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奈良・桜井の歴史と社会

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関西のろおじ(路地)漫歩

「関西を考える会」(明治安田生命)が、今年も楽しい冊子を発行した。
昨年は橋だったが、今年のテーマは「ろおじ」(路地)である。題して、「関西のろおじ(路地)漫歩」

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今年の冊子のテーマは「路地」。関西に縁のある有識者のコメントとご一緒に、関西2府4県の魅力ある路地を紙面でゆったりと巡っていただきたいと存じます。観光地をともなっている有名な路地から、あまり知られていない路地まで、その土地々々の歴史や文化をご満喫いただければ幸いに存じます。  明治安田生命関西を考える会

幅広く取材する、有識者の知見が紹介される、多くの読者の声が反映されるという編集方針である。
A4判で80ページで、「ろおじ論」がまとまって紹介されている得難い冊子である。

紹介されている奈良県の場所は
奈良市勝南院町、不審ケ辻子町、十輪院町、陰陽町、鴨川町、京終(鹿垣の跡)、水門町、ささやきの小経、柳生道、薬師寺から唐招提寺
大和高田市の当麻街道の元庄屋方
大和郡山市の旧中心市街地と他
橿原市の今井町、札の辻、五條市、香芝市、斑鳩町、高取町である。

こんな冊子が無料である。

HPページ「関西を考える会」で入手方法が紹介されているが、

①関西の会に300円の切手を送る
②各県で一つ指定された支店の窓口に出向く。奈良県は奈良市高天町22-2明治安田生命奈良ビル4階である。

数には限りがある。
by koza5555 | 2016-06-28 09:47 | 読書 | Comments(0)

第5回神社検定

6月26日、第5回神社検定が行われた。奈良県の試験会場は帝塚山学園、学園前キャンパスである。
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大神神社の神奈備山、三輪山


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会場の帝塚山学園、建物模型図


一級から三級まで、100問の出題で70問以上の正答で合格である。ただし、三級のみ「受験者の7割を合格させる」という基準があるようで、合格点を下げるというシステムである。一方、一級、二級の合格率は三割程度でけっこうな狭き門である。

神社検定の場合は一級受験の資格に「二級の合格者」とあり、二級からの参加の方も多いようである。
僕は何も知らずに5月に三級の受験申し込みを行った。締め切りの二日くらい前である。
それから調べてみると、「二級から受けるよね」という声を聞き、果ては「三級は君なら勉強しなくても」とも言われて、締切日にあわてて二級も受験手続をすることとなった。

神社検定はテキストが複雑。年度ごとに重点テーマが異なり、テキストを買い足さねばならない。一級まで行けばすべてを勉強することとなるが、二級から始めるとなると戸惑うう。

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今年のテキストは
三級は「神社のいろは」と「古語拾遺の一章」。
二級は「神社のいろは 続」と「神社のおへそ(神話)」、「万葉集と神様」、雑誌「皇室67号から70号」まで。

三級、二級はテキストが重ならない。テキストは1000ページ位になる。

テキスト読みこんだ。
ツアー(ムジークフェストのコンサート前ガイド、談山神社・大神神社)の準備はしつつ、5冊のテキストを3回、読みました。ノートをとると言っても勉強は泥縄・・・とにかく読み続けた。
5冊を一週間で読み、それを三回という感じで、とにかく準備期期間は五週間ですから。

試験は先に三級。アレッとというのは2~3問で、まずまずは大丈夫である。

二級、初めは纏向遺跡が2問。幸先良しです。続いて常陸国風土記、天の岩屋戸とすすみ問題なく回答できていく。それはそれ、試験ですから、あれこれでつまずきながらも時間は足りた。

