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奈良・桜井の歴史と社会

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粟、清澄の里

僕の誕生日は30日だった。
30日あたりは日程がいかにも込み合っていた。
「どこへ行く?」とあっちゃんから声がかかる。
「粟 清澄の里に行きたい」ということになり、2日に行ってきた。
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粟 清澄の里

先日、まほろばソムリエの会の総会で春日大社の岡本彰夫権宮司の講演を聴いた。

「粟」の三浦さんを激賞した。
その人柄に惚れて、春日年中神供材料品目一覧を見せたほどだ。

「粟」は奈良伝統野菜を提供しようと力を入れている。栽培が困難で、収量も低い、土地を変えたら本当の伝統野菜と言えるかという問題があるが、それを取り組んでいる。
その例として、十津川の粟を紹介された。十津川の粟に「むこだまし」があった。剥くと白い。搗くとおいしい。入り婿さんに「これはコメの餅」とだませるほどのもので、「むこだまし」という。
三浦さんはこの「むこだまし」を復活させた。頂いてきた納屋の隅の一握りの粟から復活させた。

さらにこの粟を使い、粟成(あわなり)を作った。春日大社で皇族に食べていただいたこともあるという。

そんなことから、粟、清澄の里を今年の誕生日に選び、2日に行ってきた。

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先付

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煮物

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陶板焼き

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トマト盛り合わせ?

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舞鶴のサクラ干し
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ごはん
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デザート

おいしかった。
圧倒的な野菜、60種だった。
少し書くと、料理にダブりを感じた。
デザートに粟成(あわなり)とショートケーキというのはいかがか。打ち消しあっていると思うのは、僕だけか。

粟、清住の里、ミシュランの星である。
前日までの予約が必要である。
# by koza5555 | 2012-08-03 00:04 | | Comments(4)

御破裂山

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御破裂山のことである。
桜井市民にとっては、三輪山や音羽山と並んで毎朝、毎夕眺める景色である。

僕の所属する民生・児童委員の協議会は3ケ月に一度、特別養護老人ホーム、「大和桜井園」で清掃奉仕を行う。

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今回の清掃は男女別々の仕事で、男がガラス窓の外側、女性がベッドのシーツ替えとなった。
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日ごろから園はきれいにしており、少々拭いたからといっても、あまり掃除の達成感は感じられない。
だから、園にとってどれだけの効果があるかは不明であるが、特養の現場を見学するという点では、民生委員にとってはそれなりの意義がある。

入園前から相談してきた方に会えたりもするし、老い先を考えたり介護を考えたりで、僕らにとっても、それなりに満足できるボランティアである。

ところで、この大和桜井園、場所は安倍文殊院の南側に当たる。
そしてベランダから南方を見ると談山神社を囲む御破裂山が目の前にクッキリと見える。

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右側の鶏のトサカのような、ちょっと切り立った森、これが御破裂山の頂上である。
地元の方は子どもの時からこの山容を毎日見て育つ。
北海道土産の「熊の置物の背中のラインだ」という意見も多く、「トサカ?いやあれは熊の耳」とおっしゃる。

いずれにしても、熊の耳であれ、トサカであれ、そこが藤原鎌足公の多武峰墓である。
いわゆる多武峰の鳴動もこの鎌足公の多武峰墓を中心に光が発せられ、大地が鳴動したとのことである。

唐から帰国した定慧(じょうえ、鎌足公長男)和尚が、すでに摂津国島下郡阿威(あい)山に葬られていた父の遺骸を、父の遺言のまま多武峰に改葬したとのことである(多武峰縁起による)。
多武峰の鳴動は鎌足公の怒りだから、特別の力があったというものである。

山の名前も「御破裂山」だから、おどろおどろしい。
# by koza5555 | 2012-08-02 00:11 | 桜井・多武峰 | Comments(2)

花火の撮影

おんぱら祭(御祓祭)

おんぱら祭、桜井でも安陪あたりまで来ると、「花火大会」である。

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花火をじっくり見ていただこう。

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後景は三輪山である。

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これは昨年のものである。今年はいた場所が悪くて横から見てしまった。

一応、花火撮りの工夫はある。
僕の撮り方は
カメラは一眼レフ、三脚が必須である。
まずシャッタースピードをオートをかけたまま30秒くらいにする。
適当な花火をターゲットにシャッターを切る。
レンズを手で覆い、次の花火が開くのを待つ。
撮りたい花火の時だけ、覆っている手を外す。
またレンズを手で覆う。
30秒経つと狙った花火が映っているという、そんな具合である。

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おんぱら祭りは大神神社摂社、祓戸社である綱越(つなこし)神社の祭祀である。
桜井では年間を通しての一番のお祭り。

午前10時からの祭祀では、神馬と人の茅の輪くぐりがある。
「水無月(みなづき)の夏越(なごし)の祓(はらえ)する人は
千歳(ちとせ)の命 延(の)ぶといふなり」の古歌を唱えながらくぐる茅の輪をくぐる。

総じて、奈良の祭祀は夏の備えに重点があるというのが僕の感想である。
古代から人口の密集、盆地の閉塞性、夏の暑さなどにより、夏季の疾病が厳しかったという見方はないだろうか。
# by koza5555 | 2012-08-01 00:07 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

