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奈良・桜井の歴史と社会

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17日は大宇陀、松山でウォーク

5月の「大和路を行く」は、大宇陀・松山を選んだ。

大阪の皆さんに大宇陀のカザグルマを見てもらいたいのである。
5月の第三土曜日、カザグルマを拝見するには絶好の日よりである。

このウォークのテーマは三つである。
一つはカザグルマを見てもらうこと。

一つは大宇陀・松山の町並みを歩くこと。その一環として、「必ず行きなさい」と大宇陀の友人い言われている薬の館にも入館することとなっている。
あとは、久保本家酒造での試飲、お酒を持ち帰っていただこうという算段である。

いま一つは阿騎野の柿本人麻呂である
今回は時間が足らない。人麻呂公園にもかぎろひの丘にも行けない・・・ので、一切を神楽岡神社でやることとした。

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人麻呂公園の白亜の像、これが見れない。高見山も見ることができない。騎馬像のパネルを作ったりして対応しよう

この像にかんして、今回は梅原猛先生を援用して、僕の思いを語ろうと思う。


持統天皇6年(692年)の柿本人麻呂、阿騎野を歌うである。
梅原先生の解釈はこうである。
人麻呂にとっては、草壁皇子の遺児である軽皇子に従う旅であったが、人麻呂の渦巻く心は「草壁皇子、一色」ということだった。長歌一首、短歌四首の一連の歌は、すべてが草壁皇子をしのび、思う歌という解釈である。
長歌の「坂鳥の 朝越えまして 玉かざる 夕さりくれば み雪降る」などは魂を運ぶ鳥を追って、死者の魂を求めるという旅との指摘である。短歌4首も、目の前の軽皇子ではなくあくまでも草壁皇子がテーマである。

この人麻呂広場の騎馬像は中山正實画伯の「阿騎野の朝」からとられている。

この馬上の人物は誰か、これがいつも問題になっている。軽皇子という方もいたが、まだ10歳、問題にならない。柿本人麻呂ではないか、これが普通の解釈だが、それだと狩りの一行の一番偉い人、という図式でこれは諸説がある。

この馬上の貴族・・・「もし生きていたらこんな姿だっただろう・・草壁皇子」、それが僕のイメージである。
服装も皇子の服装とは違うようだし、奇想天外だろうが、当時の柿本人麻呂の叫び、それは歌であるが、それを考えると、それが自然のように思えてならない。

著名なのは、「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」だが、「日並(ひなみし)の 皇子の尊の 馬並(な)めて み狩立たしし 時は来むかふ」が、人麻呂が一番言いたかったのではなかろうか。
「日並(ひなみし)の皇子」とは言うまでもなく、草壁の皇子、その人であり、人麻呂は草壁の皇子と共に狩りに出る・・・変?(笑)

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カザグルマ。キンポウゲ科の蔓性植物で、自生地の北限として昭和23年に旧大宇陀町で天然記念物に指定されている。

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カザグルマは種こそカザグルマ。この画も見てほしい。これは秋の画だが。

17日(土)、お天気も良さそうだし、期待は高まる。
by koza5555 | 2014-05-14 22:46 | 宇陀 | Comments(0)
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