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中世に22社体制という時代がある。国家の一大事に朝廷から特別の奉幣を受ける神社のことである。大和でいえば春日、大神、大和、龍田、広瀬、丹生神社であるが、あとは京都の神社が多くて・・「これは苦手」と勉強しておいたのに・・・失敗してしまった。
帰りの電車で気が付いた。付け焼刃なんだ。22社めぐりなんてツアーもあるようで、そんなツアーを案内したら、さらにはお客になるだけでも、間違えることは無いのである。

他にもひっかけに簡単にかかった設問もあったりで、帰りの電車の中、気持ちがだんだん暗くなる。

「自己採点はやめや、金曜日の講演の準備だ」と思っても、それはそれ・・気を取り直して、採点を続けてみると、・
やはりダメかと言うのもあるが、不安な設問が逆にピタッと合っていたものも次々で、なかな健闘である。

なんとか三級は成績優秀、二級はギリギリで合格ラインに達したと思える。

一か月半の勉強だったが、神社と境内の基本、神道史、神を歌った万葉集、日本の神話、全国のお祭りの数々など得た知識は大きい。
ガイドを行っている奈良まほろばの会員の皆さんにも、この受験はお勧めしたい。

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by koza5555 | 2016-06-27 18:33 | 神社検定 | Comments(0)

虫送り

6月16日は、東山中といわれる奈良盆地の東側の山間地は、各所で「虫送り」の行事が行われる。

雨が降ったら中止、順延はなし。曜日は関係がなく開催される。

昨日の奈良県は朝から激しい雨、「これは中止かあ」と空を眺めていた。
「天理市の山田はやる」との情報が3時ころ伝えられた。民俗の写真を撮っている友たちの情報である。

雨の中、天理市下山田まで行ってまいりました。20キロメートルくらいです。

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春日神社境内(薬師堂)を出発して、間もなく

行事の順に写真をみてみると
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田植えのあとの行事です。畔で松明を振って田の虫を集めて殺した…そんな名残でしょうか。
そんな行事が「虫送り」というやさしい名前で残っています。
虫を追い、虫を供養し、収穫を祈り、村人の栄を祈る・・とても興味深い行事です。

16日は、天理市の上山田、中山田、下山田。宇陀市の笠間川沿いの染田や無山で毎年、行われます。

19日は宇陀市の笠間川沿いの下笠間、20日は同じく小原で行なれます。
来年と言わずに、今年でもまだ、チャンスがあります。

昨年の宇陀市小原の虫送り
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by koza5555 | 2016-06-17 13:06 | 奈良 | Comments(0)

三輪神道と僧形神像

神仏分離により三輪の大御輪寺から十一面観音が聖林寺に、地蔵菩薩が法隆寺に移されたとなにげに話してきていたが・・・

岡直己は「この地蔵菩薩は僧形神像」(神像彫刻の研究 角川書店)と断じているのである。
ビックリである。

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平等寺に向かう版築の土塀が続く道

中世の三輪流神道は殷賑(いんしん)を究めた。
三輪流神道は、鎌倉の初期、慶円(きょうえん)によって開かれた。
三輪の神の霊威を受けて三輪別所を開く。これが平等寺の前身である。

卜部兼邦によれば、神道四流有りとして、それは「聖徳太子、吉田卜部、弘法大師、三輪慶円聖人」とされている。

三輪明神と慶円は互為灌頂(こうごかんじょう)を取り交わしたとされ、これが「三輪流最極の大事」とのことである。
慶円は三輪明神に秘法の印明が伝授され、三輪明神からは慶円に神道灌頂の秘儀が施されたという。
神と教祖がとり替わす互いの勧請は、神仏習合の極致とされる。

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このころの、中世の大神神社の古絵図(室町時代)を見てもらいたい。
平等寺(右上の赤線のまる)の扱いがとても大きい。大御輪寺(左下の赤線のまる)も扱いが大きい。
三輪山を象徴的には描かず、里の寺院を霊場とする信仰形式に重点が移っている。


神が人間と同じように苦悩し、仏法により解脱したい、そのために神宮寺が作られた。
その具体的な姿として平安初期から僧形の神像が作られるようになった。
三輪の神宮寺は、僧形神像の作例のもっとも多いところとされる。

