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奈良・桜井の歴史と社会

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西大寺と孝謙(称徳)天皇

10月に西大寺に行くこととなった。
こんな大茶盛を体験したいのである。
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2月に留学生といっしょに訪れた大茶盛

765年、称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のため7尺の金銅四天王の造立を発願されたのが、当寺のはじまりである(西大寺HP)

西大寺、開基を考えれば孝謙天皇と道鏡、現在の境内を考えれば鎌倉時代の叡尊である。

まずは開基、孝謙天皇と道鏡である。
黒岩重吾とか永井路子とか読んでみても、なかなかの難物である。楽しく話せる入り口が分らない。楽しく聞いていただける着地点がみえない。
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改めて、西大寺のことを思い直してみると、こんな万葉歌碑があるのである


この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に わが見し草は もみちたりけり(巻19-4268)
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この歌碑を建てたのは、栃木県で活動されている「道鏡を守る会」である

この歌の題詞をみると、孝謙天皇が光明皇后とともに藤原仲麻呂(恵美押勝)邸を訪れた時に、付き人の命婦(みょうぶ)が誦んだ歌という。

「わが見し草」は「さわあららぎ」とされていて、いまのサワヒヨドリとされているようである(万葉植物図鑑、小村昭雲による)。

激動の歴史である。孝謙天皇は藤原仲麻呂の推す淳仁天皇に皇位を譲るが、実権はもち続ける。意見が異なった淳仁天皇をやめさせ、称徳天皇として重祚し、藤原仲麻呂を放逐するに至るのである。道鏡は天皇の帰依を最大限に生かして、ここで役割を果たしたことは間違いのないところである。

称徳天皇の亡き後、道鏡は都を追われた。下野(栃木県)に下り、穏やかな人生を送ったとされている。

「道鏡を守る会」が建てた歌碑、この歌は孝謙天皇が「仲麻呂の家に幸しし(いでましし)日」の歌で、これはアレッである。
西大寺は孝謙(称徳天皇)天皇が、仲麻呂の乱の戦勝を感謝するために建立されたが、その境内には、仲麻呂の家を楽しく訪れた歌の歌碑があるということだ。

「道鏡を守る会」は道鏡と仲麻呂の和解で、阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)の霊を鎮めようとしたのだろうか。

西大寺は大茶盛式が有名である。鎌倉時代に叡尊が鎮守社での祈祷の後に湯茶の振る舞いをしたのが始めと言う。
境内の北西の体性院は叡尊の荼毘所で、その場に建てられた大五輪石塔が現存している。


こんな感じで、楽しく語る西大寺。うまく出来上がったと思うけど。
ツアーは10月だが、西大寺には来週にうかがい、下見する予定である。
by koza5555 | 2014-05-21 09:30 | 奈良 | Comments(0)
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