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奈良・桜井の歴史と社会

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大神神社と「夏越し茅の輪」

大神神社に夏越しの茅の輪が架けられた。夏至の日からだろう。79日まで置かれる。

青々した杉、松、榊が掲げられた茅の輪をくぐってきた。

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「杉、松、榊の三木は神霊の宿り給う霊木である」と記されていたが、「なにゆえ茅の輪」

というのも知りたいものである。

これが、「なぜ日本人は神社にもお寺にも行くのか」島田裕巳著 双葉社に記されていた。

「このみわの明神は、社もなく、祭の日は、茅の輪をみつくりて、いはのうへにおきて、それをまつる也」と奥義抄(平安時代の歌学書)にあるとされる。

大神神社には、本殿も拝殿もない時代があり、その時代には、山を、そしてその岩を依り代として祀る時代があったと、これはみんなの共通認識だが、その祭りには「茅の輪を岩の上に置きて」祀ったとあるのである。

茅の輪は夏越しの祓にとどまらず、神を祀る基本的な姿であった模様である。

心してくぐらせていただいた。

「神社にもお寺にも行くのか」は、神社のこと、お寺との関係のことが極めて端的に示されている。今年の423日刊行であるので新刊書だが、僕は桜井市図書館でお世話になった。

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神社の古来の姿が解明されている。


今日は社殿のお話だけ紹介しよう。

出雲神社榜示図というのが残されている。出雲大社ではない出雲神社で、京都の亀岡市にいまも鎮まる。鎌倉時代の榜示図が残されている。領域を示す図であるが、ここには山があり鳥居が一本たっているだけだった。現在はこの鳥居のあたりには社殿が建てられている。

鎌倉時代には社殿がなかったことを意味している。

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大神神社の場合も詳しく紹介。大神神社は今も、拝殿はあるがご本殿はない。この拝殿は徳川家綱(四代目)が造営、1664年のことである。

歴史を見ると、1317年には、拝殿の修理という記録があるらしい。

1226年には、当社古来無宝殿。唯三個鳥居あるのみ」と記される(大三輪鎮座次第)。三つ鳥居のことである。

ここに、奥義抄(平安時代の歌学書)の紹介があり、「このみわの明神は、社もなて、祭の日は、茅の輪をみつくりて、いはのうへにおきて、それをまつる也」とある。

大神神社では、平安時代までは、鳥居もなく、(茅の輪をかかげた)岩のところで祭祀がおこなわれていて、鎌倉時代までには三ツ鳥居が建てられるようになり、拝殿は室町時代にならないと建てられなかったということになります。 (p65)

宗教学者の見解だが、激しく僕は共感したい。

大神神社にとどまらず、各地の神社で夏越の祓では、茅の輪くぐりがおこなわれるが、

これは大神神社からのしきたりということであり、

元々は人が通るものでなく、供え物であったり、神と人との仕切りの意味があったりしたものと思われる。

考えてみれば、鳥居も同じで三ツ鳥居や出雲神社(亀岡)の出雲神社などの例をみても、神域と人の世界の仕切りともいえるのであり、鳥居を抜けると神域であり、茅の輪をくぐるとやはり神域ということだろうか。

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鳥居も茅の輪も心を正して入らせていただくことにしなければ。


by koza5555 | 2017-06-23 14:32 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

醸造安全祈願祭 大神神社

大神神社は11月14日に「醸造安全祈願祭」を斎行する。

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枡酒の振る舞い
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併せて奈良県酒造組合の振る舞い酒も


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出仕する祭員

酒造りの神様と仰がれるご祭神の神徳を称えて、新酒の醸造の安全を祈る祭典で、全国の酒造家・杜氏・酒造関係者が参列します。祭典後から醸造安全の赤い御幣と酒屋のシンボル「しるしの杉玉」が全国の酒造家・醸造元に授与されます。(大神神社HPより)

祭典は大神神社拝殿で参拝、続いて大物主の力で醸された神酒を崇神天皇に献酒した高橋活日(たかはしのいくひ)を祀る、活日神社にて玉串奉奠という祭祀である。

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いつもは森閑とした活日神社もこの日ばかりは


境内では全国から寄せられた銘酒の振る舞いがある。いわば、吟味し放題と言いたいが、いっぱいまでとの但し書きも。

大神神社の「しるしの杉玉」のことである。
醸造祈願祭の前日、11月13日には、吊るし替え(大杉玉掛け替え)が行われる。

「しるしの杉玉」は、拝殿と祈祷殿に吊るされるが、すべて人の手によってはこばれた。

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これは昨年の吊るし替え

昔の駕籠のように6人掛かりで運搬、どんな具合ですかとお聞きすると、「今年は230㎏です」と汗を拭き拭き、説明していただいた。神社の大杉玉が吊るし替えられ、祭りの準備が整えられます。

