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奈良・桜井の歴史と社会

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キバナコスモスと藤原宮跡

桜井から西に出るときは藤原宮跡、醍醐池の道が抜け道になっている。
この道を通ることが多いが、宮跡周辺はコスモスやハスなどで通年、花が楽しめるような工夫がある。
なかでも、夏のキバナコスモスが強烈である。
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キバナコスモス
キバナコスモスの原産地はメキシコで、大正時代にヨーロッパを経由して渡来した。
キバナコスモスの花期は長く、6月から11月にかけて直径3〜5cm程度の黄色、またはオレンジの鮮やかな花を咲かせるのが特徴である。
コスモスの原産地もメキシコで、高地がコスモスで低地がキバナコスモスとのことである。
したがって、暑さに強いのがキバナコスモス、涼しくなったらコスモスという順が納得できた。
来年は「7~8月にキバナコスモス、9月に入ったらコスモス」という順序を忘れぬようにである。

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耳成山をのぞんで。キバナコスモスは盛りを過ぎていた
8月19日。醍醐池西側のキバナコスモス。面積は約7,000平方メートルもあるが、撮りに行った時期が10日くらい遅れたようです。
# by koza5555 | 2012-08-21 09:53 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

山辺道

酷暑のなか、山辺道を歩いてきた。
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赤い線が歩いた路である

山際と集落を縫うような道である。

ところで山辺道は古事記と日本書紀に明示されている。
「山辺道をたどる」みたいな記載ではなく、陵墓の説明の中ではあるが。

古事記は崇神天皇の陵を「山辺之道勾岡上陵」(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)としている。
景行天皇陵は「山辺之道上陵」(やまのべのみちのえのみささぎ)である。
 
一方、日本書記は崇神、景行両天皇とも御陵は「山辺之道上陵」(やまのべのみちのえのみささぎ)としている。

ここらあたりの記述は、現地の実情を反映しているとみて差し支えない。
こんなふうに、山辺道が通っていた。


古代の山辺道を考えてみたい。
景行・崇神天皇陵の西側(下側)を通っていることは間違いない。
現在のように、民家を縫うような道でないことは確かである。

しかし、この道はまだ発掘されていないから、それぞれの想像力、推理力の世界である。
古代の地形を考えることが前提となる。

古代想定の山辺道、でも、これは歩けない。
現在の山辺道を歩きながら考えるのみである。
天理トレイル青垣から歩き始めた。

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景行陵、北側から見た耳成、畝傍山

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おなじみの三輪山。酷暑のなか歩く人はいなかった

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珠城山古墳と二上山

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東谷の手前の三分石。持ち山の面積に応じて水利権が石で分割されている

纏向周辺は大型古墳があり、いくつかの宮があったとされている。
ヤマトトトヒモモソヒメの箸墓古墳と合わせて、これが邪馬台国そのもの、そして連続した王権という見方の方も増えている。

邪馬台国の問題はさておいても、この一帯が大和王権の始まりの地であることは間違いないだろう。
# by koza5555 | 2012-08-20 00:28 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

喫茶 工場跡事務室と東大寺 御拝壇

あっちゃんが「喫茶 工場跡事務室」に行こうという。
最近は極端な出不精のあっちゃんのリクエストだから、奈良行きを嬉々と計画した。
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戒壇院北口から工場跡をみて
たかだか20キロ先の奈良だが、最近はなかなか一緒という機会が少ない。

車は氷室神社に停める。ここが目的地に近い。歩くのは嫌いではないが、とにかく暑い日だった。

すでにブログではアップ済みである。
一度は行きたいと思っていた奈良国立博物館仏教美術資料研究センターを訪れる。
それから東大寺の参道に入り、大仏殿をかすめて、喫茶工場跡事務室である。
周りをキョロキョロ見回して車に戻り、僕のリクエストの奈良市写真美術館、「入江泰吉 神宿る大和」を拝見するというコースにした。

喫茶、工場跡事務室。東大寺中御門(なかみかど・焼門のこと)跡を東に入った北側にある。戒壇院への登り口の反対側である。

乳酸菌飲料「フトルミン」(昭和30年代に廃業)の工場跡とのことである。
このレトロな工場跡に「喫茶 工場跡事務室」がある。
金・土・日・祝のみ営業である。

人気の「梅シロップのかき氷」や発酵バターのハニートーストなどをいただいた。


戒壇院を上がる前に中御門跡を見学した。
中御門跡と戒壇院の間に石組の壇がある。
苦労して「御拝壇」と読んだ。

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御拝壇
東大寺についてはたびたび歩き回ってきたが、この御拝壇はまったく認識がなかった。
ネットで調べても、「東大寺境内に入る前に、僧侶がこの壇に座って東の方へ向かって拝んだ?」など言うものもあり、いかにも不思議な壇である。

