ブログトップ

奈良・桜井の歴史と社会

koza5555.exblog.jp

<   2017年 08月 ( 6 )   > この月の画像一覧

源信 地獄 極楽への扉 国立奈良博物館

源信 地獄 極楽への扉。源信1000年忌特別展である。

会期は9月3日(日)まで、バタバタと拝見してきた。


恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)(9421017)は奈良で生まれ、比叡山で修行を積んだ平安時代の僧侶です。源信は死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願う、浄土信仰を広めた僧として知られます。『往生要集』(おうじょうようしゅう)などにより源信が示した具体的な死後の世界のイメージは、後世へも多大な影響を及ぼしました。

 本展では地獄絵を含む六道絵(ろくどうえ)や阿弥陀来迎図(あみだらいごうず)といった源信の影響下で生まれた名品が一堂に会します。死後の世界へのイマジネーションを体感していただくとともに、真摯に死と向き合った名僧の足跡をご紹介いたします。(奈良国立博物館HP)

a0237937_10103558.jpg

当麻寺、浄瑠璃寺、宇治の平等院の「迎講」や「阿弥陀来迎図」が源信からとは知っていたが、深く考えが及んでいなかった。極楽とか、極楽への道ということであるが、それを望むが、まずは地獄を徹底してみせるのが『往生要集』である。

a0237937_10094394.jpg

展示は源信、比叡山横川、地獄絵、来迎と極楽という構成で、『往生要集』が絵として示されている。

a0237937_10153919.jpg


阿鼻地獄。熱鉄の地の上に仰むきに寝かせ、 鉗かなばさみで口を挟んで開かせ、 焼けた鉄丸を、 その口の中に入れられる。口・咽喉のどを焼き、 内臓を通って下から出る。七つの大地獄とならびにそれに付属した別の地獄のあらゆる苦しみを一分とすると、 阿鼻地獄の苦しみは、 これらに勝ること一千倍である。 (往生要集現代語訳)

強烈な地獄と極楽を、儀式や絵画で強烈に対比させながらの浄土信仰のありようを『往生要集』をまとめた源信の影響の大きさが存分に感ずることができた。

でも、現世で痛めつけられ、傷つけられる衆生が、何かあの世でも苦しむみたいで・・

これは考えすぎかな・・・それにしても、僕はこちらで阿鼻叫喚する側だろうなあ


a0237937_10102208.jpg

会期は9月3日(日)まで。ぜひぜひ、どうぞ



by koza5555 | 2017-08-27 10:22 | 奈良 | Comments(0)

「近つ飛鳥と古市古墳群をめぐる」バスツアー

12月3日(日)に「奈良まほろばソムリエの会」はNPO法人化の5周年記念バスツアーを行う。

今回のテーマは「近つ飛鳥と古市古墳群をめぐる」。「湖北観音巡礼」、「継体天皇の足跡を辿って」の県外研修に続く、第三弾の県外研修バスツアーは大阪府である。

叡福寺(聖徳太子墓)、近つ飛鳥博物館を拝観・見学、そして誉田八幡宮宝物館を訪れる。

さらに世界遺産への登録を目指して推薦が決まったばかりの百舌鳥・古市古墳群のうち、応神天皇陵古墳、大鳥塚古墳、津堂城山古墳などのホットコーナーをめぐるコースを設定した。

a0237937_11040725.jpg

叡福寺。聖徳太子磯長墓

ご案内は天野末喜先生(奈良大学講師・関西学院大学元講師)。藤井寺市の教育委員会に長く勤務され、当地の遺跡・古墳の発掘・研究に直接タッチされてきた方である。今回のツアーには同行して現地を訪れ、古代日本の文化や技術を探り、日本の歴史を存分に語っていただく。今回も「ソムリエの会ならでは」の充実の特別企画、自信を持ってお勧めする。

a0237937_11030718.jpg

応神陵、航空写真。スマホをかざせば、空からの写真をみせてくれる

a0237937_11024807.jpg

津堂城山古墳、石棺のレプリカ。天野先生のホームグランドである

天野先生と相談して、このコース作りを担当、僕の自信作である。
ぜひ、ご一緒にお出かけいたしませんか。

    