この醸造祈願祭、酒まつりを終えると、作り酒屋の紋章もともいえる「しるしの杉玉」は、「新酒の印」として全国の酒屋の店先に吊るされる。

この神酒は わが神酒ならず  倭なす 大物主の 醸みし神酒  幾久  幾久

崇神天皇8年冬12月、今頃だろうか。
崇神天皇が三輪の大神を太田田根子に祭らしめた日に、高橋活日が神酒を捧げて詠んだという。
全国の醸造元から届けられた数々の酒は壮観です。


大神神社、拝殿は寛文四年(一六六四)に徳川四代将軍家綱が再建したもので、重要文化財に指定されている。
また拝殿の奥正面にある三ツ鳥居は、三輪鳥居とも呼ばれ古来当社の特色の一つとされる。三つの明神型鳥居を一体に組合せた形式であり、重要文化財である。


以下は大神神社HPより
『日本書紀』の崇神天皇条には、高橋活日命(たかはしのいくひのみこと)が天皇に神酒を献じた時に「この神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久」と歌ったとあり、大物主神のご神助により、会心の美酒を造ることが出来たことが記されています。このことからご祭神が酒造りの神として敬われることとなったのです。祭典では活日命の和歌で作られた神楽「うま酒みわの舞」が四人の巫女により舞われます。そして、境内では各地から奉献された銘柄を展示する全国銘酒展が催され、樽酒の振る舞いも行われます。

また、祭典前日には拝殿と祈祷殿に取り付けられている直径1.5m重さ250kgもある「大杉玉」が青々としたものに掛け替えられます。

by koza5555 | 2016-11-14 13:48 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

第5回神社検定

6月26日、第5回神社検定が行われた。奈良県の試験会場は帝塚山学園、学園前キャンパスである。
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大神神社の神奈備山、三輪山


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会場の帝塚山学園、建物模型図


一級から三級まで、100問の出題で70問以上の正答で合格である。ただし、三級のみ「受験者の7割を合格させる」という基準があるようで、合格点を下げるというシステムである。一方、一級、二級の合格率は三割程度でけっこうな狭き門である。

神社検定の場合は一級受験の資格に「二級の合格者」とあり、二級からの参加の方も多いようである。
僕は何も知らずに5月に三級の受験申し込みを行った。締め切りの二日くらい前である。
それから調べてみると、「二級から受けるよね」という声を聞き、果ては「三級は君なら勉強しなくても」とも言われて、締切日にあわてて二級も受験手続をすることとなった。

神社検定はテキストが複雑。年度ごとに重点テーマが異なり、テキストを買い足さねばならない。一級まで行けばすべてを勉強することとなるが、二級から始めるとなると戸惑うう。

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今年のテキストは
三級は「神社のいろは」と「古語拾遺の一章」。
二級は「神社のいろは 続」と「神社のおへそ(神話)」、「万葉集と神様」、雑誌「皇室67号から70号」まで。

三級、二級はテキストが重ならない。テキストは1000ページ位になる。

テキスト読みこんだ。
ツアー(ムジークフェストのコンサート前ガイド、談山神社・大神神社)の準備はしつつ、5冊のテキストを3回、読みました。ノートをとると言っても勉強は泥縄・・・とにかく読み続けた。
5冊を一週間で読み、それを三回という感じで、とにかく準備期期間は五週間ですから。

試験は先に三級。アレッとというのは2~3問で、まずまずは大丈夫である。

二級、初めは纏向遺跡が2問。幸先良しです。続いて常陸国風土記、天の岩屋戸とすすみ問題なく回答できていく。それはそれ、試験ですから、あれこれでつまずきながらも時間は足りた。

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中世に22社体制という時代がある。国家の一大事に朝廷から特別の奉幣を受ける神社のことである。大和でいえば春日、大神、大和、龍田、広瀬、丹生神社であるが、あとは京都の神社が多くて・・「これは苦手」と勉強しておいたのに・・・失敗してしまった。
帰りの電車で気が付いた。付け焼刃なんだ。22社めぐりなんてツアーもあるようで、そんなツアーを案内したら、さらにはお客になるだけでも、間違えることは無いのである。

