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奈良・桜井の歴史と社会

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談山神社の神幸祭と春のけまり

談山神社に上がった。ソメイヨシノは終わっていたが、見事な花をつけた桜も残っていた。平成の大修理奉賛会の解散式典は3月末、二週間ぶりの神社だった。十三重塔も鮮やかである。
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14日、談山神社は神幸祭である。四月の第二日曜日に実施する。今年は実質のお渡りはない年。本殿・石の間にお渡り一式を並べて、神事を行った。
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お渡りの持ち物一式(すべてではないが)

談山神社の神幸祭はお渡りで歩くのは2年に一度、一の鳥居まで下るのは4年に一度である。昨年のお渡りは一の鳥居まで下った。わが町には割り当てがあり、僕は鉾持ちだった。
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昨年4月8日のお渡り、下の西内酒造前である

談山神社の氏子総代を務めさせていただいている。20余りの大字が談山神社に関係しており、それぞれに氏子総代が委嘱される。多くは区長が兼ねているが僕の字は区長の指図でその役目は僕が引き受けている。
そんなこともとあり、春の談山神社の行事を紹介したい。

神社はいま「花とみどりのまつり」を開催している。
昨日の神幸祭に続いて、4月29日(月・祝)は「春のけまり祭」である。11時から祭典があり、その後、蹴鞠保存会によるけまり奉納が行われる。
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昨年のけまり祭である
連休中の3日~5日までは、毎朝10時から拝殿にて、浦安の舞の奉納が行われる。直近での撮影もできる。今年は4月28日、5月5日とJTBのツアーで忙しくしている連休だが、時間を見つけて新緑の春、談山神社にせっせと通う。
by koza5555 | 2013-04-15 10:06 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

安倍文殊院、産経に掲載

長らくご無沙汰しました。
20日と22日のツアーの下見でバタバタしており、そのうえハワイまで行ってきました。

ところで産経新聞なら版の今日付けの「なら再発見」は僕が書いた安倍文殊院の文殊菩薩さまである。今年になってからの執筆だったが、ご本尊の国宝指定により繰り上げ掲載となった。
 
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 このテーマを書くにあたり、「なら再発見」らしい工夫と苦労を重ねたが、それは読んでいただいてのお楽しみである。
 以下が全文である。

桜井市の安倍文殊院の本尊は、快慶の代表作ともいわれる木造騎獅文殊菩薩(きしもんじゅぼさつ)像。京都府宮津市の切戸(きれど)文殊、山形県高畠町の亀岡文殊と並び「日本三文殊」に数えられる。
 文化審議会が、日本最大のこの文殊菩薩像を国宝指定するよう文部科学大臣に答申し、話題となっている。
 知恵の仏、文殊菩薩を本尊とする安倍文殊院は、森羅万象を解明する陰陽道(おんみょうどう)の祖、安倍晴明(あべのせいめい)にも縁があり、「学問の仏さん」「受験の文殊さん」と、若い人にも人気がある。
前身となる安倍寺は大化の改新の功労者、安倍倉梯麻呂(あべくらはしまろ)創建といわれ、境内は約200㍍四方の大寺だった。鎌倉時代に戦乱により焼き払われ、1234年に安倍寺別所だった現在地に寺院を移したとされる。
 旧安倍寺跡は、安倍文殊院本堂から約300㍍西南の場所で、史跡公園として保存されている。安倍寺が移転された別所には、すでに文殊菩薩が祀られていた。

 文殊菩薩は、1203年の快慶作との墨書きが体内にあり、移転より早く現在地に祀られていたとみられる。文殊菩薩のもとに安倍寺の全体が集まり、境内が決まったのだろう。
 安倍寺の歴史は、文殊菩薩を抜きには語れない。その後も寺院は、戦乱で焼かれるなど幾多の試練があったが、文殊菩薩は守られた。
 明治初期の神仏分離や廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の激動も経た。
 神仏分離で国の保護が無くなった寺院は、寺領を失い収入も絶たれて廃仏の嵐にさらされることになった。
 そのため、寺院にとって存続には大きな決断と努力が求められた。このとき、安倍寺は「文殊菩薩を守り、寺名を安倍文殊院と変える」と決断し、嵐を乗り切ることを決めた。
 神社を選択した桜井市の妙楽寺(談山神社)からは釈迦如来三尊像を引き取り、廃寺となる大御輪寺(大神神社の神宮寺)からは客殿の移設も行った。
 それが現在、釈迦堂に祀られる釈迦如来三尊像であり、また客殿は県の重要文化財の指定も受けて庫裡(くり)に使われている。

