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奈良・桜井の歴史と社会

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談山神社(妙楽寺)と増賀上人

談山神社は紅葉まつり(12月9日まで)の間、増賀(ぞうが)上人の一代記、「増賀上人 行業記絵巻」(江戸時代)が展示されている。
「徒然草に隠遁者の理想像として登場し、今日も多くの日本人から敬愛される増賀上人の一代記絵巻」である。
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牛に乗って、高僧良源の先触れとして行列の先頭に現れた増賀上人。干物の魚を刀の代わりに差している
増賀上人は平安時代の比叡山の高僧であったが、比叡山の世俗的な側面を批判して、多武峯にこもったと言われている。「増賀上人行業記」はそれらの説話を絵巻としたものである。

談山神社の前身の妙楽寺は、比叡山延暦寺から増賀上人を迎えたことにより、同じ藤原氏の氏寺でありながら、宗派の違う興福寺とは争いが絶えなかったことがよく知られている。
談山神社(妙楽寺)、多武峰の村々は興福寺とそれに従う各寺の僧兵によって何度も焼打ちにあっている。

今年の談山神社、本殿の落慶大祭には比叡山の横川の大僧正が参加された。
直会にも参加され、「神社(当時は妙楽寺)中興の祖、天台僧増賀(そうが)上人の縁で、初めて参りました。共々の発展を期したい」と挨拶された。

そんなこともあり、先日、増賀上人の墓地である念誦崛(ねずき)を訪ねた。
談山神社(妙楽寺)と増賀上人_a0237937_011255.jpg

古墳みたいな感じを想像して訪れてたが、妙楽寺や多武峰の墓地の一角に念誦崛は建っていた。この墓地の一番上、中心に増賀上人の念誦崛がある。奥深い山の墓地であるが、長く地元の方が大切にしてきたことがよくうかがえる墓地であった。

談山神社の中(権殿の西)には重要文化財に指定されている比叡神社がある。
談山神社(妙楽寺)と増賀上人_a0237937_015833.jpg

これも比叡山と関連があるのだろうか。
今日は談山神社の比叡山のことを考えてみた。
by koza5555 | 2012-11-29 00:01 | 桜井・多武峰
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