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奈良・桜井の歴史と社会

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室生の龍縄と龍穴神社の秋祭

産経新聞 9月20日付の奈良版の「なら再発見」は、僕が書いた「室生の龍縄と龍穴神社の秋祭」である。

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室生寺の太鼓橋から金堂前の天神社に向かう。龍神を迎えに境内に入る

この記事の全文は以下のとおりである。

 女人高野として知られる室生寺を訪ねてみよう。太鼓橋を渡り、仁王門から入山する。七十二段の鎧坂(よろいさか)を登っていくと、金堂が徐々にその姿を現してくる。至福の時である。
金堂前の広場に上がりきると左側は弥勒堂だ。祀られている国宝仏に期待が膨らむところだが、振り返って右側を見てみると、小さな社が置かれている。この社は天神社といい、社前の大樹に勧請綱が架けられている。
この綱は龍の形を模して作られ、頭があり、紙で作られた幣(へい)やモミジが取り付けられ、龍縄(りゅうじょう)という名で呼ばれている。
同じ形の龍縄は室生寺の境内から1キロほど離れた龍穴(りゅうけつ)神社の鳥居の外、室生川畔の杉にも架けられており、一対をなしている。
龍神は、室生の龍穴祭の日に、この龍縄に下ってくるのだ。
* * *
龍穴祭は10月の中旬に行われる。
前日から垣内(かいと)と呼ばれる各字(あざ)で宵宮祭を行い、当日は午後1時に室生寺の太鼓橋に集まって祭りが始まる。
 祭りを主宰する当屋(とうや)と獅子頭を先頭にして、絵馬、日の丸(ひのまる)を描いた大型の御幣(ごへい)や採り入れたばかりの野菜を串刺した須供(すこ)と呼ばれるお供えを携えて、村人が集まる。
* * *
祭りは室生寺境内の天神社への参拝から始まるが、まずは集まった村人から室生寺住職に入山許可を求める呼び使いが出される。
この使いは寺内に入り、まずは「一度(いちど)の使い~」と声を上げるのだ。室生寺の住職は、ここでは出座してこない。
出直した使いは、次は「二度の使い~」と口上(こうじょう)を述べるが、住職の出座はまだだ。これが七度(ななたび)繰り返されて、いわゆる「七度半(しちどはん)の使い」を経て住職は出座となるのだ。

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門前に出た住職は、弘法大師の代理として龍王の代理である当屋を迎えて、三々九度(さんさんくど)の杯で契(ちぎ)りを固める。
その後、行列は境内に入り、金堂前の広場で天神社と龍縄への獅子舞の奉納を行うのである。

行列はここで龍神を迎え、龍神のお渡りとして、獅子と村人に守られて龍穴神社へと向かう。
龍穴神社でも境内に入る前に神杉に架けられた龍縄に参拝して、その後、境内に入り、国と村の平穏を祈り、豊作を願って獅子舞が繰り返し奉納される。

* * *
室生寺は真言宗の道場として弘法大師が興したとの説があり、奥の院には弘法大師を祀る御影堂が置かれている。弘法大師が亡くなった21日には、住職をはじめ多くの僧侶が御影堂に参詣し法要をおこなっている。
一方、興福寺の僧が山部親王(やまべしんのう)(桓武天皇)の病気平癒を室生の地で祈り、龍穴神社の龍神の力も得て治癒したとの縁起もあり、その功労に報いるために室生寺が開基されたという説も有力である。室生寺はこの龍神を守護する神宮寺として建てられたということだ。
その後、室生寺は、弘法大師によって開かれた真言宗の大きな影響を受けて隆盛を迎えた。この室生寺の成り立ちと歴史を考えると、龍穴神社の龍神と弘法大師が大きな役割を果たしたことは間違いないところであり、龍穴祭は、その歴史を形にしていまに示している。
龍神と弘法大師の契りの杯があり、室生寺境内と龍穴神社に龍縄が架けられ、獅子舞が奉納される龍穴祭、今年は10月13日(月・祝)に斎行される。
いつもは静かな室生の郷が、明るく華やぐ龍穴祭、ぜひ訪れたいものだ。


(NPO法人 奈良まほろばソムリエの会 雑賀 耕三郎)

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掲載された文章であるので、あとの講釈は不要だが、祭りの見どころポイントもふれてみたい。
今年の祭りは13日であるが、午前9時には室生に入りたい。
午前中には各垣内の集会所に 神楽(獅子舞)がやってくる。初めにひとしきりかまどの前(屋内)で獅子舞が舞われる。そして集会所の広場で餅をつく、その間中は神楽が舞われる。村のみなさんと交流できる最大の場である。室生の祭りはここから入りたい。
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それが無理なら、正午に太鼓橋である。太鼓橋、出るところからお渡りを追っかけて、室生の祭り、存分に楽しもう。
by koza5555 | 2014-09-20 23:10 | 宇陀 | Comments(0)
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