東大寺でお聞きするしかない。
「東大寺要録に記載がある。聖武天皇が壇の南の小高い丘で(現在は竹藪)大仏を御拝されたとのことである。」
「都が移ってからは、白河天皇、鳥羽天皇が上皇になったとき東大寺を参拝された時、まずこの場で御拝されたとのことである。」
「現在の拝壇はこの故事にならい江戸時代に整備されたものである」とお聞きした。

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御拝壇、喫茶工場跡事務室

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戒壇院

御拝壇は通りがかりの発見であったが、近代化遺産の話になるとあっちゃんの目はキラキラである。
# by koza5555 | 2012-08-19 00:07 | | Comments(0)

納骨施餓鬼法要

菩提寺から、17日午後7時から納骨施餓鬼法要を行うとの案内が届いた。

おばあちゃんが逝って3年を超えた。
このおばあちゃんの遺骨が納骨堂に収められる。
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納骨をおこなう

ご住職にお聞きすると、30年前に逝った父の遺骨はお寺で預かっていただいていることが判った。それで、3月のお彼岸におばあちゃんの納骨を済ませた。

このたび、納骨施餓鬼法要の案内が届いた。「本堂に安置していたお骨を、ご遺族の手で納骨堂に収める儀式」とのことである。納骨と施餓鬼(亡者への施食)を併せて行う儀式と思われる。

この一年に納骨された遺骨に参加者全員が順次焼香したのち、すべての遺骨を全員で手渡し(手繰って)でまわすという儀式である。
一人一人の遺骨を大切に回し、深く頭を下げる。
おばあちゃんの骨壺が回ってきたときには、一気に思いが押し寄せ、目頭が熱くなる。

その後、遺骨は納骨堂に収められた。遺骨になってからではあるが、おばあちゃんはともかく30年ぶりに父の隣に納まった。

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菩提寺は浄業山 大願寺

菩提寺は浄業山 大願寺浄土宗である。
桜井の寺町にある。桜井の大火は西に燃え広がり、寺町は被害を免れた。

延宝六年(1679年)の刻印がある鬼瓦が置かれていたとのことである。

中将姫が長谷寺へ詣でるときは、大願寺で休んだという伝説がある。
桜井市史は「大願寺が江戸時代を通して當麻寺の奥の院の末寺だったことによる」と、その説の出所を解説している。

       大願寺  630-0091 桜井市桜井1090番地
# by koza5555 | 2012-08-18 00:02 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

奈良国立博物館 仏教美術資料研究センター

春日大社の参道に入ると左側に和洋折衷の見事な建物がある。
国立博物館の図書館のようであるが、もともとは「奈良県物産陳列所」とのことである。

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仏教美術センター

「奈良県物産陳列所として明治35年(1902年)に竣工したもので、設計は建築史家 関野貞である。・・・昭和58年(1983年)に重要文化財に指定され、現在は当館の仏教美術資料センターとして活用している。」(奈良国立博物館)

「ならら」の8月号をパラパラとめくっていると、この博物館が水曜日と金曜日に公開されていると掲載されていた。
調べればわかったことであるが、目につくところにはそんな掲示はされていない。
そんな疑問を持ちつつも、「内部が見学できるなら」と訪れてみた。

インターフォンでのやり取りである。
「見学できますか?」と、こちらはあくまでも観光客気分である。
「何を調べますか?」
「建物をみたいのですが」
「資料を見るためなら入れますが」と、話が少しちぐはぐである。
なんとなくわかってきて、「どれってことはないですが、どんな資料が公開されているかを見るだけでもいいですか?」のようなやりとりがあって、敷地に入る扉のロックが外される。

入館口は西側にある。
西のウィングは事務室などで、東のウィングが書庫である。
正面ホールは、広々とした空間になっており何もない。

仏教美術資料センターというだけの、膨大な資料が開架で公開されている。
僕等は郷土史みたいなものを適当にパラパラと見ていただけである。それでも一時間くらいはすぐだった。

入館時にスリッパにはき替える。受け付書類は一人一人で行う。
入ってみれば、「ああ、こういうことね」と判るが、「目的がきちんとしていなければ来なくてよろしい」という施設であるから、「調べる目的を持って訪れるとより楽しい」。
料金は無料である。カメラや携帯は使えない。

ここに入館して、皆さんは活用したりしているんでしょうか?

