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奈良・桜井の歴史と社会

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神武東征の道を行く

4月9日(土)に「神武東征の道を行く」のツアーを案内する。前日の9日(土)、岡本彰夫先生の「誰も知らないやまとの神話」の講座(春日野国際フォーラム甍)と連携したツアーである。
ツアーは丹生川上神社中社、宇賀神社(オドノや血原橋も)、八咫烏神社、等彌神社を訪れて神武東征に思いを馳せようというツアーである。同時に岡本先生の「やまとの神話」の雰囲気を現地で味わっていただこうという趣旨のツアーだから、ちょっと緊張、気合を入れて準備したい。

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八咫烏神社から伊那佐山をのぞむ

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「初代天皇 神武天皇が日向から大和へと至る神話、神武東征。神話が神代から現代に至るまで、途切れることなく語り継がれてきた大和の地には、神武東征にゆかりのある場所が数多く伝わっています。
巌瓮(いつべ)と言われる瓶を用いて国の平定を占った東吉野村「丹生川上」。
神武天皇一行を熊野より導いた八咫烏ゆかりの宇陀市榛原八咫烏神社。日本で最初に大嘗祭が行われた建国の聖地 鳥見山に鎮座する桜井市 等彌神社など。一味違う奥深い大和を満喫していただきます。」
やまとびとツアー募集HPより

このツアーは昼食もすごい。大宇陀の蔵元、久保本家酒造の酒蔵を改装したレストラン「久保本家酒蔵 酒蔵カフェ」のランチ、ここはいま、注目されてきている。さらに、大宇陀、重伝建の松山の町並みも楽しもうという欲ばりツアーでもある。

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久保本家酒造

こんなコースの案内が僕のところに回ってきた。素晴らしいコースで、こんなツアーの案内、これこそガイド冥利というものだ。

   ツアーの詳細は  やまとびとツアーズ


4月9日(日)お一人さま 9800円。昼食付きバスツアー。
9時30分近鉄榛原駅出発、各地を見学、拝観して16時40分にJR・近鉄桜井駅解散


会員制のフリーペーパー、『やまとびと』をおすすめしたい。
桜井市の共栄印刷はフリーペーパー、『やまとびと』を発行してきたが、昨年の9月から「会員制フリーペーパー」に移行している。年会費1000円で、年に4回『やまとびと』が送られてくる。奈良を幅広く、さらにはディープに紹介する魅力的なパンフである。
 
 ツアーは4月9日、東吉野と宇陀の山々には桜は残っているだろう。この桜と共に、みなさんをお待ちしたい。
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by koza5555 | 2017-02-20 21:00 | 宇陀 | Comments(0)

神武東征を「神々の系譜」で見てみた

神々の系譜(日本神話の謎) 松前健著 吉川弘文館

1972年に書かれた本である。このほど、これが復刊された。今年の2月であるからまだ新刊といえよう。

目次だけを紹介しよう。
「世のはじめの神々」としてイザナギ・イザナミの誕生などを語り、
つづいて「日・月二神とスサノオの崇拝」
「高天原の神話」
「出雲神話の謎」
「日向神話の世界」
「神武の東征」である。


僕の紹介は、今日は神武東征だけである。
日向発の神武東征については、いま僕が考えているテーマだった。
「日向(ひむか)」という名称も、古くは単に南九州の国には限らず、方々にそうした地名があった。おそらく、もともとは朝日・夕陽の照らす陽光の地を表す一般的な名称であろう。

日向はあちこちにあるが、わざわざ遠い南九州の日向国が選ばれて、皇孫の天降りの地とされたのには、必ず理由があるはずである。

恐らく古くこの地に隼人の有力な豪族がいて、皇室と結びつき、その伝える地方的な霊格と、皇室の祖先の御子の一人とが同一視され、宮廷の神話体系の中に組み込まれたのかもしれない。
隼人にそれだけの力を認めても良いだろうか・・というのが僕の素直な感想だ。


