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奈良・桜井の歴史と社会

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王寺町の歴史

9月23日(平成27年)に王寺町が、「王寺町の歴史」(173ページ)を発行した。
あれこれあるんだよ、ということだが、「王寺には(歴史遺産は)何もない?」と言うところから、この本は始まる。

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明神山(西山 三等三角点)に登ってみると。藤井寺・堺の巨大古墳群が目の当たりだ

王寺は自称も他称も交通の町である。駅前あたりの活気は桜井などとは比べようもない。

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町章は王という字を丸が囲む。この丸は平和ということと車輪を示すという。

鉄道がとおってからの王寺の町の急激な膨張を(ほぼ)10年ごとに絵地図で残した方がいる。九度という純農村が鉄道が通り、王寺という駅ができて駅前商店街に急速に変わっていく姿が示されている。
保井芳太郎と言う方である。

王寺の古代寺院の発掘の中で、この保井さんがもう一度出てくる。
大和川近くに西安寺と言う寺があった。大阪からの大和の入り口、ここにできた渡来系の寺院である。現在は舟戸神社があり、こちらで飛鳥時代から鎌倉時代に至る軒丸瓦、軒平瓦が発掘されている。
はじめに塔跡が発見されている。この発見者が、これがまた王寺の駅前の地図を残した保井芳太郎さんとのことであり、研究家でもあり、コレクターと言うことである。



和州 送迎(ひるめ)大神宮という言葉、聞いたことあるだろうか。
送迎と書いて、ひるめと読む。その理由がある。

伊勢参りにあたり、大阪から大和に入るとき明神山(王寺の畠田の)の峠を経たという。
この山は亀の瀬の南側に当たり、この山の中腹を経ると、奈良盆地南部への最短の道となっていた。この山が送迎と呼ばれた。

文政13年(1830年)に大規模なおかげ参りが発生している。四国の阿波から始まったとのことである。
この年に、この明神山に白狐のお告げと言うことで天照大神(大日霊女尊(おおひるめのみこと))を「かって」に祀ったということである。
伊勢への大阪からのもともとの順路である。それはそれは賑わったとのことである。
なにしろ毎日毎日、さい銭としてカマス四~五杯の銭が集まったという。
長い旅に疲れて、ここで参拝して帰ったという人もいたらしい。

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山頂のいまの神社はこのひるめ神社とは関係がない。

郡山藩がこれを不正と問題にした。「これはニセの神宮」として、一年も経たないうちに打ち壊してしまったとのことである。

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神社跡(山頂)からは大阪も奈良盆地も見事に眺望できる。
こちらで米相場の旗振りが行われたということもよく分った。

達磨寺には1~3号墳という古墳が残されているが、今日は畠田古墳を訪れてみた。
明神山の尾根の南斜面を利用して作られている。
発掘された須恵器の特徴から、7世紀のはじめ、古墳時代の後期のものとされる。

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こんな古墳

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中から見たら、こんな風景である。今は木が茂っているが大和盆地は一望という立地である。

達磨寺とか亀の瀬とか、王寺にはまだまだ面白いテーマが残されている。

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「王寺町の歴史」。町役場まで行くと、一冊500円である。
送ってもらうのは手続きが複雑、訪れるべし、である。
by koza5555 | 2015-11-16 20:49 | 読書
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