古事記編纂 1300年の切手

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古事記編纂 1300年の切手

「古事記の1300年―日本の一番古い年代記」という特殊切手が、7月20日から発売されている。

この切手を郵便事業会社が荒井正吾奈良県知事に贈呈したという新聞報道(奈良新聞7月28日付)をみて、あわてて買ってきた。

「切手はどんな話題性があるものでも定価以上のものは買わない」が我が家の申し合わせ(?)であるが、これは80円切手10枚のシートが800円で問題はない。

何気に手に取ったが美しい。

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実質は4枚がセットになっている。

ニニギ命の妻、木花の佐久夜姫(コノハナノサクヤヒメ)。
天皇命等(すめらみことたち)の寿命が有限となる始めと古事記には書かれる。

ヤマトタケルも取り上げられている。
「火退(ほそけ)」である。小碓命(ヤマトタケル)が向火(むかひび)で火を撃退する図である。
以上の2枚は堂本印象によるものである。

あとの2枚は出雲の八重垣神社に収蔵される板絵から取られている。
一枚はスサノオ尊
あとの一枚は稲田姫命

全体の取り合わせも絶妙で、美しく、ほれぼれする。

2シート買ったのみであるが、大切な手紙に貼られて全国に旅立つことになる。
# by koza5555 | 2012-07-31 00:05 | 奈良 | Comments(0)

桜井市夏季大学

今年の桜井夏季大学は51回目である。
40年も前に義父も参加したという桜井市夏季大学に、今年も受講の申し込みをする。

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会場は毎年、大神神社の大礼記念館である。

上田正昭先生や和田萃先生の講演をここで初めて僕は聞いた。

お話は、本と比べるとていねいな所もあるが、アウトライン的な話もあってその落差に少し驚いたりした記憶もある。
しかし、生で聞く話は迫力もあるし、説得力もある。何よりも楽しい。

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今年の講師は白石太一郎近つ飛鳥博物館館長と帝塚山大学考古学研究所の甲斐弓子研究員である。
演題はそれぞれ「桜井市周辺の初期大王墓をめぐって」と「国際繁栄の視点から見た古代初瀬川周辺 古事記の中の桜井」である。

「こんな話かな」という素人判断が、見事に打ち破られるような壮大の転回、展開の講演になることを期待して、楽しみに待ちたい。

8月26日(日)、大神神社の大礼記念館で一日かけて行われる。

申し込みの期日は8月16日、先着250名である。
昼食代を含めてで、2000円である。

申し込み先。
633-0063
桜井市川合260-2(桜井市教育会館内)電話は0744-42-7530
氏名、住所、性別、年齢、電話番号、「桜井市夏季大学参加希望」と書き込んで申し込む。
代金は当日である。
# by koza5555 | 2012-07-30 05:43 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

ロンドンのなでしこを八咫烏が応援

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サッカー協会のシンボルマークは三本足の八咫烏である。歴史は古く1931年(昭和6年)からである。

古事記には、神武天皇の東征の時、熊野から大和へ入るときに道案内したのが八咫烏(やたがらす)と記されている。
この八咫烏を祀る神社が宇陀市榛原高塚の八咫烏神社である。
この境内には、ワールドカップの日韓大会の時に、寄贈された独特の八咫烏の石像があり、神武以来の歴史を誇ると同時に、日本サッカーの守り神とういう現世に直結する御利益がある。


さて、ロンドンオリンピックでの日本のサッカーは男女とも大活躍である。
28日、女子サッカーは予選リーグでスウェーデンと対戦した。

あまりテレビを観ないが、「サッカー見よ、なでしこ見たい」とのあっちゃんの提案で、見ることとなった。

この観戦は力が入った。
サッカーは攻守の移り変わりが目まぐるしく、観戦も油断ができない。

結果的には引き分けであった。
勝ちたいという思いがしっかりと」現れていて、いい試合だったと思う。
引き分けとなり勝敗なしであるが、日本女子サッカーチームはシュートが積極的で、ここが好印象である。

あっちゃんはヘッディングに合わせて頭を振るわ、シュートに合わせて足をバタバタ振るわで、ほんま、選手になりきって元気に観戦した。

日本サッカーチームのさらなる飛躍を期待する。


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八咫烏神社から伊那佐山を見て
# by koza5555 | 2012-07-29 00:08 | 宇陀 | Comments(2)

防人が歩いた路

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毎日の歩数を入れると、人形が日本地図の上をすすんでいくという仕掛けである。
日本一周歩こう会というバーチャルウォーキング「団体」である。

「北海道に入った」とか「津波被害地帯を歩いている」などと書いたことがあるが、とうとう箱根の山にさしかかり、地図の上でも奈良が見えてきた。
10月が来ると3年がかりという話で、我ながら根気がいいことであった。

一気に箱根を下れば、もう気持ちは奈良にまっしぐらというところであろうか。

今朝は万葉集を考えた。
防人である。
東国の防人は難波津までは歩いた。難波津で乗船、瀬戸内海を船で渡ったとある。

いまは駿河の国である。
水鳥の 立ちの急ぎに 父母に 物言(ものい)わず来(け)にて 今ぞ悔しき 
                    (巻20-4337)

