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奈良・桜井の歴史と社会

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磐余の途を歩く  

磐余の道を歩くという僕のとっておきのウォーキングコースがある。
季節によりそれぞれ楽しみ方がある。

桜井駅南口から徒歩で出発、桜井の井、若桜神社に向かう。
若桜神社は履中天皇の磐余稚桜宮から名づけられている。
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次は土舞台である。伎楽を少年に学ばせた場所との論がある(日本書紀)。

そして、艸墓古墳。国指定遺跡である。石棺の周りが一周できる。盗掘孔も明確に残る。羨道に比べて石棺は大きく、石棺を収めてから天井石などを置いたとみられる。


この後はメスリ山古墳に回るコースがある。4世紀の古墳だが、いまでも、葺石や場合によっては埴輪片を見ることができるかもしれない。

御門神社に寄ろう。ここを案内する理由は、現地でなければ語れない。
「みかどさん」と呼ばれ、明治まで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖である安倍清明を祀るお社である。


青木廃寺跡にたたずんで往時をおもう。平城京の長屋王邸跡の瓦と同笵のものが大量に出土した。悲劇の宰相だった長屋王が、父高市皇子の冥福を祈って建てたと考証されている。
今月、同所のお地蔵さんでは「泥掛け地蔵」祭が行われる。宵地蔵ということで、23日の午後3時からである。
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県立農業大学で昼食・休憩であるが、大学構内の池ノ内古墳群が見学できる。

磐余稚桜神社を経て、磐余池跡(神功皇后、履中天皇)に立ち寄る。
橿原市教育委員会が発掘中であるが、最近も集落内で版築(はんちく)が発掘され、人工の堤の跡であることが明確になった。
和田萃、千田稔両先生の推定磐余池は二つながら見学できる。

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御厨子神社も立ち寄りたい。清寧天皇(第22代)の磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)はここと言われている。

時間が許せば、飛鳥学園の小林一茶句碑を見学できる。
遠方(おちかた)や 青田の上に 三つの山
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テーマは
磐余はヤマト王権にとって特別な地であることを再確認するウォーキング。
磐余池とその地形、自分の目で和田萃説、千田稔説を確認するウォーキング。
本居宣長が歩いた(菅笠日記)道をたどるウォーキング。

盛りだくさんである。
6キロくらいのコースであるが、見学地が多く、休息込みで5~6時間のコースである。


さて、現世の話で、今日から病院にいってくる。治すところは心臓だが、手術ではなくカテーテルである。
by koza5555 | 2013-08-17 20:29 | 桜井市と安倍 | Comments(3)

内山永久寺と復元模型

廃仏毀釈の事を考えている。
桜井の所在する安倍文殊院、聖林寺、大御輪寺、平等寺などを語る時、廃仏毀釈が与えた影響はどうしても語らねばない。

廃寺となった天理市の内山永久寺のことも、そのつながりで触れるべきである。
この内山永久寺の復元模型が天理市役所のホールに展示されている。
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内山永久寺の復元模型

天理市杣之内町に所在する、内山永久寺は、五町四方(500m)もの広大な寺院でした。
平安時代の永久2年(1114年)創建したと考えられ、平成26年(2114年)には創建から900年を迎えます。かっては大和の日光とよばれ、多数の建物が立ち並ぶ壮大な寺院でありましたが、明治の廃仏毀釈によって伽藍は消滅し、優れた仏像や仏画、建造物が国内外に流出しました。現在は本堂池だけが残り、その面影をとどめています。
いまは無き内山永久寺を伝え残すために、天理大学歴史研究会の学生たちが復元模型を作製しましたのでこれを公開します。  天理市教育委員会


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残された本堂池

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内山永久寺の正門だった西門跡。杣之内から登ってくると門の跡は切通し状にになっている。

「優れた仏像や仏画、建造物が国内外に流出」とある。
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石上神宮に移設された同神宮摂社出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)割拝殿(国宝)が有名である。本堂の北側に建てられていた。

東大寺が所蔵しており、奈良国立博物館に寄託(現在非展示、4月22日現在では展示の予定はないとのことである)されている持国天・多聞天立像(重要文化財)は内山永久寺由来のものである。