 安倍晴明ゆかりの寺としても有名だ。陰陽道を駆使して、国政のすべてを占った晴明はこの地で誕生したとの説があり、御神像を祀る晴明堂などもある。
 文殊菩薩の知恵と安倍晴明の洞察力は、受験生があやかりたい力だろう。
 入学試験にとどまらず、国家試験などの合格を祈願する参拝者で季節を問わずにぎわい、多くの合格絵馬が境内に奉納されている。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 雑賀耕三郎)
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by koza5555 | 2013-03-16 11:26 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

奈良のまつもりさん

桜井市の高家(たいえ)から見た今日の若草山。相当芽吹いているのか。燃え残りか?
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奈良市のまつもりさんからメールをいただいた。
「おはようございます。まつもりです。雑賀さんよりfbにみごとな桜井から見えた若草山焼きの写真をいただき、つくった短歌が本日の毎日新聞やまと歌壇(7日付)に掲載されました。
桜井より若草山の燃える火の見えしと友より望遠写真   重博」
とある。

fbの写真を「友より望遠写真」と歌っていただいた。
何とも言えない感動である。

僕は7年前の一月に奈良に来た。以来、たくさんの友達ができたが、まつもりさんは格別である。前の僕のヤフーブログを読んでいただいた。奈良検定、ソムリエの試験を準備するに当たり、「中南部の情報が参考になる」と言っていただき、お近づきにしていただいた。

まつもりさんはブログを毎日書いている。 「鹿鳴人のつぶやき」といい奈良市の情報が豊かで、リンクをこまめに張り、情報の質が高いことが特徴である。そして、奈良県・市の観光産業や町づくりの重鎮でもある。

僕のfbもまつもりさんのおすすめだった。

桜井市高家(高家)に登り、今日の若草山を眺めた。山焼き、二週間後の若草山である。

1月26日、「桜井から若草山、山焼きを眺めました」というコメントでfbに投稿した。過去最高の57名の方から「いいね」をいただいた。十数名の方からのコメントもいただいた。
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松森さんからまず、コメントをいただいた。「すごい。桜井から見えるのですね。20キロはあるでしょう」だった。

さらに「こんばんは。よく写せましたね」、「凄い(≧∇≦)桜井から見えるんですねぇ(≧∇≦)」、「寒いでしょうね」、「見たかったァ...(T_T)」「寒い中、大変だったでしょ?アップありがとうございます!」、「すごい!桜井からも見えるんですね!!」、「桜井から見えるなんて知らなかったです~~」

「 昨夜!広陵町に6時過ぎに向かう途中花火上がっていました。その冬の花火に引かれ天理に向かって車を走らせてしまいました。とっても綺麗でしたよ!」、「良い写真をありがとうございます。ぼくは花火だけ見て、その後は居酒屋へ・・・(^_^;;)」、「家からも見えます! 家の二階からなら、よく見えます!! 」、「来年は、是非行きたいです」などと皆さんからたくさんのコメントをいただいた。
 改めてお礼申し上げます。

まつもりさんのご活躍ぶりはブログや「松森重博」とネットで検索すると何百もドーンと当たるので、そちらをご参考にして下さい。
私的なお話でしたが、長々とお付き合い、ありがとうございました。

桜井より若草山の燃える火の見えしと友より望遠写真   重博
by koza5555 | 2013-02-08 21:30 | 奈良 | Comments(6)

阿部連合区の役員会

町の連合区の役員会が開かれた。
連合区の役員会はいわれ会館で開く。北側の窓から見ると正面は三輪山。右側の森は安倍文殊院である。
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安倍八幡神社の「元旦祭」以来の顔合わせである。
議題は出作協力金の徴収のことなど。会議の後は新年会も予定されている。恒例の役員会と新年会だから、何を書くかとも思うが、いくつか思うこともある。

