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奈良・桜井の歴史と社会

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ベルト型の拡声器

ベルト型の拡声器を買った。ハンドフリーである。
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TOA(トーア)性でボイスウォーカーといい、型番はER―1000。6Wの出力で通達距離は80mでとても強力である

今週の日曜日から始まり、ずいぶんのバスツアーのガイドやウォーキングの案内を引受けた。
20名くらいまでなら肉声で十分だがそれを越えると声を張り上げてという形になる。

僕はガイドの時、一番大切な所は暗誦して頭を上げて話したいと思っている。
しかしながらメモなし、ファイルなしですべてを語るのは無理である。人名、地名、年号などは記憶だけではすべては語れない。そのためにハンドフリーの拡声器がとても有効である。

昨年の12月のツアーでは「奈良まほろばソムリエの会」のベルト型拡声器を使った。しかし、これからのツアーでは機械の段取、ツアーの性格などから会の拡声器が使えない日もある。

そこでアマゾンで調べてみると各種あることが分かった。
TOA(トーア)のものである。「VOICE WALKER ハンズフリー拡声器。身体にフィットする、軽量、簡単装着なベルト型の拡声器です。ハンズフリーで両手が自由になり、店頭販売や観光ガイドなど、あらゆる場面でお使いいただけます」とある。

「そんなん必要?」という声とか、「コストパフォーマンスはどうなの」という気もする。

僕のいまのガイド、講演、ブログは完全に趣味の世界である。でも、趣味だからこそ僕は完璧に準備して完璧にやり遂げようとおもうのである。謝礼が払われるガイドが多いが、しかし計画、勉強、下見などを考えれば、採算は度外視である。プロではないのだから、収支が合うかどうかは考えずに準備できるのだ。

そんなことから、あまりややこしいことは考えるのはやめて、アマゾンでポチッと押して、ボイスウオーカーをゲットした。
釣師が新棹を眺めながら、釣果を夢見てニヤニヤすると同じように、僕もこの拡声器を眺めながらガイドの成功を夢見てニヤニヤしているのである。
by koza5555 | 2013-04-24 22:30 | パソコン・インターネット | Comments(0)

4月21日の室生寺は正御影供

正御影供(しょうみえいく)の室生寺は石楠花が早くも咲いた。
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可憐な五重塔を背景にしてさきほこる室生寺の豪華な石楠花。

弘法大師が入定した21日(旧暦)に、お大師さま報恩の法要が行われる。
女人高野、真言宗室生寺派は毎月21日に御影供(みえいく)をおこなっているが、4月21日は正御影供(しょうみえいく)で本堂で法要が行われる。
旧暦で21日、それを新暦にあわせて日時を決めている宗派もあるが、室生寺は4月21日に行う。

今年は4月に網代智明新管長が就任したことから、その就任式も合わせて行われた。例年は本坊から本堂(灌頂堂)に向かうが、今年は室生の町を歩き太鼓橋を渡っての入山である。
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太鼓橋を渡る室生寺派の僧侶

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鎧坂を上がる僧侶と参列者、稚児
列を先導し列を守る金棒は室生の村の消防団の幹部である。
僕はツアーの準備で何度も何度も室生寺を訪れてお話を聞いた。
室生寺のお堂を守ったり、受け付けで働く皆さんは室生の人ばかりである。山の中のお寺だもの、それは当然かとは思うが、ほんとうにみなさんが室生寺を好きなことがすごいと思う。「日本の女人高野だが、室生の大切な宝」という感じで、室生寺は深く地域に溶け込んでいる。

正御影供の朝、境内の砂利をならすHさん。寒い朝だったが、汗びっしょりである。いつもは納経帖を受け付けている方だが、いつもいろいろなことを教えていただいている。もちろん、室生の方である。
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さて、石楠花である。本坊のあたりは五分咲以上。五重塔あたりは二分から三分で、連休のさなかに満開となろう。僕も4月28日、5月5日とツアーガイドがあるが5日は少し心配である。
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by koza5555 | 2013-04-21 18:40 | 宇陀 | Comments(0)

記紀万葉と万葉植物図鑑

まほろばソムリエの会が奈良交通とタイアップして万葉集のツアーをすすめているが、僕もこのツアー、①初瀬と桜井、②宇陀、③盆地南部(橿原・田原本、三宅)、④来年だけど藤原宮周辺の4コース8回を引受けた。

このツアーを受けた直後、入手した本は・・・「原色万葉植物図鑑」桜風社発刊、1960年代の本である。著者は小村昭雲さんというが、ご存命かどうか(明治35年の生まれである)である。
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奈良、「もちいどの」のフジケイ堂で幸運にも手に入れた。万葉集の勉強、これが僕のいまの宝刀である。

