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奈良・桜井の歴史と社会

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邪馬台国はどこだ?公開討論会に出ます

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これに出ます。10月9日(月)に、邪馬台国をめぐる公開討論会に出場します。


「邪馬台国は大和や」というお話をするのである。「邪馬台国は奈良・纒向だ」というお話は何度もしてきたが、今回は事情は大違い。

奈良と佐賀で、それぞれ300人ほどの会場をつくり、2人の奈良代表が15分づつ、佐賀の2人も15分づつで主張、両会場はテレビ中継を通じて結ばれている。主張の後は、さらに討論をしようという企画である。奈良側に石野博信先生、九州側に高島忠平先生が後見・応援するという豪華討論会。

8月に電話がかった。「邪馬台国で公開討論会をするんです。あなた、出てください」と。
僕も「おとなび」で「邪馬台国九州論、畿内論」というツアーを受けてる。九州側の講師は高島先生で、僕は高島先生の向うを張って「大和論」を案内している。「ここは引くことはできんなあ」と引き受けたのである。

纒向遺跡や周辺のことを語ろうと考えている。

古墳が密集していて、纏向で前方後円墳が発生したと言われている。
纒向・三輪は前方後円墳の故郷だが、纒向は日本の始めて都市、宮・都ということも明らかになりつつある・・・そんなことをお話ししてみたい。

1971年(45年前)以降、 纒向の発掘は継続的にすすめられてきている。
この発掘が進むにつれて、纒向は大和政権発祥の地として、または邪馬台国畿内説候補地と知られるようになった。発掘はさらに続いており、現在では180次を越える規模、期間の長さである。

纒向遺跡は
●まずは大きい、広い。段階がありますが、最後は南北約1.5km、東西約2km。300ha
●よそからの搬入土器の出土比率が15%。吉備、東海を中心に九州から関東にいたる広範囲な地域とつながっている。
●箸墓古墳からはじまり、纒向石塚古墳(国史)など、初期の前方後円型の墳墓が集中した。

こんな時にトリイノマエにて中軸線が一直線、方形の大型建物跡が発掘された。
ここから、纒向は「日本最初の邪馬台国の都市」、あるいは初期ヤマト政権最初の「都で宮」といわれるようになっていく。


9月30日の奈良新聞に折り込まれた「奈良観光タブロイド」・「ことなら」参照
会場はすでに満席である。

僕はがんばる。また、続報いたします。よろしくお願いいたします。
by koza5555 | 2016-09-30 22:59 | 奈良 | Comments(0)

国のはじまり、大和の中の大和を歩く(天理市南部の古代と近世の歴史)10月26日(水)

10月の「大人の学校」(代表 溝口博己)の企画は天理市南部にこだわった歴史ウォークにした。
天理駅東口の集合は午前10時で長柄駅を3時すぎに解散する。

ツアーのテーマは西山古墳
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はじめに丹波市。旧山添郡のダウンタウン。こちらの市座神社を拝観、そのまま西山古墳、峯塚古墳、石上神宮まで東上する。午後は内山永久寺跡、夜都岐神社、竹之内環濠集落、大和神社という行程である。いつものように「ウォーキングは早めの昼食」を心がけているから、お弁当は石上神宮である。

丹波市のとっておきのテーマは青石橋。
地元ではこの橋を「あお」と呼んでいたとのことである。もともとは古墳由来の青い石板が敷かれていたことからそう呼ばれた。
この板が市座神社に置かれている。それは見学できるのだが、説明版では青板がもう一枚、民家に残っているとのことであるが・・・先日、その場所を教えてくれた方がいた。さらに「天理大学の近江先生のお話しでは、石棺の蓋ではなく西山古墳の立石」とも。
これはすごい。市座神社と西山古墳が道として話としてつながった。

石上神宮では、神剣の数々を考える。
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夜都岐神社が格別の面白い。拝殿の藁ぶき屋根の葺き直しもすごいが春日大社との関連を考えたい。
この神社と春日大社は特別の関係がある。「蓮の御供え」という神饌を毎年春日大社に献供、春日大社からは神殿、鳥居が下げられるのが例となっていた。江戸時代までのことである。
どの本にも、また境内の掲示にも「蓮の御供え」は記されているのだが、この「蓮の御供え」とは、何かが判らない。
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葺き替えられた夜都岐神社

