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長谷寺と蜻蛉日記

8月に「初瀬・長谷寺」をテーマに講演することにした。
まだ先だし、やり慣れたところだが、パワーアップしたいと思った。

長谷寺は、源氏物語や蜻蛉(かげろう)日記に取り上げられていることを紹介してきたが、この蜻蛉日記の取り上げられ方が、きちんと話せてこなかった。
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桜、今年の長谷寺

そんなとき、ブックオフで108円で買った、田辺聖子の「蜻蛉日記をご一緒に」が本箱の隅に放置されていた。「長谷寺には確か二回きている」とむさぼり読んだが、ちょっと当てが違った。初瀬詣でのことが具体的に書かれているわけではないのである。

そこで、さっそく「日本古典文学全集」を桜井市の図書館で借りてきて、長谷寺のくだりを読み直してみた。

初瀬詣、椿市(つばいち)がポイントであることはよく分った。「椿市までは無事に来た」とか、「椿市に着いて、例のように、あれこれ支度を整えて出立するころには、日もすっかり暮れてしまった」、「椿市に帰って、精進落としなどと人々は言っているようだが」などと記されており、椿市が長谷詣での起点になっていたことが、きちん紹介されている。

あの有名な二本(ふたもと)の杉のことが紹介されていることにも注目した。
「はつせ川古川のへに二本ある杉 年をへてまたもあひ見ん二本ある杉」(古今和歌集 1009) 

坏(つき)や鍋を据えた乞食などに気を取られて、すがすがしい気分になれなかったと記している。
また、御堂に籠っている間(庶民の間に座っている・・あの礼堂であろうか)、眠ることもできず、それほどみじめそうでない盲人が人に聞かれていることを知るか知らずか大声でお祈りしている、それを聞くにつれ、涙がこばれたなどと記しており、お堂の情景が手に取るように見えるのである。

二回目の長谷詣では、「物音を立てずに通らなければならない森の前」のことが記されている。これは初瀬山口神社の前と思われると注に記されている。「祭神 手力雄命(たじからのおのみこと)が人の声を奪ったという伝承に従う」という意味らしい。
初瀬柳原に初瀬坐山口神社を遥拝する「伏し拝み」の場があり、毎晩、いまも献灯が行われているところである。1000年前から、あれは特別な場だったんだ・・と感銘。そんなことから決められた場だったんだ。

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初瀬柳原、伏し拝み

さて、蜻蛉日記、肝心の作者である。藤原道綱の母としかわからない。
田辺聖子は、蜻蛉日記が源氏物語にも大きな影響を与えたと分析する。

「年月はたっていくけれど、思うようにならぬ身の上を嘆き続ける・・あるかなきかの思いに沈む、かげろうのようなはかない女の日記ということになるだろう」と、日記を書き、その名を「蜻蛉日記」として世の残した、ものすごい女性の生きざまであり、巨大な遺産というべきである。
何をいまさらということだが、僕の感想である。

田辺聖子は、すれ違いとか女性と男性の求め方の違いとかにも触れながら、「普遍的な男と女のあり方が論じられており、人類の夢が語られる」と評価する。今でもさまざま教訓的だが、読者の人生キャリアによって蜻蛉日記は響き方もさまざま違うと締めくくる。
「蜻蛉日記をそれぞれ受け止めてみよう」だろうか。

最後に百人一首から
嘆きつつ 独り寝る夜のあくる間は いかに久しきものとかはしる(右大将道綱の母)
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by koza5555 | 2016-04-06 19:41 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

初瀬観光ガイド

初瀬で観光ガイドを始めようと、坂本さんががんばっている。

初瀬の町おこしで頑張っている坂本さんから相談を受けた。
「初瀬の町が元気になるような観光ガイドの運動をやってみたい」、「そのために助言とガイドの養成をしてほしい」との相談である。

