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奈良・桜井の歴史と社会

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桜井市広報 わかざくら

桜井市の「広報 わかざくら」、2月号で僕を取り上げてくれた。
「桜井をつなぐ人」というコーナーでA4一ページ全部という破格のコーナーである。

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取材では、奈良と桜井の自然と歴史のすばらしさを語った。「奈良まほろばソムリエ試験」で、この地の魅力を深く知ることが出来たことを紹介した。民生委員や区長の仕事を通して身近な皆さんと結びつき、学んだことを活かしてきたこともお話しさせていただいた。
広報紙の編集担当者は、僕のお話をとてもうまくまとめてくれた。

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写真もすばらしいが、使われたのはこれではない(笑)


記事の全文を紹介したい。

 縁あって11年前に愛知県から桜井市へ引っ越して来たという雜賀さん。当時は身内以外に知り合いがなく、奈良についての知識もほとんどなかった。ところが、「県内の歴史や文化のことを聞くなら雜賀さんに」と今では多くの人から言われるほどの存在だ。
 山登りが好きだった雜賀さんは妻と一緒に、外鎌山、鳥見山、大和三山と近所から順に登った。登るに連れて「奈良っていいところだな」という思いが芽生える。井寺池のそばに建つ万葉歌碑『やまとはくにのまほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし』の意は、大和の良さを詠んだものであるが、後半の『幾重にもかさなりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところだ』という一文がそれを物語っているという。
 もともと歴史には興味があった。正倉院展を訪れた帰りに、本屋で一冊の本を手に取る。奈良まほろばソムリエ検定のテキスト本だ。その日からテキストを読み込み、2級に合格。1級に一度落ちるも奈良県中をまわってさらに勉強し、最難関のソムリエには一発合格した。合格する前から遠方の友人を奈良に呼んでは各地を案内していたといい、それが自分の勉強にもつながっていったのだ。
 解説がわかりやすく楽しいと口コミで広がり、まほろばセンターの歴史文化講座をはじめ、あらゆるところから講師の依頼がくる。「ツアーガイドも講演も有料でやってるんです。付加価値をつけ、お金をいただいてもそれに見合った恥ずかしくない内容を伝えたいから。そのためには真剣に勉強や準備をしますし、資料作りもしっかりやります」。自作資料に向けられた目が鋭くなった。
 地域で生活するのに大事なことは、自らまわりとつながっていくこと。民生委員や区長の役職を引き受けたことで地域に溶け込み、友人や信頼が増していった。ガイドをするにも、まずはそこに住む人たちに地域のことをひるまず話す。地元で通用しないものが、都会から来た人に受けることなどない。地元の良さを知ると、みな誇らしげに「うちの村のこと、うまいこと話してや」と頼んでくる。
 「桜井はやはりおもしろい。このおもしろさをもっと多くの人に伝えていきたいね」。雜賀さんの笑顔が、地元の良さを広げていく。


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by koza5555 | 2017-01-27 12:18 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

三輪の初えびす

毎日新聞の奈良版で今年から「ディスカバー!奈良」という連載が始まった。毎週、木曜日の朝刊である。奈良まほろばソムリエの会がこの連載を担当する。昨年から執筆者会議なども開きながら準備してきており、新年から順調な滑り出しとなった。
今日がその3回目、僕の番になったので、手始めに三輪の初えびすを紹介することにした。

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御湯の神事

文章は300字、これでは行事の紹介で終わりである。三輪の初えびす全体の紹介はムリだから、7日の「御湯の神事」を軸に取り上げた。背景とか、使われる釜とかはかってブログで紹介させていただいたことがあるが、今回はそれも割愛である。

