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奈良・桜井の歴史と社会

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艸墓古墳と菅傘日記

今日は阿部を見直してみようと高家(たいえ)に上ってみた。
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夕闇前の耳成山がすばらしかった。風もなく、あちこちの畑から煙が立ち上がっていた。手前に見える道が山田道である

この山田道を240年前に本居宣長が歩いている。

「ひろき道にいづ。こは飛鳥のかたより。たゞに安倍へかよふ道也。山田村。荻田村(現在の生田村―おいだと読みます)といふを過て。安倍にいたる」(菅笠日記)。

本居宣長は明和の九年(1772年)、吉野の花見のあと、飛鳥を経て安倍を訪れた。
阿部の古代、中世を語るためには、この本居宣長の力を借りるのが最良である。

宣長が菅笠日記で安倍に触れたところは、1440字だが、そのうち720字、ちょうど半分は艸墓古墳古墳だった。

さて此寺(安倍寺)をはなれて。四五町ばかりおくの。高き所に又岩屋あり。こゝはをさをさ見にくる人もなき所なれば。道しるべするものだに。さだかにはしらで。そのあたりの田つくるをのこなどに とひきゝつゝ行て見るに。……


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艸墓古墳

おくはうへも横もやゝ廣きに。石して屋のかたりにつくりたる物。中にたてり。そは高さも横も六尺ばかり。奥へは九尺ばかり有て。屋根などのかたもつくりたるが。あかりさし入て。ほのかに見ゆ。うしろのかたは。めぐりて見れども。くらくて見えわかず。

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こんな石棺が残されている


さて口とおぼしき所は。前にもしりへみのなきを。うしろの方のすみに。一尺あまりかけたる跡のあるより。手をさし入てさぐりみれば。物もさはらず。

艸墓古墳には石棺がある。向かって右側の後に、一尺(30センチくらい)ばかりの欠けたところがある。
本居宣長が手さぐりしたこの穴は、今もある。

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角がかけた石棺

土地の人は、安倍晴明が宝物を納めたが、隅を打ちかきて盗み取りしというが、これは「例のうきたることにて。まことはかの文殊の寺なる二ッの岩屋も貴時高き人を葬りし墓とこそ思はれる」として、宣長は ことのついでに飛鳥の古墳のありさまを記した。

この古墳を、ツアーで何回も案内したことがある。
石棺が残っていること、盗人が角を割っていること、その生々しい姿に名古屋や関東の方は、ほんとうに感動してくれた。

そんなことを桜井の人に語ったら…どんな顔をするだろうか。
来月に僕の話を聞いてくれる方は、少なくとも全員が拝見されているだろうけど。
見てない人は「見に行きたい」、見た人は「もう一度見てこようか」、そんな話をしたいのである。
by koza5555 | 2014-09-14 22:53 | 桜井市と安倍 | Comments(0)
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