詠人は不明だが、出した人は駿河の国の防人部領使守(さきもりぶりょうしかみ)と判っている。


もう少し先まで見てみると、奈良を越えて難波津を出港をするときの歌もある。

難波津を 漕ぎ出でて見れば 神さぶる 生駒高嶺に 雲そたなびく
                    (巻20-4380)防人

これらの歌はいずれも天平勝宝七年(755年)の歌である。
防人は奈良の都に立ち寄ったのだろうか。752年に開眼した東大寺大仏を見ることはあったのだろうか。

さ、そんなことも思いながら、あと600キロ、僕の歩数なら3カ月はかかる。
健康を考えながら、毎日着実に歩いて行こう。

日本一周歩こう会  けっこうおもしろい。
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# by koza5555 | 2012-07-28 06:23 | 健康 | Comments(0)

施基(志貴)皇子と紀橡姫(きのとちひめ)

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紀橡姫(きのとちひめ)、吉隠陵(よなばりのみささぎ)は鳥見山登山道(浄水場の手前)から入る。

鳥見山への道をしばらく登ると三叉路があり標識が整備されている。
榛原駅から鳥見山への登山道(歩行)は、警察署からまっすぐ北に上がるが、これとは別のいわば、西側登山道というべき道である。

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山腹を巻くように進むと小さい谷を渡り、さらに小さな尾根を越えると紀橡姫(きのとちひめ)、吉隠陵(よなばりのみささぎ)である。

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ここは7年も前にあっちゃんと来た事がある。
ここに来たのは早かったが、鳥見山も判らず、志貴皇子も判らない頃のことである。
木イチゴが密植しているとのあっちゃんの情報にもとづいての登山であったが、植生が変わってほとんど見かけなかったことを覚えている。
だから、写真もない。碑も見ていない。

写真が欲しいが、とにかく山の中である。山の上である。
26日の猛暑、一人で上ってきた。

紀橡姫(きのとちひめ)は光仁天皇の母で、志貴皇子(しきのみこ)の妃である。
771年、死後であるが皇太后の尊号が贈られ、その墓を山陵と言え、規則通りに斎(食事)も供せよと勅が出ている(続日本紀)。

ここで、本居宣長である。
明和9年(1772年)、春、榛原のあぶらやを出発した本居宣長一行は西峠を越えて吉隠に至る。

本居宣長は、光仁天皇の母である紀橡姫(きのとちひめ)の吉隠陵のことを尋ねるが、反応はなく「くちおしい」と嘆いた。
現在の「光仁天皇御母、春日宮天皇妃 贈皇太后吉隠陵」のことである。明治時代に紀橡姫吉隠陵と治定された。


国道165号の角柄(つのがわら)から直登する道が正面の道であるが、これは荒れ果てていた。
倒木も何ヶ所もあり、道は笹で覆われたりしている。宮内庁も今は角柄などから登ることはなく、鳥見山コースを利用していると思われる。

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250段ほどの素晴らしい石の階段は角柄からの道である。

初瀬谷から宇陀に入るにあたって、吉隠のことやこの陵、いずれも忘れることはできない。



西峠、角柄(つのがわら)などという山里を過ぎて吉隠に至る。
ここは古き書どもにも見えたる所にしあれば。心とどめて見つつ行く。
猪養の岡。また御陵などの事。(万葉歌に吉隠のいかいの岡、光仁天皇の御母の陵。
かごかける男に問うが、知らず。里人に尋ねるも、すべて知らぬので悔しい。(菅笠日記意訳)
# by koza5555 | 2012-07-27 06:33 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

ふれあいいきいきサロン

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ふれあいいきいきサロン。健康体操、北国の春
「ふれあいいきいきサロン」を開催した。
町の75歳以上の高齢者全員に呼びかける集いである。
社会福祉協議会の仕事を町で分担している「地域福祉委員」がそのお誘いや運営を担当する。

一人一人の高齢者を訪ね、お話し、誘う活動である。
サロンの運営では、お菓子やお茶の準備、弁当の支度などで汗だくである。
弁当も煮物がタップリ入った「茶色」の弁当で、高齢者の嗜好に合うように工夫していただいている。
高齢者世帯の実態調査は僕がすすめて、資料を持つが、四人の福祉委員の方が、リアルタイムで地域の状況をつかんで見える。
頼もしい御婦人方である。

「ふれあいいきいきサロン」は、日常的に開いていることを趣旨としているが、それはなかなか難しい。僕の地域では、時期を決め、テーマを設定して開催している。

今回のふれあいサロンは、「健康教室を兼ねた懇談と昼食会、そしてカラオケ歌い放題」という企画である。

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健康診断。看護師との会話も楽しい
夏場らしく、食中毒のことを包括支援センターの協力で勉強した。
よく整理されたお話で、いろいろ思い当たる節もある訳で、70代、80代、90代の方が熱心に勉強する。