万葉集で忍阪をガイドする予定がある。
忍阪の玉津島明神にて、古事記の衣通王(そとおりひめ)の
君が往き け長くなりぬ 山たづの 迎へをゆかむ 待つには待たじ を紹介する。

当然、君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ (巻2-85)磐姫皇后の歌を合わせて紹介することとなる。

明らかに出所は同じであるが、磐姫皇后の歌は「山尋ね」と書かれており、「山路をさがして」などと解説されている。
ところが元とみられる古事記の歌は「山たづ」とあり明らかな相異がある。しかも古事記には「やまたづは造木(みやっこき)というもの也」と注まで付けられているのである。
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山たづ。開花は今しばらく先か?

こういう時に、この「原色万葉植物図鑑」が力になる。
「山たづは現在のニワトコと解されている」とし、細長い葉柄が対になっていることから、万葉では逢うなどの対の意味にとり、迎えるという行為の枕詞として使うと解説がある。
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対の葉脈を持つニワトコの葉
これで忍阪の玉津島明神にて、右大将藤原道綱母、光明皇后と並んで本朝三美人という衣を通してその美しさが光るという衣通姫(そとおりひめ) の歌が存分に語れるというものである。
君が往き け長くなりぬ 山たづの 迎へをゆかむ 待つには待たじ 
by koza5555 | 2013-04-20 21:30 | 万葉の旅 | Comments(0)

出雲国造神賀詞と雲梯

12月に橿原から田原本、広陵、川西にかけて万葉集のツアーをガイドする。
犬養孝の万葉の旅(上)、平野南部の巻である。
ここで雲梯(うなて)の森が出てくる。超有名歌が二首ある。
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雲梯の川俣神社

この神社の森が「真鳥(イヌワシ)住む雲梯の杜(もり)」といわれるような神々しい社(もり)なのである。
この「特別の森」はどこから始まるか、それは出雲国造神賀詞(いずものくにのみやっこのかんのよごと)に触れられるところから始まると言われている。

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんのよごと)は、新任の出雲国造(県知事みたいなもの)が天皇に対して奏上する寿詞である。
霊亀2年(716年)から天長10年(833年)までの間に15回の記録があり、さらにそれよりも数十年早くには始まっていたという論もあるようである。

この神賀詞(かんよごと)に国譲りのことや、オオナムチが天皇の世を支え、祝う言葉が連ねられている。

万葉集のツアーで雲梯(うなて)に行けば、この神賀詞を紹介する。
一番の簡単説明だと次のようになる。

出雲の県知事が「国を譲った。そしてオオナムチは出雲大社にいて、自身の和魂(にぎたま)は三輪に、子どもは葛城の鴨社に、子どもは雲梯に、子どもは飛鳥坐神社に坐して天皇を守っている」と奏上して天皇の世の末永きことを祝った。そこで言われている雲梯はこの場所で、神にかけてというような誓いの対象となるような神々しい森なんだ・・・という具合だ。

もう少しキチンと紹介するパタンであれば、
大穴持命は八百丹杵築宮(きつきのみや、出雲大社のこと)に御鎮座
この国は大倭国でありますと申されて
御自分の和魂(にぎたま)を八咫鏡に御霊代(みたましろ)とより憑かせて倭の大物主と御名を唱えて大御和(おおみわ)の社に鎮め坐させ、
御自分の御子、阿遅須伎高孫根命(アジスキタカネヒコ、オオナムチの三子)の御魂を葛木の鴨の社(御所市高鴨神社)に鎮座せしめ、
事代主命の御魂を宇奈提(雲梯)の河俣神社(かわまたじんじゃ)に坐させ、
賀夜奈流美命(かやなるみ)の御魂を飛鳥の社(飛鳥坐神社、事代主神・高皇産靈神・大国主と並んで)に鎮座せしめて皇御孫命の御親近の守護神なろう


こんなことを話しながら、川俣神社の由緒や雲梯の杜のお話しをするつもりである。


万葉歌は…

真鳥棲む雲梯の杜(もり)の菅の根を衣にかき付け着せむ子もがも  (巻7-1344)未詳
思はぬを 思ふと言はば 真鳥住む 雲梯の社の 神し知らさむ(巻12-3100)未詳


