野見宿禰(ノミノスクネ)が相撲を取り、スクネがケハヤの肋骨を踏み折り、腰を踏みくだいて勝利したという。

この話は神話だろうが、この説話を穴師は大事にしてきた。大兵主神社の境内には「カタヤケシ」という土俵に関わる小字が残されたのである。カタヤケシのカタヤとは方屋(かたや)のことで、土俵場のことを意味しているとされた。

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穴師坐兵主神社、ご本殿と拝殿


さてカタヤケシに絡んでの大相撲のことである。

本場所、初日の前日には土俵祭りが行われる。相撲協会の幹部や三役以上の力士が参加するとのことである。
祭主は最高位の行事の立行事で、戸隠大神、鹿島大神、野見宿禰尊が相撲の守り神を勧請する。
神事のあと、祭主により「方屋開口」の言上があるという。
「(勝ち負けの道理があることを説明してから)ひとつの兆しありて形となり、形なりて前後左右を東西南北、これを方という。その中に勝負を決する家ならば、今はじめて片屋を言い名づくなり」である。
土俵祭りでは、カタヤがこのように解説されており、穴師のカタヤケシの理解がより深まった。

ちなみに千秋楽の表彰式後には土俵上で「神送りの儀式」も行われるとのことである。新人力士(序の口に出世できた)が、土俵上で行司を胴上げするという祭りで、これが「神送り」とのことだ。

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穴師坐兵主神社、摂社の相撲神社、相撲と神事、相撲と神社のつながりを示す絶好の場所である。

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長谷川路可画伯の「勝利の聖」
元の国立競技場の壁画のレプリカである。国立競技場では日本神話の「野見宿禰(長谷川路可)」とギリシャ神話の「勝利の女神(ニケの像)」の壁画がはめ込まれていたのである。

相撲神社の前からは纏向遺跡が一望である
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さて、大相撲夏場所の千秋楽。相撲好きは終盤戦に手に汗握ったが…結果は満足されましたか

大相撲、土俵祭りについては「皇室」(扶桑社ムック)第70号によった。神社検定の二級の参考書に指定されている。

by koza5555 | 2016-05-22 10:03 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

奈良文化財研究所 瀬田遺跡(弥生時代の陸橋がある墳丘)

5月15日、奈良文化財研究所は「藤原京右京九条二・三坊、瀬田遺跡の調査」の現地見学会を実施した。

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場所は本薬師寺の南東100メートル位の所。現地を出たところから西方をのぞむ

今回の調査では、藤原京の西二坊大路や坪内道路、坪内に計画的に配置された大型掘立柱建物群などを検出し、藤原京の宅地利用に関する新たな知見を追加しました。
また、弥生時代末期の周溝墳墓群を確認し、陸橋をもつ大型円形周溝墓の存在が明らかとなったことで、弥生時代墳丘墓の発展過程の解明に寄与する成果を上げることができました。
  会場配布の奈文研のパンフから

本薬師寺の門前ともいえる場所になるわけで、この地での大型敷地の建物群は貴重ということだろう。
とはいっても、参加者のお目当ては、弥生時代の「瀬田遺跡」。こちらから弥生時代後期の円形周溝墓が発掘されたことである。周溝からでた土器によれば2世紀の築造とみて間違いないようだ。


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会場の状況

円墳は19メートル。6メートル位の周溝に囲まれているが、こちらの特徴は南側に周溝を埋める(横切る)形で台形の陸橋が設けられていることである。
周溝も含めると径で31メートルという。

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円形周溝墓の概念図

前方後円墳の原型と考えられる弥生時代末期(2世紀中ごろ〜後半)の円形周溝墓(陸橋がることが重要視された)ということである。
纏向遺跡の石塚古墳(奈文研の資料による)に先立ち、その原型が発掘されたということである。
石野博信氏は「前方後円墳の先がけのような姿で、纒向遺跡の前方後円墳が誕生する直前の大和盆地の姿を解明する資料にもなる」とされた。