それから、コースを相談したり、「初瀬の見せかた」みたいなことをあれこれ話し合ってきた。

坂本さんの考えるガイドは有料ガイドである。
そして、「初瀬のお店で使えるクーポン付のチケットを買ってもらう」という考え方に特徴がある。金額を決めているわけではないが、「ガイドの謝礼は500円いただくのだが、そのうち300円は初瀬で使える金券」、こんな仕組みが目標である。

夢はいろいろと広がるが、頼んでよかったというコースの設定とガイドの養成がまずは肝心である。

その養成講座、第一回目を12月20日におこなった。
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これは長谷山口坐神社の解説

柳原太鼓台蔵前に出雲、白河や初瀬の町の方が10人ほど集まった。
長谷寺と初瀬の町を知り尽くしている方々ばかりで、しかも三社権現の綱かけや興喜天満宮の秋祭で実際に活躍している方々ばかりである。
またほぼ全員が、長谷寺や初瀬の町を勉強してきた「初瀬歴史研究会」のメンバーで、勉強はしたが、ガイドの経験は無いのである。


そして、初瀬をみなさんは全部・・・知っているのである。
だから、何を話して、何を捨てるか、その見極めが大事と思える。


①長谷寺と初瀬の町をセットで案内する。
②初瀬の町は近世をテーマに考える。菅笠日記(本居宣長)を軸に組み立てができる。

みなさん、知っていることが多すぎて、歴史上の事柄の見解の相違もあちこちにある。
初瀬には山口坐神社が鎮座する。長谷山口坐神社は延喜式祝詞で幣帛が立てられた神社だ、それはみんなが一致できる。

しかし、この地が「元伊勢」となると簡単ではない。
倭姫命は「磯城の厳橿の本に鎮め坐(ま)せて祀る」(垂仁紀一に曰く)としているが、この厳橿は地名ではなく神霊の依り代となる神木(ケヤキか?)との見方が一般的、しかし初瀬はこれを地名と考えて、元伊勢はこの地と考えているのである。
こういう場合の説明の仕方を研究しなければならないと解説する。
ところが、「元伊勢、厳樫は初瀬のあっちにある、こっちにある」という声(これは僕にも予想外だった)がでてきて、大騒ぎ・・・みなさん、よく知っているし、ものすごい郷土愛・・すごいです。


長谷寺です。登廊を登り、どこで休むか、どこで何を話すかのタイミングを考えていただく。

「歴史に残る長谷寺の3人」が糸口である。

一人目は長谷寺を創建したという僧、道明。法華説相図に書かれている。本長谷寺と言う形で長谷寺は守っている。

二人目は十一面観世音菩薩尾を祀った徳道上人である。

三人目は現在の豊山長谷寺の形を作り上げた専誉僧正。中興の祖である。

順々にめぐり、専誉僧正、豊臣秀長(大納言)の五輪塔までお詣り、練習ツアーを終える。
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さすがにみなさん秀長公の五輪塔はご存知、だがここまで来たのは30年ぶりの方も・・・・・

2月14日(日)ダダ押しの日に、「長谷観光ガイド」のデビューである。
「地元のガイドで初瀬と長谷寺を楽しみ、ダダ押しを見学しよう」というツアーである。
午後1時、柳原太鼓台前集合・出発、初瀬の町の良いとこを見て、長谷寺を案内する。
練習ツアーですので無料、長谷寺の入山料(500円)は必要です。
ぜひぜひ、おいでください。僕も全行程、同行します。
by koza5555 | 2015-12-21 21:49 | 桜井・初瀬 | Comments(1)

「初瀬谷と長谷寺」。桜井東ふれあいセンターで

1月29日(金)午後7時から初瀬で、お話をさせていただく。
会場は近鉄の長谷寺駅から100メートルの桜井東ふれあいセンターである。

演題は「初瀬谷と長谷寺」で、初瀬で初瀬と長谷寺のお話をするのである。
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図々しいような、そして僭越ではあるがこういう行きがかりになってしまった。

