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奈良・桜井の歴史と社会

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記紀万葉で忍阪を歩く

忍阪の鏡王女(かがみのおおきみ)墓を訪ねた。舒明天皇陵のすぐの奥である。
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桜井で記紀万葉ならまずは山辺道である。初瀬の谷も双璧であり、磐余もそれに匹敵する。
そこで「忍阪を忘れちゃいませんか」という話である。
先日の僕の「天理・桜井の四季折々」の講演でも、忍阪は触れていない。

しかし、「万葉の旅」(犬養孝著)で桜井を回るならば、忍阪は必須である。
舒明天皇陵がある。鏡王女(かがみのおおきみ)墓がある。大伴皇女(欽明天皇の皇女)陵がある。それから衣通姫(そとおりひめ)伝説にまつわる社がある。

鏡王女の歌碑が犬養孝の揮毫である。
「秋山の樹(こ)の下隠(したがく)り 逝(ゆ)く水の われこそ(ま)益さめ 思ほすよりは」(巻2-92)鏡王女である。
天智天皇の后だったが、鎌足の正妻になった。不比等の実母と言われ、興福寺の前身の山階(やましな)寺を創建したと言われる。
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 「あきやまのこのしたがくり」の歌碑

鏡女王墓に忍阪区が立てた案内板。史跡紹介の忍阪区(町内会のこと)の努力はものすごい。大きな駐車場もできていた

衣通姫(そとおりひめ)
磐媛皇后(いわのひめおおきさき)の歌に
「君が行(ゆ)き 日長(けなが)くなりぬ 山たづね 迎えか行かむ 待ちにか待たむ」万葉集(巻2-85)がある。
忍阪にはこの歌の元歌を歌ったという(古事記による)衣通姫の故地がある。

「君が行き 気長(けなが)くなりぬ やまたづの 迎えは行かむ 待つには待たじ」古事記 (あなたが行ってしまってから時間が経ちました。もう待てない、私が行きます)である

万葉集の歌とほぼ同一である。

外通姫のことを簡単になぞる。
允恭天皇(第19代天皇、五世紀前半)、皇太子の木梨軽王(きなしのかるのみこ)は即位前に同母の妹、軽郎女(衣通姫)と密通して伊予の道後温泉に流される。それを追う衣通姫、軽王と歌を交わし、のち自害するという話だ。
美しさが衣を通してあらわれるほどの美女という衣通姫の悲恋の話で、忍阪には、その姫の誕生の故地(姫が使ったという産湯の井戸)が残されている・・・という話である。
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衣通姫、伝承の残る玉津島明神
こんな忍阪、万葉集で案内すれば、話は無限である。

by koza5555 | 2012-12-08 00:10 | 桜井・忍坂と等彌神社
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