出作のことは前のブログで書いたこともある。
「出作」とは在地以外の荘園で農民が耕作することとされている。
この考えが今でも生きていて、わが町で不動産を持っていたり、事業活動される方からは(出作)協力金をいただいている(名前は違っても全国共通だと思う)。
水利とか廃物処分とか消防などで便宜を図るというような考え方である。
今回は24年度の後期で、集金期限日の確認などを行った。僕の町内会は商業地域を含むので、集金件数、金額が相当多い。

会館の屋根にソーラーを設置したことによる決算処理と運用実績の報告があった。
いわれ会館という。あの磐余のいわれである。災害時には300人の収容能力があるとされる大型の公民館である。

墓地の整備で造成した区域の販売状況などが議題になった。
正月には伊勢神宮への参宮を計画していたが、いくつかの事情で中止になり、その代替案も議論となる。
最後に大きな議題は氏神さま、八幡神社の伐採問題である。
鎮守の森として大事にしているが、伸び放題で付近から伐採の要望が出ている。また本殿の後ろに大きな桜が育ってしまったが、宮司はこれを「切るべき」と言われる。
そんなことから見積もりが出てきたが、百数十万円くらいは必要とのことである。2月17日に祈年祭、この日に伐採の安全祈願もおこない2月中には実施することとなった。

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八幡神社、こんな森である

ちなみに本殿の下は「奈良まほろばソムリエ検定」の公式テキストに掲載されている谷首古墳である。墳丘上に八幡社が鎮座しているのである。
谷首古墳は文殊院西古墳、艸墓(くさはか)古墳などと並んで安倍一族の奥津城とみられるが、この三古墳の中では一番古いとみられる。
by koza5555 | 2013-02-05 21:19 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

グループホームを訪問

毎月、最終の土曜日は校区の民生・児童委員協議会の定例会議である。
今月はさしたる緊急の議題は無かった。桜井市の会長会議の報告を受け、当面の学習会や行事の参加分担を行う。他に掲示するポスターの依頼などを受けた。

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 「児童虐待は社会全体で解決すべき問題です。」である
会議後、全員で校区内にあるグループホーム、「Y」を訪問した。

グループホームの入所基準は「要支援2以上の被認定者であり、かつ認知症の状態であること」であろうか。
グループホームと特別養護老人ホームの差は、常に介護が必要かどうかあたりにある。グループホームは入居者が職員と家事などを共同で行うことが特徴で、体力的には元気のある方もいらっしゃる。

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スライドなどを見せていただき、入居者の一年の生活の説明を受けた。
体力があり、希望する方が近所の氏神様の掃除に毎月参加されるというお話も聞いた。地域活動にも積極的に参加されていることがうかがわれた。

同時に「介護保険は行事をしなさい、地域との関係を深めなさいと言い大切だとは思うが、認知症の高齢者はそういう非日常が受け入れられず、不安定になったりする」というジレンマも語られていた。

この施設は介護保険の対象であり、介護サービスは介護保険でほとんどカバーできるが、それとは別に部屋代(個室である)、食事代、光熱費などで月に15万円程度は必要である。

入居者と同じ食事をいただいた。
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冷しゃぶサラダ、ポテトサラダ、冬瓜のお澄まし、柿のモズク和え(酢の物)、ご飯である。
美味しかった。
by koza5555 | 2012-10-28 00:03 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(0)

民生委員・児童委員

今朝は旗当番である。小学生の登下校の通学路の旗当番は、PTAの交通安全委員が輪番で当たる。
それとは別に民生・児童委員も月に2回の旗当番がある。
学校に近い交通集中の交差点で旗振りを行う。

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ウィンドブレーカーを羽織って旗振り

今日は民生委員のことを書こう。
民生委員は「常に住民の立場に立ち」、相談活動と援助を行う。実際の援助は各種の法律に基づき市町村が行うことから、中継ぎの仕事になる。

さまざまな相談活動がある。
ほとんどは「役所に行ったら、民生委員の印をもらって来てくださいと言われた」というケースだが、地域でこちらから相談を持ちかけて判るケースもある。
中継ぎ活動であるから、相談者について役所の知っていることと、こちらが知っていることのミスマッチが出てくると話が煩わしい。