■ 実施日 平成29年12月3日(日)

■ 集合場所と時間

近鉄奈良駅(春日ホテル前)

午前800

JR奈良駅(西口・ホテル日航前)

午前810

■解散時間 近鉄奈良駅にて

1830分頃 

■参加費  昼食つき

会員   7,000

会員以外 8,000

■お申し込みはメールにて

メールアドレス  kozaburo@cg8.so-net.ne.jp

a0237937_11034923.jpg


by koza5555 | 2017-08-18 11:14 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

十津川 小原の大踊り

13日は十津川の大踊り。朝から十津川に入り、谷瀬の吊り橋、玉置神社、玉置山登山、果無(はてなし)を見学して、夕方から小原の盆踊りがおこなわれる第一小学校を訪れてきた。

小原の盆踊りは午後8時から12時まで。桜井からは2時間30分以上かかる。最後まで拝見して、帰れば午前3時・・

a0237937_14201229.jpg

十津川の大踊りは、1974年(昭和49年)に「無形の民俗文化財」の指定を受けた。

十津川は村々で盆踊りがおこなわれているが、小原地区、武蔵地区、西川地区の大踊りが指定されている。

曜日に関係なく、13日は小原、14日は武蔵、15日は西川である。

ヤグラには音頭取り、音は締め太鼓だけで、調子を取っていくようである。

今年も木曽節で始まる。十津川の盆踊りはほとんどが扇子踊りであるが、これは手踊り。

その後は串本節とかの民謡をもとにした「馬鹿踊り」、お杉口説、たばこ口説、天誅おどりなどの「口説き」の踊りが続けらる。

a0237937_14193113.jpg

これは天誅おどり。天誅組に絡んだ十津川の物語。少女のお話である。二人で向かい合った珍しい踊り。男女のことか、あるいは切り違えの姿か

10時、過ぎに「次は大踊り」と告げられ休憩に。

ヤグラに向かって太鼓を持ち、ばちを持った男たち。その後ろには女性が扇をもって並び、竹笹の吊り灯篭が4本(白赤緑の3色の紙を切った美しいもの)並ぶ。

a0237937_14201229.jpg

初めはゆったりと足踏みするような踊りである。「元歌」といわれる。

太鼓うちは、白・赤・緑の房の付いたバチで抱えた締め太鼓をたたく。


後半はヤグラの周りが一転する。太鼓は太鼓持ちがもち、激しく太鼓が叩かれる。

踊り子はヤグラを取り囲み、頭上で扇を振り、灯篭もちが外周を走り回る。

a0237937_14195600.jpg

民謡や口説きの時とは、ガラッと異なる激しい乱舞である。

これが大踊り、これが無形文化財に指定されている。

風流踊りの流れを引くといわれる。美しい大きな灯篭を作り、みんなが飾り立て、激しく太鼓をたたき、音頭取りもここぞとばかりに歌い上げていく。

素晴らしいの一言に尽きる。糸井神社のなもで踊りの絵馬を見たばかりだが、あの絵が彩色されて、音付きの動画に代わったとみても、言い過ぎではないだろう。

近世、盆地内で廃れた風流踊りは、こんな形で十津川に残っているんだろうなと感動する。


盆踊りは大踊りの後、数曲を踊って、最後はお決まりの「伊勢音頭」で、終了した。

a0237937_14194517.jpg

小原盆踊り、8月になると奇数日に練習、7日盆は休んで8日にからは毎日練習、12日に休んで13日に開催という日程とのこと。

今日、15日は武蔵、明日の16日は西川で開催される。

実施の主体はそれぞれ、小原踊保存会、武蔵踊保存会、西川大踊保存会となっている。

朝から十津川を訪れた。はじめは谷瀬

a0237937_14325996.jpg

谷瀬の吊り橋。高さ54m、長さ297m。

a0237937_14331283.jpg
世界文化遺産、中辺路・・果無の集落
「雲を踏み嵐を攀て御熊野の果無し山の果も見しかな」『 南山踏雲録』伴林光平である



by koza5555 | 2017-08-14 14:48 | 奈良 | Comments(0)