神仏分離に際して法隆寺に移された伝地蔵菩薩像はその一つである。

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法隆寺の地蔵菩薩像

写実的に作られていること、これが三輪神の具現である。大御輪寺に於いて浄三が祀ったとされる十一面観音と並んでこの神像が建てられた。
十一面観音の隣におられたのは、(いま、地蔵菩薩といわれる)三輪明神の僧形神像だったのである。
これは納得できた。十一面観音の隣になぜ、地蔵菩薩かは疑問だった。
だから客仏といっても、それは三輪明神だったので、法隆寺は置き場所に困ったのであろう。

多度山の僧形神像が一番古い記録(皇大神宮儀式帳)で804年という。
神仏融合が進むにつれ、神社に仏像をおき、神宮寺が成立し、神の出家、神の菩薩号、神形の造立、僧形神像と連なる。

三輪山を神体として拝まれていた、この神を僧の形にして拝したのである。

橘寺の伝日羅像、
融念寺(斑鳩町の神南)の伝地蔵像、
当麻寺の伝妙幢像などはいずれも三輪明神の僧形神像と推定されている。。
三輪明神をあらわした神像は僧形立像のため、外へ流出すると本来の信仰がうしなわれてしまい、それぞれの像名が付与された。
作像は平安時代のことである。

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神像彫刻の研究、この本は桜井図書館には、「樋口清之文庫」として特別に収蔵されている。禁帯出である。ネットで見ると1万8千円で出ている。
何でも先学があるものである。


大御輪寺
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by koza5555 | 2016-06-16 00:24 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

室生寺と三本松の子安延命地蔵

涼を求めて、7月に室生を訪れてみませんか。
来月の15日(金)です。いつもの大人の学校、「雑賀が案内する奈良のあちこち」です。
女人高野といわれる室生寺を訪れます。今回は三本松の地蔵菩薩像の特別開扉・拝観を組み込みまして、今回だけという特別ウォークといたしました。
橋本屋の山菜料理も楽しみ、奈良の東の奥座敷、室生を隅々まで楽しんでみたいと思います。

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室生寺

◎行き先    三本松の子安延命地蔵と室生寺
◎実施日平成28年7月15日(金)雨天決行
◎集合時間午前10時30分 
◎集合場所   近鉄三本松駅 改札口前
◎コース(歩く距離約6km程度)
近鉄三本松駅(集合10:30)w.c.→ 10:40 三本松安産寺(地蔵菩薩)→ 11:30 道の駅発(橋本屋送迎車とタクシー利用)→ 11:45 橋本屋にて食事(室生山菜料理)w.c. → 12:45 室生寺(女人高野・五重塔)→ 14:30 室生寺下山 w.c.→14:44 室生寺バス停発 →14:44 室生口大野バス停着、14 : 50 同駅にて解散。近鉄電車に乗車   
 
◎持ち物  水筒、帽子、雨具をお持ちください。      
 ※室生寺境内を歩きます。歩きなれた靴でおいでください。

◎拝観料・入場料・食事代 
3,500円(食事代1,800円、室生寺拝観料600円、三本松拝観料300円、講師謝礼・保険代などで800円)。行程内交通費は別途必要です。
 ※バス乗車料は430円です。タクシー代は全体を案分しますので200円程度をお願いいたします。

◎申し込み先は大人の学校の溝口博己さんですが、このブログのコメント(鍵コメ)などでも受け付けます。

◎定員は30名で、残席はあと7名となっています。

三本松、子安延命地蔵
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by koza5555 | 2016-06-15 00:03 | 宇陀 | Comments(0)

ムジークフェストなら2016

「音楽で、奈良を元気に」・・・6月11日から音楽祭「ムジークフェストなら2016」(五回目)が始まった。二週間の奈良のあちこちが様々なジャンルのコンサートのてんこ盛りである。
なにしろ300ものコンサートが開かれる。毎年、いくつかのコンサートを僕も楽しんできたが、こともあろうに今年は「出演」である。