室生寺の本堂で5月に真言八祖像が公開される。真言八祖像は内山永久寺にも存していたとのことだったが、廃仏毀釈で流出してドイツに渡り、第二次世界大戦の末期、ベルリン民俗学博物館にて焼失したとのことである。

内山永久寺の復元模型、天理市役所ホールにて来年の(2014年)の3月まで展示されるとのことである。一見したうえに石上(いそのかみ)神宮、内山永久寺跡などの散策はいかがだろうか。
by koza5555 | 2013-04-22 21:10 | 桜井・山の辺 | Comments(4)

談山神社の神幸祭と春のけまり

談山神社に上がった。ソメイヨシノは終わっていたが、見事な花をつけた桜も残っていた。平成の大修理奉賛会の解散式典は3月末、二週間ぶりの神社だった。十三重塔も鮮やかである。
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14日、談山神社は神幸祭である。四月の第二日曜日に実施する。今年は実質のお渡りはない年。本殿・石の間にお渡り一式を並べて、神事を行った。
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お渡りの持ち物一式(すべてではないが)

談山神社の神幸祭はお渡りで歩くのは2年に一度、一の鳥居まで下るのは4年に一度である。昨年のお渡りは一の鳥居まで下った。わが町には割り当てがあり、僕は鉾持ちだった。
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昨年4月8日のお渡り、下の西内酒造前である

談山神社の氏子総代を務めさせていただいている。20余りの大字が談山神社に関係しており、それぞれに氏子総代が委嘱される。多くは区長が兼ねているが僕の字は区長の指図でその役目は僕が引き受けている。
そんなこともとあり、春の談山神社の行事を紹介したい。

神社はいま「花とみどりのまつり」を開催している。
昨日の神幸祭に続いて、4月29日(月・祝)は「春のけまり祭」である。11時から祭典があり、その後、蹴鞠保存会によるけまり奉納が行われる。
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昨年のけまり祭である
連休中の3日~5日までは、毎朝10時から拝殿にて、浦安の舞の奉納が行われる。直近での撮影もできる。今年は4月28日、5月5日とJTBのツアーで忙しくしている連休だが、時間を見つけて新緑の春、談山神社にせっせと通う。
by koza5555 | 2013-04-15 10:06 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

前川佐美雄

万葉集のツアーの準備で檜原神社に何回も通った。
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崇神天皇の時代、天照大御神を笠縫邑に祀ったという。これが檜原神社で伊勢への遷座後も祀り、「元伊勢」と今も呼ばれる。大神神社と同じくご神体を三輪山として、三ツ鳥居で禁足地を区切っている。万葉集では「三輪の桧原」と詠まれ、山辺の道の歌枕になっている。

この檜原神社の境内に誰しもが目につく形で大きな歌碑が置かれている。
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「春がすみいよゝ濃くなるまひる間の 何も見えねば大和と思へ」前川佐美雄である。

ツアーでは簡単に歌意を紹介しようと考えた。
「前川佐美雄って、何か知ってるの?オレ」と僕の奥深くから意地悪そうな質問が浮かび上がってきた。
こうなるともうダメだ。いろいろさがして、「歌の鬼・前川佐美雄」という本を見つけた。小高根二郎(おだがねじろう)という方が30年ほど前に書いている。
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佐美雄は明治36年(1903年)、南葛城郡忍海(おしみ)村(現葛城市)の広大な山林と田畑を有する素封家の長男として生まれ育った。林業の将来を見込んで祖父は佐美雄を吉野林業公学校に学ばせたが、その方向には佐美雄は進まなかった。しかし、植物への深い知識はこの学校時代に培われたことは確実である。

志貴皇子に共感する青年時代、佐々木信綱に師事し、大和に関わる数多くの歌も書き連ねた。
佐々木信綱は「大和の国は万葉歌人の故郷であるが、万葉以後大和に歌人の出ないのは不思議な現象だ」と薬師寺で講演したという。佐美雄はこの講演の速記をしている。速記をしながら佐美雄は恥辱にわなないたとされる。
もちろん大和の歌人といえば、「南山踏雲録」の伴林光平もいる。しかし彼は河内の人であり、大和の人とは言い難いとのことである。