いつもの「北国の春」の健康体操をして、こころゆくまでの懇談である。
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北国の春、健康体操
カラオケも思う存分歌えて、みなさん、晴れ晴れとお帰りになった。
# by koza5555 | 2012-07-26 06:26 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(0)

宇陀で古事記

「宇陀で古事記」というバスツアーを案内することになった。
12月の予定だから、まだ先の先である。

コースは決定済みである。

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墨坂神社、8月の火祭り(2011年8月3日)
どのみちボランティアみたいなものであるので、12月まで、僕自身が徹底的に宇陀を楽しむことにしたい。

神社・仏閣を歴史として学び、本殿、拝殿の建築物、歌碑などを語ることはできると思う。
しかし、鳥居を仰ぎ、境内に立ち語る時、もう少し語ることがあるのではと思うのも自然である。
今この神社とつながっている人々をナマで語りたい。いま神社とともに生きる人々の祭祀を語りたい、そんな思いである。

だから伝承とか、伝説なども知りたい。
そのためには行事や祭祀に参加して、宇陀の各社の例大祭、お渡りなど丹念に見ることを今年の楽しみにしたい。
こうした行事を通して、その地での神社の悠久の歴史を感じ取れればすばらしい。


墨坂神社は11月2日(水)の宵宮祭、11月3日(木)秋季大祭のお渡りが大切である。
しかし、これは談山神社の落慶大祭と重なるなア・・・

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八咫烏神社の例祭は11月3日である。午後6時から宇陀で一番の御供まきというのが自慢である。
それもあるけど、この神社の宮司さまにきちんとご挨拶をして、お話ししたいことがたくさんありますし。

宇太水分神社(中社=菟田野区)の10月21日の 秋の例祭は必ず行きたい。
お渡りは惣社水分神社の出発が午前8時半。中社での祭祀が10時から15時ということである。

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阿紀神社の6月16日の蛍能は参加させていただいた。今年はあいにくの雨で、演能はホールで行われ、蛍は籠から出なかったが…

宇賀神社もある。
菟田野の宇賀志の宇賀神社は、神武天皇軍に殺された兄猾(えうかし)を祀る。
土地では、弟猾(おとうかし)の「裏切り」により殺された兄猾(えうかし)こそ、郷土を守った英雄として崇敬されているという。
戦前など、この考えはどうしていたんだろう。土地の方に聞きたいものである。
こんなことまで意識したのだから、この神社の秋の例大祭は必見だろう。

今年の秋は忙しいがむちゃくちゃ楽しそうである。
# by koza5555 | 2012-07-25 06:29 | 奈良 | Comments(2)

高市皇子と長屋王。青木廃寺をめぐって

桜井市の橋本(桜井市の西南にあり橿原市に接している)に青木廃寺跡がある。
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青木廃寺へ向かう道

23日はこの青木廃寺跡に置かれている泥掛地蔵会である。
自分の痛むところ、治したいところに合わせて、このお地蔵さんに泥を塗りつけると、治るという信心である。

「子どもが集まっていた祭」として聞いたことがあり、先日訪れた時に、村の入り口で佇んでいる三人のおばあちゃんに、「24日の地蔵会の宵祭として23日、3時から祭りがある」と聞いていたのである。
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   泥掛け地蔵石柱。昭和のものである

この泥掛地蔵、実は青木廃寺跡に祀られている。

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   青木廃寺跡 

青木山の山懐にある。
「創建当時の瓦が出土している。この寺は奈良時代の悲劇の宰相だった長屋王が、父高市皇子の冥福を祈って建てたと大脇潔氏(奈良国立文化財研究所 飛鳥藤原宮跡発掘調査部、現近畿大学文芸学部教授)が考証した。
創建当初の瓦は、平城京内の長屋王邸跡で集中的に出土した瓦と同笵である」(桜井市教育委員会)。

こんな山の中に?とは思うが、吉備池廃寺跡からみると500m程度しか離れていない。
6世紀から9世紀にかけて、ここら辺りはけっこうな賑わい?だったのか。

さて、泥掛地蔵だが・・・
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困ったことに、シーンとしている。
誰もいない。

降りてきて確かめると2時からだったという事であった。
でも、3時に誰もいないのは変だと思うが…
無理をしてはいけないと考え帰宅したが、キツネにつままれたような気持ちである。

お地蔵さんに「元気にまた来なさい」と言われたと考え、来年の楽しみにすることにした。
お地蔵さんの胸のあたりに、「ここが心臓ですか?」と言いながら、少し泥を付けさせていただいたが…
# by koza5555 | 2012-07-24 06:09 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

ヤフージオシティーズとエキサイトブログ

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僕の好きな三輪山の朝陽

ヤフーのブログを失ってしまった。
再開にあたり考えた。

ヤフージオシティーズのブログには、制約が多い。

一回のアップは2000字まで。
写真は一枚だけ。何枚も載せたようなブログを書いたが、写真ソフトで合成していた。
画像のサイズの指定があり、横幅で250ピクセル。
カウンターはページビューだけで中身を確かめる術がない。
ブログのアップはテキスト投稿が基本で、htmlの投稿にすると書式が全部壊れてしまうという問題がある。したがって本文内に一つのリンクを張っても、文章の体裁を整えるための大きな労力がいる。