話しは11月にさかのぼる。
桜井の本町通りで講演を終えたときに、東ふれあいセンターの藤井さんに声をかけられた。「初瀬の地域史講座で話さないか」、「桜井のお話でいいから」ということであった。
話し終わったばかりで、この時は僕も気持ちが高ぶっていたから、「初瀬で話すなら、せっかくですから初瀬のお話をしたい」と、その場で決断をしてしまったのである。

そのうえ、「人を語ることをモットーとして取り組まれている」とか、「『見る』『食べる』『買う』という考えで、観光の振興を提言されている」と、なかなか僕には過重な紹介まで、されてしまったのである。

それ以降、ツアーの合間に、お正月の行事の間に、ギリシャへの観光旅行の時も、それなりに「呻吟いたしまして」、パワポの形が、やっと、まとまってきたようなところである。

ブログにもたびたび書いたが、長谷寺のことはしっかりと勉強し直した。
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今日の長谷寺

泊瀬・初瀬のことも考えた。国の都、経済と文化の集約地だったハツセ・ハセが、なんとなく暗い感じの「こもりく」と呼ばれるようになった動機と歴史は「なんだったのだろうか」も探りたかった。

今回は歴史、観光案内だけではなく、町の活性もテーマに考えた。
興喜天満宮の秋祭の太鼓台、柳原や下の森の献灯のことなどを糸口に、素人の考えだが、僕なりの思いも語れるかな、そんなこともよく考えることができた。

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献灯・但しギリシャの

1月29日までわずか、2月からのツアーや町内会の仕事も錯綜しているが、いま少し練習したり、見直し・補強したりして、みなさんに思い切り、楽しんでいただこうと考えている。

また、3月25日(水)の午後2時から東京の奈良まほろば館で講演を行うが、このパワポ、初瀬をテーマに行いたいと思っているのである。
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これは、昨年5月の東京の講演の画 

「地域史講座」の入場は無料、問い合わせは0744-47-7026である。
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by koza5555 | 2015-01-21 21:57 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

何度訪れても、楽しい長谷寺

長谷寺はおもしろい。昨年、僕はここを30回も訪れた。
案内した団体名の紹介はできないが、下見を含めるとこんな回数、仁王門をくぐったのである。

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門前での解説は一度もしなかった。事前の車中で解説を済ませ、登廊の途中などでお話しするのである。

始めの話は登廊、手水舎あたりである。登廊の成り立ちとか、天狗杉、牛の目などのお話をする。399段の登廊である。ここらあたりでいったん立ち止まるのが、息切れ防止でもベストである。

ところで、立ち停まっての解説は一カ所につき5分以内、話は三個までと僕は決めている。相手の顔を見ること名もなく、知っていることを延々と話すのは・・・これはご法度だ。


さて、登廊を登りきる。
まずは本堂。東大寺の大仏殿に迫る大きさで、国宝指定である。三代将軍、徳川家光の寄進(1650年)で作られた。
大磐石の上に立つ十二面観世音菩薩は、右手に錫杖、左手に水瓶を持ち、長谷寺式と呼ばれている。

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舞台から五重塔を遠望。お正月の準備で座布団を干していた


長谷寺に名を残した三名の高僧を紹介して、長谷寺の歴史と境内を紹介する。その一人目は、長谷寺を創建したという僧、道明。法華説相図に記されている。
二人目は、東の丘に十一面観世音菩薩を祀った徳道上人。
三人目は、今の長谷寺の形を作り上げた専誉僧正。

この三名の足跡を示すように長谷寺の境内は整備されており、これで歴史も語れるのである。

ご本堂は徳道上人。木造十一面観世音菩薩音像(本堂安置)は、像高が10メートル余。徳道上人が造像して以来、度重なる火災にあったが、強い信心で再建を繰り返した。室町時代の天文7年(1538)に造像されたのが、現在の菩薩像である。

