ブログトップ

奈良・桜井の歴史と社会

koza5555.exblog.jp

タグ:ヤマトタケル ( 6 ) タグの人気記事

古事記でたどる大和の旅

「古事記でたどる大和の旅」をご案内する。9月から12月まで、クラブツーリズム大阪の企画である。いずれも大阪発(新大阪と天王寺)で第三水曜日の催行である。

『古事記』といえば・・・神武天皇とヤマトタケルだろうか。書き記した太安万侶、読み上げた稗田阿礼も欠かせない。

日本最古の歴史書である『古事記』を舞台に全4回で奈良を旅するシリーズツアー。

『古事記』といえば神撫天皇、悲劇の皇子・ヤマトタケル,誦習したのは稗田阿礼、筆録したのは太安万侶。『古事記』に関わる英雄とそれを誦習、筆録した人をテーマにしました。クラブツーリズム テーマ関西より


a0237937_07170422.jpg
    丹生川上神社中社

第一回目は「神武天皇の東征 ゆかりの地めぐり」で、9月20日

で、丹生川上神社中社、宇賀神社・血原橋、八咫烏神社、墨坂神社を訪ねる。
昼食は大宇陀道の駅のレストラン甘羅。

第二回。「大和青垣にヤマトタケルをしのぶ」。10月18日の催行である。

日本武尊琴弾原白鳥陵、景行天皇陵、黒塚古墳館、石上神宮を訪れる。人気の「道の駅かつらぎ」でも、ゆっくりくつろいでいただき、昼食は柿の葉ずしヤマトあすか店である。


a0237937_07235680.jpg
日本武尊琴弾白鳥陵

a0237937_07233071.jpg

               太安万侶墓・奈良市田原
第三回は「稗田阿礼・太安万侶ゆかりの地めぐり」で11月15日である。ツアーは錦秋の大和高原から始める。

太安万侶墓、神功皇后陵(佐紀盾列古墳「」群)、賣太神社・稗田環濠集落、多神社というコースで奈良・大和郡山・田原本を訪れる。食事は倭膳 たまゆら‥ご満足いただけるだろう。

12月は「即位した神武天皇」をテーマに橿原神宮、神武天皇陵、等彌神社、大神神社を訪問する。12月は変則で6日(第一水曜日)を予定している。

a0237937_07173247.jpg

     橿原神宮 久米舞

a0237937_07242114.jpg













このシリーズツアーの工夫したところは、『古事記』を語りぬきたい、併せて、ひろく奈良を回っていただきたい・・だった。思惑通りのコースができた。全コースの参加をお勧めしたいが、日程、時間もあります。今回は一回ごとの参加ももちろんできます。

お待ち、いたしております。

お申込みはクラブツーリズム大阪 06(6733)0090



by koza5555 | 2017-07-23 07:48 | 奈良 | Comments(0)

奈良交通とまほろばソムリエの万葉の旅

6月8日(土)と15日(土)は、奈良交通とまほろばソムリエの「大和路・万葉の旅 初瀬桜井コース」を案内する。
a0237937_2223870.jpg


出発はいずれも近鉄とJRの奈良駅である。今回は奈良からガイドする。
一番初めは巻向山に入る車谷で、奈良から40分、ここまでに皆さんと交流を深める。

僕は檜原神社、井寺池からお話を始める。井寺池、ここが大きなポイントであることは衆目の一致するところである。
万葉集ではないが、ここは倭武尊命(ヤマトタケルノミコト)が歌い(古事記)、川端康成が揮毫した「大和は国のまほろば たたなづく青かき 山ごもれる 大和し美(うるわ)し」の歌碑がある。
倭武尊の歌であり、川端康成の揮毫であり、歌碑の形といい話題は大き区、数多い。

一つだけ紹介すると・・・
歌は古事記である。犬養節で歌うには、あちこちで字が足りなく、そして大きく字余りのところもある。
a0237937_2223468.jpg

ところがこれが歌える。教えてくれた人がいた。誰?犬養孝である。
「作曲家の黛敏郎君(犬飼孝の教え子である)と一緒に前総理の佐藤栄作さんご夫妻をここに案内したことがあった。・・・・大和はくにのまほろば・・を合唱しましょうと申したところ、われわれだけで誰もいなかったからだろうか、みなみな天真爛漫、心ゆくまでうたいあげた」(犬養孝、万葉十二か月)とある。
やってみると、これが意外にうまくゆく。これは盛り上がるだろう。

そんな感じで、今日(18日の土曜日)、サブで参加してくれる大山さんと二人で練習ツアーを行ってきた。

大山さんはいろいろ勉強しているが、どうも犬養節が苦手だという。「どうしてもうまくいかない」というので、僕も音痴だが一緒に歌ってみた。

犬養節のポイントは第二句の出足の切れ味だと僕は思う。大山さんはそこが冗長だった。
大山さんは歌を解説、紹介して3首くらいを歌唱指導して皆さんとともに歌うことになる。