他にもひっかけに簡単にかかった設問もあったりで、帰りの電車の中、気持ちがだんだん暗くなる。

「自己採点はやめや、金曜日の講演の準備だ」と思っても、それはそれ・・気を取り直して、採点を続けてみると、・
やはりダメかと言うのもあるが、不安な設問が逆にピタッと合っていたものも次々で、なかな健闘である。

なんとか三級は成績優秀、二級はギリギリで合格ラインに達したと思える。

一か月半の勉強だったが、神社と境内の基本、神道史、神を歌った万葉集、日本の神話、全国のお祭りの数々など得た知識は大きい。
ガイドを行っている奈良まほろばの会員の皆さんにも、この受験はお勧めしたい。

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by koza5555 | 2016-06-27 18:33 | 神社検定 | Comments(0)

三輪神は軍神

「大神と石上」(筑摩書房)、和田萃と寺沢薫両先生の論文から考えた。

和田萃さんは冒頭で三輪の神の性格の変遷を説く。

①三輪山に籠りいます神は、蛇体の雷神・水神とされていた。それが神体山である三輪山を仰ぐヤマトの範囲の国造り神・守護神となり

②さらには大和・河内連合王権が各地に進出していった際、各地に勧請されたらしい。
それが各地に、大神神社、美和神社、三輪神社や、大神郷、美和郷が広く分布する背景となったのだろう。

③六世紀前半になって、三輪山祭祀は大きく変化する。
王権の守護神的色彩の濃かった三輪山の神が一転して祟り神(オオモノヌシ)にと変化し、国ツ神の代表的な存在となった。オオタタネコを祖と仰ぐ神君(みわのきみ)によって祀られることになった。

以上の三段階が、三輪山祭祀の歴史として紹介される。
この第二段階、②のことであるが、王権の拡大に伴い、三輪神が各地に勧請されていく時期である。
この時期の「三輪山の神が軍神としての神格をも有していたことは、筑紫の大三輪神社の創祀の由来にも明らかである。」との指摘である。

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三輪明神

本からここで少し外れるが、先日、「箸中区」でこの勉強をしてきた。
桜井市にお住いの松田度さんがコーデネーター?で、箸中区の杉本ご夫妻(ご主人は箸中区長)の肝いりの勉強会である。

今回は、大神神社の山田浩之主任研究員(権禰宜)が「三輪の神」を語られた。
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箸中の慶運寺のご本堂。講演する太田浩之大神神社権禰宜


「大和を中心に東西に三輪神が祀られるが、東国では和田説の説くように軍神としての性格が個々に確認できるが、西国でも同様の性格が担わされた」とされる。

「時に軍卒集い難し。皇后曰わく、必ず神の心ならむとのりたまひて、即ち大三輪社を建てて、刀矛を奉りたまふ。軍集自づから聚る」(仲衷天皇9年9月・皇后は神功皇后)
さらに備中国風土記、筑前国風土記などの紹介もしつつ、三輪の神が軍神の役割を果たしたことを論じられた。

こうした三輪の神の性格は、石上神宮などとは違い、今の大神神社に見出すことは難しい。歴史的にこんな役割を果たしたというだけのことだが、これは目からウロコだった。

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全国の三輪神社、三輪(美和)の郷 椙山妙子氏作図


ところでこうした、三輪の神の性格の変遷が、考古学的にも裏付けられるというのが、「大神と石上」の寺沢薫論文である。

考古学的に言えば、
考古学的に、三輪山祭祀はいつまでさかのぼりうるだろうか。確実な資料から判断すると、山ノ神遺跡や奥垣内遺跡のように磐座という神の拠り所を設け・・・5世紀の後半には明確に三輪山祭祀が始まっていた。先行遺跡の検討のなかで・・・四世紀中ごろにさかのぼる可能性がある。として、三輪全域で祀られたと証明がある。
①これが三輪の神が雷と言われる時期である。自然な祭である。

大和朝廷と一体の動きをとり、軍神的な役割を果たすようになると、それは6世紀初頭だが、三輪の祭祀は狭井川と大宮川の間、現在の大神神社の境内に移ったとされる。
神社というか、境内の成立である。
祟り神になり、その傾向を一層つよめたとされるのである。