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弥生時代の末期の円形周溝墓の図。陸橋のある形は大阪、四国では数多く出ているが、奈良県では初めてと解説があった。下の大きいのが纒向石塚古墳、右上の青い墳丘図が今回の周溝墓


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周溝をくっきり見ることができる

墳丘は藤原京の造成時に削り取られており、残念ながら埋葬視閲も不明である。
ポリテクセンターの改築工事に先立って発掘された遺跡であり、調査のあとは埋められると聞いた。

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弥生時代の遺物・土器

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付近から石包丁も出土した



by koza5555 | 2016-05-16 20:40 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

明日香の二面石や猿石の哀しみ

明日香には、二人の人間の背中や側面がくっ付いた石人があり、このレプリカが飛鳥資料館の庭に集められて展示されている。また、橘寺には二面石がある。これらには伝説は伝わっていないが、背中のくっ付いた二人の人間の伝説は各地に伝わっている。 大和の歴史と伝説を訪ねて 三弥井戸書店  丸山顕徳花園大学教授

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橘寺の二面石。この石神たちはどんなに愛し合おうと、この背中合わせでは子孫を作り育てることはできない


吉備姫王墓の安置された猿石。こちらも表裏の二面石とみてまちがいない。
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山王権現の表裏


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男の表裏


二面石や猿石の姿の不思議さは誰しも思うことだろう。

先日、こんな画をみて衝撃を受けた。天理参考館である。
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トルファン古墓出土品、絹絵伏ギ女媧(ふぎじょか)図という
伏ギと女媧(ふぎとじょか)は中国の古代神話や伝説に現れる男女一対の神々である。上半身は人間、下半身は蛇であり、女神はコンパス、男神は曲がりを手にもち、尾をからませている。人類の始祖、天地創造の主などと理解されている。周囲には星宿が描かれる。
会場の説明板による

二面石のように背中がくっ付いている神話や伝説は、ギリシャ神話(プラトン)、ペルシャ神話、中国の神異経などユーラシア大陸に広く分布していると、先の丸山顕徳先生は指摘、する。
日本の神話ではこの伝承が残されてはいないのであろうか。私は、記紀神話のイザナギとイザナミの神話が、これにあたると考えている。背中のくっ付いた神々は、もともと一体だったが、、神の力などで分離し男女となる。そして二人は再び結ばれるという話のストーリーになっている。イザナギとイザナミは、もともとはアオカシキネの御子として生まれた兄妹であった。したがって二人の婚姻は兄妹結婚であった。人類の始まりは兄妹から始まるのであるから、近親結婚は致し方のないことであった。
神は兄妹を分離させ、再結合させたという道筋をたどる
二面石は、その結合のモチーフが固定化されて表現されたものと考えるのである。
丸山顕徳

背中同士がくっ付いている男女が、神によって切り離され、その両者が再び結合を求めあって結合するという愛の起源の話である。

引用ばかりでしたが、こんな話、いかがでしょうか。
切り離されることなく、だから、いつまでも男女の結合ができないという明日香の二面の石たち・・・どう考えられますか。

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石人像(重要文化財)飛鳥資料館の庭。写真は庭に置かれたレプリカ

二人の腕は二人の肩のうしろにおかれ、一方はもう片方に結びつき、それら互いにつながっていて、どちらもよく似ていた。そして両方の腰は寄せ合され、どちらが男性でどちらが女性か、はっきりしないほど、つながっていた ペルシャ神話より
明日香の石人像はペルシャ神話、そのものである。



大和の歴史と伝説を訪ねて  三弥井書店  丸山顕徳編
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奈良盆地の中南部をフォローしている。「この本は、一般書の体裁をとった専門書」という位置づけで、多数の研究者が執筆している。いわゆる伝説も、学術的にその裏付けまで解明するという手法で、唸らせられることがたびたびだった。
僕としても大いに活用していきたい。今年の2月の新刊本である。

by koza5555 | 2016-05-13 15:26 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