2年前の今頃、区長と前任の民生委員が訪ねてきた。「民生委員やってほしい」とのことだった。
あっちゃんにかと思ったが、「この地域は男性を出してきた」ということで、僕にである。それまでは町内の仕事などは何もしていなかった。来てからも5年も経っていない。
推薦理由は、いつも夫婦で散歩していたことを指して、「暇そうだし、しっかりした話ができそうな人」みたいなことで、人選でよほど困っている様子だった(しばらくして判ったが何人かに断られた末のことだった)。

そして、推薦の名簿に載せられ、校区・市でまとめられ県知事からの委嘱状が出るという段取りだった。

報酬は一応ある。年で6万円だ。このお金はチラシ代とか民生・児童委員協議会の会議費とか損害保険掛け金などに使われたりで一旦はプールされる。「フーン」って感じで、自らのお金とは思いにくいお金である。

個別の相談活動、その中での悩みなどは守秘義務があるから書けないが、社会奉仕や研修活動などは折に触れて書いている。
by koza5555 | 2012-09-14 00:17 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(0)

阿部連合区の役員会

連合区の役員会が開かれた。

神社の森の伐採が一つの議題である。
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道に張り出した樫の木の大木。冬に切ることに

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神社への南口の階段。この階段の下に横穴古墳があるようである(桜井埋蔵文化財センターの談)。ちなみに本殿の下は谷首古墳で、いわば並び塚とのことである

連合区の会館にソーラーを付けようかという提案もあり、見積りをとることになる。


そして議題は出作(しゅっさく)協力金のことである。
「出作」、デジタル大辞典では「荘園内に居住する農民が、居住地以外の荘園・公領で田畑を耕作したこと」とある。

うちの村は、別段、荘園ではないが、村外に居住する方からは、(出作)協力金をいただいている。
払う側のメリットもある。
たとえば、「排水路などに不備がある」と要望が出されると、住民の方からの要望と同じような対応を村は行う。役所などに申し入れて修理などを実施させる。そんなことは個人でもできないわけではないが、煩わしい。

村の外にお住まいの方で、商店、工場、アパートなどを経営している方から集金するのである。
経営の面積によって決まる。業種などにより、若干の差がある。
僕は30軒近く、20万くらいを集金する。750円から5万円まで金額はさまざまである。

昨年は初めてということもあり、この集金は緊張した。
それぞれの感触は分かったが、そんなに軽やかではない。

交通や環境など地域と助け合って、事業も成り立っていることを理解していただきながら、丁寧に話し合って集金していく。
連合区のお金は、消防団、防災、神社、お寺(仏教のすべての宗派に対応できる)、お墓、連合区の会館、街路灯の整備や電気などさまざまに使われる。
by koza5555 | 2012-09-03 00:14 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(0)

三輪そうめん

三輪山勝製麺の倉庫市のチラシが入った。5日、6日の営業である。
200mも離れていない、ご近所のことだからとのぞいてきた。

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大盛況である。
大包みで格安というのもあれば、割安ギフト商品というのもあり、レジ前は数百人という長蛇の列である。
この不況にというか、不況だからこそというか。

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三輪山勝製麺の倉庫は昨年にできた。阿部は木材団地で有名だが、素麺の工場や倉庫はいままで見ることがなかった。
工事中は、「なんの工場か」と思っていたが、町の役員会で、新たに「出作」(協力金というが)をいただく事業所と紹介されて初めて知った。

8月に入って、こんな勢いで素麺が売れれば、山勝にとっても申し分なかろう。
お客の方も、大儲けした感じでホコホコである。
「さあ、今日からまたまた、そうめん食べるぞー」という感じか。

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一方、三輪そうめん山本も6日(月)は「七夕そうめん祭」を開催する。
流しそうめんあり、そうめん延ばし実演あり、そうめん量り当てクイズなど親子で楽しめそうな一大イベントである。
YAMATO超人ナライガーのそうめんフラッシュも、ま、見てみたい。

桜井のそうめん業界、30日の三輪素麺感謝祭に向けて気合十分である。
by koza5555 | 2012-08-04 12:10 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