古い本だが松山健氏の「出雲神話」(講談社現代新書)を読み、出雲国造神賀詞奏上式を勉強した。
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この本では他にもたくさんのことを学んだ。いくつかを列挙すると・・
①出雲神話には虚像と実像がある。
虚像は記紀における出雲を舞台とする神話群
実像は「出雲国風土記」に記されている。
②出雲神話を国中に広めたのは巫覡(ふげき)である。神を祀り神に仕え、神意を世俗の人々に伝える人。女性は「巫」、男性の場合は「覡」で合わせて巫覡という。
③出雲が大和朝廷に政治と文化で対立するほどの証拠はないとしている。
④出雲神話を大和朝廷に持ち込んだのは、出雲国造らの始めた神賀詞奏上式であり、これでオオナムチを売り込んだ。

とりあえず、こんな具合で出雲国造神賀詞の話が、できるところまでは到達できた。ツアーは12月である。
by koza5555 | 2013-04-19 20:37 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

前川佐美雄

万葉集のツアーの準備で檜原神社に何回も通った。
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崇神天皇の時代、天照大御神を笠縫邑に祀ったという。これが檜原神社で伊勢への遷座後も祀り、「元伊勢」と今も呼ばれる。大神神社と同じくご神体を三輪山として、三ツ鳥居で禁足地を区切っている。万葉集では「三輪の桧原」と詠まれ、山辺の道の歌枕になっている。

この檜原神社の境内に誰しもが目につく形で大きな歌碑が置かれている。
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「春がすみいよゝ濃くなるまひる間の 何も見えねば大和と思へ」前川佐美雄である。

ツアーでは簡単に歌意を紹介しようと考えた。
「前川佐美雄って、何か知ってるの?オレ」と僕の奥深くから意地悪そうな質問が浮かび上がってきた。
こうなるともうダメだ。いろいろさがして、「歌の鬼・前川佐美雄」という本を見つけた。小高根二郎(おだがねじろう)という方が30年ほど前に書いている。
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佐美雄は明治36年(1903年)、南葛城郡忍海(おしみ)村(現葛城市)の広大な山林と田畑を有する素封家の長男として生まれ育った。林業の将来を見込んで祖父は佐美雄を吉野林業公学校に学ばせたが、その方向には佐美雄は進まなかった。しかし、植物への深い知識はこの学校時代に培われたことは確実である。

志貴皇子に共感する青年時代、佐々木信綱に師事し、大和に関わる数多くの歌も書き連ねた。
佐々木信綱は「大和の国は万葉歌人の故郷であるが、万葉以後大和に歌人の出ないのは不思議な現象だ」と薬師寺で講演したという。佐美雄はこの講演の速記をしている。速記をしながら佐美雄は恥辱にわなないたとされる。
もちろん大和の歌人といえば、「南山踏雲録」の伴林光平もいる。しかし彼は河内の人であり、大和の人とは言い難いとのことである。

佐美雄の生涯はこの言葉への兆戦で、歌人として歩むことを生涯の目的として生きた。これが小高根の論である。

佐美雄は役小角に共感したり、折からのプロレタリア芸術運動に参加する時期もあったがそれは一時期だった。

「春がすみいよゝ濃くなるまひる間の 何も見えねば大和と思へ」(昭和15年)

朝日の登場とともに、霞の内から山容を現す大和三山。その山影はやがて真昼間の盆地が吐き出す濃い霞に呑まれて、消えていくと歌である。
小高根は、「これが歌の覚知だ」という。佐々木信綱は薬師寺の塔、會津八一は唐招提寺の柱をへて大和を描いた。佐美雄は非具象の霞で大和を描き、「万葉以後大和に歌人なし・・」という佐々木信綱の指摘に応えたとされた。

伝記一冊読んだだけであるが、前川佐美雄、とても身近になった。
by koza5555 | 2013-04-13 00:27 | 読書 | Comments(2)

大神神社、春の大神祭(はるのおおみわさい)

8日(月)から10日(水)にかけて、春の大神祭が執り行われた。大神祭は8日の大直禰子(おおたたねこ)神社(若宮)のご例祭に始まり、拝殿で宵宮祭があり、9日には大神祭(例祭)、午後からは若宮神幸祭である。
9日のお渡りだけを拝見した。
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大神神社、拝殿から参道を経るお渡り

三輪のお渡りは、若宮の分霊の巡行である。神輿には分かり易く「若宮」と表示されている。
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大神神社の若宮の渡御(とぎょ)、時代衣裳に身を包んだ崇敬講や氏子の長い列が続き、物々しく大規模なものである。氏子のみなさんの持つ旗にはすべて大神神社の神紋「三本杉」が記されている。

