長谷寺はおもしろい。昨年、僕はここを30回も訪れた。
案内した団体名の紹介はできないが、下見を含めるとこんな回数、仁王門をくぐったのである。
門前での解説は一度もしなかった。事前の車中で解説を済ませ、登廊の途中などでお話しするのである。
始めの話は登廊、手水舎あたりである。登廊の成り立ちとか、天狗杉、牛の目などのお話をする。399段の登廊である。ここらあたりでいったん立ち止まるのが、息切れ防止でもベストである。
ところで、立ち停まっての解説は一カ所につき5分以内、話は三個までと僕は決めている。相手の顔を見ること名もなく、知っていることを延々と話すのは・・・これはご法度だ。
さて、登廊を登りきる。
まずは本堂。東大寺の大仏殿に迫る大きさで、国宝指定である。三代将軍、徳川家光の寄進(1650年)で作られた。
大磐石の上に立つ十二面観世音菩薩は、右手に錫杖、左手に水瓶を持ち、長谷寺式と呼ばれている。
舞台から五重塔を遠望。お正月の準備で座布団を干していた
長谷寺に名を残した三名の高僧を紹介して、長谷寺の歴史と境内を紹介する。その一人目は、長谷寺を創建したという僧、道明。法華説相図に記されている。
二人目は、東の丘に十一面観世音菩薩を祀った徳道上人。
三人目は、今の長谷寺の形を作り上げた専誉僧正。
この三名の足跡を示すように長谷寺の境内は整備されており、これで歴史も語れるのである。
ご本堂は徳道上人。木造十一面観世音菩薩音像(本堂安置)は、像高が10メートル余。徳道上人が造像して以来、度重なる火災にあったが、強い信心で再建を繰り返した。室町時代の天文7年(1538)に造像されたのが、現在の菩薩像である。
奥の院は中興の祖、専誉(せんにょ)僧正。
こちらには豊臣秀長の五輪塔が祀られている。秀長が高野山(根来寺)から専誉僧正を招いて豊山派が始まった。
大納言 豊臣秀長公、五輪塔
本長谷寺では僧・道明と銅版法華説相(ほっけせっそう)図である。
本居宣長が明和九年(1773年)、吉野水分(みくまり)神社に参拝、道中記として「菅笠日記」を記したが、長谷寺にも参拝しているのである。
むかし清少納言がまうでし時も。俄にこの貝を吹いでつるに。おどろきたるよし。かきおきける。
名も高くはつせの寺のかねてより きゝこしおとを今ぞ聞ける
お昼前後に境内にとどまるツアーは、この時間に本堂・舞台で見学できるように到着時間を調整した。
昼食は
初瀬長者亭 を利用し、たびたび
やまとびとのこころ店 の女夫饅頭も味わった。
江戸時代から明治にかけて黒崎の女夫饅頭は人気ものだったが、鉄道の開通で消滅、これをやまとびとのこころ店が初瀬門前町で復活させた。
長谷寺の境内では、五重塔の下、休憩所の広場で持参の弁当を食べることができる。屋根があり、トイレも近く、30名ほどでも対応できる広さである。許可を取る必要はなく、入山者はだれでも利用できる。