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奈良・桜井の歴史と社会

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4月1日はちゃんちゃん祭り

「祭り早いは ちゃんちゃん祭り 祭りじまいは おん祭り」の大和神社(天理市)のちゃんちゃん祭りは4月1日である。
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この準備が始まる。成願寺・兵庫・長柄・新泉・岸田・佐保庄・三昧田・萱生・中山の9大字が参加するが、ある大字から「3月24日の午後、風車、飾りを作ります。稚児の家の飾りもつきます。おいでになりませんか」とご招待をいただいた。
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写真を撮りたい人や、お話しを聞きたい方、ちゃんちゃん祭りを楽しむために準備も見たいという方で集まって見学しようという「ツアー」(僕だけでも行きますけど・・)を組むことにした。

3月24日(日)12時30分。大和神社参道入り口駐車場に集合(駐車場の状況が判らないので一応ここから歩く予定)。解散は適時。費用はお神酒料、資料代で200円。
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いかがでしょうか。村への連絡もあるので一応コメント(鍵コメでもいいです)に書き込んでいただけませんか。
by koza5555 | 2013-03-17 08:38 | 桜井・山の辺 | Comments(2)

近鉄学園前の楽・プラザで「記紀万葉の宇陀路」を話す

3月8日(金)、記紀万葉の宇陀路という講演を行う。

近鉄学園前駅北出口すぐの「パラディ南館」6階の近鉄「楽・元気プラザ」が会場で、午後2時から3時半までだが、実質は80分くらいのお話しである。

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10月にも同じ会場で「四季折々の天理と桜井――美しさのなかに古代と中世をみる」のお話しをさせていただいた。
同じ会場からお呼びがかかったのだから、我ことだがこれは誉めてやってもいいだろう。

「『古事記』『日本書紀』に記された宇陀の古代史を、今に引き寄せて考えます。柿本人麻呂の足跡を万葉歌でたどり、宇太水分神社や墨坂神社の勇壮かつ優雅な秋祭を紹介いたします」というテーマである。

カムヤマトイワレビコ(神武天皇)の東征を話しながら、古事記のこと、宇賀志のことを語る。
宇陀の町を語りながら、日本書紀に述べられている、大海子皇子(天武天皇)の壬申の乱、東国発ちを話したい。
柿本人麻呂の阿騎野への道を辿りながら、阿騎野や猟路の池の万葉集の歌を語りたい。

もちろん、まほろばソムリエが選ぶ奈良20景に入った、宇太水分神社や墨坂神社の優雅で勇壮な秋祭りも紹介するつもりでいる。

今回は「まほろばソムリエの深イイ奈良講座」と題して、3月8日の僕の講演と22日(金)に「平城山(ならやま)の史跡散歩」(鈴木浩さん・まほろばソムリエの会役員)の2本立てである。

このセミナーは入場料は無料だが、事前の予約が必要である。ご予約は近鉄「楽・元気」生活コールセンターで、0120-841-333(10:00~20:00 年中無休)である。
前回は、車で行かれてパラディの駐車場に停めると、駐車料金のサービスもあった。


さて、奈良の人はもちろんだが、地元の宇陀の方が聞いても納得していただけるような講演に仕上げたいと思っている。
パワーポイントもフル活用で分かり易く、きれいな絵をたくさん見ていただこうと準備を進めている。

ぜひ、おいでください。
by koza5555 | 2013-02-11 22:49 | 奈良 | Comments(0)

犬養孝が歩いた道をたどる万葉集のツアー

「古事記ツアー」のバスで奈良まほろばソムリエの会の鉃田憲男事務局長が、「犬養孝さんが亡くなって久しいがその人気は衰えない、まほろばソムリエの会で、先生の『万葉の旅』に添ってツアーをやります」と宣伝をされた。
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さっそく僕も持っている資料を見回してみた

そこで、僕なりのツアーの計画、勉強の計画を少し練ってみた。
ツアーのコースは「万葉の旅」の上、大和を順次、歩くという形になりそうである。
順番に回って、場所を説明し歌を解説する。犬養孝の歌碑は飛鳥には数多く、歌碑めぐりするだけでも楽しそうではある。

