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サッカーのルーツは蹴鞠

談山神社の社報は「談(かたらい)」という。A4の4ページ。
長岡千尋宮司から、「雑賀さん、かたらいに書いて。一ページまるまる」と昨年の夏ごろに話があった。

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今回の「談(かたらい)」のトップ

最近は一年に2回の発行だが、発行部数が2万5千以上で、これはやりがいがありそうである。
第一回目は、蹴鞠を書くことにした。昨年の9月には東京での講演のおり、お茶の水の日本サッカーミュージアムも見学しており、準備はバッチリである。

こんな文章となった。

談山神社は春と秋、けまり祭を行う。境内の一角に青竹を四隅に立てた鞠(まり)庭でけまりを奉納する祭である。

鞠(まり)を順次蹴り上げ、地面に鞠が落ちると中断となる。演技の連続が面白みで、ラリーが続くと歓声や手拍子の応援も出て、静寂な談山神社はいつになく沸き立つ。一つの鞠を落とさぬように、鞠庭にいる全員が心技を一体にして蹴り続ける。背筋を伸ばした優雅な姿勢で蹴り続けて勝負を競わず、相手が受けやすい鞠を打ち続けることが上手と言われている。
演者の男女は平安時代の貴族のような装束に身を包み、「アリ」「ヤア」「オウ」の三声を掛けあいながら蹴り回す。青壮年は若さの力、老境は円熟の面白みで、年齢、性別に関係なく楽しめる。

今日は蹴鞠の鞠のことを紹介したい。鞠は白く塗り上げられた鹿革製で、中空となっていて、重さはサッカーボールの三分の一ほど、120g程度で整えられている。


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蹴鞠のマリ

この鞠作りをする人に、桜井市の藤田久沙夫さんがいる。
藤田さんは「鞠は二枚の鹿革で作ります。つなぎ合わせた革袋の中に麦を詰めて形を整え、白く塗り、穴から麦を抜きとって中空の鞠に仕上げます」と作り方を説明される。さらに「10年がかりの試行錯誤の末、やっと納得のいくものができました」と古典芸能を支える鞠が作れたこと喜びを語ってくれた。

 藤田さんの作った鞠は、談山神社により、日本サッカー協会に贈られて、東京の「日本サッカーミュージアム」(東京都文京区本郷)、「ボールゲームの歴史」コーナーの一番初めに展示されていて、「寄贈 談山神社 桜井市多武峰」と記されている。
 解説では「古代中国の周の時代(紀元前1100年頃~紀元前256年頃)には、皮を繋ぎ合わせ 毛をつめたボールを使った球技がありました。
この球技はのちに日本にも「蹴鞠」として伝えられ、主に貴族の社交上の遊びとして楽しまれました。蹴鞠とは、革製の鞠を蹴り上げ、地面に落とすことなく蹴る回数を競う遊戯です」と紹介されていて、FIFA(国際サッカー連盟)のプラッター会長が、世界のサッカーの発祥はこの蹴鞠だと宣言したことが紹介されている。

 「蹴鞠がサッカーの始まり」、サッカー協会はそんな展示をしているのである。


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展示の説明。右下に談山神社寄贈の実物のマリが展示されている


『日本書紀』は、「中臣(藤原)鎌足は専横を極める蘇我蝦夷、入鹿の親子の打倒を考え、中大兄皇子(天智天皇)に近づこうと考えた。法興寺(飛鳥寺)の槻の樹の下で皇子が鞠を打つ、そのとき沓が抜け落ち、鎌足が拾った。ひざまずいて差し出す、皇子もひざまずいて受け取った、と記している。
鞠を打つという言い方は微妙だが、「鞠を打つ、沓が抜け落ちる、拾う、差し出す」という一連の動作からは、現在の蹴鞠の姿を感じ取ることができるのではなかろうか。

