黒岩重吾の本で、「ワカタケル大王」というのがある。これを読もうと思った。600ページ以上あるけど、字も大きいし、やはり小説だし。
この小説は、日本書紀の巻13と14( オオハツセノワカタケノスメラミコト)に対応している
ワカタケル大王(雄略天皇)は気になっていた。
一つは初瀬谷や万葉集のツアーなどで、「雄略天皇は飛鳥から奈良時代にかけて特別に意識されていた大王である」と説明して、そこから万葉集の巻頭は雄略天皇の国ほめの歌で始まると解説してきた。
ワカタケル大王と刻まれた鉄剣が東の武蔵、西の肥後から発掘されるなど、古くから意識されたスーパー天皇であるとの論証である。
「大和路を行く」で、馬見丘陵公園を案内した。巣山古墳を前にして「こちらの古墳は葛城氏の奥津城であるとされています」と解説をする。
この巨大な古墳群を築いた葛城氏はいずこへ・・・
そんなことから「ワカタケル大王」をもっと考えてみようと、安易に黒岩重吾から読んでみた。
大和朝廷の基盤を作り上げたのはワカタケル大王という結論だろうか。
大王家は国の平定をすすめたが、大和においては葛城王朝と並立だったという見方がある。
それも前提にして、大和柳本古墳群と馬見古墳群は相対峙して、そびえたという論もある。
允恭天皇の第五子だったワカタケル王子が、葛城氏の盟主であった葛城円大使王(葛城円大臣 かつらぎのつぶらのおおきみ)を策略と軍事力でうち滅ぼしたという推論である。
こに至る過程で、允恭天皇の王子である木梨軽太子、穴穂太子(安康天皇)、黒彦王子などを排除してゆき、大王の座を射止めたという論が展開される。大筋として日本書紀とも軌を一にしていて、さらに黒岩流、小説として豊かにいろどりされているのである。
国の中心だった大和の国で大王家と葛城の並立状態を最終的に解消する。それが国の支配権の確立につながり、大臣・大連の制を確立し、物部目と大伴室屋(むろや)を大連としてとして取り込んだのである。
ちなみに大臣は平群真鳥である。
古代史の苦手な方、古代の天皇の名前や皇子の名前が覚えきれないと悩んでいる方、黒岩重吾の古代小説はおすすめである。
葛城山、古代からの名であろう。
葛城山、頂上付近、今年もつつじが燃え咲く。これは一見の価値ありである。見頃は5月15日頃である