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奈良・桜井の歴史と社会

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万葉集と日本人 小川靖彦

僕は、万葉集は斉藤茂吉の岩波新書とか犬養孝の解説本で読み始めた。
思うところもあり、佐々木信綱の文庫本で万葉集を通して読んでみたこともあった。

だから、万葉集を楽しむということでは、古代と現代が直結している・・間がないというのが僕の万葉集だった。
でも、この間には古今和歌集があり、新古今和歌集もある、百人一首もあるという具合で、もう少し万葉集の歴史が知りたくなったのである。

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角川文庫で「万葉集と日本人」(小川靖彦著)という本を読んでみた。


誰が、万葉集を読んだか(漢文で)、どの段階で誰が万葉集を訓んだ(日本語で)か・・・そんなことが書かれた本である。

まず、菅原道真がいるが、彼は訓んでないとされる。道真は「新撰万葉集」を編んだが200首のうち、ほんとの万葉集は二首のみ、それも孫引きとされる。

古今和歌集はどうか
900年代初頭に紀貫之らによって詠まれ、編まれる。
古今集の巻頭は、
年のうちに 春は来にけり 一年(ひととせ)を 去年(こぞ)とや言わむ 今年とや言わむ   在原元方(ありはらのもとかた)

これは、
新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)巻20-4516  
から引き継がれた歌とされる。万葉集は訓まれていたのである。

家持の歌は、759年、19年ぶりに元旦と立春が一致した、めでたい「今日」という日に降る雪のように、よきことが積み重なるようにという意である。

一方、在原元方の歌は「立春が年内に来てしまった」という歌で、万葉集の巻末の歌を、引き継いだ歌である。
正岡子規などはこの歌を酷評したとのことであるが、「元旦よりも立春が早く到来した喜びを詠んでいて、「去年(こぞ)とやいはむ 今年(ことし)とはいはむ」は、リズムも良いとの評価である。

「二首ともに暦日と節気という暦の知識によって春の到来を祝福した歌です。
中西進氏はこの点に注目して、「古今和歌集」の巻頭に元方の歌が置かれたのは偶然ではないとされました。暦を管理する天皇の力を賛美する歌であり、私人でない家持と降り積もる雪を見る家持、古今和歌集の撰者は、この家持の願いに応えるかのように春の到来を喜ぶ元方の歌を置いたのです。」(万葉集と日本人)小川晴彦


そんな具合で、紀貫之は万葉集が訓むことができた。紫式部の時代にも訓(よ)んでいたとされている。



そして、鎌倉時代の仙覚が、万葉集研究史上の巨人とされる。
仙覚は新しい万葉集を誕生させた。万葉集の歴史で、古点本、新点本というが、これも仙覚の命名という。

京都での大番役(御所の警護役)を務めた鎌倉武士が万葉集を鎌倉に移植する。
頼朝の挙兵に応じた宇都宮の朝綱(ともつな)、その孫の頼綱は大番役(御所の警護役)を務め、京都の関係を強めた。頼綱は子供のころから万葉集に関心を持ち、出家して仙覚となのり、万葉集を完全に読み下したという。

仙覚が校訂した諸本は寛元本と文永本にわかれるが、この文永本がいまの万葉集の土台となっているとのことである。

江戸時代には賀茂真淵がいて、明治になってからは佐々木信綱がいる。

なるほどである。松阪の一夜、賀茂真淵の教示を受けた本居宣長が古事記の巨人であるが、万葉集の巨人は鎌倉時代の仙覚だった。

万葉集の歴史の深さと、すそ野の広がりがよく分る面白い本だった。
一番たくさんの人が詠み手となり、一番たくさんの人が解説して、一番たくさんの人が読んできた、それが万葉集・・いいすぎですか。

万葉集が、もう一つ、好きになる面白い本である。
by koza5555 | 2014-07-07 18:07 | 読書 | Comments(0)
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