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入口の掲示
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# by koza5555 | 2012-08-17 06:01 | 奈良 | Comments(0)

こんぴらさん

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こんぴらさん、本宮より

お盆の最中、「徳島・阿波おどり」というツアーに行ってきた。
「徳島に行き阿波おどりを堪能しよう」がメインのツアーである。

踊りは徳島であるが、宿泊は高松のビジネスホテルである。
踊り会場を出てからシャトルバスで河川敷の駐車場に移動、そこでツアーバスに乗り換えホテルまで60キロ走るという、けっこうな段取りである。

二日目はこんぴらさん、
高松泊まりということもあるが、「阿波おどりとこんぴらさん?」の、そんな思いが一杯のコースであったが…

金毘羅船船の歌詞を眺め直していると・・・
「阿波の殿様 蜂須賀(はちすか)さまだよ
シュラシュシュシュ
私ゃあなたの そばそばそばだよ
ほんとに金毘羅大権現」
という歌詞もあり、歩いて回った昔でも阿波、金毘羅参りはセットだなととわかる。


さて、こんぴらさんは正月に行ったばかりであるが、今度は真夏に汗をかこうという趣向である。
先月に心臓のカテーテルをしたばかりだが、まずは試運転になるかとも思う。

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お盆ということもあってか相当な人出である

猛烈な汗となったが、本宮まで785段、ゆっくりゆっくり登ってきた。

そんな具合にゆっくり上ったから、今回は小林一茶の句碑に気がついた。

おんひらひら 蝶も 金毘羅 参りかな


こんぴら狗というのもあった。この犬は江戸の昔、主人の代参をしたとある。
微笑ましい顔をした犬で、慰められた。

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こんぴら狗

乗用車でドライブするのもいいが、ツアーもなかなか良い。
ふたりで車のお出かけは何となく日常という感じであるが、ツアーははっきり「旅行」という気分で存分に楽しめる。
人が組んだ段取りだから、あれこれの不満もないわけではないが、やはり旅行の楽しさはツアーでこそ、高まる。
# by koza5555 | 2012-08-16 12:28 | 旅行 | Comments(0)

ツアーで阿波おどりに

徳島に行ってきた。阿波おどりを楽しんできた。
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無敵の二拍子

四国を歩いた時に知己となった方に、「夏に来い。元気になれる」と激しく誘われた。
二十年も前のことである。一度は行ったが、今度はあっちゃんと明るく行ってきた。
それで「お盆に行くか」ということであるが、この時期にしかやらない。

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二拍子のリズムとリズミカルな踊りは限りない魅力がある

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いわばメイン会場の藍場浜演舞場
# by koza5555 | 2012-08-15 23:50 | 旅行 | Comments(0)

「山の神」と「山の子」

父母のお墓詣りのため、生まれ育った岐阜市の野一色に帰った。

さて、今日は岐阜の「山の子」の話である。
いのこの暴れまつりのことを奈良まほろば検定で学んだ。
桜井市の高田の祭である。山口神社の山の神に捧げたもの子供たちが奪いあい暴れる祭りである。
この祭りのことを考えながら、岐阜市の野一色の「山の子」を思い出した。

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山の子のポスター、山の子の松明の絵があればいいんだけど…

「山の子」のお祭は、大きなワラ人形を松明にして、夕暮れの神社の境内を駆け上がり、「山の神」という石にその火を奉納するという行事である。

春、田植えの前に山の神を迎える。秋、12月の満月の日に盛大に松明で山にお送りするという祭である。来年もよろしくお願いしますという気分もあるが、一番は「山の神に山へお帰りいただく」という目的である。

岐阜市の中山間部では当時、広く行われており、濃尾平野に面する野一色がその南限であった。

「山の子」は面白かった。
ワラで大きな松明(人形)を作った。
我が家は農家ではなかったからワラ束をいただく必要があった。竹も切ってきた。
しっかりと締め上げたワラ人形を作らないと、参道を駆け上がるまでに燃え崩れてしまう。子どもの力には余る仕事だったが、ほんとうに頑張って作り上げた。。
松明行事が終わった後は、自分たちで集めた材料で五目御飯が炊きあげられた。
この五目御飯は美味しかったが、その材料のお米や野菜を集めて回ることも行事の一環である。
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岐阜市野一色の白山神社

僕らの頃は野一色の男の子だけの行事だったが、その後中止となった。
現在は小学校の男女全体が参加する行事とのことである。
一旦は中止になったが、今では小学校の課外活動として復活しているのである。
# by koza5555 | 2012-08-14 00:08 | 旅行 | Comments(0)

日本武尊と草薙剣

熱田神宮を参拝した。

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拝殿前。初詣は大量の警察官によってロープ規制が行われる。