談山神社の春のけまり祭は4月29日(昭和の日)、秋のけまり祭は11月3日(文化の日)、いずれも神廟拝所西の「けまりの庭」で行われる。

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年に3000円の会費で「談の会」の会員になっていただけると、こんな社報が届き、同伴2名までは入山が無料になるという、年間パスがいただける。とてもお値打ちで、入会をおすすめしたい。
お問い合わせは、談山神社、電話は0744 49 0001である。

by koza5555 | 2017-02-01 00:09 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

ムジークフェストなら2016

「音楽で、奈良を元気に」・・・6月11日から音楽祭「ムジークフェストなら2016」(五回目)が始まった。二週間の奈良のあちこちが様々なジャンルのコンサートのてんこ盛りである。
なにしろ300ものコンサートが開かれる。毎年、いくつかのコンサートを僕も楽しんできたが、こともあろうに今年は「出演」である。

もちろん、音楽で舞台に立つわけではなかった。
数多くの社寺でもコンサートが開かれる。この社寺会場のコンサート前に、その社寺を解説するという企画が今年から始まったのである。談山神社、大神神社のガイドを引き受けた。

12日に談山神社を案内した。お客様は桜井駅から送迎バスで到着する。

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緑に埋まる多武峰・談山神社

その前(コンサート前)に、この神社をご案内したいと思います。演奏の前に神社を見ていただきたい、荒井知事の肝いりで、バスも出しましょう、ガイドも用意いたしますということで実現した企画です。
 これはムジーク、初めての企画、今日がその初めの始めです。奈良テレビの取材も入りました。僕も力入れます。皆さんも一緒に楽しんでください。

およそ準備も済ませたところで、ソムリエの会の鉄田専務理事から電話が入る。「ガイドツアーの始まりということで、奈良テレビの取材が入るから、よろしく」である。
緊張もしますが、燃え上がります。
このガイドを引き受けたソムリエの会の責任、談山神社の氏子総代の責任が一石二鳥で果たせる

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そんなこともあり、今度の案内は神社そのものの成り立ちを語る。

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さらに場所を変えて、談山神社が芸能と音楽の歴史の宝庫であることを語らせていただいた。

こんなガイドぶりを奈良テレビが取材、ガイドとしての奈良県への思いも熱く語らせていただいた
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奈良テレビ「ならフライデー9」。放送日は6月17日(金)午後8時57分~「ならフライデー9」(午後9時から)である。
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6月11日から26日までの「ならムジークフェスト2016」、今からでも間に合うコンサートがあります。こちらでお確かめください。 

by koza5555 | 2016-06-14 07:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

ムジークフェストなら 2016 談山神社

談山神社、実は音楽と芸能の歴史の宝庫である。
重要文化財に指定されている神廟拝所(妙楽寺の講堂)、この上部欄間には素晴らしい天女奏楽図の壁画が描かれている。

笙(しょう)、鼓・鉦鼓(つづみ・しょうこ)、太鼓などを演奏する天女が描かれている。平等院の雲中供養菩薩を連想していただきたい
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天女奏楽図が残されている神廟拝所。堂内の撮影はできる


さて、6月12日(日)談山神社の権殿(祈祷所とも、妙楽寺でいえば常行三昧堂)にて、ムジークフェストならのコンサートが開催される。

今年の談山神社はチェンバロの演奏である。モーツアルトが小型ピアノみたいな楽器と共に演奏会場に馬車で駆けつけるという画面、映画の「アマデウス」に、確か、ありました。
あの「小型ピアノ」、このチェンバロを中野振一郎が演奏するのである。豊かな表現力で、、日本を代表する名手である。
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チェンバロ


この権殿は江戸時代までの妙楽寺当時は常行三昧堂、こちらが大和の芸能のメッカである。
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維摩八講会は平安時代から続く、多武峰の重要な法会であった。その中日二日間に神事として行われていた八講猿楽は、大和四座(金春・金剛・観世・宝生)が一堂に参勤する盛大なものだった。毎年、新作を一番は入れることなっていて、ここでの初演で好評だったものが、奈良や京都で演じられた。(道成寺など)今日まで伝わっている能もある。
絶世の美少年だった世阿弥は、多武峰の保護を受け京都に出て、将軍義満にひいきにされ、大和四座とは違った精神性の高い能を確立した。
多武峰は今日の能楽の揺籃の地だったと言える。

