23日(祭)は奈良交通の万葉の旅、宇陀コースである。
吉隠(車窓)、阿騎野、大願寺、松山、カエデの郷ひらら、墨坂神社を回る。
阿紀神社で解説する大山さん
「絶妙のコース、奈良の良いところが全部見れた」、「とても有意義な一日だった」とか、「穂積皇子の万葉歌の木簡を奈良で見たが、その歌が紹介されて感激した」など、みなさんから暖かいお言葉をいただいた。
コースは宇陀である。「宇陀なら柿本人麻呂だ」と決め打ちである。
人麻呂、長歌が二首ある。それに関わる短歌6首、そして柿本人麻呂の妻の歌というのもあるのである。
「まほろばソムリエ万葉ツアーは短歌だけで」という形で始まったが、792年の「軽皇子、阿騎の野に宿る」は長歌と短歌4首(45~49)が一体となり、はじめて理解することができる。
猟路の池も同じことで、「長皇子、猟路の池に遊でます時に・・」(239~241)も長歌抜きではなかなか理解が難しい。
万葉の故地を訪ねるツアーである。それを考えれば長歌ヌキは考えられなかった。
そこで、今度のツアーは長歌2首、短歌14首だったが、中途半端にせず、すべてをきちんと暗誦して解説することとした。トータルで171句、1000字くらいであろうか。
バスの中で柿本人麻呂の姿を説明する。
そして、歌を詠みながら山を指し、歌を歌いながら野を歩く、長歌と短歌を入り混ぜて歌い、話す・・である。気分よく、楽しく案内できたが、皆さんには、どんなふうに受けとめていただけただろうか。
阿騎野の朝、柿本人麻呂像
菟田野の「奈良カエデの郷ひらら」も訪れた。万葉集とは関係のないように思えるが、宇陀の宝のような施設である。コースの都合もあり、強引に組み込んだ。
カエデ、もみじ、万葉集ではどうなっているかである。定義があった。カエデはカエル手で名詞。モミジは色の変化のしていくさまで、動詞とのことである。
我が宿にもみつ蝦手(かえるで)見るごとに 妹を懸(か)けつつ 恋(こ)ひぬ日はなし(巻8-1623)大伴田村大嬢が坂上大嬢に送った歌という。
犬養孝の「万葉の旅」だと、中巻の250ページに東国の歌として、カエデ、もみじの激しい歌がある。
子持山(こもちやま) 若かへるでの もみつまで 寝もと我(わ)は思(も)ふ 汝(な)はあどか思(も)ふ (巻14-3494)東歌・未詳
カエデの色が変わるまで汝と寝ていたいという、まあ、激しい歌である。
カエデの郷では1200種のカエデを収集してきたという矢野正善さんに解説をしていただいた。
矢野さんのカエデについての博識、その愛情、参加者はビックリである。あわただしくはあったが、買い物もでき、飲み物もいただくことができた。
カエデの郷、入り口で旧校舎を背に説明する矢野さん
今回も「準備は徹底して苦しみ、ツアー当日は楽しんで」という僕のモットー通りに、たくさんの勉強ができ、楽しく案内ができた。
参加された皆さん、ありがとうございました。