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奈良・桜井の歴史と社会

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ウォーナー博士 報恩供養の法要

6月9日、安陪文殊院でウォーナー博士の報恩供養法要が行われた。
桜井市仏教会の主催である。

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ウォーナー博士 報恩供養塔を前にしての法要


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報恩供養塔は「安陪清明公 天文観測地」に建立された。西の空が開けている。

ウォーナー博士 報恩供養塔について

ウォーナー博士は、1881年アメリカのニューイングランドに生まれ、ハーバード大学出身の東洋芸術史家で日本美術の偉大なる権威者です。第二次世界大戦において、日米の風雲急なるやその親友ハル国務長官を訪ねて戦争防止を進言されました。不幸開戦となるや、アメリカの政府と軍の上層部に辛抱強く奈良と京都をはじめとする古都の文化的価値の説得に成功されたおかげで、アメリカ軍の日本本土空襲の時にも空爆リストから外されました。この地に立つウォーナー報恩塔はこのウォーナー博士の功績に大変感動した桜井市の一市民であった中川伊太郎さんが、日本人が博士に寄せる感謝の気持ちを永久に残したいという気持ちから自費で建立されました。因みに中川さんは当事、失業対策事業で働く日雇い労務者という大変苦しい生活を送っていたにもかかわらず、こつこつと貯えた十万円の全財産を出して昭和34年5月に建立されたものです。この建立の相談を受けた当時の市長及び桜井市仏教協会と当山住職は、この美徳を称えたいとの思いから場所の提供をはじめてとして毎年6月9日のウォーナー博士の命日に報恩感謝の供養を厳修することとし、爾来桜井市仏教界主催によって6月9日の博士の命日に法要が行われています。

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ウォーナー博士の功績の否定論もさまざまである。
「ウォーナーリストは略奪品の返却の為につくられたもの」であるとか、ウォーナーリストに載せられながら空襲にあった各地の文化財を示して、ウォーナー博士の役割を否定するという論などである。

愛知県や名古屋市で60年間暮らしてきた僕から見れば、奈良や京都が大規模な空襲から逃れたことは驚異である。

安倍文殊院の植田ご住職は「奈良の文化財が守られたこと、それに感動して碑を建てようとした方がいたこと、その法要は誇るべきこと」と法要を締められた。
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by koza5555 | 2017-06-09 18:11 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

奈良まほろばソムリエ検定体験学習プログラム

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 安倍文殊院浮見堂。ちょっと違う角度からみると

奈良まほろばソムリエ検定の二級合格者を対象にした「体験学習プログラム」という制度がある。
一級の受験にはこのプログラムの終了書が必要で、奈良検定を究めるためには、まあ…義務みたいのものである。

このプログラムの「奈良まほろばソムリエと歩く~安倍文殊院と磐余の道をゆく」という講座の講師を僕が受けている。実施日は5月31日、直前となって、今日は最後の下見である。

年明けに、このプログラムのコース案の募集が行われた。
僕は、一昨年は「大宇陀」で当選、昨年は2本出したがいずれも落選、今年も2本用意して、この「磐余の道」が選ばれたのである。

「古代を見て、中世を辿り、抹茶も楽しむ」というコース案と僕の解説力が期待されたと「思い込んで」、楽しく準備してきた。
先日聞いたところ、プログラムの参加者予定者は30名、まずは手頃な参加者数である。

午後1時、桜井駅南口集合・出発。
「プログラム中に交通機関を使わないこと、出発駅と解散駅は同じにすること」の条件があり、今回はすべて徒歩である。


一気に吉備春日神社まで歩き(30分)、吉備池廃寺(百済大寺)をまず考える。
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 吉備池。この池の周囲や池底に寺跡が発見された


舒明天皇記(639年)によれば、百済川の辺りに大宮と大寺とを造営したとあり、吉備池廃寺の発掘により、この地に百済大寺が建てられていたことが証明された。

吉備池の堤防で、伽藍の配置を説明して、百済大寺が巨大寺院であったこと、若草伽藍(斑鳩寺)と同笵瓦(どうはんがわら。瓦に文様を付けるハンコが同じ)が発掘されたことなどを解説する。

さらに、この地の南方に磐余(いわれ)池が存在したとの論を紹介し、

大津皇子の「磐余の池の堤にして流涕(かなし)みて作りませる御歌一首」
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(巻4-416)
を朗詠して盛り上げようという計画である・・・

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 大津皇子、歌碑。夏草に埋まっていたので、少し刈ってみたけど・・・


池ノ内の磐余稚櫻神社で磐余池のことを考えてみる。昭和の初めに発見されたくりぬき樋とか、境内・宮垣内の雷(かみなり)押さえ石(白鳳時代)も紹介してみたい。

安倍寺跡を経て、安倍文殊院(華厳宗別格本山)である。渡海文殊騎獅像がご本尊で、鎌倉時代を代表する仏師、快慶の1203年の作である。
巨大な獅子にまたがる総高約7mもある文殊菩薩像を4体の脇侍像が取り囲む文殊五尊像で、これを渡海という。


谷首古墳。阿倍山丘陵一帯では最大の横穴石室を持つ古墳である。

最後は艸墓(くさはか)古墳。国指定遺跡で石室に入ることができて、石棺の周りを一周できる。盗掘孔も明確に残っていて、見ごたえがある。
羨道に比べて石棺は大きく、石棺を収めてから天井石などを置いたとみられる。
ここは、みんなで入室、石棺に触れてみよう。
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長期予報、31日は雨。熱中症の心配が少し減る・・雨のウォークだが、明るく、元気に講座を成功させよう。
by koza5555 | 2015-05-27 21:12 | 桜井市と安倍 | Comments(0)