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奈良・桜井の歴史と社会

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三本松の地蔵菩薩(重文)

三本松の安産寺(中村区)の地蔵菩薩(重文)と室生寺の金堂をいっしょに訪れるツアーの計画を新たにすすめている。

安産寺の子安地蔵菩薩は室生寺の金堂から流出したものであることは確実である。
この地蔵は「流れてきた」(安産寺側)、「修理に出したが戻らなかった」(室生寺側)と、主張はすこしだけ異なるが、室生寺の由来だとお互いにほぼ認めている。

この地蔵菩薩を拝観して、この地蔵菩薩がおられた金堂も拝観しようという夢のツアーである。これを企画した。
三本松の地蔵菩薩(重文)_a0237937_21295243.jpg
安産寺パンフレットから

三つのことを書きたい。
一つは室生寺の金堂の番をしているおばちゃんにお話を聞いてきた。
室生に生まれ育った方で、室生寺の金堂に心からの愛着があるという方である。

おばちゃんが話したい順は
① 十二神将、辰と羊は奈良博物館に出稼ぎに出た。
② 釈迦如来というが、蟇股に薬壺、薬師如来の眷属の十二神将がそろっているから、薬師如来だと皆さんが言われる。
③ 聖観音菩薩と大日如来、蔵王権現は西の山から来たものだ。
④ 地蔵菩薩の光背が合わないでしょう。はじめの地蔵菩薩は外にある・・それはね・・
という具合である。室生寺の関係者はあまり安産寺に行かれていない様子だが、このおばちゃんは安産寺の地蔵菩薩は拝観したことがあるとのことだった。

二つは、どんな経過で流出したかということである。
室生寺は興福寺の法相宗から真言宗に移行している。
1600年代に室生寺は興福寺と長老職をめぐって争い、一旦は興福寺の勝訴(1658年)となるが、その後、桂昌院の支持を受けて巻き返し1698年には興福寺から脱する。
地蔵菩薩の中村区の流失は1688年(彩色修理に出す)との見方もあり、そうであれば、この間の争いの中のことである。
三本松の地蔵菩薩(重文)_a0237937_21361131.jpg

三つ目である。
三本松の安産寺、室生の道の駅の上のすぐ上である。駐車場に停めて北の山を見ると、大きく表示されている。
通常は毎月9日の午前に開扉しており、1月24日初地蔵、8月の第4日曜日の午後がご縁日法要である。
像高は180センチ、榧の一木作りで顔の表情やY字形に流れる翻波式(ほんぱしき)衣文(大小の波が繰り返すような衣文)が、室生寺金堂本尊の伝釈迦如来と共通で、弘仁末の造像と言われている。

この子安地蔵は国指定の重要文化財(昭和15年に国宝指定、戦後指定替え)となっている。
by koza5555 | 2013-03-07 22:25 | 室生・室生寺
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