佐美雄の生涯はこの言葉への兆戦で、歌人として歩むことを生涯の目的として生きた。これが小高根の論である。

佐美雄は役小角に共感したり、折からのプロレタリア芸術運動に参加する時期もあったがそれは一時期だった。

「春がすみいよゝ濃くなるまひる間の 何も見えねば大和と思へ」(昭和15年)

朝日の登場とともに、霞の内から山容を現す大和三山。その山影はやがて真昼間の盆地が吐き出す濃い霞に呑まれて、消えていくと歌である。
小高根は、「これが歌の覚知だ」という。佐々木信綱は薬師寺の塔、會津八一は唐招提寺の柱をへて大和を描いた。佐美雄は非具象の霞で大和を描き、「万葉以後大和に歌人なし・・」という佐々木信綱の指摘に応えたとされた。

伝記一冊読んだだけであるが、前川佐美雄、とても身近になった。
by koza5555 | 2013-04-13 00:27 | 読書 | Comments(2)

大神神社、春の大神祭(はるのおおみわさい)

8日(月)から10日(水)にかけて、春の大神祭が執り行われた。大神祭は8日の大直禰子(おおたたねこ)神社(若宮)のご例祭に始まり、拝殿で宵宮祭があり、9日には大神祭(例祭)、午後からは若宮神幸祭である。
9日のお渡りだけを拝見した。
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大神神社、拝殿から参道を経るお渡り

三輪のお渡りは、若宮の分霊の巡行である。神輿には分かり易く「若宮」と表示されている。
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大神神社の若宮の渡御(とぎょ)、時代衣裳に身を包んだ崇敬講や氏子の長い列が続き、物々しく大規模なものである。氏子のみなさんの持つ旗にはすべて大神神社の神紋「三本杉」が記されている。

神社を出たお渡りは三輪恵比須神社を経て、大鳥居、三輪の町を経て2キロメートルの巡行を経て拝殿に戻る。
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10日には「若宮還御(わかみやかんぎょ)祭が行われ、「春の大神祭」がすべて終了したあとに、後宴能(ごえんのう)が催された。

このお渡りの知名度は地元では高いとは言い難い。僕は初めて拝見した。三輪の町をはじめ崇敬講、氏子ともどもこの祭りには、気合が入っている。歴史的な背景などはまた別の事として、桜井と三輪の祭りとして今後大いに発展させたいものである。

fb友達の松塚建設の松塚博司さんから、お祭りのご招待をいただいてはせ参じた。
松塚さんは宇陀崇敬会の役員として、お渡りの締めの旗を持った。
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by koza5555 | 2013-04-10 22:49 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

滝蔵権現桜、東吉野の宝蔵時の枝垂れ桜

4月に入ってからは健康状態に問題があったり、ツアーの下見・相談が2回入ったりで桜を見ていない。

「ツアーの下見なら、花も見れるじゃん」だが、説明役となるとカメラばかり構えているわけにはいかない。
風雨の様子も見ながら、桜の写真を撮って回る。午後からはあっちゃんも「行きたい」ということで、桜井や宇陀を回った。
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長谷寺、これは雨の中。霧がかかったりで鮮明とは言えないが、これも一風景である

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瀧蔵の権現桜
瀧蔵は16軒。神社を中心にまとまっているような集落である。暖かいお茶のサービスまでされている。
それにしても権現桜は難しい。昨年も遅かった。今年は一週間以上早く7日の今日に伺ったが、盛りは3日間ほど前だったようである。

NPO法人奈良まほろばソムリエの会の小北会長が、東吉野村の宝蔵寺の枝垂れ桜を産経新聞の奈良再発見で紹介されていた。
菟田野まで入ったのだから、「えいままよ」と訪ねてきた。
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 「落花激しく」という風情だった

これは芳野(菟田野)の勝林寺である。菟田野の秋祭りで何度も訪ねた。桜はどんなかと訪れてみた。
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菟田野の桜である。芳野川沿いに見事に咲いていた。
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桜井の山間部、宇陀などの桜を見ていると、ソメイヨシノなどよりエドヒガンなどに暖冬の影響が大きく出ているというのが実感である。
by koza5555 | 2013-04-07 20:43 | 奈良 | Comments(0)