「紫は灰さすものぞ 海石榴市・・・」を朗唱する大山さん。練習の成果も出て、ここらあたりではもう自信タップリである。
a0237937_2225192.jpg



最後に仏教伝来の碑の前で朗詠する大山さん。今日のお客は僕一人だ。
a0237937_22255349.jpg

by koza5555 | 2013-05-18 23:20 | 万葉の旅 | Comments(2)

ヤマトタケルの宮と陵

藤井稔(天理高校2部教諭)さんの講師で、あおがき古事記講座(桜井市公民館主催)の4回目が開催された。テーマは「景行天皇と倭建命(やまとたけるのみこと)」である。
a0237937_21315526.jpg
景行天皇宮、纏向の日代宮の碑

歌は「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隱(やまごも)れる 倭しうるはし」である。「作者は誰か、詠んだ場所はどこか、詠まれたヤマトとはどこを指すのか」という設問である。この設問の解き明かしの中から、ヤマトタケルが実在としたとして、その宮の場所が示される。
そしてヤマトタケルの御陵はどこかということである。現在、宮内庁は一つの墓、二つの陵を治定して管理している。

「やまとは くにのまほろば たたなづく あをかき やまこもれる やまとしうるはし」。古事記なら作者はヤマトタケルで伊勢の能褒野(亀山市)、日本書紀なら景行天皇で日向である。
いま一つ、「これは国ほめの予祝歌で、誰が作者というわけではない」という論もある。

古事記で論をすすめる。
景行天皇の宮は纏向の日代宮(まきむくのひしろのみや)である。
景行天皇が、皇子である大碓命(おおうすのみこと)が朝夕の食事に出てこないことを「たしなめ」るように小碓命(ヤマトタケル)に命ずるというくだりがある。ヤマトタケルは兄の大碓命の手足をもぎ取り、こもに包んで捨ててしまうという激しい「たしなめ」を行う。
これによれば、天皇、皇子が纏向の日代宮に同居していたということになり、「ここにヤマトタケルの宮があった」との論を立てられた。
したがって、ヤマトタケルが伊勢の能褒野で、「たたなづく青垣」と詠んだ山は、背面の巻向山一帯か、向かいの生駒、矢田、二上山、葛城山の連山ということになる。
藤井さんのヤマトタケルの宮の場所論は、今まで読んできた話、講演の中では最もしっくりした。
a0237937_21353429.jpg
日代宮から大和盆地、盆地西側の青垣をのぞむ。これが、ヤマトタケルの脳裏に最後に浮かんだ、「たたなづく青垣」だろうか
ヤマトタケルの宮、藤井稔先生の解釈、これは驚いたが面白かった。ヤマトタケルの御陵のことは、また折々書くこととします。
by koza5555 | 2012-12-09 00:21 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

桜井夏季大学 第51回

大神神社、大礼記念館で第51回桜井夏季大学が開かれた。
桜井観光協会の主催である。

a0237937_2332521.jpg
大神神社境内

午前の部は帝塚山大学考古学研究所、甲斐弓子研究員が「国家繁栄の視点から見た初瀬川周辺―古事記の中の桜井」の講演を行った。

勉強できたことは3つである。
一つは相撲の起源や役割についての詳細な説明をいただいたことである。

垂仁天皇の7年に當麻蹴速と野見宿禰の相撲のことを触れた後、この相撲というのは除災招福、相撲による祓えのことを示していると話された。
相撲は俵で結界(土俵)が作られる、四股を踏むのは地の悪霊を追い出す行為、手を打つのは神を招きよせる行為と聞き良く理解できた。

日葉酢媛命の葬儀に当たり埴輪を作ったことにも触れながら、年は違うけど相撲は7月7日、日葉酢媛命の崩御は7月6日ということで、相撲による国家の祓えをしたことを記述したのではないかという指摘があった。

これらにちなんで、聖武天皇が天平6年(734年)7月7日に相撲をご覧になられた。
826年に相撲節会が7月16日に改められるまでは7月7日が相撲節会だったと歴史を語られた。

いま一つは江包、大西などを中心にして纏向の西に出雲荘という屯田(みた)があった。のちには興福寺の荘園になったそうであるが、そのことの説明を受けたことである。

あ、ここに出雲があったかと目からうろこである。
興福寺雑役免田(1070年)によって、出雲荘、江包、大西が明示されていると岸俊男元京大教授が指摘している。
出雲臣の祖は淤宇(おおの)宿禰といい、倭屯田(やまとみた・出雲荘のこと)を支配下においたとのことである。

