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奈良・桜井の歴史と社会

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大和長谷寺 十一面観世音菩薩像のこと

「大いなる木は高島郡(滋賀県)みをが崎を流れ出て、流れ流れて葛城当麻の里に至った。たたりをおこして長谷河に捨てられたが、沙弥徳道がこの霊木で十一面観音をつくる」とされており、これが大和長谷寺の十一面観世音菩薩の始まりとされる(三宝絵詞、長谷菩薩戒)。

長谷寺を理解し、ガイドをおこなおうととすると、この縁起譚がなかなかの難物だった。
この話に、僕は確信が持てずに長い間、乗れてこなかった(話さなかった)が、あれこれ整理して、12月2日のN市の高年大学、重要文化財研究クラブのツアー(研修旅行?)で、初めて本格的なお話をさせていただいた。

春に長谷寺の喜多昭賢師のお話を聞く機会があった。
「ご本尊さまの縁起は、うちの寺(法起院)の前の白髭神社がカギ。近江の高島の白髭神社から勧請された猿田毘古を祭っている。霊木が来たということになっているが、若狭や北近江にいた新羅系の仏師・工人が来たと考えると自然で、神社も共に連れてきた」と言われた。
目からうろこである。

そんな風に考えると、琵琶湖から大和への道、これは古代の水陸の交通路に一致しているのである。
729年、長谷寺、十一面観世音菩薩を初めて造像したとされるのは、稽文会(けいえんも)と稽主勲(けいしゅくん)と言われている。中国の人とも言われるが、若狭、北陸の人とみて、両名は新羅の人と考えたい。

白髭神社。本社は近江国高島である。白髭神社を崇敬する人々が近江から初瀬に移り済んだという見方である。
白髭神社を三尾神とみて、近江国高島郡三尾崎のから流れ出た、霊木を長谷の地で祀った神社とも言われているのである。

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長谷の白髭神社。猿田毘古命(さるたひこのみこと)と天宇豆賣命(あめのうずめのみこと)を祭るとあり、「この神様は寺垣内、上之森、下之森、与喜浦の四区域の氏神様であり・・・」と掲示されている

ちなみに高島市を調べてみると、三尾崎(みおさき)、三尾神を祭る水尾(みお)神社、白髭神社は半径一キロくらいの円の中に納まるのである。

長谷には観音様の霊木で三尾崎とつながり、白髭神社と水尾神社をつなぐ白髭神社が現住する。
さらに、初瀬谷を考えると、読み方がよく似たで、「しらが(白河)」の問題もある。この地は大工が住まいしたともいう。
長谷の観音さま、観音堂の造営に奉仕した「しらが(白河)のばばあの説話」、これも実はここらあたりの霊験談につながったお話と言えよう。
「しらがのばばあ、大工の守り神」と聞いたが、実はその由縁もそんなところからかもしれない。

徳道上人が播磨の人とのことで、「稽文会(けいえんも)と稽主勲(けいしゅくん)も播磨から」という論は僕の論である。
「初瀬・長谷寺」、この講演は1月29日である。いましばらく勉強を重ねていきたい。

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白髭神社ご本殿は長谷寺参道から143段の階段を登る。境内からは長谷寺の門前町は眼下である

by koza5555 | 2014-12-04 13:40 | 桜井・初瀬 | Comments(0)
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