祭祀場所が限られていく(同じ場所で何度も祀る)ことと、政権との一体化を強めた時期とが一致するのが、とても興味深い。
アミニズムの祭祀と政権が関わる専門的な祭祀、そんな風にはみれないだろうか。、


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6月4日の日の出

by koza5555 | 2016-06-04 18:36 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

大神神社と狭井神社の鎮花祭

4月18日、大神神社は鎮花祭である。

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午前10時30分、三つ鳥居の御扉を開扉して鎮花祭を斎行。

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神職はその後、狭井神社に参進。薬道から上がる
重ねて鎮花祭が斎行される。

この祭りは1300年前から、この二所(ふたところ)の祭りだった。

「大宝令」(701年成立)の朝廷の規定には、三月に花鎮めの祭が行われたことが見えている。「令」の注である「令集解」(りょうしゅうげ)に引く「令釈」などによれば、大和の大神神社とその荒魂をまつる狭井神社の祭りで、春の花が飛び散るときに、疫病の神も分れ散って疫病をはやらせるのを、鎮め留めるための祭りであるという。
春の花といい、飛び散るといえば、桜の花にちがいない。大美和の神は、「古事記」でも「日本書紀」でも、崇神天皇の代に、悪疫をはやらせる祟る神としてあらわれている。この花鎮めの祭りは、その大美和の神格そのままの祭りで、大神神社の信仰を象徴する祭りとみてよい。桜の花を祟る悪霊に見立て、花の散るときに、その霊を鎮める祭りを行わなければならないという思想である。
 小嶋瓔禮琉球大学教授 (大美和第93号 平成9年)

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特殊神饌。桃の花と百合根と忍冬(すいかずら)。まともな写真は撮れない。これは境内のポスター写真である。

疫病を鎮め抑えるという祭りである。
近畿一円の薬業界、医療関係者が参列されていた。

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これは祀られた薬の数々
by koza5555 | 2016-04-18 22:56 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

大神神社 志るしの杉玉

大神神社、醸造安全祈願祭(酒まつり)は11月14日午前10時30分~。
振る舞い酒がある。

11月13日、祭りの前日には「志るしの杉玉」の吊るし替え(大杉玉掛け替え)が行われる。
掛け替えは拝殿が午前9時。祈祷殿が午前11時ということで、日にちは毎年変わらずとなっているが、時間は行事の都合で若干の前後がる。
今年(平成27年)は、拝殿は時間通りだったが、祈祷殿は「結婚式が行われるので」と、40分ほどの繰り上げである。

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祈祷殿に向かう大杉玉。「今年は230㎏くらい」が、製作した神社職員のお話し。ちなみに大杉玉の調整、掛け替えは氏子や講の奉仕ではなく、「神社の職員がやります」とのことである。

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拝殿の大杉玉は拝殿の背後(中庭のような)、運ぶ姿は拝殿内だけで、撮りにくい。

ちなみにこれが一年の活躍の後、降ろされた杉玉
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祈祷殿の大杉玉は「稲荷神社付近の作業小屋」とのことで、運び込みの距離が長い。
天皇社前、二の鳥居の階段下を通過して、休憩所前を経るコースだから、あちこちで撮れる。

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運び込まれた後は、ウインチで引き揚げて固定、「志るしの杉玉」を巫女が取り付けて、「ニッコリ」、これで完了である。

この神酒は わが神酒ならず  倭なす 大物主の 醸みし神酒  幾久  幾久
日本書紀歌謡(高橋活日命)
崇神天皇8年冬12月、今頃だろうか、崇神天皇が三輪の大神を太田田根子に祭らしめた日に、高橋活日が神酒を捧げて詠んだ。
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こちらが活日神社


酒屋の軒先に掛かる杉玉、酒ばやしとも呼ばれ酒屋のシンボルである。大物主大神は酒の神でもあり、酒屋自身が大神神社の神木とされる霊験ある杉を軒に下げたことが起こりとされる。江戸時代初期の祭礼図屏風などに酒ばやしが描かれたものがある。大神神社の大杉玉は径1,5メートル、重さ250キロにもなる大きなもので、醸造安全祈願祭の前日、一年に一度掛け替えられる。拝殿の前飾り樽が並べられ、杉枝が樽を飾り祭りを待つこととなる。(大神神社発行「大神神社四季の祭り」より)


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全国の醸造元から届けられた数々の酒


11月14日は、大神神社で神酒を・・・・・(笑)
by koza5555 | 2015-11-13 20:14 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

