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奈良・桜井の歴史と社会

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「桜井の古墳」桜井東ふれあいセンター  

「桜井東ふれあいセンター」(初瀬寺駅の付近)で、4月18日(火)午後7時から、「桜井の古墳」をお話しいたします。


こちらのセンターは毎月、「地域ふれあいセミナー」を開催していますが、2017年度の第一回目に僕を選んでいただいた。「わかりやすい解説で楽しいお話し」だからと、毎年、呼んでいただいている。

今回は、桜井の古墳を丹念にたどりながら、「古墳を作った人」、「作らせた人」、「その時代に思いを寄せる」、こんなお話をしようと考えた。

これは桜井じゃないけど…奈良の野神古墳。今度のテーマで「阿蘇ピンク石」を取り上げるが、そのうちの一つである。大安寺の近くで・・・京終とか、大安寺に行かれたら、ぜひ、どうぞとおすすめしたい。
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奈良市京終の野神古墳、石棺

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掲示もじっくりみてほしい
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いまは、こんな街中だ。先は高円山


今回は、僕が見学してきた桜井を中心にした(天理や奈良もすこし)古墳を、丹念に紹介する。
ポイントは立地とか、形とか、横穴石室であれば作り方とか、そして、今回は石にもこだわった。
たとえば阿蘇ピンク石である。浅古の兜冢古墳は有名だが・・・・
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阿蘇ピンク石。桜井と天理には特殊に多い。この石の産地は始めは二上山とみられ多らしい。「二上山ピンク石」と言われたりした時期もあると知った。1991年、九州の宇土半島の石がピンク石と分り、阿蘇ピンク石と言われるようになったとのことである。
僕などは、深く考えることもなく、赤っぽい石棺を見ても、「水銀朱を塗ってあるんだろうか」・・くらいだったが(笑)。

こんなことを究明したのは倉敷の真壁忠彦さん。『石棺から古墳時代を考える―型と材質が表す勢力分布―』という本がある。あちこちの古墳で使われたピンク石の産地は熊本県の宇土半島だと証明された。


三輪にもピンク石の石棺石が残されている。
有名なのは箸中の慶運寺の石棺仏。金屋の石仏堂の床下のピンク石もおもしおろい。山の辺の道の金屋の石仏は石棺の蓋(泥岩)に釈迦如来と阿弥陀如来が彫られていて有名である。重文指定で評価も高いが、そのお堂の床下にも、石棺の残されていて…それが阿蘇ピンク石。
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床下もみて

そのまま、石室の中に残されているのは、東乗鞍古墳 (天理市杣之内町)で、くり抜式家形の石棺が残されている。

奈良にもある。野神古墳というが、これは佐紀盾列古墳群じゃなく、大安寺の近くの南京終である。
高槻の今城塚古墳歴史館に展示されている、見つけてきたばかりの石棺の残石・・・・も昨年、報道されたばかりである。
阿蘇ピンク石ばかり、辿ってもなかなかjのものである。

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看板通り、わかりやすく、楽しくおもしろい、こんなお話である。
入場は無料で、30名ほどの会場。残席はわずかだが、おいでになりませんか。
突然でも対応できますが、資料の印刷もありますので、お電話をいただけると助かります。
連絡先は0744-47-7026(東ふれあいセンター)まで
by koza5555 | 2017-04-13 09:17 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

継体天皇と阿蘇ピンク石

継体天皇の真の陵とされる今城塚古墳に関わって阿蘇ピンク石が発見されたと報道されている。
「石橋の材料  実は継体天皇の石棺  高槻古墳から破片流出」という記事が、11月11日に各紙(産経新聞、奈良新聞など)に報道されている。長さ110センチのピンク石、石橋で使われていたが付近の寺跡に置かれていたとのことだった。
「この石棺は無かったのではないか、破片しか出てこないじゃないか」と聞いたことがあるが、逆転の見事な発見である。

阿蘇ピンク石、これを考えてみた。
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東乗鞍古墳の阿蘇ピンク石石棺(今年の3月に撮影。今は石室に入れない状態である)

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奈良新聞11月11日付


継体天皇の石棺。
天理の東乗鞍古墳に阿蘇ピンク石。
桜井にはあちこちにある。
北の方から言うと慶運寺(箸中)の石棺仏。慶運寺古墳に置かれていたのだろうか。
三輪の金屋の石仏の縁の下にも見事な家型石棺の蓋石がある。
浅古の兜冢のピンク石のくりぬき式の家型石棺

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金屋の石仏の縁の下

『古墳時代の考古学』(白石太一郎司会の討論会 1998年)にその解明があった。
竜山石の長持形石棺は葛城氏の影響下につくられて、葛城氏の没落と共に消滅していくのだという倉敷考古館の間壁さんたちの研究があります。ところがその竜山石製長持石棺を用いなくなった段階ぐらいから、近畿で家形石棺がつくられ始めますので、その間のつなぎはどうも阿蘇石製石棺なのです。極端にいえば、葛城氏が大王家支えていた段階は竜山石で、葛城氏が没落すると同時に阿蘇の石がはいっているとすると、大王墓にもひょっとしたら阿蘇石が使われているのではないかということも考えられます。葛城氏にかわって胎動してくる大伴・物部氏など、大王を支える人たちの古墳がある桜井市や天理市にピンク石石棺がはいっているということも、付随した問題としてあるのではないでしょうか。(高木恭二 熊本学園大学講師 1998年当時)

