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奈良・桜井の歴史と社会

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第66回正倉院展

10月24日(金)から11月12日までは奈良国立博物館で正倉院展が開かれる。
お招きをいただき、23日、第66回正倉院展、招待会を拝見してきた。

今年は「正倉院の武器・武具」の展示が際立った。

梓弓が出されていた。梓の木で作った弓、武器・狩猟具としても使われたが、より神事に使われたとされている。
正倉院(「国家珍宝帳」には梓弓が84張、槻弓(丸木のケヤキ)の弓が100張とされていたが、藤原仲麻呂の乱でいずれも出蔵されたまま、宝庫には戻らなかったとのことである。刀についても同じような状況があったとのことである。
出陳された梓弓、槻弓とも東大寺所用のものと考えられるとされていた。

鞆(とも)を初めて見ることができて、これは得難くありがたい経験だった。
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靹、こんな形だった

元明天皇の歌がある。
「ますらをの 鞆(とも)の音すなり 物部の 大臣(おおまえつきみ) 盾立つらしも」 (万葉集巻1―76元明天皇)。残された武器と そして歌として残された文字が、一致してこれは感慨が深い。

「聖武天皇の御遺愛の宝物」が、見ごたえがある。「聖武天皇の七七忌(49日)に、后の光明皇后によって天皇の御遺愛品六百数十点が東大寺大仏に献納され、その品々は正倉院北倉に収めた」。

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御遺愛品のうち、衲(のうの)御礼履(ごらいり)が出陳。儀式のとき、この靴を聖武天皇が穿いたのか


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鳥毛立女(とりげりつじょ)屏風が四扇


58才まで愛知県で暮らした者として、強烈な印象に残るものがあった。
正倉院古文書正集第15巻。中倉で、尾張国の天平2年(730年)の財政収支状況を記した文書である。

ここに中島郡、葉栗郡、海部郡とあった。
2005年に中島郡は消滅している。天平2年から1300年を経て、中島郡の祖父江町、平和町は稲沢市に吸収されたので、中島郡という地名は歴史に残るだけである。

同じく葉栗郡の木曽川町も一宮市に吸収された。
海部郡は10町村があったが、残るは蟹江町や飛島村など三町村のみで、これも風前の灯だろう。

1300年続いた地名が、こんなに簡単に無くなってしまった・・・思わぬところで目頭を熱くしてしまった。今は奈良県民だのに・・・・

そんな具合でマニアックに正倉院展を楽しんだ。


正倉院正倉、大修理が完了して25日から外構の公開が再開される。事前の申し込みは不要でしかも無料である。写真は4年ほど前、大修理前のものである。
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by koza5555 | 2014-10-23 23:31 | 奈良 | Comments(0)
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