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奈良・桜井の歴史と社会

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ヤマトロジー、3月は「世阿弥の生涯」(ゆかりの奈良の地)

奈良まほろばソムリエの会は県下の社寺・史跡の案内でその活躍が注目されている。さらに「奈良県に関わる講演なら、どの地域、どんな課題でも講師を派遣します」と公言できることが大きな自慢である。
会は各種のカルチャーセンターなどに数多くの講師を派遣しているが、なかでも近鉄奈良駅ビルのクラブツーリズムの「まほろば講座」、「まほろばソムリエのヤマトロジー講座」には、注目していただきたい。
毎月、第4土曜日(月により異なることあり)の午後に「まほろばソムリエの会」が講師を派遣している。テーマは事前に発表され、お客様は参加の申し込みを一回ごとにできるというシステムである。こんな講座は、講師はとくに腕に磨きをかけて、お客様との一期一会を楽しみにするのである。

3月の講座(3月25日)は「世阿弥の生涯」(大和の世阿弥)と題して大山恵功さんがお話しする。
足利義満の庇護のもと、京都で大活躍、観世流のもとを作り上げたという世阿弥の生涯であるが、「世阿弥の原点は奈良に在り」ということをお話しされるようである。
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大山さんは、現在の「能楽」は大和が発祥の地であること。世阿弥は大和に生まれた人物であり、それに関するゆかりの地がたくさんあることを紹介される。
「能」を鑑賞するきっかけはなかなか難しい。大山さんは観世流の世阿弥とそれと関わるゆかりの地を具体的な奈良の地名を上げながらの解説で、そんな土地も考えながら、「これを機会に御能に親しんでほしい」との思いらしい。

興福寺の薪能(薪御能保存会)、宇陀阿騎野の蛍能、談山神社の談山能など身近な場での能の鑑賞の機会もあり、この講話は僕も期待しているのである。

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薪能、これから始まります
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これは阿騎野の蛍能。能舞台で乱舞する予定だった蛍、しかし雨で・・・ネットに入っている蛍を鑑賞しただけだった。


ぜひ3月25日(土)の午後、近鉄奈良駅の6階、クラブツーリズムでお会いしましょう。


申し込は クラブツーリズムへ  電話は0742-90-1000

  申し込みフォームはこちら

会場はこんな感じだ
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by koza5555 | 2017-02-26 22:51 | 奈良 | Comments(0)

神武東征の道を行く

4月9日(土)に「神武東征の道を行く」のツアーを案内する。前日の9日(土)、岡本彰夫先生の「誰も知らないやまとの神話」の講座(春日野国際フォーラム甍)と連携したツアーである。
ツアーは丹生川上神社中社、宇賀神社(オドノや血原橋も)、八咫烏神社、等彌神社を訪れて神武東征に思いを馳せようというツアーである。同時に岡本先生の「やまとの神話」の雰囲気を現地で味わっていただこうという趣旨のツアーだから、ちょっと緊張、気合を入れて準備したい。

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八咫烏神社から伊那佐山をのぞむ

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「初代天皇 神武天皇が日向から大和へと至る神話、神武東征。神話が神代から現代に至るまで、途切れることなく語り継がれてきた大和の地には、神武東征にゆかりのある場所が数多く伝わっています。
巌瓮(いつべ)と言われる瓶を用いて国の平定を占った東吉野村「丹生川上」。
神武天皇一行を熊野より導いた八咫烏ゆかりの宇陀市榛原八咫烏神社。日本で最初に大嘗祭が行われた建国の聖地 鳥見山に鎮座する桜井市 等彌神社など。一味違う奥深い大和を満喫していただきます。」
やまとびとツアー募集HPより

このツアーは昼食もすごい。大宇陀の蔵元、久保本家酒造の酒蔵を改装したレストラン「久保本家酒蔵 酒蔵カフェ」のランチ、ここはいま、注目されてきている。さらに、大宇陀、重伝建の松山の町並みも楽しもうという欲ばりツアーでもある。

