人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

奈良・桜井の歴史と社会

koza5555.exblog.jp

室生と言ったら土門拳。土門拳なら橋本屋

ことしは室生を何度も案内した。室生と言ったら土門拳。土門拳なら橋本屋である。
橋本屋の女将は奥本初代さん。土門拳との交流で橋本屋の名を全国に知らしめた。

土門拳はこの奥本さんとの交流を記している。

土門拳は室生寺の荒木良仙住職に「全山白鎧々(がいがい)たる室生寺が第一等である」と聞き、40年にわたり雪の室生寺を狙うが果たせなかった。昭和53年は2月から奈良県下で雪を待ちに待ち、とうとう雪の室生寺を撮ることに成功した。
室生と言ったら土門拳。土門拳なら橋本屋_a0237937_22482383.jpg
これは今年の雪の室生寺である

それは3月12日のことで、土門拳は「女将の初代さんが部屋に飛び込んできた。『先生、雪が…、早く起きてください』と僕の手を引っ張った。『降りましたか』と互いに手を取り合ってうれし泣きした。ぼくの待っていた雪はさあーと一刷毛、刷いたような春の雪だった。・・どんなに淡く薄くとも ぼくは雪を、室生寺の雪を撮ったのだ」と触れ、
「待ちこがる雪降りきたり思わずと 手を握り合う水取りの朝・・・これは撮影を終えて、帰ってきた僕に、女将の初代さんがはなむけに作ってくれた和歌である」と土門拳は記した。

この初代さんが亡くなった。25日、都祁で葬儀が執り行われたが、導師の室生寺の網代管長は、「故人は土門拳との交流で橋本屋を全国にその名を知らしめ、その人柄で室生寺の参詣者と深い交流を果たされた」と、紹介し、それを労わられた。
by koza5555 | 2013-05-24 23:44 | 室生・室生寺
<< 宇陀と北畠親房、新陽明院門墓 大和路 万葉の旅は6月8日(土... >>