しかし、それでガイドが成り立つか・・・万葉集のテーマは縦横無尽である。
一つの歌を紹介すると類歌があり、詠んだ歌人の問題があり、場所の関連があり、歴史も関係する。すぐ10首くらいは派生してくる。

こんな心配もするが、と言っても、なんでもかんでも必要なわけでもない。「場所、場所でしっかりしたシナリオを作り、信念を持ってガイドをする,これで聴衆(ツアーのお客さん)も付いてきてくれる」、これが大切だと思う。

万葉の旅を読みこむ。これは横糸である。
犬養孝の本であれば、「万葉十二カ月」、「万葉のいぶき」、「万葉の人びと」(新潮文庫)が縦糸になる。安直な解説本には入らず、この本を読みなおす。この三部作は何度読んでもいつも楽しい。何よりも口語体で、すばやく読める。

それから万葉集の歌が載っている歌集である。僕は佐々木信綱の「新訓万葉集」の上下(岩波文庫)を使っている。脚注は簡単だが、軽快に持ち運びができて4516首全部が載っている。

もう少し、場所、場所をていねいに勉強できるのは「万葉の歌、人と風土」(保育社)、中西進企画のシリーズである。これは15冊のシリーズで、奈良県関係が1~4分冊である。これをもう一度、念のために読みなおすことにしよう。

時間はあるから、概略を学び、シナリオを作る。
歌をいくつ覚えるかも重要なカギである。ガイドがメモを見ながら万葉集を説明する、参加者がメモを見ながら聞いている、ガイドもお客もメモを読んでいる、そんなツアーにしてはいけない。


このツアー、具体化されたら「桜井、宇陀、藤原京(磐余はここに入っている)をやります」と手を上げるつもりだ。来年も楽しくなりそうだ。
by koza5555 | 2012-12-18 23:43 | 万葉の旅 | Comments(4)

墨坂神社の太田宮司と「古事記と宇陀、神武東征」ツアー

「昨日のことですが」と墨坂神社の太田宮司から電話をいただいた。
瞬間的に声が上ずる。宮司が電話をしてくるなんて、どんな失礼なことをしたかと思うよ。
「昨日はお参りしていただき、ありがとうございました。そのうえお祭りのパネルをいただいた。役員と拝見しましたが大切にいたします」と、ご丁寧な電話だった。
置いてきたのは、ツアーで使った大型のパウチ(A3)である。
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こんな絵だった
いつも東さん(ボランティアガイド)が座っているあたりに、お礼の意味で置いてきたのだ。
その程度のことで、こんなに喜んでいただけて、いっぺんに目頭が熱くなった。こんどのツアーやって良かった、このチャンスが生かせたと心から嬉しく思う。

振り返れば、今度のツアーは本当にたくさんの方にお世話になり、教えていただいた。

映画のエンディングロールふうに書き連らねると・・・
出演者は津山さんと僕(雑賀)。ソムリエの会のオブザーバー参加者。
奈良交通の添乗の谷さん、運転手の木村さんと奥田さん(間違えていたら指摘ください。正します)。それからツアーに参加していただいたすべてのみなさん。

ご協力いただいた方・・・

我が町内の老人会長の辻本さん
青木月斗を教えていただいた僕の習字の先生
墨坂神社の太田宮司
墨坂神社の東さん(ヌシ、天の森や赤盾、赤鉾をおしえていただいた)
榛原の井上さん。高見山がどこで見えるかを走り回って教えてくれた
榛原でトウガラシを作る坂本さん
八咫烏神社の小林宮司と先代のおくさま
宇太水分神社の三家宮司(親子ともども)
宇賀志の中尾さん
宇太水分神社の美人・美声アナウンサーの門ちゃん
惣社水分神社、宇太水分神社や墨坂神社で一緒になった芳野のカメラマン(名聞けず)
佐倉の太鼓台を担いでいた桜井の我妻さん
菟田穿邑聖蹟碑入り口のおうちの方
松山の郡司さん(神楽岡神社入り口の)のおばあちゃん
松山の細川さん(薬)ところのおじさん(当主?)
そして、宇陀市観光課と大宇陀、菟田野、室生の地域事務所の窓口のみなさん
青木月斗の事を教えていただいた宇陀市教育委員会の窓口の方