大和名所絵図めぐり  天理参考館

天理参考館の企画展は「大和名所絵図めぐり」。寺社の案内資料の作成で、秋里離島の名所図会を利用することがたびたびで、これは拝見してみたかった。


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ポスターを見るとこんなな感じ。あれこれの講釈なしでこれは行って拝見しなければ・・である。
天理参考館が所蔵する江戸期から明治期にかけての日本各地の名所・寺社を描いた一枚物の刷物(一枚刷り:いちまいずり)から、今回は大和(奈良)地方のものを集めてご紹介いたします。古くから旅客の誘致に意を尽くしてきた、大和各地の名所・寺社の布教・宣伝活動の軌跡の一端を、様々な一枚刷りを通してご覧いただきます。
また、伝統的な印刷技術である木版印刷の技を、より身近なものに感じていただく機会のひとつとなることを期しました。
名所・寺社の景観や境内・本尊・宝物などを案内する一枚刷りを、大和の北から南へと縦覧いただき、ひととき、ふるさとの風物の移り変わりに触れていただければ幸いです  
天理参考館のお知らせから


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和州奈良之絵図。元治元年(1864)の奈良市の絵図の一部である。
地元の「絵図屋庄八」が版行した代表的な絵図らしい。良市の絵図は東を上に配するで伝統様式と紹介されている。「東が上」は今に残る最古の1666年の「和州南都之図」でも同じ様式とのことである。
明治維新直前という世相を反映して、明記される「御陵」の数が増えているらしい。


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ポスターにも使われていた「大日本早引細見絵図」を見てみると、奈良から榛原まで、
奈良(10ばん)、おびとけ、市ノ本、丹波市、柳本、芝村、はせ(8ばん)、榛原とされており、その先は本街道と青越えと分れている。文章だけでなく、こんなふうに地図で示されるとリアルに歩いている感じが出てきて嬉しい。

天理参考館、歴史を考える上での展示が充実している。この機会に一度伺われたらいかがでしょうか。

入館料400円。会期は6月6日まで、火曜日が休館日である

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特別展示室は三階である。重要文化財に指定されている盛装男子、こちらも三階の世界の考古美術コーナーである
三脚・ストロボと使わなければ写真も撮れる

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by koza5555 | 2016-05-11 16:43 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

工藤利三郎(くどうりさぶろう)奇豪列伝

飛鳥資料館(奈良文化財研究所)に、「文化財を撮る写真が遺す歴史。」が展示されている。

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展示の山田寺仏頭 レプリカ

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奈良文化財研究所はさまざまな遺跡を撮影し、学術情報として蓄積してきたこと
遺跡と遺物の撮影のノウハウを紹介すること、
こんな展示だが、先人の業績も紹介しようという企画だった。

ここで、工藤利三郎が紹介されていた。明治から大正にかけて奈良を本格的に撮影したカメラマンということである。

工藤利三郎は徳島県出身の写真家で、明治26年(1893))奈良で「工藤精華堂」を開館し、明治41年から「日本精華」全十一輯(しゅう)を刊行しました。活動範囲は全国におよび、飛鳥地方にも撮影に訪れました。仏像や建物の全体像を、陰影を抑え気味に撮影)こうした、資料性の高い写真を多く撮影しています。 (会場掲示から)

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ちなみに飛鳥資料館の写真撮影は可である

どんな人やろ・・強烈に関心が湧いた

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調べてみると、「奈良まち 奇豪列伝」(安達正興著・奈良新聞社)に、この工藤利三郎が紹介されていた。

奈良の写真を撮りたいと徳島から、猿沢池の東の菩提町(現在の吉田旅館の所)に移り住む(明治26年45歳の時)。
①写真を撮っているうちに佐伯定胤(法隆寺管主)と知り合いになり、
②また同郷の喜田貞吉を学術的パトロンとして、
③明治28年に開館した「奈良帝室博物館」で工藤の写真が販売され、
さらに明治30年施行の「古社寺保存法」、この指定(特別保護建造物・国宝の指定を受けると維持修理費を内務省が交付する)をのぞむ寺社が申請の写真を工藤に依頼したなどで、工藤の名声はさらに高まり、家計も潤っていった。

