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奈良・桜井の歴史と社会

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倭建命(ヤマトタケルノミコト)と川端康成

6月に桜井を万葉集でガイドする。奈良交通のツアーである。
檜原神社、井寺池周辺は一つの固まりで話が集中する。

万葉集ではないが、ここは倭建命(ヤマトタケルノミコト)が歌い(古事記)、川端康成が揮毫した井寺池の  大和は国のまほろば たたなづく青かき 山ごもれる 大和し美(うるわ)し  の歌碑は目玉である。
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井寺池堤の川端康成の揮毫による歌碑

今日は歌碑のことにこだわってみたい。まず、この歌碑、低くうずくまるような形が特徴的である。当時の桜井市の観光課長として歌碑の建立にすすめられた米田一郎さん(故人)が「桜井ふるさと散歩」に書かれている。

川端康成が亡くなる三カ月前の1972年1月21日のことで、歌碑の建立に関わる川端康成との現地での会話を書きとめている。
「遠くから見て池の堤の線が截れないように低く据えてください」と川端康成が言い、子どもが登ったり腰かけたりしてもいいとか、秋のススキの穂波の中に碑がうずまるような形も良いのではないか、こんな会話があったと米田さんは紹介している。

歌碑越しにみる奈良盆地、平野の南部である。二上山もみえれば、畝傍山、耳成山、そして葛城山も金剛山も眺めることができる。
そして振り返ってみれば、歌碑が見ている風景は井寺池、そして三輪山である。
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川端康成はこの歌を書かずに亡くなり、歌碑は集字によっ作られた。
集字は「美しい日本の私」(ノーベル賞受賞記念講演)の原稿から行われた。そこまで聞き知れば、この歌碑、感慨も深く、ひときわ光彩を放つといえるのではなかろうか。

ツアーでは、現地でこの歌、この歌碑を紹介するが・・・自筆で紹介パネルを作ることを思い立った。そのためにテキストとはちがうプラスの添削を書道(習字)の先生に受けた。
習字はこれからだが、ツアーは6月、練習の時間はタップリである。
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by koza5555 | 2013-04-24 00:26 | 桜井・山の辺 | Comments(0)