「初心者向けですよ、複雑なことはできませんよ」というヤフージオシティーズと5年間付き合ってきたことになる。

昨秋に検討して、試験版を作ったエキサイトブログは、ジオシティーズの問題が全部対応されている。
乗り換えることにした。
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談山神社の蹴鞠祭

エキサイトブログを10日余り書いて、わかったことがある。
アクセス分析が読める。

パソコンの訪問者数とアクセス数が示される。
何人が見た、何ページがめくられたかということである。
驚いたことはスマホと携帯での閲覧の比重が高いということであった。

パソコンだけで書き、パソコンだけで読んできた。
N先生には携帯で読んでいただいていることは知っていたが、みなさんも携帯で見ているんだ。

入院先で、自分でも携帯で見てみた。観にくい。
まずは字数である。
やはり500字くらいだろう。
写真も3枚くらいまで
知った顔でなんでもかんでも書きこまなくても、ポイントが書かれれば、楽しんでもらえる。
新聞ならサラッと読める一記事で12段50行ぐらいだろうか。

そんな反省をしながらも、またドンドン長くなるのだが・・・
# by koza5555 | 2012-07-23 06:13 | パソコン・インターネット | Comments(2)

介護保険、高齢者医療

ヤフーの方でアップしたものであったが、高齢者部会の講習会の記事が今はない。
必要がありリクエストがあったので、再アップさせていただく。

民生委員は地域からの推薦によって選任されるが、法にもとづき、住民の立場になって相談し、必要な援助を行い、社会福祉の増進に努めることが任務とされている。

日常的には校区ごとの民生児童委員協議会に属し、活動の交流を行いながら責任地域での役割を果たしている。

それとは別に各民生委員は部会に属し、ここで学習、研鑽に努め、スキルアップ、当事者能力の向上を図っている。

いくつかの部会があるが、僕の所属は「高齢者福祉部会」である。
昨日、この研修会が開かれた。

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テーマは「高齢者をめぐるさまざまな課題(正式な題はなし)」、講師は桜井市社会福祉協議会の樋口さんである。


桜井市の人口動態などの説明がある。これはどこでも報道されていることで、ことさら触れることはない。

次に介護保険についてのおさらいがあった。
介護保険、ご存じだと思うが、今日は僕もここでおさらいしておこう。

この制度も、もう12年になる。
訪問看護、通所サービス、入所施設のサービスを統一的に行う。
費用は本人が負担する保険と国・県・市町村も負担するという制度である。

まず役所の高齢福祉課に家族などが相談に行く、申請を行うことである。そこから始まる。
訪問調査があり、医師の意見書、一次判定(コンピューターで自動的に)、二次判定(審査)が行われる。

要支援とか要介護などの判定により、介護サービスの金額が決まる仕組みである。
要支援の1なら5万円ほど、最高の要介護5なら36万円ほどが保険で支払われる。
そのうち一割は本人負担である。
その範囲でケアマネージャーがサービスを組み立ててくれる。

最後に樋口さんが触れていたこと。
「介護認定のことや介護で困った時は、地域包括支援センターに『何か方法はないか』と相談することが、一番」と強調していた。
そして、全国どこの地域にも対応する「地域包括センター」は置かれている。


樋口さんの話は、きわめて端的、直接的で、かつ現場的である。
いくつかは誤解が生じそうな言い回しで、高齢者医療や介護施策の問題を直球で解き明かす。
気になるところもあったが、高齢者福祉、地域福祉に思いがこもったお話しだった。
それらを総合的に勘案して・・・まずは楽しく、勉強できた。


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# by koza5555 | 2012-07-22 06:33 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(0)

邪馬台国をとらえなおす

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入院である。家を出るとき見渡すとこの本があった。
病院では新書版以上のものは読めない。とにかく片手で持てなくては話にならない。
入院の時の読書は司馬遼太郎の「街道を行く」に決めていたが、今回は本を読めるのはおそらく一日だけだろう。

「邪馬台国をとらえなおす」明治大学名誉教授 大塚初重  講談社現代新書である。

僕は総じて、「邪馬台国」論争は避けて通ってきた。
僕は松本清張から始まったから、長く九州説(きちんと勉強したわけではない)だった。

「欠史8代は九州にあり」と考え、各宮址を研究している古田武彦氏の弟子のような友人もいるが、そんな意見も楽しく聞きながら暮らしてきた。

「邪馬台国論争なるものは、江戸時代の新井白石、本居宣長の頃から現今まで延々と300年続いている」「その主要な論題は位置論であり、畿内説と九州説とに分かれて論陣が張られている」と大塚先生は後書きで述べている。

新井白石を大和説、本居宣長を九州説という仕分けもあるだろうが、それぞれの意見もそんな単純なものではないと聞いている。

結局あとがきで、結論がないということを言っている。

で、この本で
「魏志倭人伝」をキチンと読み直すことができた。
邪馬台国成立前夜―東アジアの激動と倭国の大乱の関係、解明がとても判りやすい。
180年代に卑弥呼共立、247年卑弥呼死すである。邪馬台国の中心はこの世紀、年代にある。