「多武峰様猿楽」とよばれる猿楽は、実際に馬や甲冑を使うという野趣あふれるもので、都の貴族や武士を驚かすに十分なものであった。この演出は延年の影響を受けたものとされている。延年とは正月修正会の後に、お坊さんが行う余興のことで、・・・多武峰の延年は山内の僧兵らが自作自演したもので、全国最大規模とされ、1515年からの70年間の演目台本が現存している。 「雅楽の奈良を歩く」(実業印刷(株) 笠置侃一監修)から

ムジークフェスト・・多武峰、お客様の多くは貸切のバスで談山神社に到着する。
到着時間は演奏会場の開場の40分くらい前で、到着した後は、僕が談山神社の縁起、境内の案内をさせていただく。


ムジークフェストのお客さまだから、・・西洋の古典的な楽器の演奏だから・・日本の多武峰の音楽と芸能の歴史を今回はとくに力を入れて紹介したい。
by koza5555 | 2016-05-25 18:33 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

談山神社の神幸祭

4月10日、談山神社は神幸祭である。
今年はお渡りがある年で、4年に一度の一の鳥居までの神輿渡御が行われる。
談山神社の神幸祭、毎年、4月の第二日曜日に斎行されるが、お渡りで歩くのは2年に一度、一の鳥居まで下るのは4年に一度であるので、今年は神幸祭、お渡り拝見のチャンスである。

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これは4年前の神幸。桜井市下の西内酒造前である

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これは二年前、僕の役割は錫杖を持って先導する役割、小目代(こもくだい)だった。

僕は、談山神社の氏子総代を務めさせていただいている。28の大字が談山神社に関係しており、それぞれに氏子総代が委嘱されている。多くは区長が兼ねている。この氏子総代をはじめ、お渡りに出仕せよとのことである。僕の大字からは一人の出仕要請、今年も僕が出ることにした。

式典は10時からで10時半すぎに境内を出発する。
コースは社務所前から門前に出て売店下の駐車場まで渡御する。
駐これは境内の写真である。
車場から聖林寺前(バス停)までは車で移動、その後旧道を渡御する。午前11時頃である。西内酒造の前などを通り、一の鳥居までの渡御である。

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これは二年前、境内(学頭屋敷跡)の写真である。

境内、もしくは西内酒造前辺りが撮影ポイントである。ぜひおいで下さい。
by koza5555 | 2016-03-31 05:38 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

特殊神饌、百味の御食

談山神社の嘉吉祭。神饌は百味の御食(ひゃくみのおんじき)。

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和稲(にぎしね)。今年は陶原さんが仕上げられた。

百味の御食は多武峰の13軒ほどの氏子が一週間ほどかけて作り上げる。
なかでも和稲・荒稲が難関である。和稲は一周42粒、それを70段の米粒を餅で作られた心棒に張りつけて作られている。

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これは上杉代表役員の作

荒稲は脱穀前の穂で作られる。これは染めずに黒米・赤米を使用する。
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阿部新町の区長を仰せつかっている。
氏神のことである。本村の阿部区と共に阿部八幡神社を氏神として祀らせていただいているが、同時に談山神社の氏子でもあるのである。

そんなことから来週はそれぞれの神社のお祭りである。
談山神社は10月11日(月)に嘉吉祭。
阿部区・阿部新町区は10月15日が秋祭である。

談山神社の嘉吉祭である。奈良検定の公式テキストによると談山神社の行事の始めに「十月には嘉吉祭という特殊神事が斎行される」と紹介されている。

永享10年(1438年)10月「大和永享の乱」で全山焼失した時、ご祭神・鎌足公御神像は難をう逃れ、橘寺に移された。3年後の嘉吉元年、修復なった多武峰に御神像が帰座され、この時に郷中の人たちがお祝いしたことがお祭りの起源。
寛政6年(1465年)「永世不易の祭事」とされ、今日まで600年間、絶えることなく行われてきた。氏子が手間ひまかけて、精巧に作り上げた「百味の御食」を神前に手渡しで供える御供行列がこの祭りの見ものである。(談山神社発行の「談」から)