奥の院は中興の祖、専誉(せんにょ)僧正。
こちらには豊臣秀長の五輪塔が祀られている。秀長が高野山(根来寺)から専誉僧正を招いて豊山派が始まった。
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大納言 豊臣秀長公、五輪塔

本長谷寺では僧・道明と銅版法華説相(ほっけせっそう)図である。
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本居宣長が明和九年(1773年)、吉野水分(みくまり)神社に参拝、道中記として「菅笠日記」を記したが、長谷寺にも参拝しているのである。
むかし清少納言がまうでし時も。俄にこの貝を吹いでつるに。おどろきたるよし。かきおきける。

名も高くはつせの寺のかねてより きゝこしおとを今ぞ聞ける

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お昼前後に境内にとどまるツアーは、この時間に本堂・舞台で見学できるように到着時間を調整した。

昼食は 初瀬長者亭 を利用し、たびたび やまとびとのこころ店 の女夫饅頭も味わった。
江戸時代から明治にかけて黒崎の女夫饅頭は人気ものだったが、鉄道の開通で消滅、これをやまとびとのこころ店が初瀬門前町で復活させた。


長谷寺の境内では、五重塔の下、休憩所の広場で持参の弁当を食べることができる。屋根があり、トイレも近く、30名ほどでも対応できる広さである。許可を取る必要はなく、入山者はだれでも利用できる。
by koza5555 | 2015-01-06 17:58 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

観音万燈会と暁天開帳

長谷寺の観音万燈会は12月31日の午後7時から始まった。

万燈会は31日の午後7時から元旦の午前5時までと
2日と3日は午後5時から8時までである。

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お正月の三が日は入山料・無料である。お気軽にぜひおいでいただきたい。

さて、長谷寺のこの観音万燈会もすばらしいが、1月1日元旦には、ご本尊の開帳法要が行われる。

長谷寺は12月31日午後四時にご本尊の閉帳法要、元旦の午前零時には開帳法要である。

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この開帳法要を別名、暁天開帳と言うのである。
深夜のご開帳、この法要自体が珍しいと思われるが、これを暁天開帳というのも不思議である。

31日の午後4時から元旦の午前零時までは戸帳が下されている。
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導師がチリリン、チリリンと鳴らす鈴に合わせて、ずりっ、ずりっと戸帳が下がるとのことである。


200年前の「豊山玉石集」には寅の刻(いまの午前四時)に開帳しており、その後近代までは午前6時の開帳という時期もあるようで、初日の出を祝うという行事とのことである。

この法要は境内の整備費の確保のために、500年も前の豊臣秀長公の時代から(真言宗豊山派となってから)続けられたてきた行事とのことである。

この新年の暁天開帳、今年は間に合わないだろうけど、ぜひ、いつかお出かけください。

初瀬の山寺にも静かな穏やかな時間が流れて、新しい年が始まる。
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暁天開帳については、岡田普門院住職の講演(昭和61年 初瀬春秋)を参考にしました
by koza5555 | 2014-12-31 22:46 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

大和長谷寺 十一面観世音菩薩像のこと

「大いなる木は高島郡(滋賀県)みをが崎を流れ出て、流れ流れて葛城当麻の里に至った。たたりをおこして長谷河に捨てられたが、沙弥徳道がこの霊木で十一面観音をつくる」とされており、これが大和長谷寺の十一面観世音菩薩の始まりとされる(三宝絵詞、長谷菩薩戒)。

長谷寺を理解し、ガイドをおこなおうととすると、この縁起譚がなかなかの難物だった。
この話に、僕は確信が持てずに長い間、乗れてこなかった(話さなかった)が、あれこれ整理して、12月2日のN市の高年大学、重要文化財研究クラブのツアー(研修旅行?)で、初めて本格的なお話をさせていただいた。

