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奈良・桜井の歴史と社会

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明日香村 中央公民館図書室

明日香村の図書室を時々利用する。明日香村中央公民館の東側に分館があり、その二階である。
靴を脱いで二階に上がる、小さな図書室だが、郷土資料や歴史関連の書物が充実している。村外者(県内外)の利用と貸出も自由である。貸し出しは一人8冊、二週間となっている。

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明日香村 中央図書館資料室

ここで「飛鳥発掘物語」、河上邦彦さんの本を見つけた。その後、調べてみると桜井図書館にもあったが、並べ方が違っていたりで、こちらで目に留まった。

産経新聞(大阪本社版?)の連載、「飛鳥発掘物語」をまとめたものである。
平成16年刊行で、14年から15年頃に連載されたものである。
飛鳥池工房とか亀形石、植山古墳の発掘など、明日香がわいていた時期を受けての記事である。

飛鳥の古墳、寺院遺跡、宮殿遺跡を発掘した人の目で、そのエピソードを100回にわけて語ったというもので、おもしろそうである。

飛鳥の発掘の原点は「石舞台」。当時は「古墳の発掘は副葬品の発見が目的」という時代に、「巨石の石積み技術の解明」と発掘が始まった歴史が紹介されている(p12)。


見瀬丸山古墳と檜隅陵では、神を数えるときの数詞を問題にしており、柱を立てる祭祀は山から降ろされた柱を祀るとみて、またいまも山の中に坐する大神神社のことなども紹介している(p37)。


水泥南古墳では、「石棺の制作時期を見誤った理由」の紹介があった。
縄かけ突起は小さいものとみられていたが、羨道が狭くて入れられないため、削られていたことが分った。もともと突起の全てが出ていれば、石棺は六世紀末のものとみるべきだった。
突起を削って入れるとき、レリーフとして蓮華文も彫ったとみるべきらしい、そして、その時期は7世紀前半だったとのことである(p54)。


「太子墓の井」。江戸時代の「太子御廟図」に記されているが、「丸に井」というものがあり、岩屋山古墳にもそんな穴があったとのことである。
これは井戸というより集水穴で、古墳内の水を溜めるところとのことである。
文殊院東古墳の「井」は本物の井戸で、これは後世に掘った宗教的なものである。
また岩屋山古墳には、石室の入り口の天井にくぼんだ溝が掘られているが、これは伝ってきた水を中に入れない装置とのことで、文殊院西古墳にもあるのである(p63)。 

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天井のくぼんだ溝・・・安倍文殊院西古墳である

同じ工人が作った双子の古墳というのも、具体的に指摘があり面白い。
たとえば、
明日香の岩屋山古墳と桜井のムネサカ一号墳
橿原市の小谷古墳と天理市の峯塚古墳
桜井の越塚古墳と平群の烏土塚古墳、
桜井市の狐塚古墳と御所市の水泥北古墳
などで、これは設計図が一緒か、同じ工人か(p66)との指摘である。


さらに、明日香の石文化が端的に解明されている。
河上さんによれば、
益田の岩船は未完成の横口式石槨
亀石は未完成の塔心礎(大阪府羽曳野市に野中寺《やちゅうじ》の塔心礎に線刻された亀
を相似としてみることができる)。

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これは明日香の亀石。これもなんやろうと話題は尽きないが、河上さんは一刀両断である

あと、不明は酒船石だけやな。残念ながら河上さんはこのシリーズでは酒船石は取り上げていない(笑)

高松塚の壁画の解説も独創的である。
古墳は風水思想の四神図にかなう、「龍穴」の場所に作られたが、高松塚とキトラはそれに適わず、墓室内に四神の絵に描いて代用し、「四伸相応の空間を作り出した」と解説されている。
なるほど、とは思う。
河上さんによれば、高松塚やキトラは龍穴にそわないとみられて、作る人もそれを自覚しながら、墓室内にあれだけの四神図を描いたという論である(p121)けど・・。

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こんなことで、明日香を歩いたり、ガイドのネタ満載の、「飛鳥発掘物語」、この本はおもしろい。

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馬見丘陵公園。明日香村からは遠いが、8月8日(土)にひまわりを見てきた。
馬見丘陵公園は今年は5万本植えたとのことで、今までの5倍、見ごたえあった。夏の馬見丘陵公園は注目だが・・「7月末から8月上旬にツアー」と、そんなわけにもいかないが。
by koza5555 | 2015-08-10 17:49 | 読書 | Comments(0)
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