神社を出たお渡りは三輪恵比須神社を経て、大鳥居、三輪の町を経て2キロメートルの巡行を経て拝殿に戻る。
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10日には「若宮還御(わかみやかんぎょ)祭が行われ、「春の大神祭」がすべて終了したあとに、後宴能(ごえんのう)が催された。

このお渡りの知名度は地元では高いとは言い難い。僕は初めて拝見した。三輪の町をはじめ崇敬講、氏子ともどもこの祭りには、気合が入っている。歴史的な背景などはまた別の事として、桜井と三輪の祭りとして今後大いに発展させたいものである。

fb友達の松塚建設の松塚博司さんから、お祭りのご招待をいただいてはせ参じた。
松塚さんは宇陀崇敬会の役員として、お渡りの締めの旗を持った。
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by koza5555 | 2013-04-10 22:49 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

読売ファミリーのツアーの案内

読売ファミリーのツアーの案内をする。
すでに募集は始まっていると思うが、「読売ファミリーが手に入らない」。
ゲラ刷りはこんな具合だ。
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宇陀市室生三本松の中村区、安産寺からツアーは始まる。この地蔵菩薩を拝観して、続いて室生寺で十一面観音菩薩、さらに聖林寺で十一面観音菩薩、安倍文殊院で文殊菩薩の拝観というコースである。
日程は一回、5月16日(木)の午前10時八木、午後5時八木解散ということだ。

菩薩はオールマイティ人を助ける。人が菩薩にすがるためには、その菩薩はどんな形であらねばならないか。和辻哲郎は「それは超人的な威厳と人間らしい優しさや美しさを持っていなくてはならぬ」と言う。今回、訪ねる菩薩こそ、そんなお姿をしている。
 
 案内が楽しみである。
 この下見は13日(土)に計画している。ツアーを募集する読売ファミリーの担当者にまず、感動をしていただかなくては・・

安産寺の地蔵菩薩(パンフレットから)
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by koza5555 | 2013-03-31 07:11 | 奈良 | Comments(2)

大和路・万葉の旅 籠もよ み籠もちコース 

奈良交通の企画で「大和路・万葉の旅 籠もよ、み籠もち」というツアーが生まれた。日程は6月8日(土)・15日(土)である。

その下見とガイドメンバーの顔合わせをおこなった。
中身は万葉の歌を縦糸にして三輪山や忍坂山を眺めながら歴史や風土を語ろうというツアーである。

車谷でバスを降りる。檜原神社、井寺池、大神神社、海石榴市、忍阪、聖林寺というコースである。

檜原神社の境内に特別に目立つ歌碑があった。うーむ。読めない。近くのおられる関係者にお聞きしたが、要領を得ない。
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前川佐美雄の歌だった。
春がすみいよゝ濃くなるまひる間の 何も見えねば大和と思へ


この歌は大和の風景を歌った歌である。前川佐美雄は葛城に生まれて、ちょうどここ檜原神社と大和盆地を挟んだ反対側から山際から盆地の平野を見ていた。
「何も見えねば」と言いつつ、それが大和だという。写生の歌だとしたら、春霞を歌った歌で、経などもピッタリであったが、「この歌は単なる実景ではなく、大和の真実は地表から50センチ下の地下にあり、何も見えないとそれを春霞に例えたという解釈もあるとのことである。

始めから、こんな話の連続で調べれば調べるほど話が面白くなってくる。

ところで今日の下見はガイド(ソムリエの会)が3名参加した。
いまのところ、2回のツアーで、サブガイドが2名、オブザーバーという名で手伝ってくれる方が2名おられてトータルで5名である。

僕はいつも考えている。僕らのガイドはやはり趣味の世界だと思う。謝金が出る出ないという事や、ガイドのよしあしとかは関係なく、「自分で調べて、足を運んで実物を拝見して、社寺のみなさんと仲良くなって」、はじめて責任のあるガイドができるというものである。

「ガイドが楽しい」だけでなく、「調べることが楽しい」という境地(知識欲)が大切、「ガイドは発表の場」くらいに思いたいというのが僕の論である。
だから、労を惜しんではいけない。効率的な調査でガイドができるなんてことはあり得ない。みなさんに役割を分担していただき、このツアーを成功させたいと考えるのである。
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下見の途中、忍阪の玉津島神社にて。下見をそろそろ終了。ハングルーズでご機嫌なガイドの記念撮影。衣通姫(そとおしひめ)の歌を詠み、写真を撮った。
by koza5555 | 2013-03-22 23:02 | 万葉の旅 | Comments(0)