春に長谷寺の喜多昭賢師のお話を聞く機会があった。
「ご本尊さまの縁起は、うちの寺(法起院)の前の白髭神社がカギ。近江の高島の白髭神社から勧請された猿田毘古を祭っている。霊木が来たということになっているが、若狭や北近江にいた新羅系の仏師・工人が来たと考えると自然で、神社も共に連れてきた」と言われた。
目からうろこである。

そんな風に考えると、琵琶湖から大和への道、これは古代の水陸の交通路に一致しているのである。
729年、長谷寺、十一面観世音菩薩を初めて造像したとされるのは、稽文会(けいえんも)と稽主勲(けいしゅくん)と言われている。中国の人とも言われるが、若狭、北陸の人とみて、両名は新羅の人と考えたい。

白髭神社。本社は近江国高島である。白髭神社を崇敬する人々が近江から初瀬に移り済んだという見方である。
白髭神社を三尾神とみて、近江国高島郡三尾崎のから流れ出た、霊木を長谷の地で祀った神社とも言われているのである。

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長谷の白髭神社。猿田毘古命(さるたひこのみこと)と天宇豆賣命(あめのうずめのみこと)を祭るとあり、「この神様は寺垣内、上之森、下之森、与喜浦の四区域の氏神様であり・・・」と掲示されている

ちなみに高島市を調べてみると、三尾崎(みおさき)、三尾神を祭る水尾(みお)神社、白髭神社は半径一キロくらいの円の中に納まるのである。

長谷には観音様の霊木で三尾崎とつながり、白髭神社と水尾神社をつなぐ白髭神社が現住する。
さらに、初瀬谷を考えると、読み方がよく似たで、「しらが(白河)」の問題もある。この地は大工が住まいしたともいう。
長谷の観音さま、観音堂の造営に奉仕した「しらが(白河)のばばあの説話」、これも実はここらあたりの霊験談につながったお話と言えよう。
「しらがのばばあ、大工の守り神」と聞いたが、実はその由縁もそんなところからかもしれない。

徳道上人が播磨の人とのことで、「稽文会(けいえんも)と稽主勲(けいしゅくん)も播磨から」という論は僕の論である。
「初瀬・長谷寺」、この講演は1月29日である。いましばらく勉強を重ねていきたい。

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白髭神社ご本殿は長谷寺参道から143段の階段を登る。境内からは長谷寺の門前町は眼下である

by koza5555 | 2014-12-04 13:40 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

長谷寺 尾上の鐘(おのえのかね)

来年のことを話しては鬼が笑うというが、一月に初瀬の講演を引き受けた。

桜井東ふれあいセンター(近鉄長谷寺駅の近くにある)の藤井さんから講演の依頼を受けた。「桜井のお話をして」との話だが、「せっかく初瀬でお話しするのだから、初瀬のお話をしたい」と、無謀にも「初瀬谷と長谷寺」でどうですかと言ってしまって、話はとんとん拍子に進んでしまった。

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長谷寺の仁王門を入ると始めは道明上人の御廟塔である。11月27日の写真


長谷寺から始まる「大和の美仏に出会う旅」(JTB)のテキストつくりで力を入れて、長谷寺を勉強した。2年前のことである。
同じころに、「桜井の四季折々」の講演の準備で初瀬谷の勉強もしたのである。

合わせれば、何とかなる・・そうは思ったが、長谷で暮らし、長谷で仕事をしているかたが相手では、不足がある。
初瀬谷と長谷寺を外から見て、地元の人が笑い、楽しみ、元気が出るようなお話をしたいのであるが、「こんな本を読んだ、あんな話がある」では、ちょっと楽しんでいただけるようなお話にはならない、距離があると、そんな思いで、勉強を始めたところである。

あれこれ勉強をし直す、まずは長谷寺である。

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長谷寺、登り廊を登りきると鐘楼である。こんな形で今も毎日、「巳の刻とて貝吹き鐘つくなり」で正午には、ほら貝が吹かれている