熱田神宮には何十回行っただろうか。
若いころから公私ともに行く機会は多かった。
昨年の秋、甥の結婚式で祈祷殿、熱田会館を訪れた。

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正面参道と東西の参道が合流するところの大楠(おおくすのき)。

古事記、日本書紀を読んでくると熱田神宮への見方は一味、違う。

草薙剣の剣が祀られていることはよく知っていた。
熱田大神は草薙剣を御霊代(しろ)として、天照大神であるとの解釈があったり、
日本武尊こそを祀っているのではという解釈もあるとのことで、これは驚いた。

こんなことも知らずに、何を考え、何を見てきたかとと思うと忸怩たるものがある。

日本武尊は東伐に当たり、伊勢神宮に倭姫命を訪ねて患い泣いたところ、草薙剣を賜った。その力も借りて、東伐を成功させて終わりに帰還する。尾張国造の娘、美夜受媛(みやずひめ)の元に戻る。
日本武尊は草薙剣を美夜受媛に預けて、伊吹山の山の神をとりに山の登るが、逆に伊吹の山の神のたたりを受け病床につくというのが、記紀ともどものアラ筋である。


したがって、熱田神宮はその剣を祀り、相殿として天照大神、素盞嗚尊、日本武尊などが祀られているのである。

素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けたということである。

三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えている。

最後に。
名古屋市の下水道のマンホールのデザイン、これはなんだろう。
蜂ですか。いやあ、水すまし、アメンボだった。水がきれいになるようにという分かりやすい話しらしい。十数年前のコンクールの入賞作で、その前は幾何的な模様だったと記憶している。

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熱田神宮から出てきたところで、マンホールの図柄が気になった。始めは「蜂」かと思い、「名古屋市章の丸八の語呂合わせ?」などと思ったが・・・

ちなみに名古屋市の市章の丸八印は尾張徳川藩の略章から採られたとのことである。
# by koza5555 | 2012-08-13 00:05 | 旅行 | Comments(0)

蓬莱軒でひつまぶし

父母のお墓詣りに岐阜に帰った。
昼食は名古屋により、蓬莱軒の本店で「ひつまぶし」とした。
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蓬莱軒のひつまぶし 3100円

蓬莱軒が「ひつまぶし」の商法登録を持っているとのことである。
名古屋生活が長い僕は、「ひつまぶし」なら瑞穂区のどこ、千種区ならあそこ、豊橋ならあっち、おちょぼ稲荷なら…と講釈は限りないが、今日は本家の宮の渡し(熱田神宮の南方)の蓬莱軒に寄ることにした。
ちょっと遠回りだが、名古屋市南部の都市高の整備がすすみ時間的にはあまり差がない。

奈良に来てから、大阪、奈良とウナギ屋はたくさん回ったが、まだ納得のいくものに会えていない。
久しぶりにウナギが満喫できた。
「ひつまぶしは普通サイズでも量が多すぎ」というあっちゃんは、丼の並にしたが、これはこれで十分満足できる。

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ウナギ丼並 2100円

蓬莱軒は宮(名古屋)と桑名を結ぶ七里の渡し(しちりのわたし)の宮の宿にあった。
東海道53次の日本橋から数えて41番目である。

宮と桑名の間、30キロを4時間程度で移動したとのことである。
陸路で言えば、荘内川、木曽川、長良川、揖斐川と幾多の川、幾多の渡しがあり二日程度は確実にかかる。
海難事故が多くてもこの時間差は魅力的である。

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七里の渡し公園

この「宮」の陣屋跡地に蓬莱軒の本店が創業された。
いまも「宮」宿の渡船場跡は、宮の渡し公園として整備されている。


蓬莱軒、180席というから大きな店である。
だからと言って鰻を粗雑には扱わない。
「焼きたての鰻を熱々のごはんで提供する。席に着いたらすぐひつまぶしがきた。これでは鰻屋ではありません。お客様の顔を見てから鰻を火床にかける」のが蓬莱軒の姿勢である。

蓬莱軒、TEL052-671-8686、水曜日(祝日は除く)が定休で電話予約は会席料理のみとのことである。
店に行き、受け付けがすむと来店時間が指定される。僕等は40分待ちであったが、出てきた時は90分待ちになっていた。
待ち時間を見ながら宮の渡し、熱田神宮などの参拝など時間の使い方が有効にできる。
# by koza5555 | 2012-08-12 06:09 | | Comments(2)

神宿る大和  奈良市写真美術館

「無料の奈良市立写真美術館へ」という鹿鳴人さんのブログで、奈良市写真美術館が無料であることを教えていただいた。
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写真美術館。後景は新薬師寺である。

