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奈良・桜井の歴史と社会

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山の辺の道、大和のはじまり

なららの新年号、「かよちゃん・・・ウォーキング」は巻向、山の辺の道だった。JRまほろば線を巻向から栁本に歩く道である。

「寒い日によく歩きましたね」ということだが、実は僕も12月20日(土)、かよちゃんと逆行で、柳本から巻向へのウォークを案内したのである。

「冬の山の辺の道を歩いてみよう」がテーマだった。 
崇神天皇陵やヒモロギ、相撲神社を訪ねて、初期ヤマト政権の故郷を訪ねてみる。
額田王が歌った三輪山を終日見て歩く、「山の辺の道、いいとこどり」のウォーキングである。

三輪山をしかも隠すか 雲だにも 心あらなも隠さふべしや
           (万葉集 巻1-18 額田王)

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山の辺の道、ここが一番のビューポイントである。

歩き始めは黒塚古墳である。
竪穴式の石室内部が展示されている。石室のなかには木棺が安置され、その周りに33面の三角縁神獣鏡と北側に1面の画文帯神獣鏡が置かれていた。
鏡をみんなで、丹念に観察する、1500年前の大和がみえてくるという趣向である。

崇神天皇陵とされる行燈山古墳に向かう。
典型的で姿の前方後円墳である。上空から見ても、正面から見ても美しい姿を示している。この地には前期の大型古墳があり、ヤマト政権の始まりの場である。
古墳は造られた後も、さまざまに形が変えられて、地域や人々とともに、溶け合って生きてきた歴史があり、それを解説した。
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天理市のパンフレットから、航空写真、お借りした。

長岳寺を拝観する。ご本尊の阿弥陀如来は左に観世音菩薩、右に勢至菩薩を従え(阿弥陀三尊)、極楽ゆきを約束する如来である。玉眼を使用した仏像としては最古のもので、重要文化財に指定されている。
大御輪寺から移された多聞天・増長天立像は脇侍のように置かれており、これは天平の時代のものである。

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楼門が大切で、これが重要文化財。かつては上層が鐘楼(しょうろう)となっていたために鐘楼門と呼ばれる。下層は室町時代だが上層は平安時代で、これも日本最古の楼鐘門とされる。

今回は「ヒモロギ」をポイントにした。
崇神天皇の6年に、大和の笠縫邑に天照大神を祀ったが、そのとき「ヒモロギ(神籬)」をたてた(日本書紀)と記されている。
笠縫邑とされる檜原神社には拝殿も本殿もなく、三ツ鳥居だけで三輪山がご神体となっている。古代に於いては、その鳥居さえなく、神が降臨する場所を常緑樹で囲うだけで、それを神祭の場とされており、それをヒモロギといった。

このヒモロギつながりで、昨年に長岳寺で、こんな御仮屋を拝見した。
調べてみると、これは神仏混淆の「御仮屋」(ヒモロギ)で、もともとは上長岡のうち長岳寺領に属した字人(あざひと)によって行われた祭という。一月十日に立てられ、二月二十一日のお太師の日に燃やされるという。
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古代のヒモロギとはこんな御仮屋を指すこともあったのか。


穴師の相撲神社、穴師兵主神社を経て珠城山古墳である。この日は、このころ、豪雨となり古墳丘にも登れなかったが。
古墳時代後期(6世紀頃)の前方後円墳が丘陵上に連続して3基、築造されている。1号墳には横穴石室が残されている。3号墳からは、入れ墨入りの盾持ち人物埴輪の破片が発掘されている。

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刺青入りの盾持ち人物埴輪。パネルを作っておいて解説した

by koza5555 | 2015-01-04 23:08 | 桜井・山の辺 | Comments(0)
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