今日はこの鐘のことである。
この鐘は「尾上(おのえ)の鐘」と呼ばれる釣り鐘である。

長谷寺の掲示にあるように、
「年も経ぬいのるちぎりは初瀬山 尾上の鐘のよその夕暮れ」(小倉百人一首の撰者であり、新古今和歌集の藤原定家の歌である)
恋の成就を長谷に祈ったが、時を告げる長谷の鐘は人のために鳴るだけだという意だろう。

藤原定家が元久2年(1205年)に詠んだと言われているが、この「尾上」が気になる。

「登廊を龍に例えて、その尾の上にあるからだ」と、そう言われた方がいた。
仁王門を龍の頭としてのことだが、これはおもしろい論だが、定家の歌には、本歌があって、
「高砂の尾上の鐘の音すなり 暁かけて霜や置くらん」(千載集)で、定家はこの歌は知っているのである。

「絶妙の音が出る鐘は、すべて比喩で尾上の鐘と言ったのでは」とも聞いた。

「高砂の尾上の鐘」を、長谷寺に置き換えたということだが、この高砂の「尾上の鐘」が分らない。

兵庫県の加古川市がその大元だろうと考え、とりあえず尾上の鐘、尾上の松がある尾上神社にお聞きすると、
「神功皇后が三韓征伐より御凱旋の時、お持ち帰りになった鐘と伝えられています。それが尾上に置かれたから、尾上の鐘ということだと思います」と言われる。

この尾上神社には尾上の松というのもあり、クロマツとアカマツが絡み合い相生の松と言われるもので・・妻(片思いかもしれないが)と会えないことを嘆く定家の歌との関係は如何にかとも思えるのである。

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尾上の鐘、長谷寺にて

こんなふうに勉強していくと、お話の形がだんだんみえてきそうである。しばらくはツアーの合間を縫って、「初瀬谷と長谷寺」、これに熱中である。

講演は1月29日(木曜日)、午後7時から。長谷寺駅から100メートル、桜井東ふれあいセンターです。
by koza5555 | 2014-11-29 16:04 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

トーアの「ボイスウォーカー」かサンワの「ワイヤレスポータブル拡声器」か

ハンズフリーマイクのことである。
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ハンズフリーのマイクを買い直した。左がトーアのボイスウォーカー。右がサンワのワイヤレスポータブル拡声器マイクセット

奈良まほろばソムリエの会はツアーガイドのためにハンズフリーマイクを持っていたが、台数に制限があり、使用者の間での引き渡しが困難だった。

そんなことから2年ほど前にTOAのハンズフリーマイク、商品名はボイスウォーカーを買ったのである。生涯、さまざまマイクを使う機会は多かったが、自前は初めて。「マイアンプ、マイマイク」で、すごい決断だった。
「自分で決めればよいけど、そんなに使うことがあるの?」って、あっちゃんが顔をしかめる。それは普通の心配だろう。

ツアーも20名を超えると屋外、たとえばボタンの時期などの長谷寺の門前などでは肉声では難しいのである。だから必要だし、欲しいのだが、「そんなに使うのかな」・・である。

そして、このマイクもけっこうな出動回数となった。奈良交通の「万葉集ツア―」、JTBツアーの「美仏ツアー」、NHKカルチャーの「大和路を行く」などで30回ほどは使用したのである。

ところが、最近、このマイクセットの調子が悪いのである。
アンプ本体にマイクを差し込むと、雑音が出て、差込口にどうも問題があるようである。
30回で故障ではちょっと問題だが、こちらはカバンに押し込んだりなどで、扱いも乱暴だった。

修理の段取りをいろいろ考えたがその見通しが立たない。
僕は年内に7回のツアーを抱えていて、参加人数を考えるとそのうち5回はマイクが必要だ。
NHK文化センターが一回、
大人の学校が2回、
JTBの「美仏ツアー」が2回、
中国の友だちが一回である。
そして、中部地方の「高年大学」を長谷寺に案内するツアーが直近にある。ここは40名の団体でマイクなしでは、なんともならない。