なるほど。
お綱祭りの泥相撲もいわば野見宿禰が関係しているんだと大いに納得できた。
「現在の出雲はこの出雲荘の長官の自宅があったということだろうか」という説明をされた。

a0237937_235519.jpg
講演する甲斐弓子研究員

三つ目はヤマトタケルの宮のことである。
「ヤマトタケルには宮があった」と甲斐さんは熱弁をふるう。
その場所は、ヤマトタケルがいまわの時に歌った「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし」という景色がみられる場所で、「そこを探しましょう」と言うのが講演のシメだった。

最後に、地名の粗雑な読み違えや出雲(現在の)やダンノダイラについての説明は少しがっかりだった。
しかし、こんな誤りは僕などはいつも冒しそうな誤りで、「あくまでも実地を見て、あくまでもくれぐれも調べて」と肝に命じたい。
なお、ダンノダイラや現在の出雲については、「大和出雲の新発現」(榮長増文著 えいなが・ますふみ)という詳細なご本が出ていることを紹介しておきたい。

苦言も呈したが、新たな視点も考えさせられて刺激を受ける講演会だった。
by koza5555 | 2012-08-27 00:02 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

日本武尊と草薙剣

熱田神宮を参拝した。

a0237937_2236373.jpg
拝殿前。初詣は大量の警察官によってロープ規制が行われる。


熱田神宮には何十回行っただろうか。
若いころから公私ともに行く機会は多かった。
昨年の秋、甥の結婚式で祈祷殿、熱田会館を訪れた。

a0237937_23131539.jpg
正面参道と東西の参道が合流するところの大楠(おおくすのき)。

古事記、日本書紀を読んでくると熱田神宮への見方は一味、違う。

草薙剣の剣が祀られていることはよく知っていた。
熱田大神は草薙剣を御霊代(しろ)として、天照大神であるとの解釈があったり、
日本武尊こそを祀っているのではという解釈もあるとのことで、これは驚いた。

こんなことも知らずに、何を考え、何を見てきたかとと思うと忸怩たるものがある。

日本武尊は東伐に当たり、伊勢神宮に倭姫命を訪ねて患い泣いたところ、草薙剣を賜った。その力も借りて、東伐を成功させて終わりに帰還する。尾張国造の娘、美夜受媛(みやずひめ)の元に戻る。
日本武尊は草薙剣を美夜受媛に預けて、伊吹山の山の神をとりに山の登るが、逆に伊吹の山の神のたたりを受け病床につくというのが、記紀ともどものアラ筋である。


したがって、熱田神宮はその剣を祀り、相殿として天照大神、素盞嗚尊、日本武尊などが祀られているのである。

素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けたということである。

三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えている。

最後に。
名古屋市の下水道のマンホールのデザイン、これはなんだろう。
蜂ですか。いやあ、水すまし、アメンボだった。水がきれいになるようにという分かりやすい話しらしい。十数年前のコンクールの入賞作で、その前は幾何的な模様だったと記憶している。

a0237937_22382360.jpg

熱田神宮から出てきたところで、マンホールの図柄が気になった。始めは「蜂」かと思い、「名古屋市章の丸八の語呂合わせ?」などと思ったが・・・

ちなみに名古屋市の市章の丸八印は尾張徳川藩の略章から採られたとのことである。
by koza5555 | 2012-08-13 00:05 | 旅行 | Comments(0)

古事記編纂 1300年の切手

a0237937_22301530.jpg

古事記編纂 1300年の切手

「古事記の1300年―日本の一番古い年代記」という特殊切手が、7月20日から発売されている。

この切手を郵便事業会社が荒井正吾奈良県知事に贈呈したという新聞報道(奈良新聞7月28日付)をみて、あわてて買ってきた。

「切手はどんな話題性があるものでも定価以上のものは買わない」が我が家の申し合わせ(?)であるが、これは80円切手10枚のシートが800円で問題はない。

何気に手に取ったが美しい。

a0237937_22304385.jpg

実質は4枚がセットになっている。

ニニギ命の妻、木花の佐久夜姫(コノハナノサクヤヒメ)。
天皇命等(すめらみことたち)の寿命が有限となる始めと古事記には書かれる。

ヤマトタケルも取り上げられている。
「火退(ほそけ)」である。小碓命(ヤマトタケル)が向火(むかひび)で火を撃退する図である。
以上の2枚は堂本印象によるものである。

あとの2枚は出雲の八重垣神社に収蔵される板絵から取られている。
一枚はスサノオ尊
あとの一枚は稲田姫命

全体の取り合わせも絶妙で、美しく、ほれぼれする。

2シート買ったのみであるが、大切な手紙に貼られて全国に旅立つことになる。
by koza5555 | 2012-07-31 00:05 | 奈良 | Comments(0)