大塚先生は、これに先駆けるかのように、合わせるかのように、二世紀後半から三世紀前半期にかけて、東国各地の日本海沿岸地域と、太平洋岸の広汎な地域内で、土器が激しく移動していることをどうとらえるべきかという問題提起をしている。

これが結論に至るまでのモチーフである。

言うならば、邪馬台国の成立前夜に東国の激しい交流、動きがある中で、九州に邪馬台国ができ、それが国の中心になるということは地政学的にありえなという論旨であろうか。

発掘に基づく諸要素の分析はていねいである。
鉄器なら九州説有利、鏡なら畿内、大和が有利。

箸墓が発掘できない限り、卑弥呼の墓との検証は困難である。
纏向遺跡は邪馬台国の宮殿跡だろうか。4つの建物の周囲をもっと広く掘り続けることなどを強調されている。
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纏向遺跡、巨大建物群の発掘現場説明会

三角縁神獣鏡は「魏志倭人伝」の鏡とは言えない。韻が踏まれない漢文が書かれていて中国で作ったものとは言えず、楽浪郡から持ち込まれたものではないかとの見解も述べられる。「魏志倭人伝の100枚の鏡は」はいずこか、ですね。


こういう地政学的な解明というのは僕は好きだ。
考古学的な発見によって、それが裏付けられる日が来ることを切に期待する。
もちろん、僕は邪馬台国、纏向説である。大和政権に直結していく政権と単純に見ている。
# by koza5555 | 2012-07-21 13:50 | 邪馬台国(やまとこく) | Comments(0)

小福利餅(こうごりもち)   春日大社岡本彰夫権宮司の講演

入院前に奈良まほろばソムリエの会での春日大社岡本彰夫権宮司の講演を紹介した。
最後の結論の一つに、岡本さんは二つの古いお菓子を復活させたことを喜ばれた。
一つは桜井の黒崎の饅頭であるが、いま一つが僕はきちんと聞き取っていなかった。

「こうーむい」(?)などといい加減に書いたが、奈良のOさんから情報をいただいた。

何新聞の何日付かが不明であるが、明日にも図書館で確かめるようにしたい。


こうごり餅である。子福利餅とのことである。
お詫びして訂正する。
この新聞には岡本さんのお話が正確に紹介されている。

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# by koza5555 | 2012-07-20 19:25 | | Comments(1)

天理 高井病院

また高井病院のお世話になることになった。

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「頭がくらくらするから、ふらつかない薬ください」と信頼するN先生にお願いした。
ナカ先生は黙って脈をとり、「心電図を取ろう」とプロの判断。
簡単に診断は出て、「高井病院に行こう」ということとなった。

高井病院では、あれこれの検査と話し合いはあったが、アブレーション、焼灼をやることとなった。

今回は「左心房に漏れ出る電流が細動を起こしている。この細動が心臓をランダムに動かしている」という診断である。

この細動を起こしている電流の回路に対する絶縁体を作る(焼く)というカテーテルである。

高井病院の主治医のN先生に思わず泣き言を言ってしまった。「心臓カテーテル4回目、もうあきません」と。すかさずN先生「治らぬ病気もあります。Kozaさんの病気はみんな治せる病気です」とキッパリしたものである。
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術はちょっと痛かった。
今回のアブレーションは先が環になったカテーテル(もちろん中で開くわけだが)で環状の焼灼をしていくんだが、とにかく回数が多い。60回くらい?
そして場所によっては痛い。脊髄の神経を刺激するとか・・・
麻酔なんだが、意識がある麻酔である。正しく位置にあることを読み上げて「はい」とか「お願いします」というと、ピシャと来る。

ま、そんなことで、術後の心電図などで治ったとの判定である。
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市役所に行って限度額適用認定証もいただいてきている。
前の前の心筋梗塞の時は、高額医療費補助で後払いでしたから退院の日に70万くらい払った。事前申請、窓口負担の免除は、ありがたいというか、当たり前のことだろうけど。

あっちゃんからは厳重な術後の静養が言い渡されている。
昨年は少し無理をしすぎて、後に響いた。

今回は焼いたところが大きいこと、過度な運動で違う不整脈が発生する危険があることから、高井病院のN医師も、桜井のN医師も、慎重に安静にというご指導である。
あれこれの会議、行事などにご迷惑をおかけすることになりそうである。
とりあえず、明日の町内連合区役員の宴会、明後日の談山神社の総代会は欠席させていただくことにした。
# by koza5555 | 2012-07-20 17:34 | 健康 | Comments(2)

「大和の食」 春日大社の岡本彰夫権宮司

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講演する春日大社の岡本彰夫権宮司

奈良まほろばソムリエの会の総会が開催された。
総会の審議はさておき、会では会員の研鑽に努めており、総会では必ず講演があり、今回は春日大社の岡本彰夫権宮司が講師である。
演題は「大和の食~その誇りの系譜~」である。

奈良県立農業大学の創立30周年の記念講演で行ったものだという。期待が持てる。

中世の興福寺に伝わった食事を再現したとのことである。
明治5年から中止になった春日若宮御祭の田楽座の装束賜(しょうぞくたばり)式の前日の料理で、中世の料理である。