高市皇子と長屋王。青木廃寺をめぐって

桜井市の橋本(桜井市の西南にあり橿原市に接している)に青木廃寺跡がある。
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青木廃寺へ向かう道

23日はこの青木廃寺跡に置かれている泥掛地蔵会である。
自分の痛むところ、治したいところに合わせて、このお地蔵さんに泥を塗りつけると、治るという信心である。

「子どもが集まっていた祭」として聞いたことがあり、先日訪れた時に、村の入り口で佇んでいる三人のおばあちゃんに、「24日の地蔵会の宵祭として23日、3時から祭りがある」と聞いていたのである。
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   泥掛け地蔵石柱。昭和のものである

この泥掛地蔵、実は青木廃寺跡に祀られている。

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   青木廃寺跡 

青木山の山懐にある。
「創建当時の瓦が出土している。この寺は奈良時代の悲劇の宰相だった長屋王が、父高市皇子の冥福を祈って建てたと大脇潔氏(奈良国立文化財研究所 飛鳥藤原宮跡発掘調査部、現近畿大学文芸学部教授)が考証した。
創建当初の瓦は、平城京内の長屋王邸跡で集中的に出土した瓦と同笵である」(桜井市教育委員会)。

こんな山の中に?とは思うが、吉備池廃寺跡からみると500m程度しか離れていない。
6世紀から9世紀にかけて、ここら辺りはけっこうな賑わい?だったのか。

さて、泥掛地蔵だが・・・
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困ったことに、シーンとしている。
誰もいない。

降りてきて確かめると2時からだったという事であった。
でも、3時に誰もいないのは変だと思うが…
無理をしてはいけないと考え帰宅したが、キツネにつままれたような気持ちである。

お地蔵さんに「元気にまた来なさい」と言われたと考え、来年の楽しみにすることにした。
お地蔵さんの胸のあたりに、「ここが心臓ですか?」と言いながら、少し泥を付けさせていただいたが…
by koza5555 | 2012-07-24 06:09 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

古墳の上には村の鎮守

台風のさなかではあるが、連合区の役員会が開かれた。

議題は協力金の徴収、連合区所有土地の立木が倒れて隣家に圧し掛かった件の処理、神社の例祭の準備と祭典の計画、自主防災会が新たに取り付けるサイレンの補助金の確認などである。

さて、今日は村有地のなかにある古墳の話をしよう。

連合区は新興住宅地を抱えるとはいえ、歴史のある村だから多くの不動産を持つ。
300人も入るという公民館を持っている。
ため池を持っている。
墓地がある。
お寺もある。宗派を問わず葬儀や法要のお手伝いができる村立のお寺である。
それから神社もある。
この神社がたいそうで、実は古墳も含めての境内がある。

奈良まほろば検定を勉強すると、桜井の磐余の道には、安倍一族の奥津城と言われる安倍文殊院東・西古墳、艸墓(くさはか)古墳などは避けて通れない。

合わせて、谷首古墳も勉強したはずである。
この谷首古墳、実は墳丘上に八幡神社がある。
この八幡神社がわが村の鎮守である。

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画像は八幡神社境内と谷首古墳の横穴の入り口である。


谷首古墳は後醍醐天皇の時代に砦が築かれたという歴史がある。
天皇の京からの脱出に始まる南北朝時代に、桜井は三輪西阿が南朝側として戒重(かいじゅう)城に立てこもり、安倍山、谷首古墳の上などに砦を築いた北朝側の細川軍との長い戦が行われた。
谷首古墳はその後も戦国時代にかけて砦の歴史がある。

いつころか、この砦跡が神社として、村の鎮守として祀られることなった。

今でも年に四回の例祭、秋祭りも執り行われる。
谷首古墳を見学されたときは、こんな歴史でもあるからわが村の鎮守にもぜひお寄りください。


ところで台風12号、日本海に抜けたとのことであるが、大きな被害も出ている。
風雨は今も激しく、十津川村では家も流され、行方不明者も出ている。
被害者の心情、いかばかりかと思う。
by koza5555 | 2011-09-04 09:31 | 桜井市と安倍 | Comments(0)