上ツ道・上街道を歩いてみよう

上つ道・上街道 (丹波市から桜井の札ノ辻まで)というテーマでお話をする。3年目に入ったエルトのカルチャーセンタ―、「おもしろ歴史講座」である。

エルトの改装で、このカルチャーもあと二回だけ。

今回は「上街道」、最終回は「山の辺の道」と決めている。

a0237937_19542822.jpg

9月1日(金)は、上街道、桜井の札ノ辻から話を始める。

桜井は中世から有数の交通の要衝地。全国的な経済人を輩出していることからお話を始めたい。

江戸の魚河岸は日本橋である。大正12年に築地に魚市場が移るまで、こちらが江戸と東京の魚市場だった。この魚市場は「和州桜井村の大和屋助五郎が魚商として市場を開いた(生け簀が人気に)」と『東京市史稿』に紹介されているのである。

「種々活鯛場を設け、広くこの地方(静岡県)の魚類を引き受け、売りさばきしが、ついで問屋の業を営む者を増やし、ついに本船町横店安針町に市場を開くに至り・・」で、これが元和2年(1616年のこと)とのことである。大阪夏の陣の直後である。


さらに同じころに江戸に入った桜井の車力がおり、その4代後の子孫が、江戸の豪商、奈良屋茂左衛門(もざえもん)。(?~1714)であるとされている。紀伊国屋文左衛門と張り合った豪商である。

太和屋助五郎は魚、奈良屋茂左衛門は材木、桜井が生んだ、痛快な偉人だろう。

a0237937_19552053.jpg
     桜井の札ノ辻跡、魚市場跡でもある

んな話から始めて、

桜井市札ノ辻、粟殿、三輪恵比須神社、三輪宿、桜井埋蔵文化財センター、芝村の織田藩、箸中と箸墓古墳、五智堂、大和神社のちゃんちゃん祭り、朝日観音と隔夜僧、青板橋と丹波市の市座神社などをお話しする。

a0237937_19520986.jpg
   長岳寺五智堂 。昔は板が張られており、旅人が休めたようである。

確実に楽しんでいただける。おいでいただきたい。

午後7時から、桜井市の駅前、南都銀行の二階のエルトにて。参加希望の方はメール、メッセンジャーで、直接ご連絡お願いします。

  メールアドレスは   kozaburo@cg8.so-net.ne.jp

a0237937_20015859.jpg
    こんなお話もいたします。芝村ですもの、織田藩です。


by koza5555 | 2017-08-10 20:11 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

山田寺跡

a0237937_15310759.jpg
山田寺の遺跡の草はきれいに刈られている。山田の大字の区長さんに聞いたら、「国に頼まれて刈っている。一年に何度も刈るよ」と言われた。「平らなところも多いので、四輪の芝刈り機も買った」とのことである。
それを小学校の孫が聞いて、「遺跡を守るために、みんなががんばっているんだ」と山田寺の遺跡を壁新聞に書くことを思いついた。

山田寺の跡地からは五重塔と金堂の跡が発掘されている。金銅の風招(大きな鈴)や鴟尾(しび)が発見されている。

さらにその後の調査で、回廊が土に埋もれた昔のままの状態で残っていることが分かり、古代建築の貴重な資料となった。

a0237937_15142612.jpg

東回廊は屋根付きの廊下で、87mもあり、中央には扉口もあった。この一部が東から西に向かって倒れ、土の下に埋まっていた。このため部材の保存状態はとても良かった。部材は柱、連子(れんじ)、大斗などが、完全に近い状態で発見された。日本で一番古い建物の姿がわかる世紀の大発見である。


山田寺の建物の配置は南から、南大門、五重塔、金堂、講堂となっている。そして五重塔と金堂は回廊というものに守られている。講堂は回廊の北側で回廊の外にある。

そして
金堂の中には丈六の仏像が祀られていた。白鳳時代に作られた、この仏像は奈良の興福寺に移されて、その後火事で体が溶けてしまった。残った頭部は布に包まれて500年もお堂の下に保管されていた。それが近代に発見されて、いまは国宝になって大事にされている。
a0237937_15144682.jpg
飛鳥資料館にもそのレプリカが展示されている。