そこで決断して、買い直しである。。
「同じものを」とも考えたが、パソコンを前に考え込んだ。

熟慮、サンワの「ワイヤレスポータブル拡声器」というのを選択した。

前に使っていた「ボイスウォーカー」、製造元のトーアはマイクシステムでは名が通っている。
買い直したのは、サンワのワイヤレスポータブル拡声器で、ちょっと小さ目である。

◆ボイスウォーカーは17500円でサンワのポータブル拡声器は10500円。
◆ボイスウォーカーは480グラム。サンワは330グラム。
◆ボイスウォーカーは単三乾電池6本、サンワは充電式。
乾電池は経費はかかるが、充電式もこれはこれでリスクがある。
◆音量は同じ10Wだが、スピーカーの大きいボイスウォーカーが上である。
◆入力がボイスウォーカーはライン入力、サンワはワイヤレスとライン入力と二本立て。

さて、サンワはきちんと動くか。
きちんと動けば、使い勝手もよさそうなサンワの勝ちだが…

まあ、「資料を操らねばならない、観光(歴史)ガイドにはハンズフリーマイクは必須」ということで、このお話も、ブログの範囲と考えた。 
ガイドを目指す方の参考になれば…
by koza5555 | 2014-11-19 08:16 | 奈良 | Comments(0)

初瀬まつり 柳原太鼓台

10月19日は初瀬まつり、本宮である。
太鼓台を出す柳原町には冬から取材させていただいた。

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長谷寺仁王門前に太鼓台を押し上げる。初瀬の太鼓台は長谷寺仁王門前まで登り下るのがすごい

初瀬まつりは與喜天満宮の秋祭である。神輿と太鼓台が出る。
駆向 新町 柳原 下の森 上の森 寺垣外 宮本 与喜浦の初瀬八ケ郷の祭である。

神輿にて興喜天満宮を道真公が出座、これで祭は始まる。
はじめに長谷寺仁王門、金子宮司は「ごあいさつにきました」と紹介した。
その後、神輿は初瀬八ケ郷を巡行するのである。
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仁王門前から下る神輿。今年の当番は馳向区である


秋まつりの太鼓台を復活させた柳原町の太鼓台奉賛会の話を聞いた。

柳原(初瀬八ヶ郷の一つ)の太鼓台は、平成16年に復活された。実に50年間の中断である。
この復活の苦労を木口奉賛会長と前会長の村田さんからお話を聞いた。
江戸時代末期と言う太鼓台の歴史、その修理、太鼓台を運行する苦労などを、ていねいに語っていただいた。

柳原太鼓台は江戸時代末期に作られたものであるが、終戦後に太鼓台の巡行は中止となってしまった。
柳原区はこの太鼓台を、平成16年に復活したのである。

馳向区がさきがけて復活していた。新町も太鼓台を改修していた。
ちなみに川上と上の森区はそのころ、ひと回り小さい夜太鼓だけを出していた。
 
平成16年、当時の柳原区の武田功男区長が昼太鼓を出そうと決断した。
区の役員は三役を除くと毎年変わるので、活動がなかなか継続できなかっがが、係を決めて継続できるように計らった。

修理に一千万円かかったが、みんなで労力を出した。自分で塗って、幕も自分で作った。
柳原区の太鼓台は素晴らしい太鼓台で、大工は芝村、彫師は幕末の大阪本町通北御堂に居を構えた小松源蔵作と言われていた。

復活するとき、担い手、担ぎ手を大切にしようということを話し合った。
アルバイトは雇わない、ボランティアということでネットでも募集して、男女を問わず、そして国際的な担ぎ手集団を組織して巡行しているということだった。

「担ぎ手は66名。交代も必要で100名で担ぐ。毎回メンバーは変わるので、身長を聞いて、高さの調整を緻密に行う」と言われる。

直会、精進落としは井谷屋(旅館)でやるのである。・・

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柳原太鼓台、長谷寺門前で、「サセー サセー」と高く高くである