三輪恵比須神社は、2月5日~7日「初えびす」を執り行います。万葉集でも歌われた古代の市場、海石榴市(つばいち)の伝統を引き継ぐ土地柄でもあり、大きなにぎわいとなります。
最終日の7日、午後2時から行われる御湯(みゆ)の神事が見逃せません。八つの大釜で湯を煮えたぎらせます。巫女はそれぞれの釜に米、塩、神酒を入れ笹の葉に浸して参列者に降りかけます。この飛び散る湯滴を受けると無病息災、商売繁盛につながるとされ、参列者は身を乗り出してこの湯滴を受けるのです。
三輪素麺の相場を占い、それを報告するという神事も行われます。三輪の町を練り歩く華やかな「鯛引き行列」も祭を盛り上げます。(奈良まほろばソムリエの会 理事・雑賀耕三郎)
メモ JR桜井線(万葉まほろば線)三輪駅から徒歩5分。 近鉄桜井駅下車(バス便あり)


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タイ引き行事の巨大タイ

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今年の行事のポスター。ぜひ、おいでください。

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by koza5555 | 2017-01-26 13:19 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

惣谷狂言と篠原踊り

1月25日に五條市大塔の惣谷は狂言を、篠原は踊りをそれぞれ氏神に奉納する。

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惣谷狂言、8曲のうちの一曲、かなぼうし。2017年1月25日

22日(日)ころから全国的に激しい寒波、吉野もその例をまぬかれず相当な積雪となった。
惣谷や篠原に入るには国道168号を経て、宇井から県道に入る。道が思いやられたが、今年の僕のテーマは「吉野の祭り」。これは外すわけにはいかないのである。

篠原踊り、惣谷狂言というが、もともとは両村とも踊りがあり間に狂言という形だったらしい。それがいまでは篠原は踊り、惣谷は狂言が残るということである。

25日は、惣谷狂言を見学した。県道に沿って登ると集落の上に天神社がある。この境内、舞台は拝殿というか、そんなところを開け放ち、カーテンを吊る。舞台の飾りは注連縄と「餅花」である

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注連縄と餅花


五条市のHPによれば
奈良県の無形民俗文化財に指定されている「惣谷狂言」は、古くから惣谷地区で正月の神事初めに氏神の天神社と円満寺の境内で奉納のために行なわれてきました。以前は篠原踊りと同様の踊りも奉納されてきましたが、現在は狂言のみが天神社に奉納されています。
惣谷狂言は明治40年頃から演じられなくなり、大正天皇即位の大典で大正4年に演じられて以来途絶えていましたが、大塔村史編纂を機に復活の気運が高まり、昭和33年に復活されました。以来保存会によって「鬼狂言」「狐つり」「舟漕ぎ」「万才」「壺負い」「鳥さし」「鐘引き」「かなぼうし」の8曲が伝えられており、毎年この内の1~2曲が1月25日に天神社で奉納されています。


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こんなパンフレットも配られた。惣谷の村の自前である


今年は「かなぼうし」が演じられた。
かなぼうしとはかわいい子という意味らしいが、かわいい子は出てこない。
和尚さんに寺を譲られた小坊主が村人にとんちんかんな対応をくりかえし、和尚さんが叱り飛ばすという筋書きである。かといって小坊主は、和尚さんの弱点もしっかり見ている、これがオチでもある。
せりふだけ・・・ことさらな演技はしないが味はある。

惣谷、たかだが10軒あまりの村である。この小さな村に在住する5名の方が演じられていた。

たき火に当たりながらの話ではあったが、「惣谷狂言と篠原踊りを一緒に演じられないか」などという話もされていた。「2回はできない」とか「隔年で順番に場所を替えて」とか、「それだったら神さまへの奉納ではなくなり、意味が変わる」などと意見が交わされていた。

惣谷でも継続にはそれなりの困難さがつきまとう。「よその応援を得るような延命はダメ。できなくなったら終りでよい」と言い切る人もいたりしていた。

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惣谷狂言の日程は午後一時から天神社の神事。その後、着替えなどの支度があり1時50分ほどから8分間くらい演じられた。
その後、するめとお酒の直会、さらには餅まきである。僕も福をたくさんいただいた。