山田寺は大化の改新に参加した石川麻呂が建て始めた寺院である。このころ各豪族がさかんに立てはじめ氏寺という寺院である。石川麻呂は曽我入鹿のいとこだが、曽我入鹿を殺害したクーデターに加わり、右大臣委任ぜられたが、その後、反乱の疑いが晴れ、皇室の援助で造営が続けられ、7世紀後半に完成したている。


こんなことを小学生のユキト君が一所懸命書いている。僕は遠くから見学するだけだ。
a0237937_15284068.jpg

最後の付録に山田の村で見かけたかんぴょう干し・・おいしいだろうなあ
a0237937_15150036.jpg



by koza5555 | 2017-08-08 15:34 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

大碓命と猿投神社

猿投神社(愛知県豊田市)に参拝。古事記ツアーの成功を祈ってきた。

御祭神は大碓命である。景行天皇の第一皇子で小碓命と双生児の兄である。

a0237937_11372150.jpg

①古事記によると、大碓命は小碓命(ヤマトタケル)にみじめに殺されてしまう。

②日本書紀の話はそれと異なる。東国攻めを命令されたが、恐れて従わなかったため、美濃国を任地とされ、美濃に下らされたとされる。

③皇后である播磨イナビ(印南)ノオオイラツメを母として、大碓、小碓は双子として生まれた。双生児は兄を育てないという慣習があったが、イラツメが大碓を隠して守り育てたという説話が残されている。大碓命を殺したとか、美濃に追いやったという話は、この双生児に絡んでの説話かとも思える。

併せて、双生児はどちらかが左利きという伝承も残されている。

この、大碓命の生涯がとても気になるのである。

この大碓命を祭神とする猿投神社が、愛知県豊田市猿投(昔は西加茂郡猿投町)に鎮座することを初めて知った。

40年も前に猿投神社経由で猿投山に登ったことがある。その猿投神社である。

大碓命は東征の命に服さなかった為に、美濃国に封ぜられる。命は三野国造の祖神の二人の娘を妃とせられ、二皇子(押黒兄彦王、押黒弟彦王)をもうけられたとされる。

ちなみにこの押黒彦王が牟宣都君(むげつのきみ 武儀郡)の祖先となった。

猿投神社の社殿によれば、大碓命は「猿投山山中にて蛇毒のために薨(こう)ずる。すなわち山中に斂葬(れんそう)し奉る」とされている。

古事記には記された、「兄の手足を切り、コモにくるんで投げ捨てた」と答えたヤマトタケルの乱暴ぶりは無かったと考えようという論も古代からあったということである。

猿投神社には絵馬のように鎌がいっぱい掛けられていた。大きな、そしてそれが鉄製などで、「左鎌」とあった。

古来より左鎌を奉納して祈願する特殊な信仰がある。その由来については記録がないので判然としないが、古老の言い伝えによれば、双生児は一方が左遣い(左利き)の名手であると言う。祭神・大碓命は小碓命(日本武尊)とは双生児であるので人々が命(大碓命)左遣いであらせられ、当時左鎌を用いてこの地方を開拓せられた神徳を慕って所願の成就を祈るときに左鎌を奉納する。

職場安全・交通祈願を会社関係者に祈られおり、そのときに左鎌が奉納されるようになったという。

a0237937_11353483.jpg

奉納された左鎌。さすが豊田市、トヨタをはじめトヨタ系列会社や職場のオンパレードである。ペラペラなブリキ板みたいなものではない厚くて重い鉄製・・である。

a0237937_11383388.jpg

拝殿前の欄干には親子猿の彫り物・・猿投神社である

a0237937_11361826.jpg

神社から歩いて70分。西宮

a0237937_11363516.jpg
a0237937_11355616.jpg
大碓命墓。宮内庁の管理であるが、「朝一番に参られた方は、下のペットボトルの水を花差しに注いでください」とある。僕も注がせていただいた。

大碓命はヤマトタケルの陰に隠れてしまうけど、なかなかいい男なんだ…

a0237937_11360601.jpg
素晴らしい境内、猿投神社



by koza5555 | 2017-08-04 12:28 | 万葉の旅 | Comments(0)