節電対策のため、「電力需要が増える正午から観覧料を無料とし、ご家庭のエアコンをオフに」という取り組みだそうである。
午後から無料、子どもの夏休み期間中の行事である。
展覧会のテーマは古事記で「入江泰吉 神宿る大和」と題した記紀万葉プロジェクトである。

あっちゃんと行ってきた。もう少し早く行く計画だったが、寄りたいところの日程との兼ね合いで昨日となった。

あっちゃんと美術展、写真展に入ると、いつも出口で僕が待つというのがパタンである。
今回はさすがに古事記を思い起こしつつ、画像一枚一枚に見入ってしまった。
序を併せた上つ巻、中つ巻、下つ巻を読むことができた。

 本展では、『古事記』に記される天地開闢(かいびゃく)の舞台「高天原(たかあまはら)」の伝承地のひとつ御所地方、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと=神武天皇)の「神武東征」経路である吉野・宇陀地方、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が登場する「三輪山伝説」の三輪地方、雄略(ゆうりゃく)天皇と葛城一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)にまつわる初瀬地方と葛城地方など、神話や伝説の舞台を入江作品で紹介します。大和路の風物の美を追求するだけではなく、そこに暮らす人々の姿や変わりゆく街の表情をとらえた写真も数多く撮影し」写真展です。(写真美術館HP)

古事記で辿る大和路は、と問えば入江泰吉はきちんと応えていたという展覧会であった。

昨年の「大和の暮らし」と合わせて、今回の「神宿る大和」で、あっちゃんの入江泰吉への好感度は大幅アップである。
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美術館、ホールから。カメラはここまでである。

会場への階段には昨年の「大和の暮らし」が現代の写真と並べて掲示されている。昭和20年代、30年代の町の姿と合わせて、生き生きとした子どもたちの姿が描かれている。
自分たちの人生を思い起こしながら、この子たちの人生もどんなだったんだろうと思う。

また、40年前の雪の降る三輪山の絵を見ながら、あっちゃんは「今日は寒いね。ワッ、三輪山も真っ白」なんて父母と話していたんだとも思う。

古事記1300年、しっかり思える写真美術館であった。
# by koza5555 | 2012-08-11 00:19 | 奈良 | Comments(2)

一語一笑

一語一笑(いちごいちえ)で昼食をいただいた。
あっちゃんは六角弁当。
折り畳み式の弁当に先付け、刺身、天ぷら、焼きもの、酢の物、煮もの、ご飯、お澄ましで1200円とお値打ちである。
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僕は桶盛り膳。
豪華であるが料理は六角弁当とほぼ変わらず、日替わりの手づくりデザートが添えられて1500円だ(いずれも昼食のみ)。
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今日のデザートは濃厚なプリンである。
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僕等は理由のない外食はめったにしない夫婦であるが、今日の外食の理由は写真撮り(?)。
一語一笑は、おばあちゃんの年忌が重なってきて「いくらなんでも同じ店で3回は」ということで、探し出したお店である。
25名くらいまでなら対応できて、ツアーなどでも使ったことがあった。

「奈良にうまいものなし」というが、桜井はそれどころではなく「桜井は食べるところがない」とさえいわれている。
その中で5月20日(日)には「桜井一番~ん」というグルメグランプリが開かれ、新たに数多くのお店が脚光を浴びた。
そのグランプリに一語一笑も出場している。
「五色稲荷」を作り、幟も作って参加した。

その五色稲荷をお土産で買ってきた。450円である。とてもおいしいが、小型の稲荷でこれだけでは昼食には不足である。
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左から稲荷、抹茶、一味、竹炭、柚子である。

桜井で落ち着いてお昼に和食を食べたいと思ったら、ここは「一番~ン」である。
タクシーでも桜井駅の南口からでワンメーター、車なら国道165号を東に向かい多武峰に上がる県道37号とのT字路の東南角である。
一語一笑 ℡0744-43-1518
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ツアーやハイキングの食事の参考にしていただきたいとお値段はきちんと書かさせていただいた。
# by koza5555 | 2012-08-10 00:06 | | Comments(0)

腹だけ痩せる技術

最近のあっちゃんは英語の本は買うが、日本語の本はほとんど買わない。
そんなふうに言うと少しかっこいいが、英語の本と言ってもPBだったり、英検の受験本だったりであるが・・・
そのあっちゃんが「腹だけ痩せる技術」(植森美緒・メディアファクトリー新書)をアマゾンで買った。

