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奈良・桜井の歴史と社会

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法隆寺夏季大学が開かれた

26日は終日、法隆寺夏期大学である。
法隆寺夏季大学の期日は毎年、7月26日から29日までの4日間。
初日には開講の講義があり、午後は特別拝観と放水訓練が行われる。
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放水銃と金堂の屋根からはドレンジャー(スプリンクラーみたいなものだが、これは排水という感?)の放水で滝に。いざというときには効果があるんだろうけど、火を出さないことがまずは肝心である。

この夏季大学、fb友達の池内力さんがうまくまとめている。

 ・・・奈文研の小澤さん・斑鳩町教委の平田さん等による鼎談は内容があった。特に、東大門東から北に伸びる道路は若草伽藍の軸線と同じ方向を示している(西院伽藍の軸線は西に20度ずれている)との説明が有益だった。西院伽藍から東に向かう道が、東大門で西に振れているのが不可解だったが、納得できた。
 特別拝観できたのは、若草伽藍のほか、西院伽藍のドレンジャー放水、夢殿救世観音・伝法堂(阿弥陀如来坐像ほか)、収蔵庫に保管されている金堂焼損壁画、聖霊院の内陣(聖徳太子坐像ほか)、講堂北の上御堂(釈迦三尊像ほか)、西円堂(薬師如来坐像)。金堂焼損壁画を見て、火災対策など文化財保護の重要性を再認識した。
 法隆寺夏季大学は、7月26日~29日まで行われるが、26日午後の特別拝観だけでも参加する値打ちがあった。
池内力さんのfbから



若草伽藍跡における斑鳩町教育委員会の平田政彦さんの解説は聞きごたえがあった。
平田さんは午前の講義で、若草伽藍若草伽藍跡の発掘調査報告をおこなった。
それを現場で改めて解説する。
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若草伽藍、塔の心礎。遠景は五重塔である

日本書紀によれば、法隆寺(若草伽藍)は670年の4月30日未明に、落雷により出火しすべての建物が焼失したという。

平田さんは、若草伽藍が四天王寺方式の一直線の配置であったこと、基壇の跡から見て五重塔と金堂は極めて近接して建てられていたと説明したあとに、「落雷で五重塔から燃えたとみるのが自然で、その後金堂に燃え移ったが、金堂は全焼ではない。瓦の焼け具合からそれが言い切れる」と解説された。

地理的条件から、伽藍は現在の西院伽藍に移されたが、礎石、柱などを再生で使い、釈迦三尊像や薬師如来も若草伽藍から移されたものとされた。
「火事のさなかに持ち出されたというより、金堂が半焼で、ご仏像は焼け残ったものと考えたい」という解釈である。
若草伽藍は670年に燃え、711年ころには西院伽藍が完成するという論である。

若草伽藍の東端は東門の前、北に上がる細い舗装路にその方向が示されているとの解説もある。
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これが東門の前、北へ上がる道(里道ふうである)


斑鳩を歌う万葉歌がある。

斑鳩の 因可(よるか)池の 宜しくも 君をいはねば 思いそわがする(巻12-3020) 

万葉集では斑鳩の地名が出てくるのはこれ一首で、人は斑鳩の池は良い池というが、あなたのことをよく言う人がいない・・・くらいである。
法隆寺は、この「よるか」池を聖徳会館の玄関前に作っている。

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歌碑と池
by koza5555 | 2013-07-26 23:56 | 奈良県
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