今日は「JTBの美仏ツアー」ガイドの研修会

JTBのツアーをまほろばソムリエの会が協力(参加)することになった。
JTBを介して奈良などに宿泊した観光客が参加できる、「美仏に出会う旅」、長谷寺、室生寺、聖林寺、安倍文殊院コースである。
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ツアーのお客様に渡すパンフレットの表紙

春から夏にかけて15回のロングランであるので、「NPO法人奈良まほろばソムリエの会」でガイドのメンバーを公募して10名が集まった。
今日、下見を兼ねてそのガイドの講習会を行うことになった。JTBの担当も入れて、奈良交通の大型バス一台の豪勢な下見である。

ハワイから帰ってバタバタだった。ツアーは4月末からであるが、今回の準備は今日の下見に合わせた。それというのも、メンバーは奈良の方がかなりいて日常的に会うことができない。案内グッズを今日、すべてを渡し切りたいと考えたからである。

したがって、コースに沿っての説明の準備をすすめながら、お客さんに渡すチラシ、ガイドに渡すパウチなど資料全部をそろえ切った。
これでも、やっているとまた不足が出るだろう。それはそれとしてである。

パンフレットは我ながらいいものができた。
その表紙の本文は・・・

美仏を訪ねます
長谷寺、室生寺、聖林寺、安倍文殊院の菩薩を拝観いたします。
和辻哲郎は「菩薩は衆生(しゅじょう)をその困難から救う絶大な力と慈悲を持っている。彼に救われるためには、ただ彼に念じればいい。彼は時には仏身に現じ、時には人身に現じて衆生を度脱(どだつ=与願)し、衆生に無畏(むい=施無畏)をほどこす。かくのごとき菩薩はいかなる形貌を供えていなくてはならないか。それは超人的な威厳と人間らしい優しさや美しさを持っていなくてはならぬ」(意訳)と言い切った。 
今日はお姿とその心を訪ねる旅である。

by koza5555 | 2013-03-20 05:36 | 奈良 | Comments(0)

三本松の地蔵菩薩(重文)

三本松の安産寺(中村区)の地蔵菩薩(重文)と室生寺の金堂をいっしょに訪れるツアーの計画を新たにすすめている。

安産寺の子安地蔵菩薩は室生寺の金堂から流出したものであることは確実である。
この地蔵は「流れてきた」(安産寺側)、「修理に出したが戻らなかった」(室生寺側)と、主張はすこしだけ異なるが、室生寺の由来だとお互いにほぼ認めている。

この地蔵菩薩を拝観して、この地蔵菩薩がおられた金堂も拝観しようという夢のツアーである。これを企画した。
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安産寺パンフレットから

三つのことを書きたい。
一つは室生寺の金堂の番をしているおばちゃんにお話を聞いてきた。
室生に生まれ育った方で、室生寺の金堂に心からの愛着があるという方である。

おばちゃんが話したい順は
① 十二神将、辰と羊は奈良博物館に出稼ぎに出た。
② 釈迦如来というが、蟇股に薬壺、薬師如来の眷属の十二神将がそろっているから、薬師如来だと皆さんが言われる。
③ 聖観音菩薩と大日如来、蔵王権現は西の山から来たものだ。
④ 地蔵菩薩の光背が合わないでしょう。はじめの地蔵菩薩は外にある・・それはね・・
という具合である。室生寺の関係者はあまり安産寺に行かれていない様子だが、このおばちゃんは安産寺の地蔵菩薩は拝観したことがあるとのことだった。

二つは、どんな経過で流出したかということである。
室生寺は興福寺の法相宗から真言宗に移行している。
1600年代に室生寺は興福寺と長老職をめぐって争い、一旦は興福寺の勝訴(1658年)となるが、その後、桂昌院の支持を受けて巻き返し1698年には興福寺から脱する。
地蔵菩薩の中村区の流失は1688年(彩色修理に出す)との見方もあり、そうであれば、この間の争いの中のことである。
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三つ目である。
三本松の安産寺、室生の道の駅の上のすぐ上である。駐車場に停めて北の山を見ると、大きく表示されている。
通常は毎月9日の午前に開扉しており、1月24日初地蔵、8月の第4日曜日の午後がご縁日法要である。
像高は180センチ、榧の一木作りで顔の表情やY字形に流れる翻波式(ほんぱしき)衣文(大小の波が繰り返すような衣文)が、室生寺金堂本尊の伝釈迦如来と共通で、弘仁末の造像と言われている。

この子安地蔵は国指定の重要文化財(昭和15年に国宝指定、戦後指定替え)となっている。
by koza5555 | 2013-03-07 22:25 | 宇陀 | Comments(0)