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馳向区の太鼓台、力強い


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新町太鼓台、桜の馬場にて


いったん途切れた太鼓台の運行を再開した長谷はすごい
by koza5555 | 2014-10-19 18:41 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

「大和路を行く」は「トコトン長谷寺と長谷の町」

6月の「大和路を行く」は長谷寺である。

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今日の長谷寺。登廊(のぼりろう)の手水舎に降りるアジサイ。七分咲くらいか

始めの計画では近鉄長谷寺駅発、長谷寺を回り、近鉄の朝倉までのコースを考えてみた。
「化粧坂(けわいざか)、愛宕神社からの長谷寺の望見」はどうだろうかとも考えてみた。
でもこれはコースとして、ありきたりだし、ハードすぎかなとも考えた。

夏至の日のウォークである。暑くはないか、歩行距離はいいだろうか。
そして、長谷の町をもっと楽しめるウォークができないだろうか・・・である。

三つのことを考えた。
長谷寺をトコトン回ろう。そして正午のほら貝も楽しんでもらいたい
やまとびとのこころ店での女夫饅頭(めおとまんじゅう)はどうだろうか
柳原の太鼓台蔵、これを拝見するという手はないだろうか



そんな検討を経て、今日のツアーを迎えた。
午前10時に長谷寺駅で、寄り道せずにご本堂まで。

長谷寺の画期をなした道明上人と法華説相図、十一面観世音菩薩と徳道上人、真言宗豊山派祖の専誉僧正をいまの姿を境内の形に合わせて解説するのが僕の工夫だ。

上部回廊(僕が名づけた)を経て、始めに奥ノ院まで入り、豊山派の派祖の専誉(せんにょ)僧正と専誉を招いた豊臣秀長の五輪塔に詣でる。

本長谷寺を詣でる。銅版法華説相図と道明上人を拝観してから、ここで長谷寺縁起を語り、白河(しらが)のおばあちゃんの物語まで語る。上部回廊はこれで終わりで、本堂、舞台に戻る。

12時までの間は、だだおしの話などをしながら時間をつなぎ、12時の「貝吹き、鐘つくなり」の時間にあわせる。話を伸ばしたり、端折ったりしながら、ピッタリに合わせることができた。

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これは2年ほど前に撮った鐘楼の写真である
「巳の時とて。貝ふき鐘つくなり。むかし清少納言がまうでし時も。俄にこの貝を吹いでつるに。おどろきたるよし。かきおきける。」
 「名も高くはつせの寺のかねてよりきゝこしおとを今ぞ聞ける」(
菅笠日記)である。


その後、本堂下の境内売店前の休息所で食事、休憩して、素戔嗚(すさのお)神社、興喜(よき)天満宮、興喜寺、法起院を経てやまとびとのこころ店で「女夫饅頭(めおとまんじゅう)」をいただいた。

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興喜天満宮での小野さん、熱弁。指差す先にみなさんの視線が集中


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女夫饅頭。ぜひとも一度ご賞味あれ

最後は柳原太鼓台蔵を開けていただいて、地元の柳原の方から興喜天満宮の秋祭りのこと、太鼓台のこと、その復興のこと、担い手(にないて)・担ぎ手(かつぎて)のことをお聞きした。苦労に苦労を重ねて再興にこぎつけた人たちだけが語れる熱い話だった。

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柳原太鼓台蔵前で村田さんや木口さんの解説をお聞きする

考えたことは今度のツアー、すべて実現、文字通り「トコトン長谷寺、長谷の町」らしいツアーができたと思う。
僕も楽しく案内した。みなさんにも、楽しんでいただけただろうと思いたいけど。
それにしても、暑かったです。
by koza5555 | 2014-06-21 21:11 | 桜井・初瀬 | Comments(0)