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久保本家酒造

こんなコースの案内が僕のところに回ってきた。素晴らしいコースで、こんなツアーの案内、これこそガイド冥利というものだ。

   ツアーの詳細は  やまとびとツアーズ


4月9日(日)お一人さま 9800円。昼食付きバスツアー。
9時30分近鉄榛原駅出発、各地を見学、拝観して16時40分にJR・近鉄桜井駅解散


会員制のフリーペーパー、『やまとびと』をおすすめしたい。
桜井市の共栄印刷はフリーペーパー、『やまとびと』を発行してきたが、昨年の9月から「会員制フリーペーパー」に移行している。年会費1000円で、年に4回『やまとびと』が送られてくる。奈良を幅広く、さらにはディープに紹介する魅力的なパンフである。
 
 ツアーは4月9日、東吉野と宇陀の山々には桜は残っているだろう。この桜と共に、みなさんをお待ちしたい。
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by koza5555 | 2017-02-20 21:00 | 宇陀 | Comments(0)

六県神社の子出来おんだ

磯城(しき)郡川西町保田(ほた)の六県(むつがた)神社のおんだ祭

2月11日に行われる。もともとは旧正月14日、その後は2月14日、現在は2月11日の行事となっている。
おんだ祭では、飛鳥坐神社の祭のように夫婦和合の所作でもって繁殖・豊作を表わされることが多いが、こちらは出産の所作で示されるのが独特である。
太鼓をお腹に入れた妊婦の姿、出産のありさまなどから、「子出来おんだ」と呼ばれている。

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六県神社、境内のオンダ祭。妊婦の弁当届け

17時から神事。境内の一角で一斗釜で湯を沸かす。巫女が着座する。笹も用意されているから湯立の神事かと思うが・・どうもこれが産湯とのことらしい。
東の天照大神、南の多武峰大権現、西の住吉明神、北の春日の若宮神にお断りして神事が始まる。

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産湯の前で
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それから拝殿での剣の舞

拝殿の配置を変えて18時から「おんだ」が始まる。

水見回り、牛使い、肥おき(施肥)、土こなげ、田植、螺(たにし)拾いと稲作が順序良く示される。
牛は必ずいるなあ・・・

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肥おき・・は竹筒の両端に椿の葉っぱをぶら下げて…昔の肥樽運びをイメージできる。ちぎってはおく・・
肥おき、田植え、螺拾い、全ての行事が椿の葉で行われるのが特徴

農作業の区切りごとに、「はい、ボチボチやで」、「それいけ」の合図で、拝殿に座った子供たちが演者に殺到する。これは風とのことだが、雨ではなかろうか。すぐ北の広瀬神社は砂を雨に見立ててオンダが進められるが、こちらは砂の代わりは子どもだろうか。
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その後、弁当を田に届ける妊婦が現れて、神主役の長老ととぼけたやり取りがあり、田んぼを回ってから出産するという運びである。
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最後に種まき神事が行われる。農夫が種まき唄を歌いながら、拝殿を回り、豪快に種を巻く。
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「宇陀の郡を通れば 一森長者に行き合うたら
行き合うたるところなら このところに蒔こうよ」

(一同)「よんなか(世の中)よけれども福の種 蒔こうよ」

「大和48万石、保田の明神蒔き納め」で、桶を空にした・・・

オンダの苗は椿(普通は松葉、御所の御歳神社は杉、石上神宮はホンマの早苗やった)というのが特徴。子どもが風(雨)というのが面白い。17時からの神事も必見。寒いから温かくして出かけるように。
出産の所作で、繁栄、豊作を祈念するのが最大の特徴的である。

よんなか(世の中)よけれども福の種 蒔こうよ


境内に以下の掲示がある。
川西町の歴史遺産を訪ねて
県指定/無形文化財 六県神社子出来おんだ祭り

六県神社は村社で、祭神は大和の六県神「高市命」「葛木命」「十市命」「志貴命」「山辺命」「曽布命」を祀る。 「神社明細帳(明治24年・1981)記載
 
 子出来おんだ祭りはこの六県神社の拝殿で毎年2月11日(以前は2月14日)の夜に演じられる御田植祭。妊婦の出産の所作を伴うことから、「子出来おんだ」とも呼ばれる。この行事の始まりは、境内富貴寺の創建時の平安時代と伝えるが、明確でない。