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一日の内に読み切って「腹をへこますだけでウエストが細くなる。ダイエットができる」と言い、疑心の僕に「信ずる者は救われる、読め。簡単だ」と激しく迫ってきた。

4年ほど前に「レコーディングダイエット」で頑張って、74㎏まで行った体重を、半年で61㎏まで落とした。
現在は相当戻って66~68㎏である。
このまま、リバウンドがすすむと痩せた時に買った服が使えなくなるから、すこし危機感が出てきており、読むことを拒否することはできない。

植森さんの本はいくつか納得はできる。
「食事制限、有酸素運動がダイエットに効果的というが、無理をしているためにリバウンドは避けられない」という指摘はなるほどである。
植森式ダイエットの中心ポイントは、「お腹をへこます運動」(ドローインという)だけで、形状記憶でお腹だけが細くなるという論理である。
カロリーのコントロールはその後のことで、本格的な肥満の人は食べないことで、身体がエネルギー保存の抵抗力を強めて、逆にダイエットの妨げになるとさえ言い切る。

論理は非常に明確であるが、植森式も継続させなければ意味がない。これがむずかしい。
ダイエットにはこれがカギという極端な処方箋は僕にはなかなか理解しがたい。
カロリーも運動も、やはりバランスよくではなかろうか。
そして、一番大切なことはいつもそのことを自覚していることが大事である。

それにしても、面白い本を読んだ。
エレベータに乗る時、信号待ちで立ち止まる時、退屈した時など、いつもドローインである。
一読の価値はある。


# by koza5555 | 2012-08-09 00:06 | 読書 | Comments(2)

八ツ房杉 菟田の高城

八ツ房杉、久しぶりに訪れた。桜實神社の境内にあり、国の指定した天然記念物である。
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ツアーで宇陀市を回る。
宇太水分神社のあとに宇賀志、宇賀神社まで回る。
神武(カムヤマトイワレヒコ)東征の路を辿る。ここらあたりは兄うかしと弟うかしの苦悩と対応を考えるがテーマである。
単純に兄うかしをずるくて悪者みたいなガイドはしない。

古事記(日本書紀もほぼ同文)は、この兄うかしによって流された大量の血、この場所を宇陀の血原とまで念入りである。
この血原、実は丹生のことを言っているのではないかとさえ考える。
宇陀志も近代、現代まで水銀を掘っていた大沢などとも至近で、入谷(にゅうたに)などと同じような血のような砂で覆われていたところではなかったのだろうか。

それはそれでいい。
兄うかしと攻め滅ぼしたのは「大伴連等の祖、道臣命、久米直等の祖、大久米命の二人」である。
カムヤマトイワレヒコはその時、どこにいたか。どこで作戦指揮をとったのか。
菟田の高城?

ここに僕は上がっていなかった。
八つ房杉は何度も訪れた。
つい、菟田の高城、これは伝承だからとパスしてきた。
でも、菟田野をガイドしようと言うならば、これは間違っている。
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よく整備されている。久米歌の大きな掲示板が印象的である。
# by koza5555 | 2012-08-08 00:38 | 宇陀 | Comments(2)

またまた八咫烏の出番。ロンドンのサッカー

このブログをアップした頃には、もう結果は出ているが。

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八咫烏神社の八咫烏モニュメント。心なしか、いつもより賽銭も多いようである。
宇陀市榛原の八咫烏神社の境内には、ワールドカップ日韓大会の時に、寄贈されたサッカーボールを頭に乗せた八咫烏の石像がある。
日本サッカー協会のシンボルマークは三本足の八咫烏で、1931年(昭和6年)からというから、古くからである。

7日、丑三つ時に女子サッカーはフランスと決勝進出をかけて戦う。

前を向く八咫烏と遠ざかる八咫烏である。八咫烏はどちらを向くだろうか。
八咫烏が正面から襲いかかるなら日本の勝ちである。
遠ざかる八咫烏なら、どうだろうか。神武天皇の東征にちなむならば、先導する八咫烏こそ勝利への導きである。
したがって、八咫烏がどちらを向こうと、日本の勝ちと出たが・・・


皆さんが、これを読む頃にはもう結果が出ている。
これを書くために、前からと後ろからの八咫烏の写真を撮りに行ったという熱意で今日は免じてほしい。

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鳥居越しの伊那佐山
# by koza5555 | 2012-08-07 00:05 | 宇陀 | Comments(0)

菟田野の水銀鉱山跡、見田大沢古墳群

所用があり、菟田野に行ってきた。
5日のことである。霧雨のような小雨が降ったが、後で聞くと桜井あたりでは全く降らずで、さすがに宇陀は一味違う。

所用を済ませた後、大沢の村を歩いてきた。宇太水分神社中社の裏山を越えて奥に入る。

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見田・大沢古墳群というのがある。4世紀から5世紀の前方後円墳が丘の上に点在するという。これが見たかった。