穀類、果実、野菜などを独特な盛り付けで美しく飾られる「百味の御食」は、奈良県指定の無形文化財に指定されている。

御供の調整、この最終日が昨晩(祭の前々日に完成させる。祭の前日は宵宮となる)の9日の夜、社務所二階で行われた。

ちょっと最近元気が出ない、僕は気持的にスランプだった。日程が混み合いすぎて疲れが出てしまった。それで「元気を頂こう」と、百味の御食、調整を拝見しようと昨晩は神社に登ってみた。

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数々の御食

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大豆、宮司作である

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これはすごい。どんぐりである

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彩色作業中のお供えの餅

こんな行事を守り続ける神社と村、奈良の魅力発信の意義・やりがいをあらためて感じるのである。

談山神社、嘉吉祭、本祭は10月11日(日)午前10時からである。多武峰の紅葉まつり、始まりの日でもある。
by koza5555 | 2015-10-10 06:24 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

鏡女王押坂墓 墓前祭

談山神社は鏡女王(かがみのおおきみ)を東殿に祀っていて、6月の第二日曜日午前11時から鏡女王祭りを行っている。
その前日の午前10時から、忍坂の鏡女王押坂墓において墓前祭がおこなわれる。

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 鏡女王忍坂墓

鏡女王祭を支えるのは、忍阪の生根会である。
生根会、鏡女王墓を清掃管理する忍阪区の老人会である。年に3回、鏡女王墓の外周などの草刈りをされている。「もう、50年になる。区の道づくり(川掃除)とは別に行っている。昨日は朝五時から。そして5月と10月」と、老人会長が言われる。
この生根会が墓前祭を行うのである。

忍阪生根会。氏神様から命名されたようである。こちらの氏神、忍坂坐生根神社は三輪の大神神社と同じで本殿がなく、忍坂山を神体山としていて、拝殿・鳥居・玉垣のみの神社である。
神社の頭屋記録、「忍坂庄神事勤帳」は延徳4年(1492年)から残るという。(桜井風土記 忍坂生根神社による)

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 ちょっと寄り道して、忍坂生根神社の境内である


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 旧街道筋から舒明天皇陵、鏡女王墓に入った所(ただし新道)にちご石。神武東征の時に、この石の隠れて戦うという伝承を持つが、普通に神籠石として、神の依り代として崇敬されたとみるのが自然である


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 舒明天皇押坂内陵。八角墳の始めのものとされる


舒明陵をこえると、鏡王女の歌碑がある。
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「秋山の樹(こ)の下隠(したがく)り 逝(ゆ)く水の われこそ(ま)益さめ 思ほすよりは」(巻2-92)鏡王女
歌碑は犬養孝の揮毫である。
鏡女王、天智天皇の后だったが、鎌足の正妻になったとされ、。不比等の実母と言われ、興福寺の前身の山階(やましな)寺を創建したと言われる。

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鏡女王押坂墓前祭。談山神社の長岡宮司が祝詞奏上

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墓前祭をおえて

二年前の談山神社の鏡女王祭のリンクは  こちらから  


最後に、鏡女王上墓の奥の大伴皇女押坂墓に。こちらまで登って振り返ると多武峰が正面である
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by koza5555 | 2015-06-14 09:56 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

談山神社から飛鳥へ

例年に増して多武峰・談山神社に足しげく通った年だった。
氏子総代としての参拝に合わせて、ツアーやその下見で何度も訪れたのである。

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講演準備の写真撮りで、新春に万葉展望台を訪れたことが一つの始まりだった。
「この眺望をみんなに見てもらいたい」、そう激しく感じたのが始まりだ。