万葉集で桜井のツアー

6月8日(土)と15日(土)は「大和路・万葉の旅」(奈良交通)、「初瀬・桜井コース」である。

楽しみのところは多いが、まずは6月の大神神社は?そう、率川神社、三枝(さいぐさ)祭りへの「ササユリ送り」(ササユり奉献神事)である。祭りは17日、送るのは16日である。
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6月、大神神社の笹百合は満開となる。これは昨年の6月16日の大神神社である

6月の万葉ツアー、下見を終えたばかりであるが、僕らはこれからが本番である。
ガイドが二人、オブザーバーが二人の合計4人で案内するのだ。
普通なら成り立たない体制だが、ボランティア参加も含めてで経費は最小限だ。
勉強しながらガイドもする、ここが「NPO法人、奈良まほろばソムリエの会」のいいところだ。

そして、こんどのツアーではこの4人全員で役割を分担できるように、今から良く準備してゆきたいというのが、僕の思いである。
明日、そのメンバーが集まって改めてコースを回る。明日はどうしても無理という前田さんとは今日話し合った。

いろいろと構想が深まる。
大神神社の笹百合園を拝見する段取り、時間の幅を相談した。
ガイドする場所、時間帯についての分担を決めた。
午後のトイレ休憩についても改善策を決めた。

前田さんが「拓本」を勉強していることが分かった。今回、訪ねるいくつかの碑の拓本も持っておられるとのこと、そして当日持参していただけるとのこと、これも楽しみが増えた。

大神神社の笹百合の事である。
神武天皇の后、姫蹈韛五十鈴姫命(ひめたたら いすずひめのみこと)の住む「川辺に山百合草多(さわ)にありき。故(かれ)その山百合草の名をとりて、狭井河という」(古事記)とあるが、これにちなんで大神神社では百合を育てている。
笹百合は7年も経たないと花が咲かない。したがって栽培、切り花販売では経営が成り立たず、山で採取して販売されるとのことで乱獲されている。
これを大神神社では豊年講が長い間かけて育ててきたのだ。
この百合を率川神社に送るのである。
豊年講の方は「育てるのも送るのも豊年講の仕事」と誇らしげだ。
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ユリ花籠

こんな満開の花が見られる6月の大神神社、ガイドするのも楽しそうだ。
万葉集には直接的な百合の花は十首あまり、今回、ここで紹介する万葉歌は二首である。

道の辺の草深百合の花咲(えみ)に 咲(え)まししからに 妻といふべしや(巻7-1257)古歌集
 
夏の野の繁みに咲ける姫百合の 知らえぬ恋は苦しきものぞ(巻8-1500)大伴坂上郎女
by koza5555 | 2013-04-05 15:08 | 万葉の旅 | Comments(0)

読売ファミリーのツアーの案内

読売ファミリーのツアーの案内をする。
すでに募集は始まっていると思うが、「読売ファミリーが手に入らない」。
ゲラ刷りはこんな具合だ。
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宇陀市室生三本松の中村区、安産寺からツアーは始まる。この地蔵菩薩を拝観して、続いて室生寺で十一面観音菩薩、さらに聖林寺で十一面観音菩薩、安倍文殊院で文殊菩薩の拝観というコースである。
日程は一回、5月16日(木)の午前10時八木、午後5時八木解散ということだ。

菩薩はオールマイティ人を助ける。人が菩薩にすがるためには、その菩薩はどんな形であらねばならないか。和辻哲郎は「それは超人的な威厳と人間らしい優しさや美しさを持っていなくてはならぬ」と言う。今回、訪ねる菩薩こそ、そんなお姿をしている。
 
 案内が楽しみである。
 この下見は13日(土)に計画している。ツアーを募集する読売ファミリーの担当者にまず、感動をしていただかなくては・・

安産寺の地蔵菩薩(パンフレットから)
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by koza5555 | 2013-03-31 07:11 | 奈良 | Comments(2)