古事記、万葉集などの多くの本を参考にしたが、地元のものでは「宇陀の里」(大門貞夫)「菟田野の民話」「宇陀郡史」「赤い奈良」(松山特集)、「大宇陀の百年」(写真集)などに教えていただいた。

ありがとうございました。
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僕も「宇陀通」にもう少し接近できただろうか。
by koza5555 | 2012-12-18 00:16 | 宇陀 | Comments(0)

崇峻天皇陵と赤坂天王山古墳と雀塚

先日の古事記の学習会で「桜井市に天皇陵はいくつあるか」という設問があった。
桜井市は天皇の宮は13カ所もあることから陵墓も多いだろうと思うが、実は2カ所しかない。舒明天皇 押坂内陵(おしさかのうちのみささぎ)と崇峻天皇 倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)である。

今日は崇峻天皇陵のことである。
崇峻天皇は蘇我馬子に推されて、32代の天皇に即位するが、最後は蘇我馬子により暗殺された。
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崇峻天皇陵 梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)前
「馬子宿禰・・・東漢直駒(やまとあたいこま)に命じて、天皇を弑せ祀らしむ。この日に、天皇を倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)に葬りまつる。」(日本書紀)
暗殺されたことが正確に記されており、臣下により暗殺(592年)された唯一の天皇と言われる。

この陵墓は明治22年治定されており、決定が最後までもつれた天皇であった。
お寺をつぶして作った陵で、古墳としての実態がない。そのこともあり、僕は「崇峻天皇は赤坂天王山古墳である」と論評してきた経過がある。

こんど勉強して良くわかったが、どうも宮内庁も「ここにはご遺体はなし」と判断したうえでの治定ということである。

しかも始めからここではなく、現在の崇峻天皇陵から500mくらい離れた岡の上とのことで、雀塚が陵墓だったという。そして現在も陵墓参考地として宮内庁が管理しているとのことである。明治9年に決められており13年ほどは「ここが崇峻陵」とのことである。

天誅組に参加した楠目清馬(くすめせいま)の墓地の下になる。
楠目清馬、土佐藩から天誅組に参加。鷲家口から敗残し、大峠(女坂)を越えて針道を越えて、倉梯に出るところで発見され自刃した。
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楠目清馬墓

なお、崇神天皇陵の石標は「倉梯岡上陵」であり、拝所燈籠は「倉梯岡陵前」となっている。石標は雀塚当時の名前になっていることから、石標は雀塚か現在の陵に移されたとみられている。

こんな雀塚の話、今まで誰も教えてくれなかった。
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雀塚から降りたところから見る奈良盆地
なお、雀塚を探すのはけっこうホネ。なんの標識も今はないから、楠目清馬の墓を探し、その下の南北一帯、黒ロープに囲まれた場所ががそれである。
by koza5555 | 2012-12-13 00:59 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

ヤマトタケルの宮と陵

藤井稔(天理高校2部教諭)さんの講師で、あおがき古事記講座(桜井市公民館主催)の4回目が開催された。テーマは「景行天皇と倭建命(やまとたけるのみこと)」である。
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景行天皇宮、纏向の日代宮の碑

歌は「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隱(やまごも)れる 倭しうるはし」である。「作者は誰か、詠んだ場所はどこか、詠まれたヤマトとはどこを指すのか」という設問である。この設問の解き明かしの中から、ヤマトタケルが実在としたとして、その宮の場所が示される。
そしてヤマトタケルの御陵はどこかということである。現在、宮内庁は一つの墓、二つの陵を治定して管理している。

「やまとは くにのまほろば たたなづく あをかき やまこもれる やまとしうるはし」。古事記なら作者はヤマトタケルで伊勢の能褒野(亀山市)、日本書紀なら景行天皇で日向である。
いま一つ、「これは国ほめの予祝歌で、誰が作者というわけではない」という論もある。