その勢いで工藤は写真集、「日本精華」(全11巻)を刊行する。とても高価(一冊20円~30円、現在の20万~30万くらいか)で、販売は好調とはとても言えない状況だった。


そんな状況の上に、飛鳥園が大正13年に帝室博物館付近に転入・開業。工藤の平面的な写真と異なり、飛鳥園の小川晴暘(せいよう)(小川光三氏の父親)の作風は黒バックに浮かび上がる鮮烈な芸術写真、軍配は一目瞭然だった。

帝室博物館、各寺社は次々と工藤のもとから去っていき、酒に入り浸った晩年だったという。

工藤のガラス原版が奈良市教育委員会に引き取られた経過や養女、琴のさんのことなども触れられているが、今日は割愛、それらはご本をお読みください。

工藤利三郎、こんな写真家の経歴であるが、奈良を撮ったカメラマンの草分けとして寺社、仏像、遺跡の撮影で果たした役割、これは巨大である。

「奈良まち奇豪列伝」(工藤以外は石崎勝蔵、左門米造、ヴィリヨン神父紹介している)、
飛鳥資料館の「写真が遺す歴木」の拝観(65歳以上は無料・7月3日までの期日)、
今日はこの二つを、欲張りに紹介させていただきました。

最後の奇豪列伝で紹介されていた、当時の猿沢池の東側の概念図を紹介しておきます
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by koza5555 | 2016-05-10 13:46 | 奈良 | Comments(0)

萬葉一日旅行

5月7日(土)、萬葉学会主催の「萬葉一日旅行」が明日香をテーマにして実施された。
僕にとっては、毎年、五月の連休明けの土曜日は大変な日程タイトの日、でも、これは見送りのできない勉強、ウォーキングとなっている。

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甘樫丘から畝傍山、二上山をみてみると

午前9時半、橿原神宮駅東口集合である。

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「一日旅行」の進行役は上野誠先生、「昨年までは坂本信幸先生と僕の解説が中心でしたが、今年はみんなで話そう」に変更したと挨拶があり、出発である。

始めは剣池、同志社大学の垣見先生が解説。
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長歌である。
「み佩(は)かしを 剣の池の 蓮葉に 溜まれる水の ゆくへなみ 我がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寐(い)ねそと 母聞こせども 我が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我れは忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに」(巻13-3289)

剣の池の蓮の葉にたまった水玉が、どこへも流れていけないように、私がどうしていいか分からないでいるときに、逢うのが定めと逢ったあなた。寝てはいけないと、母はおっしゃるけれど、(私の心は)清隅(きよすみ)の池の底のように清らかに澄んだ深い思いなの、決して私は忘れないわ、あなたにじかに逢うまでは

「蓮の池は本来は泥田、池の底まで浄く澄んだ心と言われても、これはありえないこと」などと、難しい歌でも笑いを取りながらの解説である。

剣池は孝元天皇剣池島上陵の周囲の池であるが、明治29年に拡張工事が行われたこと、初めの池の境界は池の真ん中の柱であるとの説明だった。


こんな具合で、明日香川、甘樫丘、雷丘、漏刻台、入鹿の首塚、飛鳥板蓋宮跡、石舞台、酒船石、飛鳥資料館前での解説が行われた。
剣池のような説明はとても行えないので、順々に画の紹介だけをしておきたい。

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上野先生に不思議なスポットライト。甘樫丘

雷丘は・・初めて登った。解説の東京大学の鉄野先生も「僕も初めて」とおっしゃいました。登っても何もなく、これは登るところに価値があるという感じの雷丘だった。羽易(はがい)の山が良い具合に見える。三輪山を頭、竜王山と巻向山を翼とみる見方である
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飛鳥板蓋宮跡

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石舞台での坂本先生の解説。演壇でもフィールドでも、先生は常にクリアだ

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酒船石


ありがとうございました。
充実した解説、資料つきで・・なんと無料。来年以降、「解説者は若手を抜擢」とのことで、さらに大きな期待が持てる。
by koza5555 | 2016-05-07 23:31 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)