大和路・万葉の旅 籠もよ み籠もちコース 

奈良交通の企画で「大和路・万葉の旅 籠もよ、み籠もち」というツアーが生まれた。日程は6月8日(土)・15日(土)である。

その下見とガイドメンバーの顔合わせをおこなった。
中身は万葉の歌を縦糸にして三輪山や忍坂山を眺めながら歴史や風土を語ろうというツアーである。

車谷でバスを降りる。檜原神社、井寺池、大神神社、海石榴市、忍阪、聖林寺というコースである。

檜原神社の境内に特別に目立つ歌碑があった。うーむ。読めない。近くのおられる関係者にお聞きしたが、要領を得ない。
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前川佐美雄の歌だった。
春がすみいよゝ濃くなるまひる間の 何も見えねば大和と思へ


この歌は大和の風景を歌った歌である。前川佐美雄は葛城に生まれて、ちょうどここ檜原神社と大和盆地を挟んだ反対側から山際から盆地の平野を見ていた。
「何も見えねば」と言いつつ、それが大和だという。写生の歌だとしたら、春霞を歌った歌で、経などもピッタリであったが、「この歌は単なる実景ではなく、大和の真実は地表から50センチ下の地下にあり、何も見えないとそれを春霞に例えたという解釈もあるとのことである。

始めから、こんな話の連続で調べれば調べるほど話が面白くなってくる。

ところで今日の下見はガイド(ソムリエの会)が3名参加した。
いまのところ、2回のツアーで、サブガイドが2名、オブザーバーという名で手伝ってくれる方が2名おられてトータルで5名である。

僕はいつも考えている。僕らのガイドはやはり趣味の世界だと思う。謝金が出る出ないという事や、ガイドのよしあしとかは関係なく、「自分で調べて、足を運んで実物を拝見して、社寺のみなさんと仲良くなって」、はじめて責任のあるガイドができるというものである。

「ガイドが楽しい」だけでなく、「調べることが楽しい」という境地(知識欲)が大切、「ガイドは発表の場」くらいに思いたいというのが僕の論である。
だから、労を惜しんではいけない。効率的な調査でガイドができるなんてことはあり得ない。みなさんに役割を分担していただき、このツアーを成功させたいと考えるのである。
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下見の途中、忍阪の玉津島神社にて。下見をそろそろ終了。ハングルーズでご機嫌なガイドの記念撮影。衣通姫(そとおしひめ)の歌を詠み、写真を撮った。
by koza5555 | 2013-03-22 23:02 | 万葉の旅 | Comments(0)

奈良交通で万葉集のツアー

4月から、奈良交通で「大和路・万葉の旅」が始まる。昨年の古事記に続いて奈良まほろばソムリエの会がガイドを担当する。

僕は6月の「籠もよ み籠もちコース」である。6月8日(土)、6月15日(土)の2回を担当する。橿原の方が一緒にやってくれて、奈良の方お二人がサポートしてくれる。
4人のチームワークを大事にして、お互いが目立ち過ぎず、良くサポートしあって成功させたい。
 
先ずはその下見が22日、明日である。昨日、JTBの下見、研修が終わったばかりであるが、急いで準備をしている。

コースは檜原神社、井寺池、大神神社、海石榴市、忍阪、聖林寺である。
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檜原神社
万葉の旅であるが、コースに関わって、古事記、日本書紀も触れながら、現代短歌も見てという仕掛けを考えている。

一つは檜原神社に前川佐美雄の歌碑がある。
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「春がすみいよゝ濃くなるまひる間の 何も見えねば大和と思へ」
大和の風景を歌った歌で、葛城に生まれた佐美雄はここと反対側から大和平野を見ていた。その情景の歌ではあるが、「何も見えねば」が大和だという。この歌は単なる実景ではなく、大和の真実は地表から50センチ下の地下にあり、「何も見えない」ことを春霞に例えたという論がある。
 昭和15年の歌という。

忍阪の玉津島神社、衣通姫(そとおりひめ)伝承の「君が行き 気長(けなが)くなりぬ やまたづの 迎えは行かむ 待つには待たじ」(古事記) (あなたが行ってしまってから時間が経ちました。もう待てない、私が行きます)なども大事に取り上げて紹介してゆきたい。
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玉津島神社
明日も楽しみである。
最後の写真はツアーのビラ(奈良交通)
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by koza5555 | 2013-03-22 22:30 | 万葉の旅 | Comments(0)