古事記で論をすすめる。
景行天皇の宮は纏向の日代宮(まきむくのひしろのみや)である。
景行天皇が、皇子である大碓命(おおうすのみこと)が朝夕の食事に出てこないことを「たしなめ」るように小碓命(ヤマトタケル)に命ずるというくだりがある。ヤマトタケルは兄の大碓命の手足をもぎ取り、こもに包んで捨ててしまうという激しい「たしなめ」を行う。
これによれば、天皇、皇子が纏向の日代宮に同居していたということになり、「ここにヤマトタケルの宮があった」との論を立てられた。
したがって、ヤマトタケルが伊勢の能褒野で、「たたなづく青垣」と詠んだ山は、背面の巻向山一帯か、向かいの生駒、矢田、二上山、葛城山の連山ということになる。
藤井さんのヤマトタケルの宮の場所論は、今まで読んできた話、講演の中では最もしっくりした。
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日代宮から大和盆地、盆地西側の青垣をのぞむ。これが、ヤマトタケルの脳裏に最後に浮かんだ、「たたなづく青垣」だろうか
ヤマトタケルの宮、藤井稔先生の解釈、これは驚いたが面白かった。ヤマトタケルの御陵のことは、また折々書くこととします。
by koza5555 | 2012-12-09 00:21 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

古事記を巡る宇陀バスツアーは今週から

12月1日(土)、16日(日)に奈良交通の「古事記をめぐるバスツアー」を案内する。
心配事がいくつかあり、コースをもう一回りしてきた。今度のツアーは「奈良まほろばソムリエ友の会」の手づくりツアーであるから、何でも自分で確かめようという心構えである。

食事をする宇太水分(うだみくまり)神社中社の休息所のこととか、コース全体のトイレの事とか、道路事情などが心配である。僕としてはイマイチの不安を残している。
それで、「こんな日に」というような月曜日の激しい雨の中に回ってきた。
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宇陀水分神社の紅葉

先日回った時、宇太水分神社の休息所のビデオが動かなかった。神職にお願いをしておいたが、今回は順調に見ることができた。なによりも大型の石油ストーブが置かれており、これは心強い。
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宇太水分神社、休息所

トイレのことである。ツアーのいくつかのポイントに清潔さ、数量的にみて問題のないトイレが完備されていることが分かった。
もちろん、見に行った甲斐もある。たとえば阿騎野などは体育館横の仮設トイレではなく、「かぎろひの丘」の入り口に清潔なトイレが設置されている」と案内できるとか。

準備は着々である。
16日(日)の日曜日には、まだ空席があるようである。「10個のびっくり」とかの工夫もして、地元の方でも楽しめるようなバスツアーである。
年末、忙しい日ではあるが、みなさんをお誘いしたい。
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by koza5555 | 2012-11-28 00:02 | 奈良 | Comments(0)

近鉄「楽・元気」プラザの講演の動画がアップ

10月19日(金)学園前の近鉄「楽・元気」プラザで講演をさせていただいたが、その動画が今日、アップされた。
 
 歩いて回る四季折々の天理・桜井  である。



さっそく見てみた。「早口だなあ」とか「ここらあたりは説明不足、舌足らず」とか反省しきりだが、「うまいぐあいに話を回すなあ」と我ながら感心して、あっちゃんに呆れられている。
準備のてんまつ、当日の様子はすでに何度も書いてきたので、今日はすこし中身を書かさせていただく。
レジュメを書いても、余り意味がないので講演で使った「歌・句集」を紹介してみたい。

自己紹介はいつもの通り、雑賀党だったり万葉歌である。
「紀国の雑賀の浦にいでみれば あまのともしび 波の間に見ゆ」(巻7―1144)がある。         
大神神社の夏越の祓を丹念に紹介した。
水無月の夏越(なごし)の祓(はら)へする人は 千歳の命 延(の)ぶというなり
拾遺和歌集の「題しらず」「よみ人知らず」の歌である。

