いまごろ、「なんで蹴鞠(けまり)」であるが、蹴鞠の本を読んだ、その読書感想文である。
蹴鞠をテーマに談山神社がらみで蹴鞠を「奈良再発見」(産経新聞)に書いたが、本格的(とは言っても入門書的な)な蹴鞠の本を見つけた。蹴鞠のことが網羅的に解説されている。
談山神社、蹴鞠祭り 女性プレーヤーである
「あそびわざは、子弓、碁、さま悪(あ)しけれど鞠もおかし」などと枕草紙に清少納言が記しているが、公式の蹴鞠会に女性がプレーヤーとして参加したのは、昭和39年(1964年)(京都蹴鞠保存会)とのことである。
姿かたちは「とわずがたり」(13世紀中期)とか、「好色一代女」などでも紹介されるが、これは好奇の目、姿かたちだけのことだったといい、正式なプレーは戦後からだった。
こんなことが丹念に書かれている。
日本の蹴鞠(光村推古書院)池 修著
蹴鞠は仏教と共に伝えられた。
644年、飛鳥京、槻木の木のもとでの鞠が乙巳の変(645年)の契機になると書記には書かれているが、これは「打鞠」とされ、蹴鞠とは違うのかも?の論であるが、池さんの論は打毬派のように思える。
蹴鞠ということでは、905年に内裏(だいり)の蹴鞠会で206回けり続け(西宮記)るが、初めの記録とのことである。
鞠を作ることを「鞠をくくる」と言い、今も昔もこれは難しい仕事で、とても高価なものである。
それを歌ったのが、「山寺の和尚さんは鞠は蹴りたし鞠はなし」の童謡とのことで・・・これは気が付かなかった。
蹴鞠の庭の四方に植えられる式木(しきぼく)、
枝鞠から鞠をはずす解き鞠のしぐさとか、
受け取る鞠、自分の鞠、渡す鞠の三拍子(一段三足)で蹴ることなども開設されている。
これを読むと、「ラリーが続くことが楽しそう」と書いたが、もらった鞠をただちに蹴り返すのは、乱れた打ち方?などということもわかるのである。
南面するご殿の前(南庭)に鞠庭を造るのが良いとされ、四方に植えられる四本の木は式木(しきぼく)といい、桜は東(東北すみ)、柳は南(東南すみ)、カエデは西(西南すみ)、松は北(北西すみ)が正しい。
談山神社のような場合は、「四方に竹を植えて式木の代わり」であるが、資料を見る限りでは、京都御所をはじめ、多くは竹を植えて鞠庭としている様子である。
鞠庭に瓶(かめ)を埋めて反響を楽しむことは古くから室町時代には行われていた様子で、室町時代には能舞台の下にも瓶が置かれたとのことで、共通性もある様子である。
「現在、蹴鞠は京都御所の春秋の一般公開や特定の神社での奉納鞠で行われているにすぎません。したがって蹴鞠という言葉はご存じでも、実際にご覧になられた方は多くはないと思います」ということで、春・秋に蹴鞠を拝見できる僕は幸せ者である。