いま一つは、昭和46年まで採掘していたという菟田野の水銀鉱山の跡が見たかった。
宇陀を語ろうとすれば、水銀、丹の説明は必須である。それ抜きに宇陀の歴史は語れない。
先日もそんな話になった時、

大和の 宇陀の真赤土(まはに)の さ丹つかば そこもか人の 吾をことなさむ」(巻7-1376)(赤土・はに)を引いて、熱心に話すと、「古代のことは分かったが、採掘の跡とかあるの?」と聞かれた。
むにゃむにゃと言っていたが、これは心に残った。

そんな具合で大沢をいろいろ回ってみた。

大沢の入り口でバイクに乗り走ってくる婦人に声をかけた。
「水銀の鉱山だった跡地があると聞くが・・・」と言っただけで、「もう何十年も前のことだよ。そんな調べてどうするの」と警戒心いっぱいである。
扱っていたのが無機水銀だと言うが、県が芳野川の鮒の水銀検査をしていた(今は安定しているということで中止されている)くらいだから、それはよくわかる。
それはそれでわかっていただき教えていただいた。

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大沢鉱山跡、現在は分析施設が残っているということだが、外からはわからない。
道路から入れない神社があった。鉱山の守り神だろうか。どんな方が坐すのだろうか。


ところで、「見田・大沢古墳にも上がろうと思う」と言ったら、「今の季節はマムシが一杯、そんな服装では入ってはダメ」と言われて断念である。
大海子皇子東国発ち、菟田の吾城(阿騎野のこと)で、屯田司(みたのつかさ)の舎人土師連馬手が食を供ったが、見田・大沢古墳群の見田はその屯田司と関連があるとのことである。
# by koza5555 | 2012-08-06 07:14 | 宇陀 | Comments(0)

パワーポイント

とりあえずサッカーすごかったですね。
二重三重の備えの大切さをエジプトを見ながら考えました。
さらに上をめざせ・・・で、二回目の八咫烏・・・・・・・・!

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ところでパワーポイントって、やったことありますか。
僕も若い時から、人前でお話をしてきたが、実はパワーポイントをやったことがなかった。
若手がどんどんやるようになっても、頭を下げて聞きに行かなかった。
そんなふうに年金生活に入ってしまった。

6月に「記紀万葉風で、桜井のいいところを紹介するような話ができないか」というお誘いがあった。
「桜井のいくつかの行事、祭祀を取り上げながら、記紀万葉とか菅笠日記(本居宣長)をたどるようなお話しなら、すぐできます。でも、資料をそろえてのレジュメ方式ですよ」と答えた。

準備を始めると、すぐに問題が発生した。
「桜井のいくつかの行事、祭祀を取り上げながら」という話は、画像なしではとても無理である。ワードで写真を貼り付けながら資料を作る?
確かにできるが、いかにもでもある。

そこでパワーポイントに挑戦することになった。
パワーポイント30枚、75分くらいの話を作り上げたところである。

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講演を聴きながら、あなたのパワーポイントは誰が作ったの?
どういうぐあいに操作するの?と聞きたくなったことが何度もあったが、やってみれば、作るのは打ほどでもない。
問題はつかいこなせるかどうかである。


講演は10月に入ってからである。
日程はまだ先であるが、パワーポイントの使いこなし、話の内容を「事前公開」するという企画をもつことになった。

パワーポイントのベテランも参加することから、その種の問題は何でも聞ける。
僕も講演の「事前講演」などはやったことがないが、内輪の勉強会みたいなものだから、俎上に上がりましょうと言う気分である。
将来にわたっての僕の持ち球が二つも増えそうで、今更ながら少しワクワクする。

この「事前講演」を8月29日(水)夜、西大寺で行う。

その頃もきっと暑いでしょう。夕涼みがてら、ぜひおいでください。
# by koza5555 | 2012-08-05 00:30 | パソコン・インターネット | Comments(2)

三輪そうめん

三輪山勝製麺の倉庫市のチラシが入った。5日、6日の営業である。
200mも離れていない、ご近所のことだからとのぞいてきた。

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大盛況である。
大包みで格安というのもあれば、割安ギフト商品というのもあり、レジ前は数百人という長蛇の列である。
この不況にというか、不況だからこそというか。