「大美和」 大神神社 社務所刊

まだ先のことだが、講演のテーマに大神神社を選んだ。

大神神社はずいぶんと訪れたし、ツアーもずいぶん案内したが、一時間半、みなさんに楽しんで頂こうとなると、今の準備では、「これはちょっと当てが違う」・・である。

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 とりあえず夕やみ迫る大神神社

境内を順々に説明したり、年間の祭祀・行事を解説したりでは、集まってきていただく桜井市民に聞いていただけるようなお話にならない。こんな話なら、よほど僕より、ご存じの方ばかりである。。

そこで「大美和」に目をつけたのである。
「大美和」、大神神社の社務所が営々と発行してきた、年二回刊の雑誌である。現在は70ページくらいで発行されていて、社頭で300円で販売されている。

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最新刊は平成27年1月1日の発行で第128号という。
パラパラとページを繰ってみると…ものすごく刺激的で、強烈におもしろそうである。

「古いものも読みたい」と思うが、社務所にお聞きすると「社頭でお分けしている限り」とのことである。

そこで桜井市図書館のバックナンバー、これからのコピーを猛烈に始めたのである。
おもしろそうな論文・記事を拾い集めながら、遡ってコピーをすすめて第28号までのコピーだった。
結果、100冊分、50年分のコピーで、都合1300ページくらいのコピーを取った。
第28号の発行は昭和40年で、これは、神社の50年の歴史である。

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これがそのコピーの山。読みかけているが、内容の理解はこれからである
ただし、1300ページ、300ほどの論文のインデックスを作り、勉強の方向が明白となった。

「神社と三輪山の歴史」、「発掘と考古学」、「神社の祭祀」、「境内のさまざま」、「環境と自然」など、それぞれの時代にそれぞれときめく学者・研究者が執筆している。

本当に面白そうである。この勉強で、大神神社のみならず、奈良と桜井の歴史や社会の勉強もやり直そうと考えている。


大美和の杜の展望台から大和三山を見て。この杜が整備された経過などを解説した論文も含まれている
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by koza5555 | 2015-06-29 19:03 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

そうめんと大神神社

今日は「奈良おいしい歴史散歩」で三輪を歩く。
「そうめんと大神神社」というテーマである。

「奈良に隠れ名所あり、奈良にうまいものあり」で、「とっておきの大和路を見て、美味しい郷土料理を楽しむ」というNHK文化センター(梅田教室)の講座で、毎月あちこち案内している。

今日の目玉は・・・・
素麺の手延べ体験とランチ
大神神社の拝殿、三ツ鳥居拝見
みむろをいただきながら大鳥居を考える

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 これが大鳥居、手前が白玉屋永壽


大雨の予報だが、この時期の雨は予想の上で、行程は路線バスとタクシーを組み合わせて計画している。

山本の麺ゆう館でそうめんの手延べ体験にチャレンジである。
「作るのはいや。食べるだけで」(笑)という声も聞こえる。

そこはそこ。とりあえず、そうめんの手延べはおもしろい。
そして素麺とうどんやそばとの違い、「そうめんは延ばす、うどんやそばは、切る」、これを楽しく話して、素麺のおいしさの真髄をわかっていただき、みんなで楽しもう。

大神神社神社は三ッ鳥居の拝見が目玉である。

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 これは檜原神社の三ッ鳥居


大神神社をあれこれ回り、三輪の町に出て、最後は白玉屋永壽、お抹茶のお菓子はみむろである。

大阪(玉造・玉造稲荷神社)から、平岡神社に至り、暗峠を越えて奈良へ入り、興福寺の角から南にまっすぐ下がってくると、ここが三輪の茶屋。奈良の旅籠、三輪の茶屋と言われた。桜井、初瀬や榛原のような正式な宿場とは違い、人足・馬が置けない(宿場としての収入がなかった)という。

三輪の茶屋は、伊瀬街道の賑わいをみて、戒重の仁王堂(にょうどう)から移転してきたといわれる。
伊勢詣りのメインストリートが、竹内峠(横大路)から暗峠越え(奈良経由、上街道)に代わったということだろうか。

大鳥居(今の一の鳥居)の前には茶屋が多かった。振り袖姿で道を挟んで「おじゃれおじゃれ」と手招きしたと言われる。

穴師よいとこ 蜜柑に茶どこ
またも素麺どこ 芋どころ
三輪の神さん 七巻半よ 
巻いてござるよ 三輪山を
三輪の馬場先 掃かいでも
きれいな 茶屋の女の すそではく