もちろん、音楽で舞台に立つわけではなかった。
数多くの社寺でもコンサートが開かれる。この社寺会場のコンサート前に、その社寺を解説するという企画が今年から始まったのである。談山神社、大神神社のガイドを引き受けた。

12日に談山神社を案内した。お客様は桜井駅から送迎バスで到着する。

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緑に埋まる多武峰・談山神社

その前(コンサート前)に、この神社をご案内したいと思います。演奏の前に神社を見ていただきたい、荒井知事の肝いりで、バスも出しましょう、ガイドも用意いたしますということで実現した企画です。
 これはムジーク、初めての企画、今日がその初めの始めです。奈良テレビの取材も入りました。僕も力入れます。皆さんも一緒に楽しんでください。

およそ準備も済ませたところで、ソムリエの会の鉄田専務理事から電話が入る。「ガイドツアーの始まりということで、奈良テレビの取材が入るから、よろしく」である。
緊張もしますが、燃え上がります。
このガイドを引き受けたソムリエの会の責任、談山神社の氏子総代の責任が一石二鳥で果たせる

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そんなこともあり、今度の案内は神社そのものの成り立ちを語る。

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さらに場所を変えて、談山神社が芸能と音楽の歴史の宝庫であることを語らせていただいた。

こんなガイドぶりを奈良テレビが取材、ガイドとしての奈良県への思いも熱く語らせていただいた
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奈良テレビ「ならフライデー9」。放送日は6月17日(金)午後8時57分~「ならフライデー9」(午後9時から)である。
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6月11日から26日までの「ならムジークフェスト2016」、今からでも間に合うコンサートがあります。こちらでお確かめください。 

by koza5555 | 2016-06-14 07:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

神社検定 古語拾遺を勉強

6月26日に「神社検定」を受験する。
受験のテキストに「古語拾遺(こごしゅうい)」があった。
古語拾遺は平安時代、官人であった斎部広成(忌部  いんべのひろなり)により、大同2年(807年)に書き上げられたものである。

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古事記・日本書紀を斎部の立場で解釈、解説した書籍であるが、これが僕は初めて。
聞いたこともないのでは・・というものだった。

読んだだけ・・という所だが、少し書いてみた。

平城天皇の命により、斎部に伝わる伝承をまとめたというものである。
80歳を過ぎた老翁が書いた本である。

まずは斎部家である。
「中臣は天神寿詞(よごと)を奏して、忌部は神璽之鏡剣をたてまつれ」というような約割が決められていた。
中臣と斎部は同等のはずだったが、中臣の支配下に組み込まれていくことに、斎部広成はこれに怒りをぶちまけた。

そこで、斎部広成のめざしたものである。
斎部広成は歴史をどんなふうに認識しているか・・興味深い。

広成の歴史観は、推古天皇までが歴史時代、そのあと、孝徳天皇時代以降は現代と見ていたようである。
生まれた100年ほど前からを現代としてみる、僕らで言えば明治時代からが現代ということになり、その意味では共感が持てる。

広成の主要な主張は、歴史時代(神話時代)の天皇と各氏との関係を重視して、それに立ち返ろうとよびかけている。氏族の貢献を壬申の乱の功績だけで決めつけるな、こんな主張をしているようである。
律令の体制が、受け入れられない悲劇である。

広成は神話時代を日本書紀にそって紹介しながら、もれている事(直してほしい、戻してほしいこと)、十一ヶ条を書き連ねて、祭祀、神祇の諸制度の復活をめざしている。
部分的には斎部の主張は通っていくが、その後の歴史は中臣の圧勝、これも史実であり、斎部の主張は痛ましい。