 所作は、水見回り⇒ 牛使い ⇒ 施肥 ⇒ 土こなげ ⇒ 田植 ⇒ 螺拾い ⇒ 妊婦の弁当運びと安産の神事及び種まきの所作と掛合い言葉の順に演じられる。
螺(たにし)拾いまでの所作では子供が風の役割を持ち、各所作の最後の演者はその場にうずくまり、風役の子供はその上に覆いかぶさる。
 妊婦の弁当運びと安産の神事では、本役の男子が太鼓を腹に忍ばせ妊婦に扮して弁当を夫(長老の神主役)の元に運ぶ所作を行った後、神主と妊婦が問答を行い、その後、問答を行い、その後、妊婦の陣痛が始まり、腹に忍ばせていた太鼓を放り出し、それを取り上げた神主が「ぼんできた、ぼんできた」と言いながら太鼓をたたく。
 最後の種蒔神事では、台詞と歌を歌いながら種をまく。この時の台詞や歌の掛合いも含めて全体的に古風な芸能所作が残っている。

by koza5555 | 2017-02-12 09:25 | 奈良 | Comments(0)

浄見原神社 国栖と国栖奏

国栖奏は、毎年旧正月十四日に、吉野町南国栖の天武天皇を祭る浄見原神社で古式ゆかしく行われます。
早朝から精進潔斎をした筋目といわれる家筋の男性、舞翁二人、笛翁四人、鼓翁一人、歌翁五人が神官に導 かれて舞殿に登場し、朗々とした歌翁の声とともに、舞翁の振る鈴の音が冷えきった空気にこだまして、参拝の 人たちの胸に古代の息吹をよみがえらせてくれます。(吉野町HPより)

今年は、今日が旧の正月十四日、天武天皇を祭祀する浄見原神社において、国栖奏が執り行われた。

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舞翁の舞、「正月 エンエイ」の囃し言葉に合わせて、静かだが、軽やかな舞である

神官の先導に従って参進の笛を奏しながら舞殿に進み、まず楽器を神前に供え、一同十二人は着座し、神官の祝詞奏上に続いて一歌二歌を奏します。次に神饌台から楽器を下げて笛にあわせて三歌を唱和し、舞に移る。舞は舞翁が鈴と榊を持ち、歌翁の一人が(エンエイ)と囃し正月より十二月まで舞納め、四歌を奏して、最後に氏子と奉賛者の名前を読み上げ(御巡楽――おじゅんらくという)、素朴ながらも典雅な舞楽は終わります。(国栖奏保存会パンフレットより)


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舞翁、歌翁に続いて笛翁の参進


御巡楽では、奉賛者一人一人の名の読み上げに合わせて、間に「エンエイ」の唱和がある。エンエイとは遠栄(ウィキペディア)とも、延栄(『大和の祭りと芸能』)とも紹介されているが、長く栄よという意味だろう。

神社入り口に奉賛者の受付があり、僕も申し込み、名前を紹介していただいた。
最後の方で、「さいがこうざぶろう・・エンエイー・・・シャンシャン」で、とても幸せな気分に、思わず頭を下がる。

新撰は特殊である。
栗、一夜酒、うぐい、根せり、赤ガエルの特殊神饌が供えられる。壬申の乱の前、吉野に身を隠した大海人皇子(天武天皇)に捧げたものを模したものであろうか。
楽器が供えられるのもきわめて特殊で、そのいわれを知りたいものである。

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国栖奏の始まる前頃に吉野は激しい雪。またまたタイヤチェーンを巻く羽目に。この雪にも関わらず、参列者、参観者は多数。前には出れず


橿原神宮でも4月3日に奉納されるとのことである。国栖奏と久米舞でちょっとした話ができないやろうか・・・・
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by koza5555 | 2017-02-10 18:24 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

南朝 戒重西阿と良円

外鎌山に登ると「南朝忠臣 西阿公之墓」という碑がある。
しばらく前から倒壊していて、こんなふうに寝かされている。
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桜井市の全域で南北朝が激しく闘った史実が残されている。
南朝軍の西阿、子息の良円などが戒重と河合に城を築き、外鎌山、鵄(とび・鳥見山のことか)、赤尾の山城・砦の記録がある。
一方、北朝軍は釜口(天理)に進駐し、さらに細川顕氏は阿部山に陣をしき、南北朝は入り乱れて(阿部山は戒重・河合の南方に当たり、いわば吉野との連絡路が閉じられる形)桜井市全域が戦場となったことが分る。

