産経新聞の「なら再発見」(奈良版)に掲載された。
埴輪が生んだ「出雲人形」
奈良まほろばソムリエ友の会で執筆メンバーを編成し、産経新聞の「なら再発見」(奈良版)の連載の執筆を始めた。10月から掲載が始まったが、いろいろな経過があり、僕の「埴輪が生んだ『出雲人形』」が2番目の登場となった。
10月13日、掲載されている。
出雲人形。手前が左前人形、後ろが相撲人形
桜井市の三輪山南麓から長谷寺に向かう国道165号沿いに「出雲」がある。初瀬街道に面し、長瀬寺詣でや伊勢参りで賑わった地だ。ここで作られる出雲人形が土産物として人気を集め、「出雲人形を買って帰らんと、長瀬詣でしたことにならん」というほどのヒット商品であったという。
出雲人形は大和出雲人形とも呼ばれる。粘土を型に押して焼き、彩色して仕上げる素朴な人形で、一体一体が手作りだ。
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出雲人形のルーツをたどれば、野見宿禰という出雲の国の勇士に触れなければならない。第代垂仁天皇の面前で当麻蹶速と対戦して勝った「相撲の神様」だ。
宿禰は力だけでなく、知恵もすごかった。埴輪を考え出したアイデアマンでもあったとされる。
当時は大王の死去に伴う殉死の習慣があったが、出雲の国から土師を呼び寄せ、代わりに埴輪を作って埋めさせたといわれる。 この埴輪製作の技術が、出雲人形のルーツとされているのだ。呼び寄せた土師の人々が住んだところが、出雲と呼ばれるようになった。
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鉄道の開通で街道筋がさびれたことから、一旦は途切れた人形作りだったが、出雲で最後まで焼き続けた水野家が昭和35年に再興させた。いまも水野家の玄関には「初瀬名産 大和いずも人形窯元 水野徳造」の木札がかかっている。
水野佳珠さんが8代目である。製作工程を語ってくれた。
「まず表土の下から土を取って、打ったり練ったりします。それから型に粘土を詰めます」。均等に押し付けることが難しいという。
表裏の2つの型から作った形をていねいに接合し、もみ殻を積み上げて時間ほどかけて、ゆっくりと焼く。焼きあがった人形に胡粉(白顔料)で下塗りし、泥絵具で絵付け。息をつめて一気に目のラインを引いて彩色を終え、完成させる。
「人形の形を作る時には湿気が必要です。彩色仕事の時はニカワが腐りやすくなる夏場はできません」
制作には季節と天候を選ぶ必要がある。
「人形作りには熟練と気持ちが大切。人形は生きてなあかん。出雲人形は表情が勝負です」と水野さんは言い切る。
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出雲人形は、古墳を守る埴輪の気持ちを今に表したという左前人形。死者と同じく衣服を左前に着ている。野見宿禰にちなんだ「力士」、祝儀のシンボルである「俵牛」などがあり、最近は「御高祖頭巾」「唐人」などの人形も人気という。
水野さんは「めでたいものを求められる。左前人形が健気に家や家族を守る姿に惹かれる人も多いです」という。
古の風情をしのばせる素朴な色合いと姿形の出雲人形は、県の数少ない郷土玩具として「県指定伝統的工芸品」にも選ばれている。
(奈良まほろばソムリエ友の会 雑賀耕三郎)
水野佳珠さんの連絡先は633-0122桜井市出雲1208 電話0744-47-7255である。