長谷寺の紹介はだだおし、そして菅笠日記の本居宣長をふれた。
「名も高くはつせの寺のかねてより ききこし音を今ぞ聞ける」(菅笠日記)で、「貝ふき鐘つくなり」は今日も行われていることを紹介した。

ご詠歌も紹介した。西国観音霊場8番の長谷寺と9番の興福寺南円堂のご詠歌を比較しながら、桜井の遺跡、桜井の社寺仏閣の趣の深さを述べ連ねた。

「いくたびも まいるこころは はつせでら やまもちかいも ふかきたにがわ」が長谷寺。
「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲」が興福寺南円堂である。
「山も誓いも深き谷川」、ありきたりだが、このように記される桜井、初瀬谷・・・

他にも万葉歌はいくつか紹介する。
時間の関係で、紹介できずに残念だったのは、「遠方(おちかた)や青田の上の 三つの山 小林一茶」。飛鳥学園にその碑がある。

全体は1時間22分である。前半は冗長なところ、押しつけがましい所も多いが、50分くらい経た長谷寺ぐらいから盛り上げれたと自負している。

飛ばし飛ばしでも見ていただければ、嬉しく幸いである。
by koza5555 | 2012-11-10 00:39 | 奈良 | Comments(2)

談山神社 秋のけまり祭りと鞠(まり)

3日、多武峰 談山神社で秋のけまり祭が行われた。

今年のテーマは蹴鞠のマリである。

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蹴鞠の鞠は革製で、中空である。シカの革2枚をつなぎあわせて作る。つなぎ合わせた革袋の中に麦を詰めて形を整える。作り上げてから、麦穴を通して麦を抜き中空の鞠に仕上げる。
重さは、今年の春は102グラムだったと聞いたが、秋は聞けなかった。
総じて120グラムから150グラムの範囲である。

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神官から受け取った鞠を蹴鞠保存会の理事長(師範家?)に鞠が渡されるところである。
この後、蹴鞠が始まる。
今年の蹴鞠は無風で「アリ」「ヤア」「オウ」の掛け声と共に長くラリーも続いた。
春は「足元の風が微妙に吹いて」と演者が後でぼやいたくらい、ラリーは続かなかったが、今年の秋は鞠も良くコントロールされていたように思える。

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中臣(藤原)鎌足は専横を極める蘇我蝦夷、入鹿の親子の打倒を考え、中大兄皇子と近づきになることを考えていた。そのチャンスは皇極3年(643年)正月の法興寺(飛鳥寺)、槻の樹のもとで訪れる。中大兄皇子が鞠を打ち、そのとき沓が抜け落ち、それを鎌足が拾う。ひざまずき恭しく差し出すと中大兄皇子もひざまずき恭しく受け取り、これより心の中を語り合う輩となり、大化の改新(645年)の大業成就につながったと言われている。藤原鎌足を祀る談山神社は、この縁を大事にして春秋のけまり祭りを行う。

ただし、この鞠を打つが現在の蹴鞠と同じものかについては定かでない。
「鞠を打つ」は今日のポロのような競技であった可能性も否定出来ない。
元々蹴鞠は仏教などと共に600年ころに、中国より日本へ渡来したとされる。
蹴鞠は日本で独自の発達を遂げ、蹴鞠の文化が作られたと言われている。
平安時代には今の形に出来上がり、宮廷競技として貴族の間で広く親しまれるようになっていった。
by koza5555 | 2012-11-07 00:33 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

「楽・元気」プラザのセミナー

今日は、「楽・元気」プラザでセミナーでお話します。90分、かなりロングです。

ライブ中継がある。そして、予定では「今奈良」の豆知識で録画が公開されることになる。
当日のライブ配信先はこちら 「今奈良.jp」 である。

緊張するが…
それで、とりあえずネクタイを買ってきた。「恰好だけかい?」(笑)だが、最後まで抜かりない準備をしよう。

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こんなものである

どう話すか。どこからいくか。それは一応、みていただいて、そして終わってからということで・・・・
by koza5555 | 2012-10-19 00:04 | 奈良 | Comments(0)