この眺望、今年のうちに「大和路を行く」と「大人の学校」で二回案内することができた。
見たいものは「紅葉の談山神社と万葉展望台」、食事は神社の社務所二階(有料です)を借りると決めてコースを作った。

近鉄の「てくてくマップ奈良⑩、多武峰・飛鳥の里コース」にそったコースをそのまま活用することにした。

多武峰から明日香村、これは万葉展望台を経て大原か石舞台に下る道と県道に沿って気都和既(きつわき)神社(もうこの森)を経る道がある。
多武峰からは桜井の高家(たいへ)に出る道もあるが、今回はこの道は考えなかった。

5回ほど歩いてみて、眺望、歩きやすさなどから石舞台コースを選択した。
ちょっとハードだった。ちょっとした登山靴、ストックが必要なコースである。

多武峰には路線バスで登った。
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始めの解説は、学頭屋敷跡にて行う。
談山神社の前身が、妙楽寺と聖霊院(しょうりょういん)だったと説明する上で、神社の全景が見渡せる学頭屋敷跡が絶好の解説ポイントである。

談山(かたらいやま)は中大兄皇子と藤原鎌足が大化改新の相談をした所とされ、この地がその場所とされる。明治2年(1869)に談山神社として独立し、妙楽寺の名は消滅した。

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見て楽しいのはけまり祭、由緒からいうと嘉吉祭。これは本殿前での解説である。
とくに嘉吉祭については、和稲(にぎしね)、荒稲(あらしね)が展示されていることだからお話がしやすい。
多武峰が足利幕府の攻撃を受け、難を避けて、御神像が明日香の橘寺に遷座した。嘉吉元年に帰座したが、それを祝い、二度と出坐のないことを祈念して祭典を行った。

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十三重塔を見学して、社務所に入り持参の弁当の食事である。
神社を出て、西口で食事をするという方法もあるが、雨の予測やトイレのことなどを考えると、社務所をお借りするのが最適である。熱いお茶も用意していただける。

食事時間で余裕をみて、神廟拝所は各自の拝観とし、門前の売店に出かけた方もいるという形である。

食事後は、神社の西口を出て、北山に向かうアスファルト道を歩く。
200メートル位で左に下りる道があるが、これは万葉展望台を経ずに飛鳥に下りる道で、そのまま直進すると、道は念誦窟(ねずき)に至る。
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多武峰(妙楽寺)の再興の祖である増賀(そうが)上人入寂の地である。

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三叉路、ここまで来ると、この標識は見落とさない。

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さらに三叉路。これは高家に下る道で、お地蔵さまが。

万葉展望台に至る。

どの道も猪除けの扉があるが、開けて通る。あとは扉をしっかり締めて下る。柿の木の紅葉も素晴らしかった。
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石舞台からは、飛鳥駅に出るバスがお薦めで、くれぐれも橿原神宮前駅東出口行きには乗らないように・・・である。
春・秋・冬、まあ・・夏も・・素晴らしいウォーキングコースである。
(ツアー当日は写真が撮れないため、下見の写真を使った。ツアーは秋だったが、冬や夏の写真も交じっている)
by koza5555 | 2014-12-31 13:30 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

紅葉の多武峰から飛鳥へ 万葉展望台

「大和路を行く」は「紅葉の多武峰から飛鳥へ」をテーマに11月15日(土)に歩く。お天気も良さそうだし、談山神社の紅葉も相当すすみそうである。

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11月10日(月)の談山神社

問題は多武峰から明日香村に下る道である。

このコースは「多武峰・飛鳥の里コース」(近鉄 てくてくぱっぷ 奈良―10)では、西口(談山神社)から念誦窟を経て、万葉展望台に至り、その後は大原(飛鳥坐神社)と石舞台古墳に下りる道が紹介されている。
それぞれ、大原コース、石舞台コースと、僕は呼んでいる。