それはそういうことで、西暦900年の頃の、当時の祭祀担当者の広成の歴史認識を紹介してみたい。
これは斎部広成がというより、著者の松本久史国学院大学助教授の考え方かもしれないが(ちなみこの本は神社本庁監修である)。

神代と人代の境目がおもしろい。
「人代の始まりは神武天皇」とするのが常識的な記紀の読み方。
ところがこちらは神武天皇が人代の始まりとしている。
「天石窟、天孫降臨、神武天皇の即位の各エピソードにおいて、登場する神々や出来事に類似性が見られます・・・神武天皇がつなぎにされているということで、連続性が重視された」

ここからは僕の意見だが、
欠史8代もすべてが神代ということになるのだろうか。
そして、ここまで考えてくると、神代はもっと下って神功皇后まで見ても良いのかも。人代は第15代の応神天皇以降と言う考えも成り立つのだろうか。

まあ、こんなことを勉強しながら、26日の神社検定、合格に向けて頑張りたい。
合格したらどんな特典があるのか、それは何ほどのものもありません。
乗ってしまった船、勉強である。すでに十分楽しんだが、最後まで頑張りたい。
60才代で、「秘かに一級までの合格」を目指しているのだが・・・・
by koza5555 | 2016-06-05 18:19 | 読書 | Comments(0)

三輪神は軍神

「大神と石上」(筑摩書房)、和田萃と寺沢薫両先生の論文から考えた。

和田萃さんは冒頭で三輪の神の性格の変遷を説く。

①三輪山に籠りいます神は、蛇体の雷神・水神とされていた。それが神体山である三輪山を仰ぐヤマトの範囲の国造り神・守護神となり

②さらには大和・河内連合王権が各地に進出していった際、各地に勧請されたらしい。
それが各地に、大神神社、美和神社、三輪神社や、大神郷、美和郷が広く分布する背景となったのだろう。

③六世紀前半になって、三輪山祭祀は大きく変化する。
王権の守護神的色彩の濃かった三輪山の神が一転して祟り神(オオモノヌシ)にと変化し、国ツ神の代表的な存在となった。オオタタネコを祖と仰ぐ神君(みわのきみ)によって祀られることになった。

以上の三段階が、三輪山祭祀の歴史として紹介される。
この第二段階、②のことであるが、王権の拡大に伴い、三輪神が各地に勧請されていく時期である。
この時期の「三輪山の神が軍神としての神格をも有していたことは、筑紫の大三輪神社の創祀の由来にも明らかである。」との指摘である。

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三輪明神

本からここで少し外れるが、先日、「箸中区」でこの勉強をしてきた。
桜井市にお住いの松田度さんがコーデネーター?で、箸中区の杉本ご夫妻(ご主人は箸中区長)の肝いりの勉強会である。

今回は、大神神社の山田浩之主任研究員(権禰宜)が「三輪の神」を語られた。
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箸中の慶運寺のご本堂。講演する太田浩之大神神社権禰宜


「大和を中心に東西に三輪神が祀られるが、東国では和田説の説くように軍神としての性格が個々に確認できるが、西国でも同様の性格が担わされた」とされる。

「時に軍卒集い難し。皇后曰わく、必ず神の心ならむとのりたまひて、即ち大三輪社を建てて、刀矛を奉りたまふ。軍集自づから聚る」(仲衷天皇9年9月・皇后は神功皇后)
さらに備中国風土記、筑前国風土記などの紹介もしつつ、三輪の神が軍神の役割を果たしたことを論じられた。

こうした三輪の神の性格は、石上神宮などとは違い、今の大神神社に見出すことは難しい。歴史的にこんな役割を果たしたというだけのことだが、これは目からウロコだった。

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全国の三輪神社、三輪(美和)の郷 椙山妙子氏作図


ところでこうした、三輪の神の性格の変遷が、考古学的にも裏付けられるというのが、「大神と石上」の寺沢薫論文である。

考古学的に言えば、
考古学的に、三輪山祭祀はいつまでさかのぼりうるだろうか。確実な資料から判断すると、山ノ神遺跡や奥垣内遺跡のように磐座という神の拠り所を設け・・・5世紀の後半には明確に三輪山祭祀が始まっていた。先行遺跡の検討のなかで・・・四世紀中ごろにさかのぼる可能性がある。として、三輪全域で祀られたと証明がある。
①これが三輪の神が雷と言われる時期である。自然な祭である。

