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奈良・桜井の歴史と社会

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2月のウォーキングは忍坂(忍阪)

「忍坂山(外鎌山)からの眺望を楽しみ、王家の谷を歩いてみよう」をテーマに、2月22日(水)にウォーキングを案内します。

外鎌山に登ります。奈良盆地南部の素晴らしい眺望が楽しめます。標高は292メートルですが麓からの標高差は150メートルです。

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2月1日の忍坂の山からの眺望。大和三山、二上山、奈良盆地南部が一望できる

「こもりくの 泊瀬(はつせ)の山 青旗の 忍坂の山は 走出のよろしき山の 出立の くはしき山ぞ あたらしき山の 荒れまくおしも」(巻13-3331)と万葉集にも歌われた忍坂の山(外鎌山)に登ってみましょう。

石位寺で白鳳時代の薬師三尊仏(重要文化財)を拝観します。
また、舒明天皇陵、鏡王女墓(談山神社)を見学し、大王級の赤坂天王山古墳の横穴式石室を体験します。
最後の忍坂坐山口神社を参拝、境内の楠の巨樹に力をいただくというマルチのウォークです。ぜひぜひ、おいでください。

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忍坂坐山口神社の大くすのき

■実施日    平成29月2月22日(水)雨天決行
■集合時間午前10時 
■集合場所   近鉄大阪線大和朝倉駅 改札前
■コース(歩く距離約8km程度。小さな山ですが山登りもします)
朝倉台駅(集合10:00)w.c.→11:00 外鎌山頂上 → 11:30 鏡女王墓 → 舒明天皇陵→ 神籠石 → 12:00 石位寺w.c(昼食)→ 14:00 赤阪天王山古墳.→ 14:40玉津島明神 → 15:00 忍阪山口神社 → 15:30 朝倉台駅(解散)
■持ち物  弁当、水筒、帽子、雨具をお持ちください。小雨は決行ですが、コース変更をする場合もあります。※歩きやすい靴でおいでください。
 大和朝倉駅前(集合場所)では、弁当を買うお店はありません。必ず事前にお弁当を用意してください。

■参加費  1200円【拝観料300円(石位寺)、資料代含む】

申し込みは 大人の学校の溝口さん(メール)まで hiromi-03.30@kym.biglobe.ne.jp
もしくは   kozaburo@cg8.os-net.ne.jp

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赤坂天王山古墳、このウォークは横穴式石室に入ります。汚れます。覚悟してスラックスやジーンズを用意してください。
今日は一人で入りましたので、自撮りです(笑)
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by koza5555 | 2017-02-02 00:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

赤坂天王山古墳と崇峻天皇陵とスズメ塚

山本さんが赤坂天王山古墳をウォーキングの下見で訪れたいとのことである。
山本さんはFb友達で、「5/6にウオーキングの会の下見・・・天王山古墳をメインにしたコースです。天王山古墳がいまいち良くわからないのですが、『とりこ』になるって書いてありましたので(^_^)」というコメントをいただいた。
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赤坂天王山古墳のことである。考古学の勉強する方はこの古墳を「崇峻天皇陵」とほぼ決めている。
明和9年(1772年)に吉野を訪れる本居宣長が倉橋を通る。忍坂から倉梯まで登ったところで、「また御陵【倉梯岡陵崇峻天皇】はいづこぞととへば。そは忍坂と申す村より五丁ばかりたつみの方に。みさゞき山とて。こしげき森の侍るなかに。洞の三ッ侍る。ふかさは五六十間も侍るべし。こゝより程はとほけれど。そのあたり迄も。なほくらはしの地には侍る也といふ。いでその忍坂は。きしかたの道なりしに。さることもしらで。過こし事よと。いとくちをし。」(菅笠日記)などと語るのを見ても、天王山古墳が当時も崇峻天皇陵として見られていたことは間違いない。

さて、崇峻天皇のことである。崇峻天皇は蘇我馬子に推されて、32代の天皇に即位するが、最後は蘇我馬子により暗殺された。
「馬子宿禰・・・東漢直駒(やまとあたいこま)に命じて、天皇を弑せ祀らしむ。この日に、天皇を倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)に葬りまつる」(日本書紀)
ここには崇峻天皇が暗殺されたことが正確に記されており、臣下により暗殺(592年)された唯一の天皇と言われる。
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倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)
この陵墓は明治22年治定されており、決定が最後までもつれた天皇であった。
お寺(金福寺。「崇峻天皇の都倉梯柴垣の宮の御跡には侍る」お寺と本居宣長は記しているが)をつぶして作った陵で、古墳としての実態はない。
そんなことも聞いていたので、僕は「崇峻天皇は赤坂天王山古墳である」と信じてきたのである。

しかし、日本書紀の記述によれば、天王山古墳は一日では作れないし、場所も「倉梯の岡の上」ではなく「忍坂の岡の上」というべき場所である。
寺川流域の倉梯からは、分水嶺をこえて2キロも谷をくだった粟原川(おおばらかわ)である。

崇峻天皇陵、宮内庁は「ここにはご遺体はなし」と判断したうえでの治定ということである。延喜式には陵はないとしていることに準拠しての治定である。

しかも始めからここではなく、明治9年の治定は現在の崇峻天皇陵から500mくらい離れた岡の上、スズメ塚を「倉橋岡上陵」と決めたのである。現在も陵墓参考地で宮内庁が管理しており、明治9年から13年間はここが崇峻陵だった。いかにも「倉橋岡上陵」という場ではある。
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天誅組の楠目清馬(くすめせいま)の墓地の下である。
楠目清馬、土佐藩から天誅組に参加。鷲家口から敗残し、大峠(女坂)を越えて針道を越えて、倉梯に出るところで発見され自刃した。
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いまではほんとの杣道だが、当時は多武峰にも忍坂を経由しての初瀬、または男坂に通ずる交通の要所でもあった。この道は神武東征、大和入りのシナリオが書かれる前提となる道でもある。

なお、崇神天皇陵の石標は「倉橋岡上陵」であり、拝所燈籠は「倉橋岡陵前」となっている。石標は雀塚当時の名前になっていることから、石標は雀塚か現在の陵に移されたとみられている。


以上をあれこれ考えると、赤坂天王山古墳が単純に崇峻天皇陵というのも無理がある、という論も成り立つ。ではどこか・・・崇峻陵はない・・のである。ではいまの天王山古墳はだれの墳墓か?それはわからない・・である。
こんなことをいろいろ書いても、天王山古墳の素晴らしさ、その価値を無論、疑うわけでもない。
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初夏に訪れる倉橋の山々、そして天王山古墳、古代に思いを寄せる素晴らしい道である。
by koza5555 | 2013-05-02 08:59 | 桜井・多武峰 | Comments(0)