さて、篠原踊りは・・?
篠原踊りは雪のため今年は中止となった。「踊り手が上がってこれない」とのことだった。これはこれで、こんなこともあるだろう。

こんな雪だった・・・・写真は・・・・

篠原踊り、惣谷狂言は奈良県指定無形民俗文化財に指定されている。

途中で撮った賀名生の皇居跡。堀家である
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by koza5555 | 2017-01-25 22:22 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

アンコールワット

寒い日本の冬を避けて、アンコールワットに行ってきた。
「どこか行こう」と、あっちゃんから誘いがあった。トラピックスのコースをみてみるとアンコールワットを目玉とする「ベトナム・カンボジア」というツアーがあり、これで即決である。

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アンコールワット

「アンコールワットは古代寺院だろう」と漠然と思えたが、実は10世紀から13世紀の頃のもの、年代的には古代とはいえないかもしれない。平安時代の後期から鎌倉時代にかけての遺跡である。
また、遺跡の数も膨大で、それぞれの遺跡の性格もさまざまだった。
代表的なアンコールワットはヒンズー教の影響が強く、アンコールトムは大乗仏教の影響が強いというように。

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アンコールワットの壁画の一つ。ヒンズーの神と阿修羅の戦いが様々に描かれている

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アンコールトム。文字通り石仏、仏頭である。これが49柱もあるのである。それぞれの柱に4仏である

遺跡保存館も訪れた。遺跡から移されたヒンズーの神像、仏像、碑文石などが展示されている。保守のための最低限の移動とのことである

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阿修羅。ヒンズー教では神の最大の敵である

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ガルラ(ガルーダ)も置かれていた

ガルダは鷲をイメージした鳥でヒンズー教の三大神のヴィシュヌの乗り物とされる。ヴィシュヌは太陽神でもあることから、それを守り乗せるガルダは像としても図としてもさまざまに表されている。ガルーダインドネシアの語源である。像を眺めると・・・「興福寺の八部衆にある」。調べてみるとその名は迦楼羅(かるら)。「かるら」とは「ガルダ」からきた言葉なんだあ・・・
インド起源の仏教とヒンズー、日本まできちゃうと渾然一体・・


アンコールの王宮は15世紀頃に放棄され、メコン川沿いにプノンペンに移動していった。熱帯樹林帯である。遺跡となると一気に密林に埋もれていくことになる。

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巨樹を取り除かず、復元前の姿を示す、そんな遺跡もあった


「19世紀にフランス人が発見した」とされるが、ガイドの主張は少し違う。
「仏教徒が住み修行した。住民も遺跡を活用していた」とのことである。そんな証拠にたとえば江戸時代の初期に日本人が個々に仏像を持ち込んだという解説もあった。タイを目指したようであるが、この地に仏像を収めたようで、その顛末がこの柱に書かれているという。遺跡となって500年,そんな時期にも仏教徒が住み、活動していた。

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漢字で書かれた日本人の壁書を示すガイドのブンさん

遺跡の復原は途上である。どの遺跡にも使い道が判らない石材が大量に積み上げられている。日本の上智大学とかも復元に参加しているとの紹介があった。

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ベトナムとカンボジアのことである。若々しい国だった。ベトナムは20歳代が人口の4割を占めるという。カンボジアはさらに子供の数が多いだろう。
バイクの大波がすごい。そして両国とも庶民の食事はすべて外食とのことである。学校に行く前に開け放たれたテーブルと椅子だけの食堂で小学生、中学生が食事(コメの麺)をしているのが興味深かった。校舎が不足しているので学校は午前と午後の二部制である。


「感動のアンコールワットと憧れのベトナム二都物語7日間」(トラピックスの)というツアーだった。どの会社でも似たようなツアーを持っているようである。ベトナムやカンボジアもおもしろいものである。

by koza5555 | 2017-01-23 21:09 | 旅行 | Comments(0)