大王家と大伴はこのピンク石石棺を作った宇土の地と、この地方の豪族を、とても重視していていたとの論である。

ピンク石の宇土半島の近くには菊水町、現在の和水(なごみ)j町がある。あの江田船山古墳の地で、5世紀末の遺物で文字が書かれた鉄刀が出た町である。埼玉の稲荷山古墳の鉄剣と合わせてワカタケルの文字が刻まれていた刀である。
中央で作ったか、地元で作られたかの論はあるようだが、中央直結の地であったことは十分示されている。

有明海沿岸は交易や外交に活躍した土地でもあった。
日本書紀によると百済に使えた日羅という人が出てきますが、これは火葦北国造(ひのあしのくにのみやっこ)の子どもです。葦北というのは八代の近くですね。 (白石)

こんな解説もあり、5世紀の有明海沿岸の力が浮き彫りにされている。
阿蘇ピンク石は、葛城から大伴への権力移行期の石棺で、外交戦略にたけた大伴と有明海沿岸のピンク石の石棺を作りだしていた諸豪族の力が結びついた特別な時代の産物だということだが、いかがだろうか。

政権の安定に伴い、二上山石の家形石棺、竜山石の家形石棺などが大王家、しょごうぞくの石棺の軸になっていくのであるけど。

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これは兜塚古墳、石棺
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by koza5555 | 2016-12-17 23:27 | 読書 | Comments(0)

阿蘇ピンク石 兜塚古墳 慶運寺の石棺仏 金屋の石仏と石棺

石棺だけを論じた本である。少し古くて20年前の本である。
『石棺から古墳時代を考える』―型と材質が表す勢力分布―
真壁忠彦 著  同朋舎出版である。

目次は「石棺の石材」、「石材産出地」、「舟形石棺の世界」、「長持形石棺」、「家形石棺」。
いやんなりました?

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これが今日の話題の阿蘇ピンク石の兜冢古墳(桜井市朝古)

話は様々な角度があるが、今日は阿蘇ピンク石のことだけを紹介したい

桜井のピンク石は他にも

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箸中の慶運寺の石棺仏。ピンク石である


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金屋の石仏堂の床下に保管されている石棺。ピンク石だ


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少し時期が下がるし、天理市だが。東乗鞍古墳の石棺(現在は管理者によって石室内の入室が禁止されている)

著者の真壁さんは、当時は倉敷考古館の学芸員
岡山県の南東部、邑久郡長船町の築山古墳(p189)のピンクの凝灰岩のが石材の産地が不明だった。
産地は不明だが、次々と同じものが明らかとなる。
まずは畿内に多い。たとえば、京終の野神古墳であり、桜井市朝古の兜塚古墳、東乗鞍古墳などである。

そこで産地を探した。二上山に似ている石があった。さしづめ二上山ピンク石である。
ところが、1991年、九州でこの石をみることなった。宇土半島に露岩があった。ピッタリである。二上山ピンク石 改め 阿蘇ピンク石のはじまりである。

「阿蘇山は凝灰岩を何度も噴出。これは一般的な黒灰色の凝灰岩で・・・ところが数度の噴出のうちで、一度は、ピンクの凝灰岩の噴出となったという」(p191)

阿蘇から次々と運び出される。石材というよりも。加工されていた可能性も論じられる。
席棺の分布の中心は大和であって、佐紀古墳群や葛城古墳群とは外れたところに分布しているという。中心の氏ではないということである。

箸中の慶運寺、三輪の金屋の石棺も同じような場所である。
元々は大型古墳が多い地域だが、この時期は大古墳が見られなくなっているという地域である。

「中期の大古墳の世紀が終わろうとした時期に、畿内に新しく台頭してきた新勢力の動きをみることができるのであり、その勢力が、旧勢力を代表する棺であった長持形石棺とは形も石材(色も)も違った新しい棺を採用したのがピンク石家形石棺だったのである」(p194)

「そういう意味では吉備の築山古墳は畿内新興勢力の石棺と同形態、同石材であり、畿内の新勢力と同質ということを古墳が主張している。」

この新興集団は歴史にどう立ち向かうか。
古墳時代の後期の石棺に大きな影響を与えていることからみて、飛鳥の時代にかけて大きな影響力を持ったとみるべきと強調がある。
ピンク石の家形石棺は歴史のアダ花ではなく、石棺の時代の主流を歩んだ石と言えるのかも・・である。

最後に、これが阿蘇ピンク石。これは現代に切りだされた石材の破片である。
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by koza5555 | 2016-11-16 22:19 | 読書 | Comments(0)