その食事を春日大社で復元した。盃を作るだけでも15年かかったとのことである。
岡本権宮司は、その食事のありさまをパワーポイントで説明する。
千切台が出てくる。盃台も出てくる。
千切台は松梅などすべて絹で精巧に作られる。
杯台には盃とは別に奈良人形が飾られる。この奈良人形が奈良の一刀彫の始まるとされる。
人形の飾られかたで、奈良三つ人形、五つ人形と呼ばれる。

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いくつかのエピソードがある。盃の復元でも十五年かかったとのこと。

食事の説明は、膳ごとに一皿一皿の説明である。
古式を再現するということはそういうことかという執念が迫ってくるお話だった。

膳奉行のあいさつで食事は終わる。

そのあと、食の基本、農業の原点の話がある。
まずは、祈年祭、大忌、 風神祭の祝詞の解明である。

天照大御神はニニギの尊に稲と稲作の力を持って降臨させた。
人が稲を作るのは、神の教えであり、神そのものをたたえる行為である。

そして、水と風が適切でなければ稲はできない。
どこを祀るか。廣瀬神社と龍田神社である。
廣瀬の河合に奉る水の神、「我が宮は朝日の日向の所、夕日の日隠(ひかぐる)る所の龍田の小野に、吾が宮を定め奉りて」という龍田の神、風の神をたたえ奉れば、公民の暮らしは成り立つ(延喜式)とされている。

大和の伝統野菜の説明があった。
この紹介の元ネタは平成22年に始めて公開されたという「春日年中神供品目一覧」である。
御供百姓(ごっくんひゃくしょう)という言葉があるそうである。春日神社にお供えを出す誇りである。

十津川に「婿だまし」という粟があると紹介された。粟餅を婿に食べさせるが「ここらあたりのコメはこんな味」と婿をだませるくらいおいしい粟という。
この粟を復活させたのが粟、清澄とのことである。

岡本権宮司は春日大社と御供百姓の良好関係を述べつつ、奈良にどんなにおいしい野菜があったかと紹介した。

大和志により大和の特産物が紹介された。
県下全域であるが、桜井なら三輪山の松茸、小夫のごぼう、三輪素麺、黒崎の饅頭、戒重なら竹ざるとある。

最後である。
奈良のおいしいものは無数である。
しかし、なくなっていったものも多い。
僕が大和菓子を二つ復元した。これは筆舌に尽くしがたい喜びであると紹介された。

一つはいまあった、桜井の黒崎の饅頭である。夫婦まんじゅうと言い、「やまとびと」(桜井のフリーマガジン)を作っている堀井さんの協力だ。
いま一つは天理の「こうぶり(20日にOさんの指摘で修正)の復活である。正月に使い残した米ときな粉でつくるとのことである。
このお菓子の復活は35年掛りとのことで、岡本さん、感慨ひとしおという感じである。

奈良にうまいものなしというが、そんなところはない。おいしいものが一杯だというお話だった。

岡本さん、黒コメカレーとか、○○寺前の草餅とかを厳しく切り捨てるが、美味しいものを復活させようという岡本さんの執念が伝わり、まずは素直に聞き、学んだ素晴らしい講演だった。

総会を運営する 小北博隆 奈良まほろばソムリエの会会長

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# by koza5555 | 2012-07-17 00:05 | | Comments(4)

奈良まほろばソムリエの会、総会。講師は春日大社岡本彰夫権宮司

今日は奈良まほろばソムリエ友の会の総会である。
昨年が設立の総会、第2回ということになるんだよね。

ソムリエの会は節目には必ず講演があり、必ず懇親会がある。勉強と・・・かあ?

今日の講演は春日大社の岡本彰夫権宮司である。

岡本さんのご本、3冊は読まさせていただいた。
講演の感想を書く前に、前のブログを参考にして、その読書感想文を書いておきたい。




大和古物拾遺を読んだ。昨年の秋の刊行である。ペリカン社。著者は岡本彰夫さんという。

同じシリーズで大和古物散策、大和古物漫遊という本がある。10年来の刊行である。
散策が3000部、漫遊が5000部の初版で絶版、普通では手に入らない。
古本屋だと今では定価の10倍もする(著者による)とのことである。

著者の岡本彰夫さん、春日大社の権宮司である。77年に国学院大学を終えられ、春日大社一筋という方である。

岡本さん、もともとは春日さんの方ではなく、宇陀は曾爾村の「どこへやらまでは他人の土地を踏まずに行けた」という山持ち、豪農の子であり、書画骨董は子供の時からの素養であろう。

話は骨董品のこと?そうなんだけど、これがおもしろい。
とにかく書画骨董に造詣が深く、器物の本来の姿を見つめ、骨董品を通してその時代を見極める「中世」考古学を読むようで楽しい。

同時に「ため込みたい」「手にしたい」もすごい。「百萬塔」を手に入れた経過や思いなどを読むとそれも如実である。
さらに「骨董は自ら求めて掌中にするものではなく、向こうから持ち主を選んで訪れてくださる」という言葉にも実感がこもっている。

