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奈良・桜井の歴史と社会

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法華寺町

「法華寺町」というまちづくりマップがある。平成22年度版である。ここらあたりを歩いてきた。

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 国道24号沿いからみた宇和奈辺古墳

「法華寺に行きたい。宇和奈辺古墳を見てみたい」と、近鉄奈良駅総合観光案内所で働きはじめたあっちゃんが言うのである。
何度誘っても「古墳と言ってもお墓でしょう」と、見向きもしなかったのに・・・えらい違いである。

「東大寺・興福寺に拝観した」という、次の奈良観光、「法華寺は?古墳を見たいけど」・・・こんな質問も結構あるとのことである。
「西大寺行のバスがあります。13番乗り場です」と案内しているが、「行ってない所の説明はつらい」・・・です。


まずは不退寺に。業平寺、正式には不退転法輪寺という。阿保親王の「萱(かや)の御所」が在原業平に伝えられたことに始まるとされる。
ご本尊の聖観音は重文指定、この聖観音と共に戒壇上には五大明王が祀られているのが不退寺の特長である。
境内に付近の平塚古墳から出た、くり抜き式古墳の棺身が置かれている。

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      不退寺多宝塔


佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の東端に位置する。
全長200mを超える大型前方後円墳を7基含む、日本最大級の古墳群のひとつである。南の垂仁陵をふくめこれらの古墳は遺物や埴輪などから4~5世紀を中心に築造されたとみられ、大和古墳群の後に続く古墳群とされる。

ウワナベ古墳は墳丘長260m、相当大きい。
英国から来日した大阪造幣局の技師ウィリアム・ゴーランドが明治初年に実測した。周辺には6基の陪塚(ばいちょう)があった。戦後の発掘により鉄器などとあわせて、「鉄てい」590枚も発掘されている。

磐之媛命陵も見学してきた。
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睡蓮がすごい、美しい。葉がでかくて花も大きい。
墳丘長は219mで、現在は前方部にのみ二重周濠が存在しているが、この周壕は後円部まで回っていた。ヒシアゲ古墳といい、仁徳天皇の皇后、磐之媛命陵に治定されている。
日本書紀によれば、葛城地方の大豪族の娘で仁徳天皇の皇后であったが、天皇が八田若郎女を寵愛したために、磐之媛は難波宮に帰らず、奈良盆地に葬られたとされている。


さて、目当ての海龍王寺である。
いま奈良の各所で配布されている「祈りの回廊」(2015年春夏版)で、みうらじゅんと海龍王寺の石川重元住職が対談している。
仏像と仏教、そして人の本質に迫る、すごい対談である。
「動物界で、自分が死ぬことをわかっている生き物って、人間くらいじゃないですか。そういう意味では、命についてすでに悟っている。死ぬことが分かって生きていることって、めちゃくちゃ辛くて、なにかにすがりつきたくなる。そこに宗教がある」というみうらじゅんの発言も奥深いが、その言葉を引き出した石川住職、これもすごい。
その石川住職、受付におられて、あいさつできた。

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      海龍王寺、五重塔


最後は法華寺である。
「十一面観音像はレプリカ」というと、「それなら見ない」というのを、引っ張って拝観してきた。
「ガイド」がこんなことを見る前から言ってと、僕も反省。

「法華滅罪之寺」。中宮寺、円照寺と合わせて大和三門跡尼寺である。藤原不比等の旧宅を改築し、光明子が皇后宮とし、749年(天平感宝元年)諸国の国分尼寺を統括する総国分尼寺となった。

南都焼き討ちは重源が再建。中世以降は衰退するが、淀君が片桐且元に建てさせた本堂、南門、鐘楼が現存する。

木造十一観音が国宝、「白檀で作れ」と儀軌にあり、その通りに作られた稀有の木像である。

御所の庭を移した「仙洞うつし」の庭園は江戸初期の名園として知られる。6月10日までは拝観できる(本堂拝観料と合わせて800円である)が、今回は疲れてしまいパスである。
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 法華寺町
by koza5555 | 2015-05-24 18:51 | 奈良
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