神武東征である。
まずは大和に入る前である。
兄弟はイツセノ命、イナヒノ命、ミケヌノ命、カムヤマトイワレビコノ命(ワカミケヌノ命)である。

難波から大和を攻めて孔舎衙坂(くさかのさか)でイツセノ命は重傷を負う。
迂回しようと紀伊半島の南端で暴風雨にあい、イナヒノ命、ミケヌノ命は波頭に消える。

松前健さんはこの熊野経由の大和侵入に意見がある。
大和については独立の神話とされる。
カムヤマトイワレビコは「神聖な大和の磐余の首長」という意味で、
相手のナガスネビコ一名トミビコは「大和の鳥見の首長」という意味。
大和の二人の英雄の戦いだと断定された。

ところが、前段の熊野、これは別の神話だと、合体させたと松前さんは言うのである。
熊野本宮も熊野大社も祭神は、「ケ」であり「ミケ」で食物という意味が含まれる。
カムヤマトの別名や他の兄弟の名前には、「ケ」や「ミケ」が含まれ、これは熊野の神の死と復活を語る霊験譚だというのでる。そして、この熊野の神話が朝廷に取り上げられたのは7世紀初めとのことである。
熊野を訪れた神がさまざま苦労し、いったん死んでも蘇生し、八咫烏の導きで切り抜けるという霊験譚である。

大和に入ってからのカムヤマトイワレビコの活躍の紹介も松前流である。
忍坂で八十建の一族を全滅させる。久米歌、久米の舞が舞われるが、これは今も橿原神具で歌われ踊られる。4月29日、昭和の日である。
大和に侵入してからは道臣命と久米命の活躍ばかりに焦点が当たる。

大和におけるカムヤマトイワレビコの活躍は、神武東征聖蹟碑でもたどることが出来る。
もちろん神話の世界であるが、これを現代に石碑で具体化した。
評価は様々だが、7世紀の人たちが何を考えていたかを現代(戦前だが)に「石碑で示した」ものである。

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大和におけるカムヤマトイワレビコ命、エウガシとたたかった血原。菟田穿邑(うだのうかちのむら)顕彰碑

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ナガスネビコを撃った時の磐余邑(いわれのむら)顕彰碑


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ヒメタタライスケヨリヒメを求めた狭井河之上(さいがはのほとり)顕彰碑

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カムヤマトイワレビコの祭、鳥見山中霊畤(とみのやまのなかのまつりのには)顕彰碑


神武東征の説話ができたのは、日向神話が朝廷に入り込んだ後のことであり、また出雲神話が朝廷に入りこむ前であったと思われる。私は日向神話の朝廷受け入れは、たぶん五世紀初頭、出雲神話の採用は多分7世紀中葉と思っているから、その中間であろうと思っている。この神武説話は、日向から東征の出発を、前提にしているから、日向神話がなければ成立しない。また、出雲神話が知られてから後ならば、東征の途中で出雲に立ち寄らないはずはないのである。


出雲神話、日向神話を検討したのちに、松前先生はこう結論づけた。
これは40年前の本で、今年復刻という本である。こんな結論、いかがでしょうか。
これ以外にも独創的な論点が数多くで、とても面白く、おすすめである。
by koza5555 | 2016-04-11 23:03 | 読書 | Comments(0)

宇陀、猟路の池

宇陀、猟路(かりじ)の池の池を考えてみた。榛原の古代は沼沢地だったとのことである。
それを示す万葉歌が榛原西小学校に建てられている。
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写真は先週のことである。グランド越しに左から鳥見山、貝ヶ平岳、香酔山

「記紀万葉の宇陀路」と題した講演を3月8日に行うことになった。
万葉集でも古事記だって、まして日本書紀に至っては聞きかじりみたいなレベルの僕が、こんなテーマのお話しである。

僕の持ち味はある。新鮮な気持ちで現地を一所懸命見てきたこと、新鮮な気持ちで地元の方のお話しを一所懸命聞いてきたこと、あとは大きな度胸(笑)である。

「記紀万葉の宇陀路」、このテーマを考えた。
一時間半を一本の話しで通す自信がない。
いくつかのテーマで組み立ててみようと考えた。

神武東征と宇陀、菟田野のことである。八咫烏神社もここに入れる。
直接の記紀万葉とは異なるが、宇太水分神社、墨坂神社の秋祭を話す。
大海子皇子(天武天皇)の壬申の乱、「東国発ち」もやりたい。
そして、万葉集、柿本人麻呂のことを話す。