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三輪山勝製麺の倉庫は昨年にできた。阿部は木材団地で有名だが、素麺の工場や倉庫はいままで見ることがなかった。
工事中は、「なんの工場か」と思っていたが、町の役員会で、新たに「出作」(協力金というが)をいただく事業所と紹介されて初めて知った。

8月に入って、こんな勢いで素麺が売れれば、山勝にとっても申し分なかろう。
お客の方も、大儲けした感じでホコホコである。
「さあ、今日からまたまた、そうめん食べるぞー」という感じか。

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一方、三輪そうめん山本も6日(月)は「七夕そうめん祭」を開催する。
流しそうめんあり、そうめん延ばし実演あり、そうめん量り当てクイズなど親子で楽しめそうな一大イベントである。
YAMATO超人ナライガーのそうめんフラッシュも、ま、見てみたい。

桜井のそうめん業界、30日の三輪素麺感謝祭に向けて気合十分である。
# by koza5555 | 2012-08-04 12:10 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

粟、清澄の里

僕の誕生日は30日だった。
30日あたりは日程がいかにも込み合っていた。
「どこへ行く?」とあっちゃんから声がかかる。
「粟 清澄の里に行きたい」ということになり、2日に行ってきた。
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粟 清澄の里

先日、まほろばソムリエの会の総会で春日大社の岡本彰夫権宮司の講演を聴いた。

「粟」の三浦さんを激賞した。
その人柄に惚れて、春日年中神供材料品目一覧を見せたほどだ。

「粟」は奈良伝統野菜を提供しようと力を入れている。栽培が困難で、収量も低い、土地を変えたら本当の伝統野菜と言えるかという問題があるが、それを取り組んでいる。
その例として、十津川の粟を紹介された。十津川の粟に「むこだまし」があった。剥くと白い。搗くとおいしい。入り婿さんに「これはコメの餅」とだませるほどのもので、「むこだまし」という。
三浦さんはこの「むこだまし」を復活させた。頂いてきた納屋の隅の一握りの粟から復活させた。

さらにこの粟を使い、粟成(あわなり)を作った。春日大社で皇族に食べていただいたこともあるという。

そんなことから、粟、清澄の里を今年の誕生日に選び、2日に行ってきた。

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先付

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煮物

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陶板焼き

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トマト盛り合わせ?

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舞鶴のサクラ干し
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ごはん
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デザート

おいしかった。
圧倒的な野菜、60種だった。
少し書くと、料理にダブりを感じた。
デザートに粟成(あわなり)とショートケーキというのはいかがか。打ち消しあっていると思うのは、僕だけか。

粟、清住の里、ミシュランの星である。
前日までの予約が必要である。
# by koza5555 | 2012-08-03 00:04 | | Comments(4)

御破裂山

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御破裂山のことである。
桜井市民にとっては、三輪山や音羽山と並んで毎朝、毎夕眺める景色である。

僕の所属する民生・児童委員の協議会は3ケ月に一度、特別養護老人ホーム、「大和桜井園」で清掃奉仕を行う。

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今回の清掃は男女別々の仕事で、男がガラス窓の外側、女性がベッドのシーツ替えとなった。
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日ごろから園はきれいにしており、少々拭いたからといっても、あまり掃除の達成感は感じられない。
だから、園にとってどれだけの効果があるかは不明であるが、特養の現場を見学するという点では、民生委員にとってはそれなりの意義がある。

入園前から相談してきた方に会えたりもするし、老い先を考えたり介護を考えたりで、僕らにとっても、それなりに満足できるボランティアである。

ところで、この大和桜井園、場所は安倍文殊院の南側に当たる。
そしてベランダから南方を見ると談山神社を囲む御破裂山が目の前にクッキリと見える。

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右側の鶏のトサカのような、ちょっと切り立った森、これが御破裂山の頂上である。
地元の方は子どもの時からこの山容を毎日見て育つ。
北海道土産の「熊の置物の背中のラインだ」という意見も多く、「トサカ?いやあれは熊の耳」とおっしゃる。

いずれにしても、熊の耳であれ、トサカであれ、そこが藤原鎌足公の多武峰墓である。
いわゆる多武峰の鳴動もこの鎌足公の多武峰墓を中心に光が発せられ、大地が鳴動したとのことである。

唐から帰国した定慧(じょうえ、鎌足公長男)和尚が、すでに摂津国島下郡阿威(あい)山に葬られていた父の遺骸を、父の遺言のまま多武峰に改葬したとのことである(多武峰縁起による)。
多武峰の鳴動は鎌足公の怒りだから、特別の力があったというものである。

山の名前も「御破裂山」だから、おどろおどろしい。
# by koza5555 | 2012-08-02 00:11 | 桜井・多武峰 | Comments(2)