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奈良・桜井の歴史と社会

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唐古・鍵遺跡史跡公園

邪馬台国ツアーは2月10日と17日、25日。だんだん迫ってくるが準備はまだまだ。

「邪馬台国、畿内論」ツアーは、新大阪発で最初が唐古池楼閣。
まずはこちらが大切である。
今回はミュージアムは行かなくて、唐古池と楼閣。

新大阪から一時間余り、バスで「邪馬台国論」とコースのあらましをお話しすることになる。
物をみないでの邪馬台国論、これがまた難題である。
魏志倭人伝に沿って、行程、邪馬台国の国の外交、卑弥呼のあり方、生活、戦いなどを話せばよいのだが、これが畿内論、九州論、これを避けて通れない。
ここで、九州論とやりあったら、ツアーはぶちこわしせり
魏志倭人伝を読みながら、ポイントの解説、字面の説明・・くらいか。
すると、魏志倭人伝の読み下しをスラスラいかなくてはならないし・・・
暗誦する?漢文で2000字やから、それはむりやろうけど・・・

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バスは郡山インター経由で唐古池の駐車場に到着。楼閣がみえる(これは東からの画だが)

「太安万侶と古事記」の中で、辰巳先生と和田萃先生が唐子・鍵遺跡を語っている。
「卑弥呼の登場を『共立』という言葉で記録している」、「談合政権ができ、その都を邪馬台国においた」とされ、(卑弥呼に)に目をつけた諸王は、新たな政権(ヤマト王権)をつくるにあたり、探した・・・大和の唐古・鍵に神仙思想に精通する・・若き卑弥呼をみつけ・・・誰も住んでいなかった三輪山の麓に巨大な神殿を造り、『談合政権』を誕生させた」が、辰巳論である。
「大和川の大水害を避けて唐古・鍵の地を捨てて、高台の纒向に移動したのでは」と言うのは和田萃先生。
両先生によると、唐古・鍵遺跡は卑弥呼の生まれ故郷である。

田原本は「唐古・鍵遺史跡公園」の整備をはじめている。「よみがえる弥生の風景」である。
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これが完成予想図(2012年10月の田原本広報による)

唐古・鍵は紀元前5世紀から3世紀にかけての村、周囲には何本もの大溝(環濠)をめぐらしていた。
42haもあり、その広さは全国有数で、楼閣(絵画土器による)があり、大型建物跡や青銅器を作る施設も置かれていた。単なる農村とはいえない集落村だった。

田原本町は弥生時代の「風景」を再現し、弥生時代の「出来事」を体験・学習できる史跡公園の整備を28年度に実施する。工事はこれからだが、地図の①、「発掘調査の成果に基づきムラを囲んでいた大溝(環濠)の復原、これがすすんでいた。

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環濠の復原

唐古・鍵遺跡の発掘では森本六爾が忘れられない。
今回のコースは大泉の交差点付近で「森本六爾夫妻顕彰の碑」を拝見することが出来る。

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森本六爾(もりもとろくじ 1903年~1936年)、唐古・鍵遺跡の壺に残る一粒の籾痕から、いまは常識の「弥生時代は稲作の農耕社会」と証明した。
松本清張の断碑と桜井の芝房治(故人)さんの森本六爾論に描かれたのは、こちらの森本六爾である。不遇のうち34歳で亡くなっている。


広島や金沢からいらっしゃるお客様、最初にバスで歓迎、解説をして、まずは唐古・鍵遺跡である。


by koza5555 | 2016-01-15 04:19 | 邪馬台国(やまとこく) | Comments(0)
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