1337年に三輪西阿は櫟本(天理)にて北朝軍とたたかう。
1340年には北朝軍は開住(かいじゅう)西阿を討つために出兵。西阿は大仏供庄(大福)の年貢を横領。
1341年2月、幕府は西阿追討軍。釜口を奪い、阿部山に陣をしいた
     4月に河合城陥落、7月2日戒重城陥落、西阿らは外鎌山城に移り抵抗したが3日に陥落。
1347年、楠正行らは、出陣の前に後村上天皇に面会、西阿も同席している。「・・・楠将監西阿子息開地良円以下・・・」と太平記巻10に記されているのである。
同年、親子ともども 四条畷戦死した。

西阿を祀った碑は外鎌山に立てられたが、それは昭和45年のことである。

桜井市の粟殿(おうどの)の墓地には、西阿の子息、良円を祀る五輪の塔が建てられているのである。桜井市史の上巻942ページ
「為菩提亡父良円房・・・・・・・正平3年(1348年) 正月五日  願主尼良妙」
とあるらしい。(僕には全然読めなかったが・・・)

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良円を祀るという五輪塔


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戒重城の濠の跡。戒重城は江戸時代の前期に140年くらい織田藩が陣屋として使用、織田藩が芝村に移って廃城。しかし河合城、戒重城ともども明治20年頃までは大規模に濠が残っていたらしい


こうして考えてみると、南朝を助けた桜井(現在)の関係者は多かった。多武峰は無論のこと、三輪、長谷寺なども含めて多くの国民、地侍もその戦いに巻き込まれていったのである。
by koza5555 | 2017-02-03 00:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

2月のウォーキングは忍坂(忍阪)

「忍坂山(外鎌山)からの眺望を楽しみ、王家の谷を歩いてみよう」をテーマに、2月22日(水)にウォーキングを案内します。

外鎌山に登ります。奈良盆地南部の素晴らしい眺望が楽しめます。標高は292メートルですが麓からの標高差は150メートルです。

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2月1日の忍坂の山からの眺望。大和三山、二上山、奈良盆地南部が一望できる

「こもりくの 泊瀬(はつせ)の山 青旗の 忍坂の山は 走出のよろしき山の 出立の くはしき山ぞ あたらしき山の 荒れまくおしも」(巻13-3331)と万葉集にも歌われた忍坂の山(外鎌山)に登ってみましょう。

石位寺で白鳳時代の薬師三尊仏(重要文化財)を拝観します。
また、舒明天皇陵、鏡王女墓(談山神社)を見学し、大王級の赤坂天王山古墳の横穴式石室を体験します。
最後の忍坂坐山口神社を参拝、境内の楠の巨樹に力をいただくというマルチのウォークです。ぜひぜひ、おいでください。

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忍坂坐山口神社の大くすのき

■実施日    平成29月2月22日(水)雨天決行
■集合時間午前10時 
■集合場所   近鉄大阪線大和朝倉駅 改札前
■コース(歩く距離約8km程度。小さな山ですが山登りもします)
朝倉台駅(集合10:00)w.c.→11:00 外鎌山頂上 → 11:30 鏡女王墓 → 舒明天皇陵→ 神籠石 → 12:00 石位寺w.c(昼食)→ 14:00 赤阪天王山古墳.→ 14:40玉津島明神 → 15:00 忍阪山口神社 → 15:30 朝倉台駅(解散)
■持ち物  弁当、水筒、帽子、雨具をお持ちください。小雨は決行ですが、コース変更をする場合もあります。※歩きやすい靴でおいでください。
 大和朝倉駅前(集合場所)では、弁当を買うお店はありません。必ず事前にお弁当を用意してください。

■参加費  1200円【拝観料300円(石位寺)、資料代含む】

申し込みは 大人の学校の溝口さん(メール)まで hiromi-03.30@kym.biglobe.ne.jp
もしくは   kozaburo@cg8.os-net.ne.jp

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赤坂天王山古墳、このウォークは横穴式石室に入ります。汚れます。覚悟してスラックスやジーンズを用意してください。
今日は一人で入りましたので、自撮りです(笑)
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by koza5555 | 2017-02-02 00:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

