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奈良・桜井の歴史と社会

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工藤利三郎(くどうりさぶろう)奇豪列伝

飛鳥資料館(奈良文化財研究所)に、「文化財を撮る写真が遺す歴史。」が展示されている。

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展示の山田寺仏頭 レプリカ

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奈良文化財研究所はさまざまな遺跡を撮影し、学術情報として蓄積してきたこと
遺跡と遺物の撮影のノウハウを紹介すること、
こんな展示だが、先人の業績も紹介しようという企画だった。

ここで、工藤利三郎が紹介されていた。明治から大正にかけて奈良を本格的に撮影したカメラマンということである。

工藤利三郎は徳島県出身の写真家で、明治26年(1893))奈良で「工藤精華堂」を開館し、明治41年から「日本精華」全十一輯(しゅう)を刊行しました。活動範囲は全国におよび、飛鳥地方にも撮影に訪れました。仏像や建物の全体像を、陰影を抑え気味に撮影)こうした、資料性の高い写真を多く撮影しています。 (会場掲示から)

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ちなみに飛鳥資料館の写真撮影は可である

どんな人やろ・・強烈に関心が湧いた

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調べてみると、「奈良まち 奇豪列伝」(安達正興著・奈良新聞社)に、この工藤利三郎が紹介されていた。

奈良の写真を撮りたいと徳島から、猿沢池の東の菩提町(現在の吉田旅館の所)に移り住む(明治26年45歳の時)。
①写真を撮っているうちに佐伯定胤(法隆寺管主)と知り合いになり、
②また同郷の喜田貞吉を学術的パトロンとして、
③明治28年に開館した「奈良帝室博物館」で工藤の写真が販売され、
さらに明治30年施行の「古社寺保存法」、この指定(特別保護建造物・国宝の指定を受けると維持修理費を内務省が交付する)をのぞむ寺社が申請の写真を工藤に依頼したなどで、工藤の名声はさらに高まり、家計も潤っていった。

その勢いで工藤は写真集、「日本精華」(全11巻)を刊行する。とても高価(一冊20円~30円、現在の20万~30万くらいか)で、販売は好調とはとても言えない状況だった。


そんな状況の上に、飛鳥園が大正13年に帝室博物館付近に転入・開業。工藤の平面的な写真と異なり、飛鳥園の小川晴暘(せいよう)(小川光三氏の父親)の作風は黒バックに浮かび上がる鮮烈な芸術写真、軍配は一目瞭然だった。

帝室博物館、各寺社は次々と工藤のもとから去っていき、酒に入り浸った晩年だったという。

工藤のガラス原版が奈良市教育委員会に引き取られた経過や養女、琴のさんのことなども触れられているが、今日は割愛、それらはご本をお読みください。

工藤利三郎、こんな写真家の経歴であるが、奈良を撮ったカメラマンの草分けとして寺社、仏像、遺跡の撮影で果たした役割、これは巨大である。

「奈良まち奇豪列伝」(工藤以外は石崎勝蔵、左門米造、ヴィリヨン神父紹介している)、
飛鳥資料館の「写真が遺す歴木」の拝観(65歳以上は無料・7月3日までの期日)、
今日はこの二つを、欲張りに紹介させていただきました。

最後の奇豪列伝で紹介されていた、当時の猿沢池の東側の概念図を紹介しておきます
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by koza5555 | 2016-05-10 13:46 | 奈良
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