談山神社、4月の第二日曜日は神幸祭(じんこうさい)である。
お渡り奉仕員は社務所の二階に午前8時半に集合である。ちょっと遅れると、もうこんな具合
今回の行列の役割は小目代(こもくだい)である。行列の先頭は先駆け、その後は稚児で、五流の旗があり、次が小目代である。
小目代、こんな感じである。着付け屋さんによると、「小目代、この着付けが一番、複雑」とのこと
10時から本祭である。
ご神霊を御神輿に移っていただく祭祀である。
祭祀の半ばから「はつよ」という言葉が使われたが、この時点では僕には理解できなかった。
ご神霊の移座があり、お渡りは出発する。
本殿を出たところである
神幸祭は毎年、4月の第二日曜日、花の満開の頃に斎行されるが、お渡りは変則で隔年で行われている。
談山神社には桜井市の29の大字が氏子総代を送っている。すべての大字が氏神様を祀り、同時に談山神社に総代を送っているのである。村々は都市化であったり、過疎化であったりで、地域の内実は複雑である。「毎年のお渡りのご奉仕が厳しかった」と、思えるのである。
こんな内実は別として、とにかく4年単位で見ると、お渡りは一の鳥居までが一回、もう一度は神社境内を南に出たところの学頭屋敷跡までである。今年はその学頭屋敷跡の年だった。
神廟拝所前に降りる行列。野口さんが撮ってくれた
学頭屋敷跡の御旅所の祭祀がある。
区長代表の玉串奉奠が僕に回ってきた。29大字の区長の代表としての玉串奉奠である。これは、緊張した。
玉串奉奠は神社関係のツアーで説明したり、氏神様で慣れているはずだったが、ちょっと緊張してしまって・・・(汗)、二礼二拍手一礼が乱れてしまった
御旅所祭のあとは、発輿祭(はつよさい)を斎行する。
これは全く知らない、漢字もわからない言葉であった。それで、進行役の花房禰宜にお聞きすると、「お神輿(みこし)などが出発する時におこなう神事」とのことである
ご本殿まで帰り、還幸の祭典が行われる。
12時30分に神幸祭は終了した。歩く距離は短かったが、けっこう長時間の祭祀であった。
とりあえず、僕にとっては、4年の周期が一周できたという神幸祭だった。