島根県の方からお手紙をいただいた。「出雲とか、さらには吉備、豊前、備前など、こんな地名が桜井市周辺にたくさんあると聞きました。なんで」との質問だった。
こんな地名が分からんということだ。ご返事を差し上げた
桜井市にとどまらず奈良県には、昔の国名を地名とする村名は数多く存在します。
桜井市でいえば出雲、吉備、豊前があり、安倍には長門もあります。桜井市jの近在の三宅町(但馬、三河)、天理市(丹波市、備前、上総)、橿原市(飛騨、大隅)、高取町(土佐、薩摩)などが知られており、県下全体では大字、中字で55ほどの村名が数えられております
近畿地方には旧国号村名は、京都府で10カ所、大阪府でも6カ所などが知られていますが、奈良県の地名は発生が古いこと、数が多いことから特別の位置づけがなされています。
古文書によると(大乗院雑事記、和名抄)、国名地名は東北地方の国名が無いこと、西日本の国名が多いこと、畿内は少ないこと、旧磯城郡・山の辺郡・十市郡(これらは奈良盆地の南部にあたります)に多いことを特徴としています。
また、藤原京(奈良盆地の最南部)の造成(694年~710年)にあたっての貢進国が国名地名となっていることが多いことなどが指摘されています。藤原京造営時に生まれたとの見方もあります。
藤原京造営時、藤原京造営の貢進には人的なものも含められており、造営協力の各国(旧国)の出張所(宿泊所を含む)などが置かれた場所が、その後の村名になっていったとの見方が多いようです。
したがいまして、古文書による(現在も数多くが残っている)旧国名は大和平野の中央部と南部、藤原京跡周辺に集中しており、他は中ツ道、下ツ道、太子道、巨勢(こせ)街道などの当時の街道筋、交通路に集中していることが特徴です。
『奈良県史14 地名』などを参照に返事を書いた。
桜井市の出雲はさらに面白い。こちらの出雲も「旧貢進国」論で解説できると考えているが、地元の伝承、信念はもう一つ、複雑である。
地元の伝承ではもともと出雲は桜井市だというのである。
日本書紀によると垂仁天皇の時代に、国内で初めて天皇の前で相撲が行われたとされている。
当麻蹶速(たいまのけはや)という力自慢が「自分より強いものがいるならぜひ戦ってみたい」と豪語しており、それを耳にした天皇が対抗できる力自慢を探させ、呼び寄せたのがこちらの出雲の野見宿禰(のみのすくね)だということである。
出雲十二柱神社出雲国より「即日に招集」したという記述が日本書紀にあることから、「島根(出雲)から奈良まで即日に招集できたのか?」と考え、実は山陰の出雲ではなく、桜井の出雲から呼び寄せたというのである。
そんなことから桜井市出雲には野見宿禰に関する伝承が多く残されている。
狛犬を支える相撲人形
十二柱(じゅうにはしら)神社には巨大な五輪塔が残されていて、これは近くの野見宿禰塚から移されたもの(現在は取り壊されている)であり、また神社のこま犬を支えるのは相撲人形で、野見宿禰の顕彰の力が入っている。
歴史の深さ、長さ、出雲の方の村名に対する誇りは、ひとしおである。