サッカーのルーツは蹴鞠

談山神社の社報は「談(かたらい)」という。A4の4ページ。
長岡千尋宮司から、「雑賀さん、かたらいに書いて。一ページまるまる」と昨年の夏ごろに話があった。

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今回の「談(かたらい)」のトップ

最近は一年に2回の発行だが、発行部数が2万5千以上で、これはやりがいがありそうである。
第一回目は、蹴鞠を書くことにした。昨年の9月には東京での講演のおり、お茶の水の日本サッカーミュージアムも見学しており、準備はバッチリである。

こんな文章となった。

談山神社は春と秋、けまり祭を行う。境内の一角に青竹を四隅に立てた鞠(まり)庭でけまりを奉納する祭である。

鞠(まり)を順次蹴り上げ、地面に鞠が落ちると中断となる。演技の連続が面白みで、ラリーが続くと歓声や手拍子の応援も出て、静寂な談山神社はいつになく沸き立つ。一つの鞠を落とさぬように、鞠庭にいる全員が心技を一体にして蹴り続ける。背筋を伸ばした優雅な姿勢で蹴り続けて勝負を競わず、相手が受けやすい鞠を打ち続けることが上手と言われている。
演者の男女は平安時代の貴族のような装束に身を包み、「アリ」「ヤア」「オウ」の三声を掛けあいながら蹴り回す。青壮年は若さの力、老境は円熟の面白みで、年齢、性別に関係なく楽しめる。

今日は蹴鞠の鞠のことを紹介したい。鞠は白く塗り上げられた鹿革製で、中空となっていて、重さはサッカーボールの三分の一ほど、120g程度で整えられている。


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蹴鞠のマリ

この鞠作りをする人に、桜井市の藤田久沙夫さんがいる。
藤田さんは「鞠は二枚の鹿革で作ります。つなぎ合わせた革袋の中に麦を詰めて形を整え、白く塗り、穴から麦を抜きとって中空の鞠に仕上げます」と作り方を説明される。さらに「10年がかりの試行錯誤の末、やっと納得のいくものができました」と古典芸能を支える鞠が作れたこと喜びを語ってくれた。

 藤田さんの作った鞠は、談山神社により、日本サッカー協会に贈られて、東京の「日本サッカーミュージアム」(東京都文京区本郷)、「ボールゲームの歴史」コーナーの一番初めに展示されていて、「寄贈 談山神社 桜井市多武峰」と記されている。
 解説では「古代中国の周の時代(紀元前1100年頃~紀元前256年頃)には、皮を繋ぎ合わせ 毛をつめたボールを使った球技がありました。
この球技はのちに日本にも「蹴鞠」として伝えられ、主に貴族の社交上の遊びとして楽しまれました。蹴鞠とは、革製の鞠を蹴り上げ、地面に落とすことなく蹴る回数を競う遊戯です」と紹介されていて、FIFA(国際サッカー連盟)のプラッター会長が、世界のサッカーの発祥はこの蹴鞠だと宣言したことが紹介されている。

 「蹴鞠がサッカーの始まり」、サッカー協会はそんな展示をしているのである。


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展示の説明。右下に談山神社寄贈の実物のマリが展示されている


『日本書紀』は、「中臣(藤原)鎌足は専横を極める蘇我蝦夷、入鹿の親子の打倒を考え、中大兄皇子(天智天皇)に近づこうと考えた。法興寺(飛鳥寺)の槻の樹の下で皇子が鞠を打つ、そのとき沓が抜け落ち、鎌足が拾った。ひざまずいて差し出す、皇子もひざまずいて受け取った、と記している。
鞠を打つという言い方は微妙だが、「鞠を打つ、沓が抜け落ちる、拾う、差し出す」という一連の動作からは、現在の蹴鞠の姿を感じ取ることができるのではなかろうか。

談山神社の春のけまり祭は4月29日(昭和の日)、秋のけまり祭は11月3日(文化の日)、いずれも神廟拝所西の「けまりの庭」で行われる。

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年に3000円の会費で「談の会」の会員になっていただけると、こんな社報が届き、同伴2名までは入山が無料になるという、年間パスがいただける。とてもお値打ちで、入会をおすすめしたい。
お問い合わせは、談山神社、電話は0744 49 0001である。

by koza5555 | 2017-02-01 00:09 | 桜井・多武峰 | Comments(0)