それ以外にも、西口から念誦窟に至る前に、左に入り上(かむら)の「もうこの森」=気都倭既神社(きつわきじんじゃ)を経て石舞台に出る道がある。これは上(かむら)コースである。

さらに西口、念誦窟を経て、万葉展望台に至る前に、右へ降りて高家(たいえ)に降りる道がある。高家の春日神社の下に出る道である。これは高家コースである。

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万葉展望台

今度のウォークは、万葉展望台がテーマであるので、はじめから「大原コース」と決めていた。
大原は藤原鎌足の生誕地(多武峰道場最高霊東源寺)とされていて、
「藤原夫人の和(こた)へ奉れる歌」という、「わが岡の おかみに言ひて ふらしめし 雪のくだけし 其処(そこ)に散りけむ」(巻2-104)の万葉集まであるのだし・・・

したがって、ここをメインにしていたが、雨の場合は、キツイ、滑るということで、「上コース」で石舞台に降りるコースは雨用に考えている。歩いてみると、こちらも由緒があり・・・町石はこちらにあるのである。

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いくつ残っているか不明だが、二カ所で見ることができた

「もうこの森」も、「入鹿の首もうこん説」、「蒙古襲来にたたかったご利益のある蒙古説」、「もうこは みくまりの転化という池田末則先生の論」などがあり、ここもお話には事欠かないのである。

そんなことを考えていた時に、15日は、大原には降りにくい交通事情が生まれてきたのである。
そこで石舞台に降りることとしたが、万葉展望台も見たい、万葉展望台を経由した「石舞台コース」は下見ができていないのである・・

それで、10日に、この道を歩いてきた。

 
上居(じょうご)に下り、石舞台にストンと出る道である。
狭いところもあるが、丸太を利用した階段が各所にあり、滑り止めはされていた。道の崩れかかったところも二カ所ほどあったが、さほどの危険はない

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柿の紅葉、そして眺望も最高である。
この道を下りよう・・・皆さんに提案してみよう。
by koza5555 | 2014-11-11 08:27 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

日本の蹴鞠 京都蹴鞠保存会

いまごろ、「なんで蹴鞠(けまり)」であるが、蹴鞠の本を読んだ、その読書感想文である。
蹴鞠をテーマに談山神社がらみで蹴鞠を「奈良再発見」(産経新聞)に書いたが、本格的(とは言っても入門書的な)な蹴鞠の本を見つけた。蹴鞠のことが網羅的に解説されている。

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談山神社、蹴鞠祭り 女性プレーヤーである

「あそびわざは、子弓、碁、さま悪(あ)しけれど鞠もおかし」などと枕草紙に清少納言が記しているが、公式の蹴鞠会に女性がプレーヤーとして参加したのは、昭和39年(1964年)(京都蹴鞠保存会)とのことである。
姿かたちは「とわずがたり」(13世紀中期)とか、「好色一代女」などでも紹介されるが、これは好奇の目、姿かたちだけのことだったといい、正式なプレーは戦後からだった。

こんなことが丹念に書かれている。

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日本の蹴鞠(光村推古書院)池 修著


蹴鞠は仏教と共に伝えられた。
644年、飛鳥京、槻木の木のもとでの鞠が乙巳の変(645年)の契機になると書記には書かれているが、これは「打鞠」とされ、蹴鞠とは違うのかも?の論であるが、池さんの論は打毬派のように思える。

蹴鞠ということでは、905年に内裏(だいり)の蹴鞠会で206回けり続け(西宮記)るが、初めの記録とのことである。

鞠を作ることを「鞠をくくる」と言い、今も昔もこれは難しい仕事で、とても高価なものである。
それを歌ったのが、「山寺の和尚さんは鞠は蹴りたし鞠はなし」の童謡とのことで・・・これは気が付かなかった。

蹴鞠の庭の四方に植えられる式木(しきぼく)、
枝鞠から鞠をはずす解き鞠のしぐさとか、
受け取る鞠、自分の鞠、渡す鞠の三拍子(一段三足)で蹴ることなども開設されている。
これを読むと、「ラリーが続くことが楽しそう」と書いたが、もらった鞠をただちに蹴り返すのは、乱れた打ち方?などということもわかるのである。