栢森の綱掛神事 稲渕も少し

あけましておめでとうございます。

今年の一番はツナカケ神事。
今年は1月11日に「栢森(明日香村)の綱掛神事」が行われた。

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飛鳥川に掛けられた栢森の女綱

「綱掛神事は、栢森と稲渕両大字に伝わる神事で、毎年正月11日に行われる。カンジョ掛神事ともいう。
 子孫繁栄と五穀豊穣を祈るとともに、悪疫などこの道と川を通って侵入するものを押し止め、住民を守護するための神事といわれている。
 栢森大字の神事の特徴は、全体を仏式で行うことである。福石(陰物ともいう。)と呼ばれる石の上に祭壇を設け、僧侶の法要の後、飛鳥川の上に陰物を形どった「女綱」を掛け渡す。一方、飛鳥川下流の稲渕大字の神事は神式で行うことが特徴で、「男綱」を飛鳥川に掛け渡しをする。  (明日香村大字栢森です)
 こんな掲示版が栢森の綱掛け場に設置されていた。

稲渕と柏森のオツナカケである。
行事は古くて(300年前の)1751年の「古跡略考」でも、カンジョウの松とかカンジョ橋というのが記されており、オツナカケが行われていたことが判る。

日時は正月11日である。稲渕と柏森、初仕事、クワハジメの行う。
今年は稲渕はどんな具合か、9日(成人の日)に実施、栢森は古式に従い11日の実施だった。
    
稲渕は9日、三つ編み方式で80メートルの綱を綯った。その後に陽物(男性器をかたどったもの)を作り、ご幣を取り付けて綱に固定、綱は檜と柿の木に間に張られた。
陽物が川の中心にまっすぐ立つことが大事なようであるが、これがなかなか難しく、毎年苦労されている様子である。

柏森は11日の午後、大字の農作物出荷所に集合する。宮役と三グループの宮座(のようなもの)から当番が参加する。黙々と80メートルの綱を綯う。桜井の山村のオツナカケのような掛け声はなく、卑猥な戯言などもなく黙々と綯われていく。

併せて、陰物(玉ねぎのようなもの)も作られる。女性をかたどったものだがリアルには作らない。柏森の龍福寺の住職が供養を行う。

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綱打ち場


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出来上がった陰物


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綱打ち場から500メートルほどは、僧侶を先頭に綱掛け場に移動


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福石での仏事。般若心経を唱えられる


栢森のご幣は上流に向かっている。ご幣の向きは綱の道きりの意図が示されていると思うが、・・これはどうしたことだろうか。

『飛鳥の祭りと伝承』(古典と民俗学叢書)で上野誠が面白い論を述べていた。
稲渕と栢森の境目には「飛鳥川上坐宇須多岐比賣命神社(あすかかわかみにいますうすたきひめみこと)」が鎮座、稲渕、栢森、入谷、畑の人々が守る社であり、稲渕川水系の村々を統合する社でもあるという。
この社の前に南淵(なぶち)があり、大イデ(取水口)があり、この社ではかっては名も出踊りが踊られ、オンダが行われていたという。
オツナはこの祭、このミヤヤマを守るものとの見解とみることもできる、これが上野誠論である。

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こんな地図も書いてみた

皇極天皇が雨乞いをした飛鳥川上の神奈備の神の場とされており由緒は古い。「元飛鳥」との論もあり飛鳥坐神社の元の姿ともいう場でもある。

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神社の門前の飛鳥川。タギツであり、大イデも

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190段ほどのキツイ石段を登ると拝殿。拝殿の横に回るとお山がご本殿のような祀られ方である

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陰陽の石も境内に。石は倒れていたが

稲渕と柏の森の男女の勧請綱は、会うことが無く、結びつくことも無い。
それぞれ場で、それぞれの役割を果たすことを村人に期待されている。
by koza5555 | 2017-01-12 19:37 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)