さらに大和神社、おくの深い「ちゃんちゃん祭り」も語ってみよう。来年の4月1日のちゃんちゃん祭り、絶対に大和神社を訪れたくなる秘話もある。
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山の辺の道(国のはじまり、大和の中の大和を歩く)
■10月26日(水)
集合 午前10時  JR(近鉄) 天理駅東口
解散 午後3時ころ JR長柄駅
■コース(歩く距離 8km程度)
JR(近鉄)天理駅東口 → 丹波市 → 西山古墳 → 昼食(石上神宮)→ 内山永久寺跡
 → 西乗鞍古墳 → 夜都伎神社 → 竹之内環濠集落 → 大和神社 → 長柄駅(解散)
■参加費 800円(学校経費、資料代など)
■持ち物:弁当・飲み物・雨具・歩きやすい履物で

■ お申込み・お問い合わせは
このブログのコメント欄(カギコメでも)か

「大人の学校」代表溝口博己さんまで
hiromi-03.30@kym.biglobe.ne.jp
090-8986-8844   FAX  0743-53-2769でお申込みください

by koza5555 | 2016-09-22 10:14 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

丹波市の青石橋…青石は現存

天理の丹波市にすごいものが残されていた。

一つは市の跡。
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今、一つは市坐神社に置かれた「青石」
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燈籠もすごい。1830年制である。おかけ接待所と掘り込まれている。
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天理のアーケードから丹波市にむかう旧道(上街道)をすすむと布留川にさしかかる。
小さな川、小さな橋であるが、ダム放水時の警報の出し方などの掲示がしっかりとされており、上流にはダムがあることがよく判る。
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この橋のことは、伊勢街道ぶらりぶらり(林憲次さん)でも紹介されており、近くの「お婆さんに橋の名前を尋ねてみると、一人から『あお橋』という答えが返ってきた。『あお』とは『青』なのかとさらに尋ねたみたがわからなかった」とのことである。


丹波市の市座神社の境内には素晴らしい青い石板が展示されていた。掲示は長いが全文を紹介する。

青石橋の由来
 上街道の布留川南流に架せる橋にして大なる青石を以てす。故にその名を得たり、石棺の蓋である。青石はその両側に添え石をつけて縦に掛けられていたが、明治40年前後に橋がかけかえられ、不要なった青石は百メートルばかり南のこの神社境内に移された。

青石には一方の端近くに二つの穴がある。地元では「馬が踏み抜いたあとだ」などと言う言い伝えも残っているが、おそらく運搬用の綱を通すための穴だろう。
面白いのはその穴のあけ方で、一方が口径30センチもあるのに、裏側では10センチくらい、ちょうど漏斗形に穴があけられている。こうした穴のあけ方は古墳時代に石や玉によくみられるものだという。

ここより東へ700メートルに西山古墳、同じく鑵子山古墳があるが、それらの古墳から運び出されたものか数知れぬらぬは、定かではありません。

このような穴のあいた板石は、近くの民家にも残っているらしい。

通り昔、小高い墳丘の上で大和国原を見下ろしていたたであろう青石は、何百年かの後、布留川の流れの上に箸として、その身を横たえ数知れぬ人馬に奉仕した、石であります。

                                   丹波市町    



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上街道は丹波市で道幅が二倍になった場所が残っている。屋根があり川は暗渠に。ここが市で、さらに市座神社が残されている。


市座神社に200年以上前の常夜灯が残されている。
南 太神宮 西 常夜灯 北 天保元年庚寅(かのえとら)(1830年)
東 おかけ接待所
木の加減で写真が撮りにくいが、この「おかけ接待所」の写真が撮りたかったのである。


天理の歴史を語る上で上街道は欠かせない。この丹波市を13日の奈良の布陣講座で紹介、10月の大人の学校ツアーでは、訪れてしっかり語ってみよう。
by koza5555 | 2016-09-06 23:09 | 桜井・山の辺 | Comments(0)