南面するご殿の前(南庭)に鞠庭を造るのが良いとされ、四方に植えられる四本の木は式木(しきぼく)といい、桜は東(東北すみ)、柳は南(東南すみ)、カエデは西(西南すみ)、松は北(北西すみ)が正しい。
談山神社のような場合は、「四方に竹を植えて式木の代わり」であるが、資料を見る限りでは、京都御所をはじめ、多くは竹を植えて鞠庭としている様子である。

鞠庭に瓶(かめ)を埋めて反響を楽しむことは古くから室町時代には行われていた様子で、室町時代には能舞台の下にも瓶が置かれたとのことで、共通性もある様子である。

「現在、蹴鞠は京都御所の春秋の一般公開や特定の神社での奉納鞠で行われているにすぎません。したがって蹴鞠という言葉はご存じでも、実際にご覧になられた方は多くはないと思います」ということで、春・秋に蹴鞠を拝見できる僕は幸せ者である。
by koza5555 | 2014-08-03 23:23 | 読書 | Comments(0)

多武峰から飛鳥の里に

談山神社から明日香(飛鳥)の小原まで歩いてみた。
この暑い中を何で?ということであるが、秋のウォーキングの下見である。

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はじめに新緑に浮かぶ十三重塔である

11月15日(土)の「大和路を行く」は多武峰である。
僕が案内している 「大人の学校」の「歴史講座」も、11月28日(金)は多武峰である。

いずれも桜井駅の南口に集合して路線バスで談山神社に上がる。多武峰はトップシーズンで、11月中旬から12月上旬までは、バスがドーンと増発されている。

一時間くらいですばやく神社を回り、社務所の会議室をお借りして食事をする予定である。
午後は念誦窟(ねずき)、万葉展望台を経て明日香小原まで下り、バスで橿原神宮駅東口に出るコースである。

一度、通しの下見が必要だった。昨日、28日の午前は涼しかった(午後は猛暑だったが・・)ので、山道や万葉展望台の状況も見たいと考え、歩いてくることとした。

まずは西門跡。女人禁制の碑があるが、今日は石仏の紹介である。
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「花崗岩の自然石で作られている。一石の造り出し、半肉彫り、左手は甲を表にした弥勒触地印で、光背部左右に、文久3年8月8日奉造立。大勧進正延延大工藤井延清とある。市内の在銘石仏としては最古(1266年)のもの」
 (桜井市教育委員会)とある。

念誦窟を経て、北山へ、途中から明日香に降りる道に入る。

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明日香と高家との分岐点には、みごとな三石仏が置かれている


そのあとに万葉展望台
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ササが刈られ、こんなぐあいに整備されていてビックリである


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午後からはちょっと霞んで残念だった。思い切って早朝に行くとか、ヘッドライトを持って夕方登るとか・・・ここからの良い写真を撮りたいものである

ブルドーザが入って、道路補修が行われていた。
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「明日香村の事業を森林組合で行っている」とのことだった。「古道維持管理」ということで、道が均されたり、草刈なども丹念にされていて、安全な道となっている。
飛鳥坐神社から多武峰への道は「鎌足を祀る談山神社の表参道」で、飛鳥の有力な「古道」ということである。

明日香小原には神社があった。この神社には藤原鎌足ゆかりの 「産湯の井戸」なるものもあり、明日香に降りれば、鎌足街道の実感がさらに増すのである。

地道が長くて、「大和路を行く」では、ハードなコースに入るが、くだり坂だし、軽登山靴とかスティックを持ってきていただくとか、そんな準備もして、みんなで歩き切りたいものである。

談山神社の紅葉、奈良盆地の眺望、秋が深まる森の道、楽しみの多い素晴らしいウォーキングになるだろう。
by koza5555 | 2014-07-29 00:03 | 桜井・多武峰 | Comments(0)