この三輪茶屋で、旅人は素麺を食べ、みむろ最中を味わった。
奈良のお土産ベストテンには三輪そうめんとみむろは確実に入るだろう。この二つが、ともに三輪茶屋育ちである。

白玉屋榮壽は三輪村下市上街道沿いにて弘化元年(1844年)に業をおこしたという。大鳥居越しにご神山、三輪山が望めるこちらで、お抹茶とみむろをいただく。


ところで大鳥居と二の鳥居、〆柱、三ッ鳥居は一直線であるが、ご存じでしたか。

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 こんな図であるが・・・
by koza5555 | 2015-06-26 05:45 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

率川神社と三枝祭

6月17日は、大神神社の境外摂社、率川(いざがわ)神社の三枝(さいぐさ)(ゆり)祭である。

まずは前日、6月16日の午前10時に「ささゆり奉献行列」が桜井の大神神社を出発する。
奉献行列はJRで奈良に向かい、11時半から奈良市内で奉献行列神事。13時に率川神社到着、ささゆり奉献奉告祭。
17日の祭当日は10時30分に三枝祭(ゆりまつり)斎行、
13時30分に行列が率川神社を出発、三条通り、小西さくら通り、東向き、餅飯殿商店街などを経て率川神社に戻るのがこの祭事の日程である。

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 大神神社境内を出る奉献行列


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 JR三輪駅へ。三枝祭の歴史は古いが、奉献行列は今年が9回目



さて率川神社、中世・近世は春日社、興福寺の支配にあった。
明治十二年十月三日に「率川神社は大神神社の境外摂社」との考証文書を春日神社の同意書を添えて申請、十二月二日に決定となった。

そんな歴史はあったが、もともと率川神社の歴史は古い。
延喜式には率川坐大神神御子神社三座(いざがわにいますかみのみこさんざ)とされている。

率川神社、中央にはヒメタタライスズヒメ命。左殿には御母神のタマグシヒメノ命、右殿には御父神の狭井大神(大物主の神・大神の荒魂神)を祀る。
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さて、このヒメタタライスズヒメのことである。

日本書紀は大三輪神の子(神代上、第八段一書六)とし、母の名は触れずに、カムヤマトイワレビコの后となったとしているが、同時にそのあとで、事代主神がタマクシヒメと結婚して生まれたのがイスズヒメとも述べている。
ちなみに古事記は、ヒメタタライスケヨリヒメとして、大物主の娘としている。丹塗矢の説話として出てくるが、母の名はセヤダタラヒメという。

率川神社のご祭神(ヒメタタライスズヒメ、大物主の神・大神の荒魂神・タマグシヒメ)は、記紀では、一文ではまとまって現れず、あれこれ複合して、決められたようである。


さて、カムヤマトイワレビコとヒメタタライスジヒメの狭井川にまつわる説話は古事記のその後に詳しい。
神武天皇はこのヒメと「一宿御寝(ひとよみね)しましき」で結婚するのであるが、そのヒメの家の近くに流れる川をサイ川である。
「その川がサイ川というのは、川のほとりに山百合がたくさん咲いており、山百合のもともとの名をサイというから」と説明される。

ヒメタタライスズヒメとサイグサ(三枝)祭、ユリの花がこういう形で結びついているのである。

この三枝祭(さいぐさまつり)も歴史が古い
「率川の社は春日山にあり、春日の明神の遷座以前にまします神なり」とされ、早くも養老の「神祇令」に「率川の社の祭なり、三枝の花を以って、酒樽を飾り祭る、ゆえに三枝と曰うなり」とされている。

この形が今も守られていて、
ささゆりで飾った酒樽を、社殿の左右に置いて、向かって右を樽(そん)と言い黒酒(濁り酒)を入れ、左は缶(ほとぎ)と呼ばれ、白酒(清酒)を入れて、ささゆりで飾っている。

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 ささゆりで飾った酒樽を神前に立つ


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中央は柏の葉で覆われた蓋の特殊神饌。これは折櫃(おりびつ)といい、御棚は「黒木の案」という。神饌の右が樽、左が缶である

神楽もある。「うま酒みわの舞」、百合の花を手にしての舞である。
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稚児行列に続いて、ささゆりの壺を少年が引く