僕にもそんなようなものがくることがあるかな。

書画骨董を通しての人物像もかたられており、森川杜園、奥田木白はもちろんのこと、川路聖謨、伴林光平、公慶上人、湛海律師とか筒井順慶まで幅広い。
今ではすたれた奈良の工芸技術にも思いを寄せられる。
御祭りの「装束賜り」のときに使う千切台(ちきりだい)、奈良の三茶碗、瑠璃之燈籠などの解説、春日大社の権宮司だからこそという解説もあり興味深い。

森川杜園の辞世も紹介している。
罷出(まかりで)て あらぬ手業(てわざ)を世に残し さも恥つかしと 身は隠れつる
森川杜園

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# by koza5555 | 2012-07-16 06:30 | 奈良 | Comments(2)

夏越の大祓とおんぱらさん

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長く暮らした東海地方の夏は暑かったが、奈良盆地の夏もまた格別である。

暮らしてみると盆地の閉塞性は感ずるわけで、古来、夏の暑さ、疾病に対する恐怖はまた特別だったと思う。
したがって、奈良の夏はその対策も厳重で念入りである。

なんといってもまず夏越の大祓(夏越のおおはらえ)。

夏を健康に過ごすための神事である。6月30日におこなわれた。
お正月からの半年間についた罪・穢を、自分自身の身代わりとなる「人形(ひとがた)」に託し、その「人形」に種々の災いを吹き移し、身も心も清々しい本来の姿を取り戻す。

人型はわら船に詰められる

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祭員、巫女が茅の輪をくぐる。雨の中の神事となった。
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常時は拝殿前に、三つ鳥居の形をした茅の輪、杉・松・榊を掲げた大みわ神社独特の、三つの茅の輪が設けられる。
順にくぐる。夏越の祓である。


大神神社は念が入っていて、おんぱらさんもある。

御祓祭といい、奈良盆地では最大級の花火大会である。

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摂社の綱越(つなこし)神社では、毎年7月31日に「夏越えの大祓(なつごえのおおはらえ)」が、おんぱらさんとして行われる。
神馬(しんめ)引きや、古歌を唱えながらの芽の輪をくぐる神事が行われ、また紙の人形に名前と生年月日を書き、この人形に罪やけがれを移してお祓いしてもらう。
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総じて、奈良盆地は夏の暑さ対策に力が入る。

水無月の夏越(なごし)の祓(はら)へする人は 千歳の命 延(の)ぶというなり


夏越の大祓は2012年、おんぱらさんは2011年の撮影です。

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# by koza5555 | 2012-07-15 06:14 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

東への鉄路、近鉄創世記

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吉隠の棚田である。(2011年9月18日に撮っている)
棚田の美しさもあるが、上のほうの近鉄電車に注目してほしい。
ここの、こういう形の絵が好きだ。
夜になると、これがまた、銀河鉄道と化して素晴らしい。


桜井に住む前は名古屋で暮らした。
転入する前にもずいぶんと桜井には通った。
東名阪道、そして近鉄である。


そして、今でも、名古屋の用は多い。
東名阪道、そして近鉄である。

図書館で「東への鉄路 近鉄創世記」という「小説」を見かけた。

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近鉄とは?
広軌。
路線距離、私鉄で日本一。
奈良県に張り巡らされた近鉄の路線網。

疑問がリズミカルにすべて解決する、そんな本である。

冒頭は近畿日本鉄道の母体、大阪電気軌道(大軌)の苦闘である。
大阪と奈良を結ぶ路線を敷設、生駒トンネルの難工事が語られる。

橿原線ができた後に、大阪八木が開通した歴史もこの本でよく理解できる。

伊勢を目指す参宮急行電鉄(参急)が開通してから、伊勢電との確執の末、名古屋への路線が開通した。

金森又一郎(第4代社長)の格別の苦労が詳述されている。生駒聖天と近鉄(当時の大軌)の特別の関係が良く理解できる。

技術陣では大戸武之、
営業陣では井内彦四郎の仕事ぶりが、丁寧に紹介され、近鉄のポリシーが示される。

後半は井内彦四郎の仕事ぶりに沿って、大軌、参宮の路線拡大が語られていく。
伊勢電との合併では、合併条件を巡って相手側有利の条件を示す井内が非難を受ける。井内は「伊勢電の株主、社員は合併すれば参急の株主、社員である。その人たちが参急を敬愛しないで、どうして繁栄があるか」と反論する下りなど、冒険小説を読むみたいに面白い。

最後まで読むと、その顛末はよくわかる。
作者の木本正次氏は「井内氏から数十回の面談での聞き書き」が土台にあるとしている。
その上に立ち、客観資料を集めたとのことである。
井内さんは、晩年、奈良にお住まいだったとのことである。


近鉄(大軌、参急)の百年を後から辿るようなお話であった。
普通の企業小説だが、新奈良県民にとっては学ぶことの多い読書であった。

「東への鉄路」(近鉄創世記)木本正次著  学陽書房  10年ほど前の本である。
近鉄に乗るたびに、思い出すことになる書である。
# by koza5555 | 2012-07-14 11:03 | 奈良 | Comments(0)