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奈良・桜井の歴史と社会

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正連寺大日堂と入鹿神社

9月に「今井町、小綱町と札の辻」というウォークを計画している。
午前中は今井町である。これは今井町町並み保存会の若林稔さんにお願いしており問題はない。

午後、初めに訪れるところは小綱(しょうこう)町の入鹿神社と正連寺大日堂である。

正連寺大日堂と入鹿神社_a0237937_21562319.jpg
大日堂である。ご本尊の大日如来ともども重要文化財に指定されている。

もともと橿原市ができる前、それは昭和31年までだが、旧今井町というのは今井と小綱町だったんだということを初めて知った。

小綱町、日本書紀なら壬申の乱が忘れられない。
大伴吹負は6月29日に飛鳥で立ち、4日に及楽山(ならやま)で近江軍に敗れ東の墨坂まで退去、そこで東国軍に会い、力を盛り返して金綱井で再結集を図る。
この金綱井が小綱(今井)ということである。

金綱井で、高市郡大領高市県主(たけちのこおりのこおりのみやっこたけいちのあがたぬし)許梅(こめ)が言い、近江軍の動静を語ったと記されている。
日本書紀を読んでいただくとよく分るが、この話のポイントは大海人皇子側が皇軍だと言うことが大きなポイントであるが、日本書紀が書かれた当時には、神武陵がどちらかということが知られていたということが分ったりして興味深いところではある。

「小綱町文化財保存会」が活動していることが分った。
しっかりしたHPもあり、拝観などへの対応もされているとのことである。

「小綱町文化財保存会の活動の目的は、いにしえの先祖から引き継いだ貴重な文化財を後世に正しく伝承することを目的」とされており、

入鹿神社は廃寺真言宗高野山派仏起山普賢寺の東南部の一段高い所に西に向かって建ち、もとは同寺の鎮守社であったと伝えられる。
祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)と蘇我入鹿の両柱を合祀している。
素盞鳴命と蘇我入鹿の木造坐像を神体とする。
 素盞鳴尊・・木造立像、丈一尺 作者・年代不詳
 入鹿大臣・・木造座像、丈一尺 作者・年代不詳
現在の橿原市周辺は蘇我氏ゆかりの地であり、「蘇我」、「曽我」といった地名も残る。小綱町の隣の曽我町には、蘇我馬子が創建した宗我都比古神社があり、蘇我氏の始祖を祀っている。

と紹介されている。

橿原市史や合併前の「今井町史」などに書かれていることが紹介されており、さらにその後も調査や検討をすすめられている。
とりあえず、保存会に拝観をお願いした。

正蓮寺・大日堂、・入鹿神社のHPは・・・・http://dainichido.net/

正連寺大日堂と入鹿神社_a0237937_2241554.jpg
入鹿神社の本殿、拝殿前の狛犬も立派である(安政5年、1858年のものという)。

by koza5555 | 2014-06-18 22:50 | 橿原・明日香・吉野
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