大和朝廷と一体の動きをとり、軍神的な役割を果たすようになると、それは6世紀初頭だが、三輪の祭祀は狭井川と大宮川の間、現在の大神神社の境内に移ったとされる。
神社というか、境内の成立である。
祟り神になり、その傾向を一層つよめたとされるのである。

祭祀場所が限られていく(同じ場所で何度も祀る)ことと、政権との一体化を強めた時期とが一致するのが、とても興味深い。
アミニズムの祭祀と政権が関わる専門的な祭祀、そんな風にはみれないだろうか。、


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6月4日の日の出

by koza5555 | 2016-06-04 18:36 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

石上神宮の禁足地

和田萃先生の編で「大神(おおみわ)と石上(いそのかみ)」という本がある。「神体山と禁足地」がテーマである。

石上神宮を考えてみた。
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拝殿・国宝に指定されている

 ご祭神は武甕槌(たけみかづち)神が出雲遠征で帯びていた神剣である。神武天皇東征の折、武甕槌神が熊野の高倉下命に降して邪神の毒気にあった神武天皇を蘇らせた霊剣でもある。これを崇神天皇七年に宮中より現地、石上布留高庭に移し、土中深く鎮め石上大神と称え祀ったのが当宮の創めと伝えられ、以後代々、物部氏が祭祀をした。
この布留高庭が「禁足地」とされている。

明治7年、宮司の管正友がここを発掘した。
社伝の通り神剣が埋められているか。発見できれば正殿に祀ろう。
そして盗掘対策である。放置して盗掘に任せていいのか。被害は出ているのである。
発掘は成功で神剣は出たのである。


天理参考館に勤務されていた置田雅昭さんが、「禁足地の成立」でここらあたりの事情を書かれている。

発掘の状況である。
30センチ掘ると瓦が敷き詰めてあった。これを取り除いて下を掘ると石囲いがあった。
地表下90センチの所に剣、勾玉、管玉などを発見した。

側壁は「一尺或いは尺余の石を積み重ね」とあるから、二段以上積んだ石室のようなものだろう。石室の壁が板石を積んだものか、円礫であったのかはわからない。所伝はないが、発掘地の標柱が石室材の転用とすれば、花崗岩の円礫である。

石室の構造、遺物の構成などが、古墳時代の竪穴式石室、横穴式石室と共通する部分がある。花崗岩を用いた竪穴系の特異な構造を推測させる。
この古墳は出土品からみて 古墳時代中期前半である。


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布留社と示された禁足地瑞垣


境内の造成にも触れている。

境内は斜面に造成された一辺が120メートルの方形平坦地にある。北から見ると10メートルの段があり、この段を取り巻くようにいくつかのため池、空き地が残されている。ため池はもともと濠のように段をコの字に巡っていた名残の用である。すなわち段もまた人工的に造成したことがわかる。  と置田さんは言われるのである。

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境内図

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これは神社東側の周濠だったかもとされるため池

境内や東側ため池からは古墳時代中期後半の土器(土師器)が発掘されている。神宮の境内で古墳中期後半の祭りが行われたことを示唆する出土品である。

一辺120メートルの方形古墳が、石室、墳丘も合わせて、神宮に転用されていったという論であろうか。

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境内を闊歩するニワトリ


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大神と石上(筑摩書房)


7月1日に、桜井カルチャーで、「山の辺の道」を講演。これはとっておきの話題だろう。
by koza5555 | 2016-06-01 16:23 | 桜井・山の辺 | Comments(0)