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通行人に、造花のささゆりが配られた。僕はいただき損なったが、観光案内所のあっちゃんがもらっていた


三枝祭と百合の花を、日本書紀と古事記で寄って考えてみた。三橋健国学院大学教授が「大美和」の113号(平成19年)に「率川神社と三枝祭」として、書かれており、それを勉強した。

by koza5555 | 2015-06-17 23:55 | 奈良 | Comments(0)

味酒三輪の里を歩く

「万葉ゆかりの地 味酒三輪の里を歩く」、こんなウォークが桜井市で毎週おこなわれる。

毎週、日曜日の午前9時45分、JR三輪駅前集合で、桜井市観光ボランティアガイドの会 のメンバーが案内する。正午頃まで大神神社、三輪の町を案内していただいて、無料である。

大神神社は三ツ鳥居も拝観できるという参拝があり、神社と三輪の町を案内してくれるという、「お宝ウォーク」である。

このコース、ずっと気になっていたが、5月17日(日)に参加してきた。

9時半頃に三輪駅にいくと、ガイドは中村尚代さん。「何人来られるかは分りません。多い日もあれば少ない日も。無いという日はほぼありません」という具合で、人気コースである。
行程と街づくりマップのコピーを頂いた。順次集まってこられて結局12名に。県外の方も何人かいらっしゃる。桜井市民は僕だけかも・・である。

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駅前の観光案内板の前でコースの説明

大神神社の手水のところで最初の解説。
三輪山をご神体として本殿をもたないこと、祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)とし、大己貴神(おおなむちのかみ)と少彦名神(すくなひこなのかみ)を合わせて祀ると解説された。

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大神神社拝殿。山と接するところに三ツ鳥居がありこちらを拝観する。神事の都合で見れないこともあるようである。三ツ鳥居、重要文化財である。お正月の繞道祭の時だけ三ッ鳥居が開扉され、ご神火が燧(きり)だされる。
繞道祭はなんども書いた。たとえば  大神神社繞道祭


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歌碑の森の万葉歌の説明は時間をかける。

うまさけ 三輪のはふりが やまてらす あきのもみじの ちらまくをしも(巻8-1517)長屋王

やまとはくにのまほろば たたなづくあおがき やまごもれる やまとうるわし(倭建命)

この神酒はわが神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒  幾久 幾久(日本書紀 活日)


大美和の杜展望台を経て久延彦神社、若宮を至る。若宮では「大物主を祀った大直禰子を祭神としていたことから廃仏毀釈を逃れた」と端的に解説して、あとは修理のあと、古い部材の活用に力が入る。

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 大神神社にも禰宜町があると初めて聞いた。それが三輪馬場本である


大神教本院である。大神神社の旧社などが檀家という。
本院は多武峰妙楽寺の八井内の寺院を移したもの(明治16年)で、さらに玄関いかかる大型の「大神教」という表札、この板は天理の大塚古墳(中山大塚のこと?)の木棺の蓋だという。
こちらは「柳本大塚古墳の」との指摘をいただきましたので、修正しておきます。

ここから町にでて、町家のはじめは三輪茶屋の跡である。
「冥途の飛脚」は人形浄瑠璃の人気作品、フィクションではあるが、「近松門左衛門がイメージした三輪の茶屋ならここだろう」ということで、ここに石碑が立てられている。民家の庭にある。
「けいせい恋飛脚」であり、「ふういんきり」であり、「新ノ口、梅川忠兵衛(うめがわちゅうべえ)」という解説だった。
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町家ゲストハウス三輪の前を。こちらに僕は関心がある。近鉄奈良の観光案所で働くあっちゃんから、「ゲストハウス三輪の取材をして」と頼まれていたので、僕だけ寄り道で取材する。
「ドミトリーではなく、朝ご飯付きで4630円~という。午後10時の門限もあり」である。おかみさんからお聞きして、ポーズもとっていただいた。
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町家では池田邸が気に入った。なにがであるが、座敷玄関・表玄関があって、これは大宇陀の町家と同じで、旧家の形はおなじ、なるほどで少し感動である。
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「味酒三輪の里を歩く」、コースも良かったが、ガイドもすばらしかった。
中村さん、すっきりしたガイドでわかりやすい。参加者もみなさん、喜ばれていた。

中村さん、ありがとうございました。
by koza5555 | 2015-05-21 17:09 | 桜井・山の辺 | Comments(0)