総じて12月のツアーを話すということである。
そこで柿本人麻呂である。ツアーでは阿騎野の事だけを話したが、今回は初瀬から阿騎野入りのコースをたどってみる。

初瀬、狛、岩坂、笠間に出て、猟路(かりじ)の池の西側を通り、阿騎野入りというのがそのコースである。コースに沿いながら、絵を見ながら(講演はパワーポイントである)、エピソードを織り込み阿騎野に向けて話を盛り上げていく。

コースの一つの柱になる、「猟路の池」、これが今はない。今はないが万葉学者、鳴神善治さんが古代の池の地図を作った。榛原周辺の池に関わる小字名を池岸としてつないでいってこんな大きな池を推定した。
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宇陀市の榛原駅、西南一帯をさすといわれる「猟路(かりじ)の池(つつみ)」である

榛原西小学校のグランドの端に万葉歌碑がある。

大君は 神にしませば 真木(まき)の立つ 荒山中(あらやまなか)に 海をなすかも (巻3―241)柿本人麻呂

裏にはそれに先立つ長歌があり、短歌一首が刻まれている。これらの歌は桜井の鹿路(ろくろ)での歌との論があり、歌碑もたてられている。が、「真木立つ荒々しい山中に海をつくる」というには鹿路は谷が小さかった。猟路(かりじ)の池が推定されている今では、榛原の歌と見る論が主流である。

榛原西小学校は猟路の池に南から突き出した岬の上に建てられている。この歌碑はその突端近くに建てられていた。
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by koza5555 | 2013-01-23 22:15 | 宇陀 | Comments(1)

古事記と宇陀のバスツアー

奈良まほろばソムリエの会と奈良交通が提携して、古事記のテーマで奈良県下を回るツアーをおこなっている。

12月は「神武東征と宇陀」のテーマで2回のツアーがあり、生駒でボランティアガイドをしているTさんと組んで、僕がガイドを引受けた。
さっそく12月1日(土)がその初日である。

始めにみんなで見たのは墨坂神社の赤盾、赤鉾である。

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僕のガイドの狙いは明確である。
参加者が「感動できるか、その前提としての驚き、ビックリがあるか」である。
これは難しいけど、僕が感動したか、僕がビックリしたかなら、これは判断できる。

空でも、山でも、川でも、町でも、そして神社でも、お寺でも、史跡でも、歴史でも対象は問わない。ビックリがあり、そこから感動が広がる、そういうガイドが夢である。そして笑いがあればより良い。付け加えれば「人を笑う」ダジャレのような笑いは禁句である。

そこで、今度のツアーは「3回の感動、10個のビックリ」が僕のテーマだった。
そんなガイドができたの?といわれれば、やっぱり困るけど・・ま、狙い、目標ということだ。
感動はともかく、10個のビックリは達成できたと思う。

参加者に失礼だから、10個のビックリ全部を書き連らねることはできないので、今日は一個だけ。

墨坂神社の赤盾、赤鉾のことである。
古事記には、「この天皇(崇神天皇)の御世に、疫病多(えやみさわ)に起こりて、人民(たみ)死にて蓋(つ)きむとしき。・・・大物主(おおものぬし)大神、御夢(みゆめ)に顕れて曰(の)りたまひしく、こは我が御こころぞ・・・」と三輪に祀ることを求め、「また、宇陀の墨坂神に赤色の盾矛(たてほこ)を祀り、また大坂神に黒色の盾矛を祭り、・・・。これによりて役(えやみ)の気 悉に息(や)みて、国家(あめのした)安らかにたいらぎき。」(古事記)

日本書紀には、赤き盾やつ、赤き鉾はちさおと、同じことが記されている。
盾鉾を、それも赤の盾鉾を墨坂の神に祀ったということである。

墨坂神社の神輿収蔵庫には、この(もちろんコピーだが)赤の盾8枚、鉾8さおが収納されている。
これを見ていただいた。
いまは、お渡りでも盾、鉾は歩いていないが、せめて御例祭などでは展示だけでもするといいなと思う。
(収蔵庫の開扉は宮司の許可を事前に得ておいてください)
僕の写真はまだありません。阿紀神社で説明するTさんの写真が代わりです。
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by koza5555 | 2012-12-02 00:03 | 宇陀 | Comments(0)